視察論
                     (岡部一明、1999.10


伊勢詣でとアメリカ視察

 神崎宣武『物見遊山と日本人』(講談社新書)によれば、移動が制限されていたはずの江戸時代に、伊勢神宮参りだけで年 間60万人が旅行していたという。徒歩の旅だから時間もかかり、一人平均40日として延べ2400万人日。人口差の補正を行なうと、これは実に現代の日本 人の海外旅行量の2倍になるという(P.132)。(1718年の伊勢山田奉行の参宮者数報告による。現代日本人の海外旅行は年間延べ7200万人日だ が、人口は1700年当時の6倍だから江戸時代の数字に補正して1200万人日となる。)

 信じられない数字だが、証言もある。長崎のオランダ商館付きの医師であったE・ケンペルが1691年、92年に江戸まで旅行した見聞録『江戸参府旅行期』には次のような記述がある。

  「この国の街道には毎日信じられないほどの人間がおり、二、三の季節には住民の多いヨーロッパの都市の街路と同じくらいの人が街道に溢れている。……これ は一つにはこの国の人口が多いことと、また一つには他の諸国民と違って、彼らが非常によく旅行することが原因である。」(前掲書、P.128)

 民衆の旅行が御法度だった時代に、日本人は「寺社詣で」を口実に活発に旅行した。「視察」を口実に活発に旅行する現代の……と結論を急ぐことはしない。が、物見高い日本の視察・詣で旅行は日本人のかなり古くからの伝統だったのだ。

  貧しい民衆は講をつくり、お金をたくわえあって輪番制で伊勢参りにでかけた。そのパッケージツアーを主催した旅行社が御師といわれる商人化した神主業だっ た。江戸中期に600−700家の御師が存在したという(P.177)。講の運営はなかなか民主的だったといわれ(P.173)、日常に閉じ込められた民 衆の心が、旅という回路を通じてハレ(非日常)の世界に媒介されていた。

 幕府が倒れる年(1867年)に発生したおかげまいりのエクス タシーは、この伊勢参りの伝統の上に生まれたと考えられるだろう。(60年を周期とする)お蔭年に伊勢神宮の大麻札が降ったとの想定で爆発的に拡大した狂 乱、ハレの解放感を表現した民衆運動であった。視察も詣でも、体制を揺るがしかねないエネルギーを秘めて進行しているかもしれない、ということに思いをは せねばならない。

 現代でも、引き続き日本人は視察と詣での旅を続けている。制服姿の修学旅行、さすがに「旗に続いて」のパターンは少なくなってきたが、海外団体旅行。そして数多くの視察旅行、○○詣で。

 シリコンバレーのある米大手ソフトウェア会社で働いていた日本人の友人が息まいていた。「視察でやってくるなど日本人だけだ。」

 彼は日本人社員としてよく日本からの視察の人への応対をさせられたらしい。その(アメリカの)IT会社に視察に来るのは日本人ばかりだった言 う。確かに、アメリカの別会社の人がわざわざシリコンバレーの会社に「視察」に来ることなど、なるほど考えられない。競争相手だし。しかし、日本人のシリ コンバレー視察なら、どこか名の通ったハイテク企業を2、3軒「視察」しなければ格好がつかない、となるのが普通の事情なのだろう。

 視 察は偉大な行為である。紙で読んだだけでなく、Eメールを交わしただけでなく、電話で話しただけでもなく、実際にその場を訪れ人に会う。確かにそうでしか 分らないものがたくさんある。人に触れることか生まれるエネルギーがやはり、最も根本的にその人に影響を与え、社会変革にもつながる。

  だが、視察と「詣で」は、私たちの文化では当然だが、他の文化では必ずしも当然ではない。アメリカにはコンサルティングの文化はあるが、視察の文化は必ず しもあるとは言えない。どこかアメリカのNPOがサンフランシスコの先進的なNPOに多数見学に来たとすれば、それは「コンサルティング」として料金を支 払う可能性が高い。コンサルティングではなく、あくまで「交流」としてその視察を実現させるには、視察者、さらに現地手配師の並々ならない努力が必要であ ることを肝に銘じる必要がある。

 以下、何年かの現地手配師の経験から、手配師業のノウハウを書いておきたい。

一番にやること

 視察の依頼が来て、一番最初にやること。それは日程の確認だ。当たり前のことだが、視察が来る日にちにアメリカの休日 がないかどうか、を確認する。日本の人は、アメリカの休日など考えずに予定を組んでいるのが普通。短い日程の視察(時に数日、長くて1週間)が1日でもア メリカの休日にかかると大打撃だ。

 休日だと、アメリカではNPOも全部閉まる。これも計算違いの一部になるが、市民活動やNPOのイ メージが日本と違う。日本だと、市民団体は、仕事が終わってから人が集まってくる、というイメージだが、アメリカのNPOはきちんと9時−5時の仕事をし ており、土日祭日は当然休むし、夏には長期休暇をとる。行ってみればわかるが、企業のような立派な「オフィス」でまさに「仕事」をしている、働いている人 が「NPOで働いている」という意識さえもっていないところもある。

仁義を切る

 視察は、訪問先に送る依頼レター第一報で半分以上勝負が決まる。現地手配師は、くれぐれもこの点を肝に銘じておかねばならない。まずは仁義を切ってお目通りを願う。洋の東西を問わず、それが肝心だ。

  日本から来る人にとっては、こちらで実際にあちこち回るのが視察の本ちゃんだと思うだろう。しかし、手配師−通訳師にとっては、その段階ではベルトコンベ ヤーに乗って日程をこなすだけで、すでに勝負はついている。大変なのは、それまでの周到な手配と日程づくりであり、これさえ出来れば「本番」は自動的に流 れる。

 最初に相手にどのような手紙(メール)を送るかが大切。「また訳のわからない日本のグループが来るのか」としか思せられないと、 その先すべてのプロセスにブレーキがかかる。相手も人間だ。興味もないグループと会って時間をつぶしたくない。何かのはずみでアポが取れたとしても、事前 の情報提示がなければいい交流の場にはなりにくい。次の視察に続くことはない。

 この 「本番以前」で手配師は孤独なたたかいを強いられる。日本に居る人は、大方の場合「こことこことここに行きたいのでよろしく」としか言って来ない。しか し、訪問先は観光スポットではなくて人間でありその活動体だ。そうか、こういう人たちが来るのか、だったら会いたいな、と思ってもらって初めて行ける。だ から、この段階では、徹底して日本から来る人から情報を得る。どういう活動をしていて、何を思ってこのサンフランシスコに来るのか、視察後それをどう生か すのか。どういう人が来るのか、訪問者の詳しいリストなどは不可欠だ。Eメール、時には参加者間のメーリングリストなどを駆使して情報収集する。 いざとなれば日本にバンバン国際電話をかけ、メンバーにインタビューを行なう。各種資料も送ってもらう。そうやって、英文記事を1本書くぐらいのつもり で、訪問要請レターを相手先に書くのだ。視察は助成申請と同じ。自分たちの活動を徹底的に説明し相手を納得させなければ前に進まない。

アメリカのNPOは層が厚い

 日本からの視察ラッシュもすごいが、幸いなことに、アメリカ市民団体の層の厚さもすごい。日本からの「視察公害」くらいで簡単に負けるアメリカNPOではない。

  私が各種記事で紹介している団体、あるいは一般に日本のメディアに取り上げられる団体はほんの一握りで、おなじように素晴らしい活動をしている団体は他に いくらでもある。私自身、長年サンフランシスコに居て、なお取材しきれないユニークな団体がたくさんあると感じている。

 日本の人は、ど うしても紹介された団体にこだわりがちだ。旅行でもガイドブックに出てくるスポットにいきたいと思う。このこだわりを克服できればリソースは無尽蔵だ。特 定団体への訪問ラッシュは避けなければならないし、充分避けられる。「日本からの客とは珍しい」と暖かく受け入れてくれる団体はまだいくらでもある。これ を開拓するのも現地手配師の力量である。

互恵関係をつくる

 私がお世話した日本の団体で、恒常的にアメリカのNPOと交流関係をもっているグループがあった。まさに本当の「交 流」で、来年日本で国際会議を開くので協力してほしい、パネリストとして来て欲しい、さらにノウハウを共有しながら日本でも同じ様な運動を広げていきた い、と徹底して交流を目指していた。アメリカ側の団体も喜んで会ってくれたし、仲を取り持つ私としてもお膳立てしやすく、気持ちよかった。

  ネットワークの中で今後も連絡をとりあい交流を強める、その一環として今回訪問した、次は例えば日本に来てもらう、などなど。自治体などの場合には、例え ば姉妹都市関係などがあると視察交流を組み易い。恒常的な交流の一環としての訪問を組織できる。日本に運動を広めたい、日本にも事務所がある、など日本向 け活動を戦略的に重視しているアメリカの市民団体(あまり多くない)を選び出せれば話が早い。日本からの人に会おうとするインセンティブがあるからだ。

 ただし、こうした場合、会いやすい一方で、いろいろ帰国後の課題を背負わされることも覚悟しておかなければならない。何しろこれは双方向的な「交流」なのだから、当然と言えば当然である。「あとくされなく見て来れればそれで充分」とは考えていないか。

  長期滞在が可能な人は、例えば実際にその団体でボランティアして、相手側に役立つ形でこちらも学ぶ形にするのがベスト。ただ、これもむやみにボランティア しても足手まといになるだけなので、受け入れ側のニーズをきちんとつかみ、日本からの人間の仕事がある団体に入る必要がある。

 例えばサンフランシスコ近郊に本部をおく日米の市民活動交流団体日本太平洋資料ネットワーク」(JPRNが、 こうした日米間のボランティア活動、視察交流の組織化を行なっている。こういう団体に視察設定をお願いするということは、単に料金の問題に留まらず、単発 的な視察を恒常的な交流関係の中に移し替えられるという意味がある。ここが地元団体と恒常的かつ互恵的な交流関係を形成しており、その中に個々の「視察」 が一定の位置づけの中で入っていくことができる。

取材活動と結び付ける

 日本からは、視察交流ととともに新聞、TVなどからの取材協力の要請も多い。アポイントメントを取る上で、視察交流よ り取材協力の方が設定しやすいのは事実だ。取材される側の団体としても、記事や番組になるならば、と喜んで会ってくれる。もちろん一般的には、マスコミの 取材攻勢で現地に大変な迷惑をかけるということも考えられるが、私に声をかけるのは、 NPOや市民活動に興味をもつ記者たちで、迷惑をかけるようなことはまずない。どのようにユニークな活動をやっているかを知るための取材であり、市民団体 としても相手がたとえ外国のメディアであろうと、活動を広く社会に知らせることが使命の一部だから、双方求めるものは一致する。

 視察交流の場合も、帰ってからどこどこに記事を書くとか、報告会を行なうとかの点を強調したい。視察を実際に日本の中で役立ていくのが目的なのだから、単なるアポ取りのテクニックではなく、中心課題として市民的ジャーナリズムを真剣に追求する必要がある。

カネを払う

 以上に紹介した様々な方法を駆使してなお互恵的な出会いがつくれない場合、最後の選択として、先方に一定額の視察料金 を支払う(寄付をする)ことも必要だ。これもありであることを確認したい。一種の「コンサルティング料金」だ。相手も少ないリソースで社会的弱者にサービ スを継続するため血のにじむ努力をしている。その時間を安易に奪うことはできない。だからカネを払う。こういう形での視察が、サンフランシスコでも増えて きたし、さらに大規模な視察ラッシュになっているらしいウェーデンの福祉団体などでも一般化していると聞く。NPOの正当な事業活動(コンサルティング活 動)に、我々も喜んで協力する、というスタンスである。


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