ポートランド自治モデル

  岡部一明

 アメリカの街づくりを視察しようとした時、多くの人はまずポートランド(オレゴン州)に向かうのではないだろうか。この西海岸北部の街は、サンフランシスコと並んで市民活動の盛んな街であり、市民参加の街づくりが最も成功した街と言われる。その過程は、例えばカール・アボットが「優良プラニングの首都」として記録した通りである[ 1]。メイヤーとプロボも同市の特徴を総合的に分析した『ポートランド・エッジ』の中で「多くのプランナーにとってこの地域は、広域計画、成長管理、その他イノベーティブな都市計画政策に関し看板的な代表事例(poster child)であり続けてきた」と言う[ 2]。ソーシャル・キャピタル論の大家であり、そのベストセラー『一人でボウリング』[ 3]でアメリカのソーシャル・キャピタル(人々のつながり)減退に警告を発したロバート・パットナムも、このポートランドは全米的傾向の例外であることを認め、最近著『ベター・トギャザー』[ 4]で、なぜそうなったかを詳細に分析している。パットナムの分析は本稿4で詳しく紹介するとして、メイヤーとプロボは、こうした活力ある市民社会の結果、ポートランドの都市生活がどうなったかについて、次のようにまとめている。なおここで、ポートランド(市人口五七万、都市圏人口二三四万)は、アメリカの大都市としては中堅であることを確認しておく必要がある。

 「消費者マーケッティング・データや、一般メディアにおける生活の質ランキング調査を通してポートランド都市圏を見れば、この地域が明らかに他と異なっているのがわかる。ポートランド市民は、チームスポーツ行事の観戦より、活発な野外リクリエーションに多くの時間と金を使う傾向がある。彼らの読書時間はより長く、他のほとんどの地域の人々よりケーブルTVを見る時間が短い。この地域は新聞流通部数で全米の都市中七位に位置し、喫茶店の絶対数において三位(シアトルとサンフランシスコに次ぐ)にランクされる。『トラベル&レジャー』誌の二〇〇三年三月号は、安全、清潔さ、自然の近さ、”散策しやすさ”において高いランクを与えた。実際、ポートランドは他市に比べて散歩が極めてしやすく、アメリカ足病学会が、歩くことを愛する人々にとって全米最良の街の一つとランクづけしている。他の様々な雑誌、団体も、ワイアレス技術のトップ市場、エコルーフ(訳注:ビルの屋上に自然環境を取り入れた建築)のリーダー、識字・読書率の最も高い街の一つ、西海岸で最も安く住める街の一つなどとしてポートランドを位置づけている。これら賞賛の総合的なインパクトは明らかであって、二〇〇三年九月、ハリソン・ポル(世論調査)はポートランドを全米における住みたい街の八位、シアトル、デンバーよりも上、にランクしている。それに呼応するのが『マネー』誌のランキングであり、ポートランドをニューヨークに次いで全米住みたい街の二位に位置づけている。」[ 5]

 このようなポートランドの活発な市民社会、そして豊かな生活の質は、なぜ、どのようにして生まれたのか。それを探るのが本稿の課題だが、まず注目するのは、NPOなど活発な市民活動団体の存在である。ポートランドは市民活動が活発な街として名高く、自発的なNPO活動が様々に自治体機関に反映され改革を進める自治モデルが機能していると言われる。例えば前出パットナムらの調査では、市民参加に関心を寄せる市民活動団体(「よりよい行政に関心をもつ団体」)のメンバーになる市民の割合は、他の同規模の都市が二パーセント台であるのに対し、ポートランドは一一パーセント台と、約三倍に上ることが明らかになった[ 6]。市民団体の中でもとりわけ重要なのは、改革を訴え政策提言を行うアドボカシー団体である。ポートランドの市民運動の歴史を調査したスティーブ・ジョンソンは、団体の数的な変遷を表9-1のようにまとめている。一九六〇年当時は八八二団体のうち、同窓会、趣味的クラブ、労組、ビジネス団体などの「伝統的市民団体」が三七〇と多数を占め、アドボカシー団体は三一にすぎなかった。これが一九九九年までに逆転し、市民団体数一三〇五の中で伝統的団体は一三二に減少、アドボカシー団体は四〇二に増えた[ 7]。

 本稿では、まず、この活発なアドボカシー団体の様子を三つの事例を見ることから検討する。

表9-1 ポートランドにおける市民団体数の変遷

               1960年  1972年  1985年  1999年
アドボカシー団体  31     184     222     402
芸術文化団体      19      58      86     111
ビジネス団体     174     195     227     248
労働団体         164     172     118      78
社会福祉団体     124     199     263     334
伝統的市民団体   370     341     278     132

資料:Steve Reed Johnson, *The Transformation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002*, UMI Number 3119017, ProQuest Information and Learning Company, p.157
 

1、自転車交通アライアンス


自転車の街・ポートランド
 私の自転車の横を、数台のマウンテンバイクが高速で追い抜いていく。どうも私の走りは遅すぎるようだ。川沿いを走るこの自転車専用道は、通勤用高速道路のようなもので、自転車群がある程度の速度で秩序だった流れをつくっている。乗る人もほとんどが体にフィットした専用ジャージを着てヘルメット、サングラスの完全武装。歩行者といっしょに歩道を走る日本のママチャリ走行とはかなり違うようだ。

 ポートランド(米オレゴン州)を流れるウィラメット川。その岸辺沿いに自転車道スプリングウォーター・コリドールが走る。全長二〇キロの細いアスファルト道はポートランド中心部から同市南部、さらに東隣のグレシャム市まで続く。それがまた網の目のように張り巡らされた自転車レーン、別の専用路、自転車指定道路などと接続し、ポートランドの通勤交通で重要な役割を果たす。

 ポートランドに少しでも滞在すれば、この街でどれだけ自転車交通が盛んかすぐわかる。街中心部でもサイクリストをたくさん見る。自転車レーンがいたるところにある。市電に自転車をかかえた人が乗りこんで来る。市バスはフロントに自転車んで走る。ヨーロッパでは普通の光景だが、車社会のアメリカで特徴的な光景である。

 ポートランドはアメリカで最も自転車交通が活発な街と言われる。過去一〇年間で同市の自転車交通は三倍に増えた。自転車で通勤する人の割合は全米平均の六倍。市内の自転車専用路と自転車レーンの総延長は四〇〇キロを越え、将来的には一〇〇〇キロのネットワークになる[ 8]。一九九五年にポートランド市は、『自転車マガジン』誌の「自転車ナンバーワン都市」に選ばれた。二〇〇三年には全米バイセクリスト連盟(ABL)の「自転車にやさしい地域・金賞」を大都市として初めて受賞している。
 

自転車交通を推進するNPO
 「ポートランド市民の半数以上が自転車を持ち、年に何度かは乗っている。環境さえ整えれば、もっともっと頻繁に乗るようになるはずだ。」

 市民団体「自転車交通アライアンス」(BTA、Bicycle Transportation Alliance)のエバン・マンベル事務局長が語る[ 9]。ポートランドの進んだ自転車交通を実現してきたのはこのBTAはじめ、市民の熱心なアドボカシー活動だ。BTAは一九九〇年に設立された非営利団体(NPO)。最初の三年間はボランティアだけだったが、現在、会員四〇〇〇人、有給スタッフ一〇人の強力な団体になった。単にツーリング大会など自転車行事を主催するだけでなく、市や州に交通政策の転換をはたらきかけ、都市計画にも深く関与する。

 「自転車ツーリングのリクリエーション組織はいろいろあるが、私たちは交通の手段として自転車を復権させることを目的にする。だから団体名に敢えて交通という言葉を入れた。」

 インタビューはちょうどBTA事務所の引越しの日。混乱した事務所を避け、近くの喫茶店でマンベルさんの話を聞く。

 自転車をスポーツやレジャーの手段ではなく「交通」と考えることは実践上、大きな違いを生み出す。。リクレーション用なら郊外や自然公園に自転車ロードをつくればよい。しかし、本格的な交通手段にしようとするなら、街中に自転車レーンをつくり、時には車道を削って自転車レーンをつくる。アメリカを支える自動車交通の文化・利害と真っ向から対立する。

 「過去一五年間に市や州に働きかけて自転車レーンを大幅に増やした。市内の(ウィラメット川にかかる)橋もかつて二つしか自転車で渡れなかったが、四本とも通れるようにした。環境が整う中で市民はより自転車を使うようになった」とマンベルさん。実際彼らは、設立以来、市と裁判闘争を闘って自転車交通予算を確保し、署名活動で市バスに自転車運搬ラックをつけさせ、都市計画策定に参加して橋に自転車レーンをつけさせたりしてきた(詳しくは本稿5)。
 

自転車に心を開く
 「自転車交通に関しては「心を開く」ことが大切だ」とマンデルさんは言う。自転車は交通手段として真剣に考えられていない。確かに自転車の利用は、天候や体力にも左右され、車に比べて限界がある。しかし、その可能性が現代社会で全面的に引き出されているかというと、そうでもない。車が便利なのも、町中に張り巡らされたアスファルトの車道、全土をおおう高速道路網、都市面積の相当部分を占める駐車場、そして信号、交通標識、渋滞情報からガソリンスタンド、ドライブインレストランまでありとあらゆるインフラ整備が行われたからだ。それらがなくなれば車も単なる飾りボックスだ。自転車にはこのようなインフラ整備がされているか。そのような整備がなされれば、自転車は今まで知られていなかったような力を発揮するかも知れない。

 ポートランドの街を自転車で走れば、自転車によい都市交通のアイデアをふんだんに見つけ出すことができる。自転車レーンや専用路は基本の基本。交差点には自転車専用の信号があり、車、歩行者とは別の独自シグナルを出す。自転車レーン、自転車指定道路を中心に道案内がきめ細かく立つ。歩道、商店、公共施設など、街の至るところに設けられた駐輪用のラック。自転車ルート専用の市内地図が販売され、ウェブ上にはグーグルの衛星写真地図と結びついた自転車ルート図が作動する。駅はもちろん空港にも駐輪場がある。バスや市電に自転車を乗せて遠隔地まで自転車利用をすることが可能だ。自転車通勤者のため勤務先で着替えをしたりシャワーを浴びらられる施設が企業に普及している。街中には、、駐輪、修理、着替え、シャワーなどを一体化した「バイク・セントラル」施設が各所に設置されている。小売り、製造、修理、レンタル、自転車イベント、自転車配達業などを含めポートランドの自転車関連産業は六三〇〇万ドル規模に上る [10]。

 車のインフラ整備の一〇分の一でも自転車交通インフラ投資が行われれば、この環境保全型交通手段は、かなりの力を発揮するに違いない。その可能性への想像力をもつこと、つまり「心を開く」ことが自転車の場合まず大切だというのだ。

 「BTAのやっている活動の三分の一は、子どもへの教育だ」とマンデルさんが言う(後の三分の二は行政向けアドボカシー活動と、通勤での自転車利用の推進プログラム)。「自転車は子どもの自立を高め、健康を増進させる。そして、小さいうちに自転車に乗る習慣ができれば、何十年も乗り続けてくれる。未来世代のサイクリストが育つ。」

 小中学生のために自転車・環境教育のカリキュラムを開発する。実際に学校に行き、そうした授業を行うことに協力する。児童生徒といっしょに自転車で地域を走り、自転車利用に親しんでもらう。アメリカで問題となっている子どもの肥満対策ともリンクさせる。「学校に歩くか自転車で行くデー」を組織する。アメリカの子どもは親の車やスクールバスで送られることが多いが、自転車で自分で通う経験をする。もちろんそれには安全確保が重要で、通学路の交通安全教育や防犯訓練も行う。通学ルート調査を行い「通学安全ルート地図」をつくる。子と親がそろって出られる自転車ツーリング大会を企画する。
 

貴重な資産が無駄に
 「オランダなどヨーロッパ諸国に比べればアメリカの自転車交通は全く遅れている」とマンデルさんが釘を刺す。ポートランドは自動車社会アメリカでは先進だが、ヨーロッパに比べればまだまだ。二〇〇五年にBTAはオランダ視察を行なった。全交通に占める自転車交通を比較すると、アメリカは一パーセント以下に過ぎないのに、オランダは三〇パーセント。デンマーク、ドイツもそろぞれ二〇パーセント、一二パーセントだ[11]。「もともとの都市構造、人口密度の違いはあるが、人間の決断、つまり政策的決定が重要なのだ。自転車利用はオランダでも下がりつづけていたが、七〇年代初めからの政策転換で上昇した。」とマンデルさん。

 駅などに大量の自転車が止めてあるのに感動したという。確かに、北部ヨーロッパ諸都市では、地下鉄の駅などに日本と同じくらい多数の自転車が止まる光景に出くわす。しかし、自動車社会アメリカでは、先進都市ポートランドを含めて、こうした光景はあまり見られず、駐輪・放置自転車が問題になるほどではない。放置すれば格好の盗難対象になるだけという問題もあるだろう。
 

ママチャリ文化の先
 日本には発達したママチャリ文化があるが、欧米の自転車交通はより車に近いニッチを目指しているようだ。日本では「駅まで」など、いわば歩行の代替として使われている。しかし、欧米の自転車文化はもっと射程が遠く、「ちょっと隣町まで」といった車の使い方に近い。

 日本の自転車レーンを見ればわかるが、歩道と同じでこぼこや小段差があり、自転車がスムーズに走れる道ではない。自転車が歩行者と共存する日本ではスピードを出すと危険なので、それも合理的なのだが。これに対し、車道につくられる欧米の自転車レーン、そして特に専用自転車路はアスファルトの立派な「車道」だ。走り易く比較的楽に遠くまで行ける。自転車もスピードの出るツーリング車だ。

 自転車の力を見くびってはいけない。駅まで歩く代わりに使うだけでは発想が貧困だ。自転車路の環境をきちんと整えれば「ちょっと隣町まで」の車交通代替に近づける。体力にもよるし全面的な代替は無理だが、ある程度までは可能だ。自分のことになるが、私は「県内は自転車で」の目標をかかげている。私は六〇に近いが、時間さえあれば「愛知県内は自転車で」を実践している。学生の家庭訪問は自転車で行き、平地なら岐阜県まで足を伸ばす。空港(中部国際空港)へも自転車で行くことがある。(残念ながら空港島への橋が車しか通れない高速道路で、橋の前で電車に乗り換えなければならない。その経験があるから、ポートランドの空港で、駐輪場があり自転車がたくさん止まっているのに感動したのだ。)
 都市構造や人口密度の関係から日本などアジア諸国の自転車利用は極めて高く、アメリカの比ではない。しかし、日本はその自転車交通の資産に気づいておらず、必要な投資を怠ってこれを無駄にしている。駅前放置自転車その他、社会問題化させているだけだ。アメリカは圧倒的な自動車社会であるが、その中でのポートランドの試みに逆に刺激を受けた。まずは「自転車に心を開き」、想像力を高めたい。
 
 

2、シティーリペア


街を修繕するNPO
 あなたは交差点でくつろいだことがあるか。とんでもない。交通の多い交差点は危険で、急いで渡ることはあってもゆっくり過ごすことなどない。しかし、近隣地域の中では、交差点こそ地域交流の核となる場所ではないか。そんな考えの下、交差点をカラフルに染め上げ、連絡板からリサイクル品交換、たい肥発酵施設まで設置して市民空間化する「シティーリペア」(City Repair、街改修)の運動がポートランドで起こっている。

 「シティーリペアは、コミュニティーが近隣地域内で、芸術的・環境的・街づくり的なプロジェクトをつくりだすのを支援する団体だ。交差点をきれいに染め上げるとか、小学生が公園にベンチを設置するとかいろんなプロジェクトがある。私たちは、そのためにどんなスキルが必要か、行政のどの部署に相談すればいいかを住民にアドバイスし、必要なら外部の職人やボランティアを紹介する。」

 土木道具や塗料などがおいてある工房のようなシティーリペア事務所でオフィスマネジャーのエリカ・リッターさんが説明してくれる[12]。

 近くの「九番街・シェレット通り」交差点の「シェア・イット・スクエア」(Share-It Square)プロジェクトを見て来たばかりだった。住宅街の交差点の路面がレンガに組み替えられ、お日様や森の楽しそうな絵が路面全体に描かれている。四つ角には掲示板や連絡ノート、たい肥製造容器、本の回し読み図書棚、リサイクル品の持ってけ市、簡易ガーデンその他がしつらえてある。無味乾燥な交差点が公園のような楽しそうな空間に変わっていた。ラテンアメリカの街の交差点がいずれも人が繰り出す活発な地域生活の核になっていることにヒントを得たプロジェクトだと言う。シティーリペアは、こうした住民による地域空間づくりを支援するNPOだ。

 「物理的な環境をつくることで人々のコミュニティーをつくり、近隣を強くすることを目指す」とリッターさん。物理的な環境を改修すること自体より、地域住民が一緒にこのような改修作業に精を出すことに意味があると言う。「住民が互いのスキルを認め合い、いっしょに作業する。何らかの地域の問題をともに解決する。人々が直接に知り合う。一緒にやりませんかと近所に声をかけるだけでも大きなステップだ。」

 九番街・シェレット通りの「シェア・イット・スクエア」プロジェクトは交差点リペアとしては最初の試み。一九九六年に基本作業が行われた。車社会アメリカの交差点は住宅街でも無味乾燥な車道と歩道が四角に交わるだけのところだ。そこを地域生活の核となる空間にしようと市民が動いた。ある日突然人々が繰り出して交差点の道路に色を塗り、アスファルトをはがして石畳の街路にする。市当局にとっては晴天の霹靂だ。前からそうした独自作業を行うことを市に要望していたが、「市民が公道を勝手に変える」ことなど認められなかった。そこで地域住民が強行突破で「リペア」を敢行してしまったのだ。市当局は罰則の適用を通告してきたが、住民は市議会に訴え、市議と市長の賛成を取り付ける。二〇〇〇年一月には、ポートランド市議会が、交差点を住民が公園的空間に替えるのを公式に認める条例を可決した[13]。どこでも勝手にリペアしてよいという訳ではない。車交通日二五〇〇台以下の交差点で、隣接住民の一〇〇パーセント、隣接四ブロック住民の八〇パーセントの支持がなければならず、市交通局による設計の認可、リペア決定をした住民会議の議事録、支持署名の提示など一定の要件を満たせば、合法的に「公道」の住民による改変が行える、というものだ。二〇〇六年五月までに、市内四〇箇所で何らかのリペア・プロジェクトが行われた[14]。この動きは、オレゴン州ユージン、ワシントン州オリンピア、カリフォルニア州ロサンゼルス、サンフランシスコ都市圏、カナダのオタワなど約五〇地域に広がりつつある[15]。
 

ソーシャル・キャピタルづくり
 シティーリペアは、住民のつながりをつくるための仕掛けづくりNPOと言っていい。パットナムの言う「ソーシャル・キャピタル」[16]づくりそのものを目指しているようなNPO活動だ。交差点や公園の改修、壁や歩道のペイント、ビル屋上や民家の屋根につくるエコガーデン、小公園「ポケットパーク」整備、都市で水を土に沁み込ませるためのアサファルト面への溝作りなどなど。芸術、環境の要素を多分に織り交ぜて街を様々に変えていく。環境の物理的改変を通してソーシャル・キャピタルづくりを目指す。一方で、物理修復を伴わない地域イベント支援も行っている。有名なのがTホースという移動式茶店だ。トラックの荷台にポータブル・ティーハウスを備え、地域のいろいろなイベントに出動する。現場で荷台を簡易キッチンに変え、周囲にハンググライダ―のような屋根を拡げる。リッターさんが写真を見せてくれる。

 「なかなか変わっているでしょう。これは、人々の間にコミュニケーションをつくり出す最高の仕掛。奇怪なティーハウスがイベントに突然出現して、翼を広げ無料のティーを出しはじめる。何だこれは、奇妙だな、と人々は互いに話し始め、ティーを飲みながら自然に打ち解ける。」

 ここまでやるか、と感心するくらいのコミュニケーションづくり手法である。「人々を結びつけるのに特別の活動を行う必要がなくなる。ティーを出すだけ。降って沸いた環境の中で人々の心が自然に和んでいく。」とリッターさん。

 あるいは市内数十箇所で毎年行う「村づくり集合」(Village Building Convergence)の一大イベント。一〇日間ほどにわたってコンサート、ダンス、討論会、各種環境技術のデモンストレーションが行われる。リペアが行われた場所に人々が集まり、シティーリペア活動の紹介・普及の場ともなる。二〇〇二年からはじまり、二〇〇四年に一〇地域、二〇〇五年に一五地域、二〇〇六年には三二地域と、毎年イベント開催の輪が広がっている。
 
 

3、ウォーターシェッド評議会


シャケを呼び戻す
 「私たちはシャケが川を上ってくるの見ると胸が高鳴るんです。」とジョンソン・クリーク流域評議会(JCWC)事務局長のミッシェル・バッサードさんが、胸がポンプのように弾むしぐさをした。「シャケは水系保護の象徴。ああ、私たちは野生生物と水の環境を守っているのだ、という実感がもてる。だから私たちは、必ずしもシャケが多くないジョンソン・クリークでも、ことのほかシャケ遡上の回復に力を入れている。」

 オレゴン州には個別河川のウォーターシェッド(流域)ごとに九〇以上のウォーターシェッド評議会(Watershed Council)がつくられている。NPOだが、州法で半ば公的な役割が与えられ、流域の水系を総合的に保全する活動を行う。ジョンソン・クリークはポートランド南部を約三五キロにわたって流れる小河川で、南隣ミルウォーキー市付近に出てウィラメット川に合流する(さらにウィラメット川はポートランド市内を縦断して北に流れ、ワシントン州との州境を流れる大河オリンピア川に合流。太平洋に注ぐ)。

 「ジョンソン・クリーク流域はオレゴン州で最も人口密度が高い水系だ。環境もかなり多様だ。下流部はかなり都市化されているが、上流部は農村地帯。上流部では動物も多く、肥料が水系に入るなどの問題があり、同じ水系保護でもアプローチの仕方が変わる。」

 ミルウォーキー市内のJCWC事務所は、会議室、図書室、水系回復作業用具の道具室などもあり広々している。付近を流れる小河川ジョンソン・クリークも、この辺まで来れば何とか川らしくなり、さらさら流れる姿が見られた。

 「他のウォーターシェッドでは人間の数より牛の数のが多い。私たちのウォーターシェッドは都市化が進んでいるので、住民のライフスタイルからの影響を受ける側面が強いということだ。」

 事務所にはバッサードさんを含め三名の有給スタッフと、若干名のパート、それにボランティアなどがつめる。ウォーターシェッド全域でボランティアを組織し水系の回復事業を進める。水系を守るため住民のライフスタイルの変革も呼びかけ、各種広報・教育的活動も行う。

 「自治体は市域内のことしか問題にしない。近隣組合は近隣の中だけ、学校区は学校のことだけしかしない。ウォーターシェッド評議会にはこうした領域や境界はない。流域という自然の境界があるだけで、私たちは既存の行政枠を越えたウォーターシェッド全体の自然を守る。」とバッサードさん。
 

ウォーターシェッド運動
 アメリカでは現在、このように川の流域を単位に自然を総合的に守る運動が強まっている。流域の視点をもった自然保護団体は全米で四〇〇〇以上あるとされ、「最も急速に成長するNPOセクターのひとつ」とも言われる[17]。そうした中で、オレゴン州のウォーターシェッド評議会は、単なる民間の自然保護団体の性格に留まらず、半ば公的に規定された行政体的な位置づけで活動するシステムをつくりあげた。一九九七年、州が制定した「シャケとウォーターシェッドのためのオレゴン計画」(Oregon Plan for Salmon and Watershed[18])にもとづき、各地に自主的につくられるNPOのウォーターシェッド評議会を州が公認し「カムバック・サーモン」の課題を中心に流域環境保護に取り組む体制が成立した。州全体で九〇以上のウォーターシェッド評議会があり、州機関であるウォーターシェッド改良理事会(Oregon Watershed Enhancement Board)[19]がそれらを取りまとめている。ポートランド市域内にもジョンソン・クリーク評議会など三つの流域評議会が領域を接している。
 

自然境界を基礎に広域自治体
 「ポートランド市の境で自然の回復事業が終わるとは思わない。自然は連続し有機的につながっている。私たちはその全体を問題にし、流域の多くの団体、機関をテーブルにつけて総合的な自然回復をはかる。」とバッサードさんが続ける。

 ウォーターシェッド評議会は、流域という自然の生態系にそってつくられた広域自治機関ということができる。狭い市域を超える自治機関として広域自治機関は重要な役割を果たすが、ウォーターシェッド評議会は自然の境界を基礎にしている点がユニークだ。

 ポートランドには、有名な広域自治機関としてメトロ(正式にはMetropolitan Service District)があることはよく知られている。二五の自治体他を連合し、大都市圏における広域行政を可能にした。自治体を合併してしまうのでなく、個々の自治体を存続させたままま、それらを連携する新たな自治機構をつくる。そうした広域自治体づくりの試みはアメリカには多いが、メトロは単なる自治体間の連携組織に留まらず、独自の代表と議会(メトロ評議会)をもち、それが域内住民により直接選挙されるところまで行っている。つまり、独立した自治体の様相を強くもっているのである。こうした広域政府はアメリカでも一つだけである。

 メトロについてはすでに多くの紹介があるので[20]、ここではあまり知られていないウォーターシェッド評議会を紹介している。ウォーターシェッド評議会は法人的にあくまでNPOの形態をとっている点が自治体(公共法人)であるメトロとは異なっている。広域自治機関の試みにも多様な形態が存在するということだ。

 JCWCの活動によって、都市河川ジョンソン・クリークの環境は明らかに改善された。

 「帰郷して、川が汚染され、周辺地域で犯罪も多くなっていることに驚いた。一旦は家を手放そうとさえ思った。」

 ジョンソン・クリーク岸辺のログキャビンに住むスティーブ・ジョンソンさん(現JCWC理事)は十数年前をそう回想する。が、考え直し、水系回復をめざし、JCWC設立(一九九四年)を主導した。以後、このNPOは延べ六〇〇〇人以上のボランティア活動を展開し川の環境改善に取り組んだ。その結果、わずかだが川にサケが戻り、水質も改善された。ジョンソンさんは敷地内の森や野原を環境教育の場に貸し出すなど、個人的にもこの運動に貢献している。「家族連れで散歩する人、一人でジョッギングする人も増えた。環境学習で来る生徒たちからハビタートや氾濫原などの言葉が普通に飛び出す」と変化に手応えを感じている。
 
 

4、ポートランドの謎


なぜポートランドだけが
 このようなポートランドの活発な市民活動は、なぜ、どのように形成されたのか。ソーシャル・キャピタル論の大家、ロバート・パットナムは、最近著[21]の事例分析最終章でこのポートランドを取り上げ、「ポートランド:市民参加のポジティブな疫病」(Portland: a Positive Epidemic of Civic Engagement)と題して詳論している。彼は言う。

 「私たちが、ポートランド及び他都市からの二〇年に渡る膨大な調査結果の集積を分析して明らかにしたところでは、一九七四年のポートランドの市民活動は、他の同規模の大都市地域のそれと実質的に同じレベルであった。一九七〇年代のポートランド市民は他のアメリカ人に比して取り立て市民活動を活発にしていたとか不活発だったということはない。しかしその後二〇年で溝は次第に広がり、他都市が次第に隔離された受動性に落ち込んでいくのに対して、ポートランドは目を見張る市民的ルネサンスを経験したのである。」[22]
 例えば、一九七四年には二一パーセントのポートランド市民が街や学校についての行政会議に参加していたが、一九九〇年代には、これが三〇―三五パーセントにまで上昇した。他の同規模都市は、同時期、二二パーセントから一一パーセントに減ったのにである。新聞などへの投書も、七四年にポートランドも他都市も住民の六パーセントが行ったにすぎないが、九四年にはポートランド一七パーセント、他都市四パーセントと格差がでていた。署名活動にサインする人の割合は、七〇年代でもポートランド五―六〇パーセント、他都市四〇パーセントと差があったが、一九九〇年代半ばでは七五パーセントと二五パーセントという大差に拡大している。一年間のうち地域団体・機関の役員になった人の割合も、七〇年代初めに一五―六パーセントで同じだったものが、九〇年代には二八パーセントと七パーセントの差になっている。ポートランドと他都市の間に明瞭な差が出てきているのを見てとれる。

 「そこで出てくる疑問がこれだ」とパットナムは問う。「一九七四年以降の二〇年間でいったいどういう魔術的妙薬がポートランドの市民参加とソーシャル・キャピタルをこのように圧倒的に増大させたのか。」
 

六〇年代からはじまった
 だれもが興味をそそられる謎である。多くの研究者がこの謎の解明に挑んだ。パットナムもこの探求に、まず七〇年代以前の「前史」をたどることから試みる。

 一九六〇年年代は、公民権運動、学生運動、ベトナム反戦運動、カウンターカルチャーの時代であった。他都市と同様にポートランドでも多くの運動が起こったが、特に一九六九年、ポートランドの中心を流れるウィラメット川沿いの高速道路を撤去させた住民運動が重要だった。高速道路建設の全盛時代に、この運動は成功し四車線の自動車道は撤去され、川沿約一・五キロにわたり緑の公園がつくられた。その後全米に(そして日本にも)広がる「ウォーターフロント公園」の先駆けとなった。

 数年間続いたこの高速道路撤去の運動が、ポートランドの市民活動を活性化させ、一九七二年の選挙で三二歳の革新派市長ニール・ゴールドシュミットを誕生させた(在任七三年―七九年。後、オレゴン州知事、連邦交通省長官もつとめる)。

 それ以降の市民活動の活性化をパットナムは時代順にあとづけるが、「なぜポートランドだけが」の答は必ずしも容易に出ない。他の多くの研究者の説、証言から次のような要因をあげる。まず、最もポピュラーな要因だが、ポートランドの近隣組合制度による市民参加制度、市民の声に対応するポートランド行政の柔軟性など。さらに、より基本的な要因として、あまり大きすぎない中規模都市の条件、比較的ゆっくり進んだ同地域の経済成長、人種的・所得階層的に比較的均一で住民が一体性を持ちやすかったこと。しかしこれらは他都市に対するポートランドの昔からの特徴で、ならばなぜ七〇年代にポートランドは他都市と同じ市民参加状態だったのか逆に説明がつかない。七〇年代の都市再開発がコミュニティーを破壊し人々の反対運動に火をつけたこと、この時期増大した連邦政府の開発補助金が市民参加を要件としていたこと、などの説も検討するが、これは他都市も同じ条件だった。革新的な人が流入したから革新化したという単純な説も紹介している。ポートランドの革新性と環境重視の街づくりを伝え聞いて、そこに同じような理想をもつ人々が集まってきた、と。単純に聞こえるが、いろいろな証言がそれを支持している。理想を求めてやってきた彼らは、ポートランドが必ずしも理想ではないことを知ると市民活動に向かった、と言われる。
 

行政の柔軟な対応性
 パットナムはまた、ポートランドの行政の柔軟性についても注目している。彼はポートランドの活動家たちの「運動するスキル、粘り強さ、影響力を与える範囲の広さ」を評価した上で、行政側の「対応し適応できる進化する能力」を特に取り上げて評価している。

 「そのような市民のはたきかけは、普通なら彼らの職務や権限に対する挑戦、変革を起こすための妨害行為とされ、批判者たちをののしり退けるのが一般的であるが、ポートランドの行政は適応と受け入れの文化を進化させた。市民たちが市民的スキルを研ぎ澄ませ、その見解を騒々しく打ち出してきた時、行政は、多くの市民的提案を拒絶するのでなく、対応し学び取る文化を発展させた。この「呼びかけ―応答」の回路から、市民による提案と行政による対応のパターンが進化し、他の都市で変革を阻害し活動家を落胆させることになる強圧、麻痺、うっ血状態があまり生じなかった。」[23]
 市民活動家の主張ややり方も、時に強引であまり建設的でなくなること多い。しかし、ポートランドの行政は、それを一方的に拒絶はせずに対応し、実効性ある制度づくりの方向に向けていくという柔軟性をもっていた。むろんこれも「卵とニワトリ」の関係で、ポートランドに活発な市民活動があるから、このように行政が進化したとも言えるが、参加型自治体をつくっていく上で重要なポイントだと思われる。活発な市民活動を拒否せず、柔軟に取り込んで自治体行政発展の活力に変えていく。こうした中でこそ市民も変わる。単なる反対の運動でなく、積極的に対案を提示し、自治体行政の中でそれを実現していく方向をもつようになるのだ。

 ポートランドでは、サイクリストでなければ市議になれない、市民活動家でなければ市長になれない、などのことが言われる。また、これはポートランドに限らないことだが、アメリカの行政の中には市民活動出身者が多く雇用されることも付記しておく必要がある。特に市民運動に直接かかわるような部署には、市民活動家出身者が大量に雇われている。終身雇用慣行の薄いアメリカでは、専門家が経験を求めてNPO、企業、行政、大学などのセクターを渡り歩くことが珍しくない。以前、サンフランシスコの環境局長を取材した時、彼女がかの「グリーンピース」の活動家上がりだと知ってびっくりしたことがある。政策的にも人的にも、市民の活動から行政が切れていない。市民からの活力を常に行政に反映させていく自治体のあり方がポートランドではうまく機能したと思われる。その結果、ポートランド市民は「市政府を信頼している。なぜなら彼ら自身が政府だからだ」と言われるまでになった。[24]

市民参加の疫病
 産業革命がなぜイギリスに起こったか、シリコンバレーがなぜ活発な起業家経済の中心になったか、などと同じで、この種の問いにはなかなか確定的な答を出すことができない。結局、パットナムは「臨界質量規模の市民が参加することにより参加がこの地域で常識となった」として「ポートランドにおける市民活動のポジティブな意味での疫病」[25]が発生したというという苦肉の結論にたどり着く。ここで「臨界質量」とは、それ以上の質量が集まると核連鎖反応が起こる臨界点質量のことである。ポートランドでは市民活動の集積がこの臨界質量に達し、以後、疫病のように市民活動の連鎖反応が続いた、ということである。

 隣近所の人たちと世間話をすると何かの市民活動に関わっているという話が出てくる。喫茶店に入れば隣のグループが市政について議論している。近くの公園でしょっちゅう集会が行われる。新聞にイベントの案内が毎日のように出る。実際に運動を起こして成功した人たちが身近に居る。そうした空気の中で、人々は連鎖反応的に活動に参加し、活動することが常識になり、その常識が人々をさらに行動に動員した。

 市民社会の活性度は、単に客観条件だけで自動的に決定されるものではない。ある一定レベルに達すれば連鎖反応的になる。つまり人々が躍動し、人間的共感と意思の力が質的に新しい状況を生み出していく。何かが起こる時の、そのあたりの人間の側の主体的働きを、パットナムの「市民活動のポジティブな疫病」という言葉が言い表したのではないかと思う。
 

近隣組合支援制度
 煙にまかれた感がないではないパットナムの所論の中に、やや「これが最有力か」と感じさせる一要因が叙述されている。彼は言う。

 「この(なぜポートランドが特別だったかの)問いに答えるには、不可避的にゴールドシュミット市長の時代にはじまる制度的な革新に至らざるを得ない。出来事のクロノロジーから見て示唆されるのは、近隣組合局に要約されるこれらの諸制度が、一九六〇年代にポートランドで草の根から湧き出しユニークに展開した市民活動を維持・促進する役割を果たした、ということである。ゴールドシュミットや市政府における彼の後継者たちは、活動家たちと協働(そして闘争)することに事の他たけており、創意的なアクセスチャネルと新たな公開の気質を生み、地域が今までにないレベルの市民参加に到達することを可能にした。」 [26]
 いろいろ市民間の連鎖反応で活動が活発化したとしても、一九七四年に近隣組合(Neighborhood Association)の支援制度が全市的に導入され、それが市民参加制度として活動を支え続け、それによってポートランドでは「連鎖反応」が長期にわたって保証されることとなったという訳だ。
 
 

5、近隣組合制度


夜の教会で住民集会
 ポートランド市近隣参加局(ONI)のホームページ[27]で、九五ある近隣組合の行事予定を詳細に紹介している。その中のひとつ、ローズシティパーク近隣組合の住民集会を訪ねた[28]。市の北東部、ちょうど空港やメイウッド・パーク市に向かう中間あたりだ。面積三〇〇ヘクタール、人口八九〇〇人、三九〇〇世帯はポートランドの平均的な近隣地域と言えるだろう。

 「私たちの近隣組合では年五回総会をもっており、きょうはそのひとつだ」とローズシティパーク近隣組合議長(代表)のケリー・デービスさんが言う。集会の場所は教会の中の小講堂。夜だったので場所を見つけるのに苦労した。静まりかえった住宅街の中、同様に静まり返った教会の地下に降りていくと約一〇〇名程度が集まり、そこだけ活発な議論と熱気が充満していた。次々に予定された人が前に出て話す。人々はそれに耳を傾け、意見を言う。コーヒーやお菓子が傍らに用意され、なごやかな雰囲気だ。子ども連れの姿も多い。この集会場は教会から無料で借りており、その代わり、近隣組合のニュースレターを配布する際に教会の各種チラシも織り込んであげるという。

 「毎回議題は様々だ。きょうは、持続性を重視した建築デザイン、建材リサイクルの方法、市の持続性開発局の人のお話など環境関係がテーマだ。」とデービスさんが説明してくれる。地域で活動しているNPOの人が、いろいろ環境によい建築設計のお話をする。日曜大工などへの具体的アドバイスであると同時に、地域NPO活動の紹介ともなっているようだ。勉強会のような雰囲気でもある。

 「今回はそういうテーマの会議だったということだ。前回は小学校閉鎖の問題でかなり厳しい議論があった。」とデービスさん。近隣内のローズシティパーク小学校が閉鎖され、近くの中学校を小中一貫校に改組する計画が現在進行中だ。児童数減少や予算削減の要請から避けられない動きだが、慣れ親しんだ小学校の閉鎖に反対も強かった。長期にわたる議論の末、すでに再編計画は決定され、一貫校の設立に住民が知恵を出しあっている段階だ。この夜の総会には学校区(教育委員会)の運営担当局長(COO)が来て進行状況を説明していた。

 「近隣組合は市から年一〇〇〇ドルの資金援助を得るだけだ。」とデービスさん。市が公的に認定・支援する制度としてポートランドの近隣組合制度は全米的に有名だが、行政からの直接援助額は意外と少ない。中間組織(後述の近隣連合事務所)を通じての支援はいろいろあるが、個々の近隣組合に直接入る資金は年五回のニュースレター発行のためのこの一〇〇〇ドルだけだと言う。「資金が少ないので、私たちはこのニュースレターを(郵送でなく)手渡しで配布する。五〇人のボランティアが出て、四〇〇〇世帯に配布している。」とのこと。

 集会では、近隣内に大きな家が建つことについて、やや険しいやり取りがあった。ポートランドは都市のスプロール化を防ぎ、高い密度での建築(といっても日本ほどではないが)、公共交通機関の積極的利用などを基礎にした街づくりを行なっている。その方針から見て、大きい屋敷の建築を認めるのはいかがなものか、という主張だ。デービス議長によれば「この地域はすでに住宅開発が済んでいるの地域なので、この問題は必ずしも大きなイッシューとは思わないが、近隣組合にどの程度まで開発をレビューする権限があるかは重要な問題だ。」とのことだ。近隣組合は、地域の土地利用計画(ゾーニング)を変える開発には公式に意見を言うことができ、一定の権限をもつ。しかし、それ以上の細部の内容には立ち入れない。「街の中心部では建築の細部までいろいろレビューする権限がある。私たちのような郊外の近隣ではそこまでの権限がない。」

 総会は、その他に大きな紛糾はなく約二時間で終わった。最後に前に立って発表したのは、赤ちゃんをかかえた若い母親だったのが印象的だった。こうした子どもたちのためにも資源の再利用を、と彼女たちの建材再利用NPOの活動を紹介していた。
 

ポートランド近隣参加局
 「市が金を出すからと言って、近隣組合が私たちに丁重にしてくれることはないですねえ。」

 今度は行政(市)側の近隣参加局(ONI、Office of Neighborhood Involvement)をたずねる。同局のアマリア・アラーコン局長が冗談めかしてそう言った。「近隣組合は市の方針に正面から反対することもある。同意できなければ運動を起こし、市政に挑戦する。多くの場合極めて成功裏に。それが彼らの役割であり、それでバランスがとれる。」と続ける[29]。

 市が公的に認定・支援すると近隣組合は行政の下請け化するのではないか。日本の自治会、町内会の経験からはその懸念が大きいのでで聞いたのだが、およそそういうことはない、とアラーコン局長は言下に否定した。市の貯水池暗渠化計画を近隣組合が反対して止めさせた例を彼女はあげた。二〇〇一年の同時多発テロ以後、飲料水用の貯水池に毒を投げ込まれる危険を避けるため市議会が市の所有する五つの貯水池に覆いを被せる決定をした。しかし周辺の近隣組合や住民団体がこれに反対し、二〇〇四年にこの事業を事実上停止させた。このような近隣組合の自立した活動事例はポートランドには無数にあるとアラーコン局長は言う。
 

市民参加制度としての近隣組合
 ポートランドの近隣組合制度は、一九七四年、革新派ゴールドシュミット市長の時代につくられた。人口五五万のポートランド市が九五の近隣に分けられ、そこに近隣組合が組織されている。住民の自主的な自治機関で、通常NPO法人。境界が明確に規定され、市が公的に認定している。行政は、開発その他近隣に関する決定をする上で必ずこの近隣組合の意見を聞かねばならず、自治上の一定の権能を有している。行政が地域の細々とした業務を住民団体にまかせたというのではなくて、地域を代表して市に物申す参加機関としての役割を明確に付与しているのが特徴だ。市条例は近隣団体を次のように規定する。

 「いかなる近隣団体も、市及びいかなる市の機関に対しても、近隣の居住性に関わるいかなる案件についても、行動、政策又は包括的計画を勧告することができる。その案件には土地利用、ゾーニング、住宅、地域施設、人的資源、ソーシャル及びリクリエーション的行事、交通量と交通体制、環境の質、オープンスペース、公園などを含むが、これらに限るものでない。」[30]
 市から認定され、一定の権限も有する以上、行政機関に準ずる各種義務も負う。会議は行政機関の会議と同様、厳しく公開が義務付けられ、何日以上前に会議開催の案内を出さねばならなないなど細かいガイドラインを定められている[32]。

 九五の近隣組合を一定地域ごとにまとめて七つの近隣連合事務所(Coalition Office)がある。これも七つのうち五つがNPO法人化されており、近隣組合支援の役割を果たす。行政の近隣組合支援は主にここを通じて行われる。そして、全体をまとめる役割に居るのがアラーコンさんたちの近隣参加局だ。各近隣組合と近隣連合はNPOだが、近隣参加局は市長室直属の純然たる行政機関。最初、近隣組合局(ONA、Office of Neighborhood Association)と言っていたが、一九九〇年代末に、市民主導のニュアンスを強めて近隣参加局(ONI)に変えた。内部に近隣資料センター、情報照会センター、犯罪防止センター、近隣居住性サービスセンターなどのセクションがあり、それぞれの観点から近隣に支援を与える。
 

行政と市民の間
 「ポートランドの近隣組合システムの特徴は、近隣組合が市機構の半ば公的な一部になっていることだ。他の自治体では、市が近隣自治体を公的に認定したり、資金、スタッフ、運営上の各種支援を提供するなどのことは通常行われない。」とアラーコン局長が言う。

 住民自治組織でありながら市の制度。この辺が微妙であり、なかなか面白い。「折衷」とも取れるが、そもそも自治体が住民の自治組織だと考えるなら当然の制度とも言える。七つの近隣連合事務所には市職員が配置されている。だからと言って、これを市役所の支所、出先機関と間違えてはならない。近隣連合事務所の多くは独自のNPO法人であり、住民からなる理事会が議決・執行機関となっている。「市職員」は多くの場合、この近隣連合に独自に雇用され、このNPO理事会の指揮の下で近隣組合支援の仕事を行う。給料だけが市から来る。日本の「出向」のイメージとは大違いで、実際上は、市がNPOのスタッフ給与を助成する形に近い。ただし、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)など、公務員に法的に求められる要件はきちん遵守しなければならない。

 近隣組合や地域NPOを強化するための「近隣小額助成プログラム」もある。二〇〇六―〇七年度からはじまった地域団体への直接助成である。二〇〇七―二〇〇八年度の助成額は二〇万六六〇〇ドル。市の助成プログラムであるにもかかわらず、どのような基準で助成するかは近隣参加局はでなく、各近隣連合がそれぞれに決める方式になっている。
 

近隣組合の変遷
 「多数の近隣があるので、近隣組合が保守的だとか革新的だとか一概には言えない。住宅所有者が多く、不動産価値を重視する近隣もあれば、ホームレス問題や環境問題に積極的に取り組むところもある。」とアラーコン局長。

 かつては激しい住民運動の母体だったが、時代が変わり、次第に住宅所有者の役割が強くなった。若い人より、年の行った人たちが活動の中心になる傾向もある。ポートランド州立大学で同市の市民活動の歴史を研究するスティーブ・ジョンソン(後出)は次のように言う。

 「近隣団体は、どちらかというと日常的な活動を繰り返し行うような活動だ。しかし、若い人は強く感情移入できる活動を好む。例えば、土曜日にボランティアに行ってホームレスの人を献身的に助ける。あるいは貧しい人の家のペンキ塗りをする。そして去る。日常的に同じことをするより、インターネットなどで興味のある活動や仲間を探し短期的に何か面白いことをする方が好きだ。」

 ある時代にできた制度は、時代の変遷につれて変えていかなければならない。ポートランドの近隣組合制度も今、オーバーホールの途上だ。どちらかというと白人男性を中心にした参加組織だったものを、近年増加している移民やマイノリティーの人々、女性、障害者、若者、高齢者、低所得者、その他マージナルな立場に居る人をより参加しやすくするような制度へと変える努力が続けられている。移民一世であるヒスパニック系のアラーコンさんが近隣参加局の局長に抜擢されたのもそうした流れを反映したものと思われる。二〇〇五年からはトム・ポッター市長の肝いりで、大々的なvisionPDX(ポートランドのビジョン)プロジェクトが組織され、広い層の市民を巻き込んだポートランドの今後のビジョンづくりを行なった。二〇〇七年九月に市議会で承認された最終成果『二〇三〇年のポートランド:未来のビジョン』[32]には、市民参加の課題も盛り込まれ、マイノリティー地域でのコミュニティーセンターづくりや、単なる近隣組合を超えた市域横断的な「アイデンティティを基礎にしたグループ」の役割の強化がうたわれた。

 「いろんな立場にある人々を巻き込んでいく制度が必要だ」とアラーコン局長も強調する。「移民の人たちは市行政への市民参加が不活発と言われるが、そのコミュニティー内部には活発な活動がある。公的なシステム外で参加が行なわれている。いかに彼らの活動を制度でサポートできるか。そのための見直しが行われている。」
 
 

6、市民団体から公的組織へ


 市民社会ガバナンスにはNPO(市民団体)と自治体が必要である。つまり、一方では、自由に組織されるNPOが多数存在し、様々な革新的実践をつくりだす。NPOは「市民社会組織」とも言われる通り、市民社会の代表的アクターである。必ずしも社会の全体的合意の下につくられるのでなく、個々の状況に応じて市民が自発的に、いわば「勝手に」つくり出す分権的な問題解決型組織である。しかし、NPOだけでは市民社会の課題は担いきれない。地域社会は、全体として行動をとるため、常に合意形成をはかり統合体として動くことも要請される。NPOの多様な主張と実践は貴重であるが、その時点での社会全体の基本的合意は、妥協であれ折衷であれ、何らかに決定されなければならない。村の秋祭りをいつするか、リサイクル日をいつにするか、全体で決定しなければならない項目は無数に発生する。そもそも、NPOの多様な行動のためにも市民社会の基本ルール(法律など)は全体的に決定されていなければならない。市民社会は、NPOの多様性を必要とすると同時に、一定枠の合意と統一行動を必要とし、そのようなメカニズムを内部に生み出す。それが自治体であり各種住民自治の組織である。NPOが土地に縛られず、自由に結束離散する人間の集団であるのに対して、自治体、自治会など自治の機関は領域をもち、地域的地縁的な組織として形成される。自由なNPOと合意形成の自治組織。この二つが市民社会には必要である。

 くどいが、逆に言うと、市民社会は公的自治組織だけでは成り立たない。常に全体の合意を得てしか進めない社会に革新は生まれず、旧態依然とした保守的社会が続いてしまう。全体的決定の自治機関はきちんと保持し、またこれをできる限り民主主義原理で動かす努力をしながら、他方には、全体に縛られない自由な市民組織(NPO)を最大限活性化させることが不可欠である。時に全体的決定に挑戦し、多数派を脅かしながら、新たな試みを行なって社会的実験を行なう自由なNPOセクターをどれだけ構築できるかで社会の活力と革新性は決まる。
 

「挑戦的団体」がソーシャル・キャピタル形成
 こうしたNPOと自治組織のダイナミクスをポートランド市民社会を例にとり詳論したのが前出スティーブ・ジョンソン(ポートランド州立大学)である。彼はその研究[33]の中で、パットナムの「アメリカにおけるソーシャル・キャピタルの減退」理論を批判しつつ、新しい市民社会ガバナンスの形態とその中でのソーシャル・キャピタル形成を論じている。簡単に言うと、彼は第一に、パットナムが軽視している「挑戦的団体」、つまり現状に活発な批判をして新しい方向を提示するアドボカシー団体(市民運動団体)の重要性を指摘し、第二に、そうした市民団体が、自治機構的な団体(彼の言葉で言えば「シビック・バディー」)に転化していく中で新しいソーシャル・キャピタル形成がはじまっていると主張する。例えば次のように言う。

 「今日、市民のより広い層が市民活動、少なくとも政治的参加という意味での市民活動にかかわっているし、挑戦的なグループ、社会運動組織、分野別・層別グループがより多くの人々に活動への参加を広げてきた。離れ離れに活動している分野別グループは確かに市民生活に過度の複数主義的混迷を生み出すかも知れないが、それは、政府をバックにした市民諮問委員会など、多分野間の市民的対話を生む新しい市民機構によって対抗的にバランスがとられのである。・・・ポートランド自転車運動やジョンソン・クリーク流域に関する事例は、アドボカシー団体の社会的ネットワークのつくり方も示している。ジョンソン・クリーク流域で水域修復に参加した過去一〇年間六〇〇〇人の市民は、手をたずさえ木を植え、休憩時あるいは仕事中、額の汗をぬぐいながら、流域管理の政治の仕組みなどについて議論した。こうした市民事業プロジェクトは、パットナムが伝統的市民団体によって効果的に提供されるとした効果的市民参加や豊かなソーシャル・キャピタル環境と同じものを提供する。」[34]

自転車運動の先駆け
 彼はいくつか事例をあげながらその論を展開している。私たちも、彼の自転車交通推進運動の事例分析を追いながら見ていくことにしよう。

 本稿の最初で自転車交通アライアンス(BTA)の活動を紹介したが、自転車交通の市民運動は、一九九〇年設立のBTA以前の長い歴史をもつ。ポートランドで自身も四〇年近く市民活動に関わってきたジョンソンは、自転車市民運動のはしりは一九七〇年に設立された自転車ロビー(Bicycle Lobby)だったとする[35]。自転車ロビーは、ポートランド州立大学の異端教授サム・オークランドが開始し、自転車ラリーなどのデモンストレーションを組織する他、市に向けた署名活動を行い、自転車レーンや駐輪施設の建設、市バスへの自転車ラック取り付けなどを求めた。州に対してもタバコ税や高速道路建設資金から自転車交通インフラ整備に金を出すよう働きかけ、一九七一年には、州高速道路資金の一パーセントを歩行者及び自転車交通のインフラ整備に振り向ける州法案(Bike Bill)を通している。州資金が自転車交通に回される全米最初の法律だった。

 同年さっそくポートランドで自転車専用路の計画が立案さる。本稿の冒頭で紹介したスプリングウォーター・コリドールである(しかし計画は、隣接する鉄道の権利との関係で膠着状態が続き、工事開始は三〇年近くもたった二〇〇〇年)。同じく七一年の一一月には最初の自転車関連の市民諮問委員会「自転車路タスクフォース」(Bicycle Path Task Force)が設置され、自転車ロビーのサム・オークランドその人が議長に任命されている。

 これ以後、こうした半ば公的な委員会が次々につくられるようになってくる。自転車路タスクフォースが短期・長期の自転車交通インフラ計画を策定する課題をやりとげた後、七三年にはより長期的な「市民自転車諮問委員会」(Citizen's Bicycle Advisory Committee)が設置される。依然として自転車に対する無理解はあったもののオイルショックにも助けられ、次第に自転車専用路や自転車レーンの建設が進む。七四年には市庁の中に「自転車コーディネイター」職がおかれ、市の部局「自転車プログラム」(Bicycle Program)が生まれた。七八年には市民自転車諮問委員会に代わる「ポートランド自転車歩行者諮問委員会」(Portland Bicycle and Pedestrian Advisory Committee、CBPAC、又は単にCommunity Advisory Committee、CACとも呼ばれる)が設置され、これが自転車行政への市民の意見を取り込む制度として位置づけられる。同委員会は市民バイセクリストなど委員七名で構成され、月一回、第二月曜日の夜、市役所で公開の会議をもち、市民の意見を聞くとともに、市の自転車行政について提言をとりまとめた。

 こうして市民参加の舞台が半ば公的な代議的機関に移行する中で、最初の市民運動団体「自転車ロビー」は七五年に姿を消していた。しかしこの市民団体が消えたからと言ってソーシャル・キャピタルは減少したのか、とジョンソンは問うのだ。そうではなく、それに代わる半ば公的な市民参加機関での市民の活動がむしろ活発化した、と主張する。

 「ポートランドにおいて一九六〇年から記録された五〇〇のコミッション(commission)、理事会(board)、市民諮問委員会(civic advisory committee)、タスクフォース(task force)は市民的生活の欠かせない部分である。ポートランドの自転車運動の事例研究で示された通り、挑戦的なグループは市民セクターから消える時もある。しかしそれは、目的を達成できなかったり受け入れられなかったからではなく、まさに成功したから消えた。非営利・非私有の団体の浮沈だけを対象にした調査は、こうした機関化(institutionalization)プロセスを見落としている。そして、団体がひとつ減少することを市民インフラの衰退ととらえてしまう。しかし、ポートランドの新しい交通政策を積極的に機関化していった団体「自転車ロビー」は、自転車活動家たちが自転車路タスクフォースの設置に成功した時消えたのである。」[36]

運動の機関化
 こうした「コミッション、理事会、市民諮問委員会、タスクフォース」については、別のところで都市計画委員会を例に詳論したが、ポートランドばかりでなく、アメリカ各地の地方自治で広く見られる市民参加機関である。様々な政策分野ごとに、あるいは各部局ごとと言ってもいい程広範に存在する公的機関である。日本で言えば「審議会」だが、日本のそれと違って会議は完全に一般公開、それどころか会議の中で参加した市民が自由に発言できる。関連部局の実質的な政策決定の場になっていることも多く、行政に大きな影響力をもつ、というよりその決定機関であることも少なくない。担当部局長の任免権まで握る場合もある。この場合、部局の官僚組織はコミッション等の単なる事務局になるわけだ。

 日本では民主主義は議会までだ。市議会などが大筋の法律などを決めれば、後の「細かいこと」は各部局の官僚制内で決めて実行する。アメリカでは一定規模以上の都市になると、ほとんど各部局ごとにコミッションなどの市民参加機関(決議機関)ができ、部局段階の諸決定も住民参加で決めていく。サンフランシスコなどと同じく、ポートランドでもこうした公的市民参加機関が、活発な市民運動から多数生まれ、運動の機関化を経て、課題が公的自治機関の中に受け継がれていく。
 

アドボカシーNPO
 公的市民参加機関に注目するジョンソンだが、もちろん、こうした機関だけがあればいいと言う訳ではなく、社会の革新を速めるためには体制の枠外に存在する自由なNPOの役割も大きいとする。そうした観点から一九九〇年に新しく設立されたアドボカシーNPO「自転車交通アライアンス」(BTA、本稿1参照)の存在を高く評価する。

 「(かつての自転車活動家)オークランドが一九七五年に(アドボカシー団体)自転車ロビーを解散して以来、外部の強力なアドボカシー団体はなかった。活動家のエネルギーの相当部分が地域諮問委員会で使われていた。そうした中でBTAは急速に強力なアドボカシー団体に成長した。」[37]「BTAは、長く継続した半ば公的な市民自転車歩行者諮問委員会と市交通局自転車プログラムの外側に、新しい独立した組織化の構造を生み出した。またBTAは単に自転車道路網をつくることよりも広範な目的をもっていた。一九九五年のインタビューにこたえてBTA創設者レックス・バークホールダーは『私たちの努力の全体はライフスタイルに関している。子どもが学校に自転車で行く。店に自転車で行く。単に自転車レーンをつくるということではない。よりよい生き方を築いていくということだ』と言っている。」[38]
 BTAが活動をはじめてから事態の進展は急速だった。五〇〇〇人の署名を集め、ポートランド都市圏の公営バス公社トライメットに自転車ラック(サイクリストがバスに乗り代える際、バス前部に自転車をかけて運べる装置)取り付けを求めた。九二年にトライメットはその全バス車輌に自転車ラックを付けることに同意した。次に市を南北に縦断するウィラメット川にかかる橋の自転車交通環境改善を求め、市の「橋アクセス調査」(一九九四年)を実現させた。これにより一九九八年、ホーソン橋に大幅な自転車交通改善工事がほどこされた。BTAはまた裁判闘争もたたかう。高速道路トラスト基金から自転車交通のためにまわされる一パーセントの予算を充分使っていないとして、一九九一年、ポートランド市を訴え、市の自転車予算を改革した。

 BTAの主張は急進的で、多くの反対も受けた。例えば保守派のボーグル市議は「車をやめて自転車にすれば全てが解決だと考えている」と批判し、「保育所に子どもを連れていかねばならない親や、仕事の後いろんな会議に出なければならない一般の市民」のことを考えていない、と攻撃した[39]。近隣組合との間にも微妙な意見の食い違いがあった。地域の住みやすさや利便性を最大の関心事とする近隣組合は、車交通の騒音や渋滞の改善では同調したが、貴重な車道空間を「さほど利用されていない自転車レーン」のために取り上げてしまうことに強く反対した。
 

アドボカシーからの成長
 反対を押しのけ、ある程度の「偏向」も恐れず、自転車交通の促進を強力に主張する市民運動は必要であり、歴史の流れを確実に速める。こうしたアドボカシーNPOの欠点を補う機能が公的市民参加機関にあるとジョンソンは論を進める。

 「挑戦的なグループで最も成功した自転車交通アライアンス(BTA)は、一つの問題に容赦なく圧力をかけてくる単一イッシュー型組織である。BTAの歴史は、単一イッシュー関心型の団体がいかに生まれ、自己を維持し、社会の中でその目標を達成するかをよく示している。その短い歴史が示す通り、その過程には疑いなく激しい議論があったし、BTAのようなグループの頑固さはある人々を怒らせたことも確かだ。しかし、オープンで民主的な地域的市民プロセス(訳注:諮問委員会などの市民参加プロセス)に関わる中で、単独又は組織的に行動する人々が、市民社会の広範で多様な人々を巻き込む能力を示していったことも確かなのである。」[40]
 アドボカシー型の市民団体は自己の狭い主張を続け、ソーシャル・キャピタルを破壊しかねない存在だとの批判もあるが、ジョンソンは、こうした運動団体も、市民諮問委員会のような対話のプロセスを通ることで、適切な解を生み出す力を発揮し、社会の中で建設的な役割を果たすことになるという。アドボカシーNPOが半ば公的な市民参加機関と結合することによって、新しい形でのソーシャル・キャピタルの形成がはじまると提起する。

 「この(自転車交通推進運動の)物語は、本研究の他の事例とともに、単一イッシュー型グループは市民の広い層をつなげることがないという狭い見方を退ける。それは、アメリカで市民生活が減退したと論ずる理論に反して、市民はかつてと同様、あるいはそれ以上に市民生活に参加しているという考えを支持する。さらにそれは、政府的構造に関わっていく市民が、どのように市民としての技能と知識を獲得し、コミュニティー生活への効果的な貢献者になっていくかの具体例も提供している。市民利益団体は代議制的市民参加をないがしろにし、資源をもたない人々のみをエンパワーするかも知れない。しかし、コミュニティーが、自由でオープンな対話を保証する強靭、柔軟、かつ創意的な民主的市民インフラを構築し維持するなら、単一イッシュー型団体の極端な政治的意見もやわらげられ、地域問題への創意的な解決が促進され達成されていくのである。」[41]

連続するサイクル
 「極端な政治的意見」を激しくぶつける「挑戦的グループ」たるBTA。しかし、現在ではそのBTAよりさらにラジカルな自転車グループが現れている。車道を直接行動的に占拠して何百、何千という自転車が行進を繰り広げる「クリティカル・マス」の運動である。クリティカル・マス、つまり「臨界質量」のように自転車交通がある点まで拡大すれば力関係が変わる、ということで戦闘的なまでに道路に繰り出す。時に高速道路をストップさせる時もある。逮捕者も大量に出す。クリティカル・マスは一九九三年にサンフランシスコではじまった運動で、私もかの地でその取材をした[42]。今では全世界に広がったこの運動が、当然にもポートランドにもやってきている。そして、成果を上げたBTAを先頭とする自転車交通促進の運動と体制に挑戦をしかけている。BTAも最初はクリティカル・マスといっしょにやっていたが、すぐ距離をおくようになった。

 「クリティカル・マスはBTAを保守的と見る。法律の字句通り従うことでBTAは道路において自動車支配の現体制が拡大するのを許している、と考えている。」とジョンソンが言う[43]。「クリティカル・マスの活動家の観点からすれば、BTAメンバー、ポートランド市の代替交通プログラムのスタッフはエスタブリッシュメント(体制)の一部である。しかし、これらのエスタブリッシュされた市民派たちも、過去のある時点で、個人としてもグループとしてもアウトサイダーであり、市民を動員して人々の意識を変えようとしていたのだ。挑戦するグループはやがて成功し、政治体制に受け入れられるようになった。」

 ありきたりに言えば歴史は繰り返す、ということである。若者は成熟し、体制変革にもある程度成功するが、そのときにはすでに次の世代から挑戦を受ける立場にいる。スティーブ・ジョンソンは二〇〇六年一二月に来日し、全国九都市で講演していった[44]が、こうした歴史のサイクルを肯定的にとらえていた。運動は次々に進化し、新しい世代が新しい対決を挑んでくる。それで市民社会は絶えざる活性化を確保するのだ。
 

近隣組合、流域評議会でも
 運動が自治組織へ機関化していく現象は、自転車運動に限らず、他の多くの分野で見られた。本稿5で紹介した近隣組合制度の歴史でもそれが言える[45]。一九七〇年代初め、活発化してきた近隣運動の中で、市の都市計画委員会(Planning Commission)が近隣団体の意向を吸い上げる地区計画団体(DPO)の設置を勧告し、これを具体的に検討するため七二年に近隣開発タスクフォース(Neighborhood Development Task Force)が設置されている。近隣組合の代表などが中に入った。七三年には、近隣組合局(ONA)をつくるという市長の方針を受けて、やはりこれを具体的に検討する市民諮問委員会が設置されている。現在のポートランド近隣組合制度の中でも、まずは、アドボカシー活動もする個々の近隣組合、近隣連合事務所というNPOが基本にあり、その周辺で活動する各種市民活動NPOがあり、さらに公的市民参加機関として市民参加タスクフォース(Public Involvement Task Force)やONI部局諮問委員会(ONI Bureau Advisory Committee)があり、さらに市本体の部局として近隣参加局(ONI)がある。NPOから市機関に至る重層的な自治機構の中で市民参加が展開されている。

 同じく本稿3で詳論したウォーターシェッド評議会も、NPO的性格と行政的性格を兼ね備えた市民的自治機関である。ジョンソンは、自身も積極的にかかわったジョンソン・クリーク流域評議会の中間的性格について次のように言っている。

 「ジョンソン・クリーク流域評議会(Johnson Creek Watershed Council)は行政機関によって設立されている。したがって、長年それは市民社会の一部でなく政府の一部と見なされていた。初期の評議会が苦労したのは、その擬似政府機関的な起源と、流域の汚染状態を監視・改善するという外的挑戦者的団体のミッションの間で危ういバランスをとることだった。しばしば評議会は、それを設立した政府諸機関の役割又は仕事内容に対決することを強いられた。それは長年、NPO法人資格がなく、一五の政府機関及びNPOの代表から構成される組織であった。その理事会は、流域住民ボランティアに加えて、政府機関、非営利環境団体の有給スタッフで構成されていた。それは混成的な団体であり、実質的には政府につくられたボランティア会員制団体であった。これは、組織タイプを分類する際の混沌を示しているだけでなく、典型的な機関化プロセスを示しているとも言える。自由な共同活動が、地域社会における公的事業の進め方として機関化されていくプロセスである。」[46]
 このようにして、ジョンソンは、市民の自発的なイニシアチブが自治機構の中に「機関化」していくメカニズムを、ポートランド市民社会を事例にモデル化していった。市民諮問委員会などの半ば政府的な市民参加機関については、つくり過ぎによる弊害(行政機構の無駄)も指摘されている[47]。何事も、ひとつの制度で万事解決、という発想は控えるべきであるし、そのようなことをジョンソンが主張している訳でもない。しかしこのポートランドの経験は、市民の自生的なイニシアチブを自治機構の中に吸い上げ反映させていくモデルとして、今後の市民社会ガバナンスに重要な示唆を与えるものとなろう。
 
 

7、「群集の知恵」ガバナンス


 興味深いことに、ポートランドの市民参加を分析したスティーブ・ジョンソンは、今後のガバナンス・モデルをインターネットが生み出す社会モデルと重ね合わせても追求している。例えば「コミュニティー・ガバナンス:群集の知恵をベースに」と題された最近の論考で彼は次のように言う。

 「公共事業的ガバナンスの時代は終わりに近づいている。それは、「群集の知恵」に依拠したより柔軟なガバナンスに取って代わられる。地域問題解決の家父長的・専門家主導的モデルに代わり、新しいガバナンス構造は、地域市民の集合的な知恵を生かした大衆的市民参加プロセスを発展させていくことを通じて地域問題の解決を可能にしていくだろう。」「市民の知恵を私たちはどのように力にしていくことができるのか。一方では、人々の顔の見えるコミュニケーションを強め、異なるコミュニティーや考え方をつなぐソーシャル・キャピタルを増進していく必要があるが、他方で、情報技術が今日私たちにもたらす革命を理解する必要がある。地球的なアイデアゴラ(アイデアの市場、広場)と群集の知恵ソフトウェアの可能性を理解するには、少数の専門家でなく万人によって作られた地球初の百科事典ウィキペディアを使ってみるだけで十分だろう。」[48]
 「群集の知恵」とは「群集の狂気」への反語として使われるインターネット社会の言葉だ[49]。ネットを通じた多様な人々の一見無秩序なコラボレーション(協働)が専門家集団に勝る仕事を生み出す時代の兆候を表現している。ジョンソンは、前述二〇〇六年一二月の来日講演でも、インターネット社会がもたらす市民参加の可能性について大いに試論を展開していった。

 本稿は、この点について詳論する場ではないが、インターネットが生み出す新しい自治と市民参加の可能性を予兆的にでも触れておく必要はあろう。私自身、インターネットなどコミュニケーション手段の変革が市民社会にもたらす可能性について、これまでも関心を寄せてきた [50]。ジョンソン氏ともこの面で二〇年来の交流がある。インターネットによる新しい社会現象については、次々と新語が生まれては一世を風靡している。 Web 2.0という言葉はすぐすたれると思うが、群集の知恵、集合知、ロングテール、オープンソース、ウィキノミックス、アイデアゴラ、ピアプロダクション、マスコラボレーション等、多様なものがある。乱暴にまとめれば、これらはいずれもインターネットのもたらす分権的な力を示す言葉で、ネットにより個人や小組織が大きな集合力を発揮するようになることをそれぞれの側面から言い当てている。ウィキペディアというネット上の百科事典が、多数の市民に寄ってたかって無秩序につくられるように見えながら、優れた情報集積源を形成する。あるいはロングテールは、これまで市場に無視された売れない商品がアマゾン・コムなどネット販売でそこそこ売れるようになる現象だ。売上高グラフで右の方に恐竜の尾っぽ(テール)のよう長く伸びていく「死に筋商品」が有力なビジネスの対象になる。売れない書き手も日の目を見るチャンスが広がる。ソース情報を広く公開した上での人々のグローバルな協働が、各種ソフトウェアばかりでなく、様々な新発見、新製品を生んでいく。専門家や巨大組織の力とその権威は徐々に掘り崩され、ボトム・アップ型の新しい社会秩序の可能性が垣間見られる。カナダ学界の元締めであるカナダ学術会議(Council of Canadian Academies)会長ピーター・ニコルソンが次のように言っている。

 「今日、何が知的権威と見なされるべきかについて根本的な変化が進行している。人々は、様々な分野で認められた専門家にあまり耳を傾けなくなった。・・・(依然として、今日の知的権威、専門的能力は大切だと思うものの)・・・私の世界観をつくってきたそうした諸価値が、テクノロジー、グローバリゼーション、ポスト産業社会的豊かさで生み出される新しいパラダイムにより陰りを見せてきたことも事実だ。これらの要因が、かつてなかった形で個人の力を祝福し強化する文化を生み出している。そして拡大する根本的変化の一つの明らかな兆候が、教会、学校教師、家庭医、企業経営者、労組リーダー、政治家、そして知識人など、事実上あらゆる形の伝統的権威への信頼の低下である。」 [51]
 ニコルソンは、既存の知的権威を全否定するのでなく、変化する知的世界で専門家がどういう役割を果たすべきかを探っていくのだが、私たちとしては、このような既存権威の転換が当然に行政や地方自治の分野にも押し寄せていることを確認する必要があるだろう。こうした問題は電子自治体やeデモクラシーなどとしてこれまでも議論されてきたが、今日の新しいネット社会の段階は、議論を新しいレベルに押し上げているように思われる。確かにインターネットは政府情報の公開にすさまじい変化をもたらしたし、それを利用した市民の政策提案、決定への参加に優れた手段を提供した。NPOの自由な実験を社会に問うメディアとしても威力を発揮した[52]。しかし、現在の状況は、そうした手段、メディアとしての有用性以上に、自由な市民参画がどのように内側から秩序をつくり出すか、つまり、経済市場における「神の手」に相当する「アイデアゴラ」での秩序形成の機作が徐々に見え隠れしはじめたことに特徴があるように思われる。一見無秩序なマスコラボレーションで「群集の知恵」が機能していく姿に、この独自秩序形成の機作が隠されている。

 タブスコットとウィリアムズは『ウィキノミックス』で次のように書いている。

 「ビジネスの世界に、新しい力が台頭しつつある。我々は、これをマスコラボレーションと呼ぶ。リナックス、マイスペース、ウィキペディアなどが頭に浮かぶだろうが、マスコラボレーションとはもっと遠くまで続く道である。人々が社会的なつき合いやエンターテインメント、革新、取引などをする新しい方法、自分が選んだピアツーピアのコミュニティー、自発的参加によるコミュニティーで行う新しい方法なのだ。企業にとっては、顧客と協力して製品を設計し、組み立てる方法でもあり、また、ユーザー自身が価値創造の大半をしてしまえる場合もある方法である。研究者なら、データと手法をオープンソース化し、新発見への参加機会を世界中のベテラン研究者に与えることにより、科学というものを根本的に書き換えることができる。政府でさえ、新しいデジタルツールを使って公共サービスの提供方法を変革し、市民とともに政策を策定することができる。」[53]
 同書の中でタブスコットらは主に、企業のウィキノミックスへの対応を述べているのであるが、ここでわずかに触れられたように、政府や自治体のあり方としても充分敷衍できる方法である。これから見ると、自治のポートランド・モデルは極めて「ウィキノミックス」的である。何よりも、行政がオープンである。情報を徹底して公開し、市民からの提案を受け入れて政策化していく柔軟なメカニズムをもっている。ポートランド市内にはあらゆるNPOが活発に活動し、新しい公共づくりの実験を行い、かつ協働し政策提言し、その実践を公的な行政に「機関化」する回路を様々に生み出している。ポートランドの行政は、市民からの働きかけを内部化していく様々な制度をもっているということでもあるが、ネット社会の「神の手」が提起し始めたのは、おそらく、そうした代議制民主主義の制度そのもののことではないだろう。直接参加の民主主義はよりよい代議制を生み出すより、NPOの自由な実践と提案、無秩序な市民参加のイニシアチブが、ある意味制度から離れて多様に展開し、それがアイデアゴラの「市場」メカニズムを経て社会的に実現されていく流れを鮮明にしてくるに違いない。それをサポポートする自治と市民参加の形態は、ネット上の諸事業がそうであるように、今後さらに多様な創意的実験を生み出すだろうし、その努力が市民の側に求められてもいる。ポートランド型の柔軟な行政、市民的自治体のモデルも、そうした試みのひとつとして、今後に重要な意味をもっていくであろう。
 
 

注・参考文献


 1 - Carl J. Abbott, "The Capital of Good Planning. Metropolitan Portland since 1970," Robert Fishman (Ed.), *The American Planning Tradition. Culture and Policy*, John Hopkins, 2000, 241-261.
 2 - Heike Mayer and John Provo, "The Portland Edge in Context," Connie P. Ozawa, *The Portland Edge: Challenges and Successes in Growing Communities*, Island Press, 2004, p.9.
 3 - Robert D. Putnam, *Bowling Alone:The Collapse and Revival of American Community*, Brookings Institution Press, 1999; 邦訳:ロバート・D.パットナム『孤独なボウリング』柴内康文訳、柏書房、二〇〇六年。
 4 - Robert D. Putnam and Lewis M. Feldstein, *Better Together: Restoring the American Community*, Simon & Schuster, 2003.
 5 - Heike Mayer and John Provo, "The Portland Edge in Context," Connie P. Ozawa, *The Portland Edge: Challenges and Successes in Growing Communities*, Island Press, 2004, p.9.
 6 - Robert D. Putnam and Lewis M. Feldstein, *Better Together: Restoring the American Community*, Simon & Schuster, 2003, pp.242-243.
 7 - Steve Reed Johnson, *The Transformation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002*, UMI Number 3119017, ProQuest Information and Learning Company, p.157.
 8 - City of Portland Office of Transportation, *Bicycle Master Plan*, Updated in July 1998, p.4.
 9 - Bicycle Transportation AllianceのEvan Manvel事務局長へのインタビューは二〇〇六年八月二四日、ポートランド市内の同事務所近くの茶店で行なった。
10 - City of Portland Portland Office of Transportation, *Bicycle Related Industry Growth in Portland*, June 2006, p.3.
11 - International Bicycle Fund, "Bicycle Statistics: Usage, Production, Sales, Import, Export," http://www.ibike.org/statistics.htm
12 - City RepairのErica Ritterオフィッス・マネジャーへのインタビューは二〇〇六年八月二三日、ポートランドの同事務所内で行なった。
13 - *City Ordinance No. 175937: Conditions of Revocable Permit to Modify City Intersections* (Passed by Portland, Oregon City Council 09/19/01).
14 - City Repair Project, *City Repair Project's Placemaking Guidebook*, Second Edition, 2006, p.21.
15 - *Ibid*., pp. 144-150.
16 - Robert D. Putnam, *Bowling Alone:The Collapse and Revival of American Community*, Brookings Institution Press, 1999; 邦訳:ロバート・D.パットナム『孤独なボウリング』柴内康文訳、柏書房、二〇〇六年。
17 - Center for Watershed Protection, "Community Watersheds," http://www.cwp.org/Community_Watersheds.htm
18 - 正式には、*Oregon Salmon Recovery Initiative*, passed as SB 924 and HB 3700 at Oregon Legislature.
19 - Network of Oregon Watershed Councils website: http://www.oregonwatersheds.org/
20 - 政策分野に応じて多様な論文、視察報告が出ているが、入手しやすい紹介として次の第四章がよくまとまっているだろう。川村健一・小門裕幸『サステイナブル・コミュニティ―持続可能な都市のあり方を求めて 』学芸出版社、一九九五年。
21 - Robert D. Putnam and Lewis M. Feldstein, *Better Together: Restoring the American Community*, Simon & Schuster, 2003.
22 - *Ibid*., pp.241-242.
23 - *Ibid*., p.249.
24 - Carl Abbott, *Greater Portland: Urban Life and Landscape in the Pacific Northwest*, University of Pennsylvania Press, 2001, pp.81-82.
25 - Robert D. Putnam and Lewis M. Feldstein, *Better Together: Restoring the American Community*, Simon & Schuster, 2003, p.255.
26 - *Ibid:.,  p.252.
27 - http://www.portlandonline.com/oni/
28 - Neighbrhood InvolvementのDirector、Amalia Alarconさんのインタビューは、二〇〇六年八月二四日、同局事務所内で行なった。
29 - Rose City Park Neighborhood Associationの住民集会の調査は二〇〇七年三月二七日に行なった。集会の場所はRose City Park Methodist Church。
30 - *Portland City Code*, 3.96.030B.
31 - *Standards for Neighborhood Associations, District Coalitions, Business District Associations, and the Office of Neighborhood Involvement*, adopted by Resolution 36329 by Portland City Council on July 13, 2005.
32 - City of Portland, *Portland 2030: a Vision for the Future*, September 2007.
33 - Steve Reed Johnson, *The Transformation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002*, UMI Number 3119017, ProQuest Information and Learning Company.
34 - *Ibid*., p.315.
35 - 以下、*Ibid*., pp.224-253参照。
36 - *Ibid*., p.308.
37 - *Ibid*., p.243.
38 - *Ibid*., p.244.
39 - *Ibid*., p.244.
40 - *Ibid*., pp.252-253.
41 - *Ibid*., p.303.
42 - 岡部一明「自転車がクルマ社会に対抗してデモ行進 ―サンフランシスコ”クリティカル・マス”」『週刊金曜日』、一九九七年八月二二日。
43 - Steve Reed Johnson, *The Transformation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002*, UMI Number 3119017, ProQuest Information and Learning Company, p.251
44 - スティーブ・ジョンソン二〇〇六年来日講演:https://k-okabe.xyz/home/sjohnson/
45 - ポートランド近隣組合制度の歴史については次がよくまとまっている。League of Women Voters of Portland Education Fund, *Portland's Neighborhood Associations, Part I - History* October 2005 (Revised December 2006).
46 - Steve Reed Johnson, The Transformation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002, pp.308-309.
47 - Little Hoover Commission, *Historic Opportunities: Transforming California State Government*, State of California, 2004.
48 - Steve Johnson, "Community Governance: Facilitating the Wisdom of Crowds," *Your City Your Say* (Brisbane, Australia, City Council newsletter), March 2007, p.5.
49 - James Surowiecki, *The Wisdom Of Crowds*, Random House, 2004; 邦訳:ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい 』 小高尚子訳、角川書店、二〇〇六年。
50 - 例えば岡部一明『インターネット市民革命』御茶の水書房、一九九六年、同『パソコン市民ネットワーク』技術と人間、一九八六年。
51 - Peter J.M. Nicholson, "The Intellectual in the Infosphere," *The Chronicle of Higher Education*, March 9, 2007.
52 - 岡部一明『インターネット市民革命』御茶の水書房、一九九六年、参照
53 - ダン・タプスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ『ウィキノミクス ― マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』井口耕二訳、日経BP社、二〇〇七年、四六二―四六三ページ; Don Tapscott and Anthony D. Williams, *Wikinomics: How Mass Collaboration Changes Everything*, Portfolio, 2006.

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