分類としてはまず、カーネギーやゲイツなどお金持ちの個人・家族が設立した家族財団、企業がつくった企業財団、そして多数の出資者から基金を集めたコミュニティー財団などがある。タイズ財団はこの最後のコミュニティー財団に相当する。約参百のドナー(出資者)のお金を総合的に管理する基金集合型のコミュニティー財団だ。コミュニティー財団は全米に三〇〇以上あるが、その中でも環境運動、人権運動など活発な市民運動(アドボカシー活動)団体を「社会変革財団」と呼んでいる。タイズ財団の場合、通常のコミュニティー財団のように特定地域に集中せず、全米的に助成を行なう点もユニークだ。
現在、タイズ財団の総資産は八〇〇〇万ドル(八八億円)、年間助成額は二〇〇〇万ドル(二二億円)に達する。過去二十数年間に一億ドル以上を革新的市民運動に助成してきた。社会変革財団としては全米最大規模。もちろん、アメリカには資産九七億ドル、年間助成四億四〇四〇万ドル(一九九八年度)のフォード財団はじめ大型財団が多数あるので、全体から見れば並の大きさである(九九年にはマイクロソフトのゲイツ夫妻が二四億ドルの個人寄付をしている[ 3])。しかし、日本の財団と比較すれば助成額で三位。日本生命財団(四億五八〇〇万円、一九九八年)、三菱財団(四億四三〇〇万円)、トヨタ財団(四億三八〇〇万円)、笹川平和財団(四億二〇〇〇万円)を合わせたよりも多い助成額になると言えば、その規模が理解できよう。
ビジネスの分野でも、アメリカにはベンチャーキャピタリストやエンジェルと呼ばれる新興企業支援の投資家が存在する。一九九九年に四八三億ドルのベンチャー資金が三六四九の起業家に投資された[
4]。規模はずっと小さいが、社会変革財団は市民運動のベンチャーキャピタリストである。まだ充分知られていない社会の問題を率先して提起し、その解決に向けて提言し、イノベーティブな活動を創り出す。そうした先駆的な「社会的アントレプレナー(起業家)」に資金を出して育てるのが市民運動ベンチャーキャピタリストだ。彼らの場合は、将来の見込み益を期待しての「投資」ではなく、一方的贈与の「助成」をする。またお金を出した後、ベンチャーキャピタリストのような激しい経営介入はしない。むしろそれを控える。しかし、時にリスクを犯して積極的な資金援助を行ない新しい革新事業を育てる点は同じだ。アメリカ市民運動の背景にはこうした社会変革ベンチャーキャピタリストが活動し、その活力を支えている。
年間二〇〇〇万ドル以上を助成するタイズ財団会長のドラモント・パイクさんが首を振る。サンフランシスコのゴールデンゲート橋が見渡せる湾岸公園プレシディオ内の事務所。自然光がふんだんに入る会長室の中で、パイクさんが財団の二〇年以上前(一九七六年)の設立当時を振り返る。
「その頃、私は小さな財団(サンフランシスコの「シェイラン財団」)で働いていました。そこで、お金はもっているが助成の仕方が分らない出資者たちに助成支援コンサルティングをしていました。それと同じことをボランティア的に自分ではじめたのです。タイズ財団は最初は(ファイルの入る)私の机の引き出しでした。とても小さく、夜や暇のある時にやる仕事でした。」
タイズ財団は、いわば彼の助成コンサルティングの内職からはじまった。自分がお金を出すのでなく、寄付者(ドナー)が助成するのを支援をする。助成コンサルティング機関と言ってもいい。普通、コミュニティー財団でも自分のところである程度は独自基金をもつものだが、タイズ財団にはそういうものもない。実態は「パイク・コンサルティング会社」が多数の料金をとってドナーたちにコンサルティングをしているという形だ。が、その全体をタイズ財団という一つのNPOにした。その方が、金を出す方にとっても個々の団体でなくタイズ財団ひとつに寄付すればよく、税務手続きその他が簡単になる。助成にドナーの意向が反映されるが、助成はあくまで「タイズ財団からの助成」になる。匿名で助成したい人にとっては好ましい特質だ。
「成長した理由は、第一に社会変革、イノベーション、新しいアイデアなど、価値観を重視した財団助成活動を行なったからです。また、ドナーの参加を重視し、ドナーがどのような団体に助成したらいいか積極的に関わる助成を行なってきました。第二に、マネジメントに力を入れたということです。言葉を代えると財政面では保守的な方針をとったということです。ドナーの望みを聞き、有効な基金運用が行なわれるよう保証しました。」
助成対象を「社会正義」「地域問題」「経済公共政策と経済開発」「国際問題」「環境と自然資源」の五分野に分けている。平たく言えば人権、地域教育、街づくり、国際、環境の五つだ。考えられるあらゆる市民活動が助成の対象になる。エイズ患者支援活動、人権擁護の弁護士活動、先住民族の自主教育運動、家庭内暴力撲滅活動、地域の無料診療活動、スラム地域の青少年育成活動、低家賃住宅建設活動、熱帯雨林を守る活動、環境教育、河川の自然を守る活動……上げると切りがない。
助成の基本は、ミッション・ステートメント(目標声明)の中に示されている。
「タイズ財団は、社会的公正、広く共有された経済機会、強固な民主的プロセス、持続的な環境的活動などに基づく健全な社会を求め、そうした社会への変革を積極的に推し進める。タイズ財団は、健全な社会は個人の権利の尊重、コミュニティーの活力、多様性の祝福に本質的に依存していると信じる。」
基本的方針は明確だが、具体的な助成に関しては一般的な「ジェネラル・サポート」が多いのもタイズ財団の特徴だ。特定のプロジェクトに対する助成とジェネラル・サポートが約半々になっている。財団は通常、前者を好む。特定プロジェクト助成は助成の意図が明確で、具体的な活動成果も測定しやすい。しかし、NPO側からは、財団の好むようなプロジェクトに徐々にひっぱられていってしまうという批判がある。使途を限定しないジェネラル・サポートは、被助成側の自律性を尊重した助成形態だ。
料金はサービスの程度によって異なる。すでにドナーが助成対象を決めていてタイズに基金管理を依頼するだけの「コア基金サービス」は、助成額の一・五パーセントの料金。社会状況と助成ニーズの分析、各団体の活動概況などを中心に簡単にアドバイスを与える「プログラム支援」(インフォーマル助言サービス)は五パーセント、さらに本格的なコンサルティングを提供する「プログラム助言」(フォーマル助言サービス)は一二・五パーセントの料金だ。内部の基金だけでなく、外部の財団に対しても契約で助成支援サービスを行なう。この場合はタイズはまさにコンサルティング事業体になるわけだ。対象は、自分たちだけでは助成活動を行なえない小財団。法的には別法人だが、実質的にはタイズ内小基金と同じような存在だ。
例えばネーザン・オーバック財団は、祖父の世代が設置した家族財団で、伝統的にコーネル大学の学長室に助成してきた。現在、孫の世代にあたる四人の姉妹が運営の中心となっている。最近、タイズ財団にコンタクトして、より現代の社会ニーズにあった助成プログラムをつくりたいと言ってきた。タイズは共同でいろいろ検討し、学長室でなく、低所得・マイノリティー学生への奨学金助成プログラムに切り替える方向にもっていった。「家族の(教育に対する助成という)伝統を尊重しながら、そこに私たちの世代の関心を反映させたものです。」と姉妹の一人、キャリル・オーバックさんが語っている[ 6]。
あるいは、四〇〇人の個人ドナーが資金をプールしてつくったスレッショールド財団(本部サンフランシスコ)というユニークな財団がある。毎年一回、全ドナーが集まって助成先を決めるが、だれもが納得する助成先を決めるのは難しい。内部のだれかが事務局を担うと、その人の意向に引っ張られていろいろ問題が出る。そこで、第三者の事務局が必要になりタイズ財団にお呼びがかかった。
世の中にはお金があって困っている人がたくさんいる。自分では助成事業ができず、そのお金が社会に有効に使えない。そこにタイズが入ってくる。社会に眠ってしまっていたかも知れない富が有効に再利用される。
「そんな規則があったら、タイズ財団は生まれませんでしたよ。」とパイクさんに笑れたことがある。日本で財団(財団法人)をつくるには何億円という資金がなければならない、と説明した時。自己基金なしではじめるタイズのような財団は日本では確かにつくるのが困難であろう。
タイズのモデルは徐々に他にも広がりつつある。一九九五年にワシントン事務所が設置され拡張中だ。東海岸での事業ベースをここに移し、それが成功すればさらに他都市にも事務所をおき、助成・インキュベーター機能の分散化をはかる。カナダでも、タイズに習って「タイズ・カナダ」(本部バンクーバー)が設立されている。
このNNGが一九九八年に本格的な社会変革助成の調査をした[ 8]。それによると、一九九七年の全米の財団助成一三八億ドルの内、社会変革助成は二・四パーセントにあたる三億三六〇〇万ドルだった。「二・四パーセントに過ぎない」とのことだが、それだけでも日本の財団助成総額の半分を超え、上位二〇財団の全助成額に相当する。別の形の比較をすれば、日本の企業・団体による政治献金総額(一七〇億円、全政党対象)の約二倍である。金の額がすべてではないが、それだけの資金が社会変革的市民団体に拠出されれば、その社会的影響力は無視できない。
タイズ財団の年間助成二〇〇〇万ドルは、社会変革助成総額の六パーセントにあたる。タイズ財団は、社会変革ベンチャーキャピタリストの雄であり、かつその中で様々に新しい助成形態を模索するイノベーターであった。コミュニティー財団的でありながら、特定地域に限定せず全米的に展開する。後述するように、金を出すだけでなく、助成される側(NPO)も組織してインキュベーター機能ももつ。さらにNPOセンターの建物もつくる。それらすべてを緊密に連係してNPOの総合的支援モデルとして機能させる。何よりもタイズは、ドナー自身でなくパイクさんという助成コンサル専門家がつくった財団であることが異色であり、成功の秘密だったかも知れない。金からではなくノウハウから有効な市民運動支援制度が創られるということをタイズは実証した。