日本紀行(あるいは上野の民主主義)
(岡部一明、1997.6)
ふるさとのなまりなつかし停車場の、人混みを……
かき分けてそを聞きにいく、ほどでないにしても、上野駅で、アメリカなまりのエゲレス語を聞きてふと振り返ることありにけり。
上野駅は、昔も今も、遠い土地から東京入りする人びとの玄関口だ。東北新幹線は東京駅が終点となったが、成田からの貧しい上京者は、今でもまずはこの上野駅に着く。空港から最も安い東京入りルート。京成線の、しかもスカイライナーではなく通常特急に乗って980円だ。
私も、サンフランシスコという遠い地からこのアジアの都市に来て、まず上野に降り立つ。密集したおびただしい数の建築。果てしなく続く人の群れ。歩道橋の張りめぐらされた灰色の空間に向かって廃棄ガスと騒音が吐き出される。
牛丼吉野家に入るとなつかしい広東語の会話が耳に入る。思わず振り向くと、他の日本人もその集団を見ているので、恥ずかしくなる。人口の20%が中国系のサンフランシスコでは広東語は地元語。じろじろ見られることはない。
『ブローク(破産)した旅行者のための日本案内』という英語のガイドブックがあり、上野の安宿が細かく載っている。最後の方に、「本当に困ったら上野公園で寝る手がある」とある。
君のような状態になっておれば所持品の盗難を心配することもあるまい、上野のポリースも見て見ぬ振りをしてくれる、とアドバイスしているのが印象的だ。
幸いにも私はまだそこまではいっていない。だが、確かに上野は安宿の集中地区で、駅から宙にかかる歩道橋を南東方面に向かうと、カプセルホテルが一泊3000円前後、個室型のビジネスホテルでも5000円台からある。
私は前に東京に住んでいたことがある。しかし、異境からの来訪者として来ると上野は別の街のようだ。
荷物を宿に置き、夕食を取りながら上野を歩く。寝泊まりする上野を、こうしてくつろいで歩くことはかつてなかった。駅構内が、電灯に照らされ夜店のよう
だ。昼、ビジネス客がおしかける「緑の窓口」も、さしずめ夜店の怪しげな馬券売場のように見える。旅行会社の窓口で日本全国乗り放題の特別バス(ジャパ
ン・レールパス)を発券してもらうと、隣で、日本語を巧みに話すヨーロッパ系の女性が、必死で係員に食い下がっていた。
「どうしたんですか。」
申し込んでいた航空券が何かのトラブルで発券されないという。見事なガミガミ声でねじ込み続ける内にやっと出る。
「ったく。西洋人だからって、うるさいおばさんだと思っちゃ困るよ。」
まあ、でも出たから、よかったじゃないですか。
安宿は四畳半の小部屋だ。しかしシーツは新しく、清潔なゆかたもある。第三世界を旅慣れた身には充分、上等だ。
1階に降りると、私と同じ出稼ぎ者らしい人びとが居る。風呂場前のたまり場のようなロビー。
「なかなか眠れねな……」
それぞれの(日本国内の)お国言葉で話し合っている。
私はカップヌードルを食べる。彼らはお酒を飲む。
風呂にはシャワーでなく、大きな湯ぶねがあった。熱い湯に浸るとわいてくるこのしみじみとした感情は何なのか。浴槽で思いきり足を伸ばせる感覚の不思議さ。私にとってやはりこの地は異境でなく、ふるさとでもあることの証左だろう。
時差ぼけで朝4時に起き、ジョッギングする。朝もやの中に上野駅の旧い駅舎が現れる。人気ない街にたたずむ駅の建築を、東京にいた頃、このように見ることはなかった。
成田は、ハブ(中心)空港としての地位を他のアジア諸都市に譲りつつある。東京までの切符を買うより、香港、ソウル、台北、ホーチミンシティー(サイゴ
ン)などへの往復航空券の方が時に安い。アジアまで行き「帰る途中で成田に寄る」方が節約になるので、最近私は、日本行きのたびに不本意にも(?)アジア
旅行をしている。
アジアから上野に入ると、ここは明かにアジアである。アジアの至る所に人びとの活気あふれる民衆市場があるが、上野のアメ横は明かにその延長だった。さらに行けば秋葉原がある。帰るたびに必ず行くこの定番コースも、最近アジア諸都市で拡大する「電子市場」の一角だ。
ソウルから上野に入った時、それまでの目鼻立ちの整った朝鮮半島の人びとに比して、この島の人びとの顔がマンガチックなのに驚いた。写楽など浮世絵、あるいはおかめやひょっとこの面は、写実の背景をもった土着文化ということがわかった。
駅の西側には広い公園がある(上野公園)。美術館や博物館など文化施設が建ち並び、日曜日には市民がたくさん集まる。今回帰った時には、花見客でごったがえする直前だった。歩きまわると、ホームレスの人たちの張る青いテントが林立しているのに感動する。
つまり上野には何でもある。便利な駅があり、安宿、大衆食堂・酒屋があり、アジア的市場で何でも買え、パソコン少年の欲求にも応え、さらに公園があり、文化施設がある。
唯一ないのは図書館だった。日本に着いたら、まず簡単な調べ物をしようすることが多いが、その時困る。博物館・美術館はあっても、かつての帝国図書館
(国立国会上野図書館)は現在閉鎖され、児童図書館への衣更え中だ。わざわざ三河島や蔵前の区立図書館に行かなければならない。
比べて悪いが、サンフランシスコには、人口70万の市内に26の図書館分館があり、どこに居ても歩いて行ける距離に図書館があった。首都ワシントンに
も、巨大な市民公園(「ザ・モール」)のまわりに連邦議会、ホワイトハウス、官庁があり、多数の博物館、美術館とともに議会図書館や街の公共図書館があっ
た。
そうか、アメリカでは首都は上野だったのだ、とその時気づく。市民が集う巨大公園に、博物館、美術館とともに、市民の公僕たる議員や大統領の建物があ
る。東京では文化施設・市民公園は上野で、それとは別に国会、官庁、首相官邸が永田町・霞が関にある。図書館もそっちに行っている(国会図書館、都立日比
谷図書館)。
首都を上野にもってくればいい。国会議員が毎日、ホームレスの人たちの青テントを見ながら国政を論じ、首相が、夜桜見物の市民の喧噪を聞きながら床につく。上野から新しい日本の民主主義がはじまるだろう。
詳しくは:
岡部一明『アジア奥の細道』(Amazon KDP、2017年)、2060ページ、写真1380枚、398円
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