講演記録   2001年7月24日、東邦学園大学(現愛知東邦大学)

 地域と連携した大学教育
   ― スティーブ・ジョンソン(ポートランド州立大学NPOマネジメント研究所特別研究員)

 まとめ・文責: 東邦学園大学/短期大学国際交流委員会


 下記は、2001年7月、地域と連携した大学教育で有名な米ポートランド州立大学スティーブ・ジョンソン氏が来日した際、本学で行なった講演の記録である。大学の地域貢献が盛んなアメリカでは、大学教育の中に地域でのボランティア活動、実習が大規模に取り入れられている。大学としても、知識偏重の教育が”時代の要請と学生の現実”にそぐわなくなってきているとの反省があった。地域全体を舞台にした「地域を基礎にした学習」(CBL)や「貢献学習」(SL)が唱導され、新しいキーワードとなりつつある。その中でもオレゴン州のポートランド州立大学(5学部、全学生2万人)はこうしたCBL、SLの全米先進事例である。1993年から全学のカリキュラムを大規模改変作業に着手し、各授業に地域体験の要素を盛り込むとともに、最終学年の「キャップストーン・クラス」(冠石授業)では全学生が授業での講義以外に80-100時間の地域活動による学習を行なう。現在ではこのキャップストーンが全学的に必修化され、数千人の学生が約200のコースに分かれ履修している。ジョンソン氏の所属する同大学公共行政学科内NPOマネジメント研究所(INPM)はNPO(非営利団体)経営の大学院教育を行なうセクションであり、地域と基礎にした教育でも地域NPOとの連携をつくる上で重要な役割を果たす。
スティーブ・ジョンソン(Steve Johnson)
 1945年オレゴン州ポートランド生まれ。ボウリンググリーン州立大学文学部修士課程修了。70年-80年代を通じて環境NPO活動にたずさわり、環境と調和したオルタナティブ技術を推進した。とくに環境誌『レイン』の発刊とその編集長としての活動(74-84年)は有名。NPOのコンピュータ利用支援で多くの実績を残し、地元、ジョンソン・クリーク水系の環境保護、市民参加型の計画手法の開発にも成果をあげた。90年よりポートランド州立大学都市研究センターの地域研究マネジャーに。さらに97年からNPOマネジメント研究所の特別研究員に就任。同大学の都市研究学部、公共管理学部などで教鞭をとり、2001年度は「市民参加の概念」「情報の都市」などの科目を担当した。研究員、教師、地域活動家の3役をこなしながら、大学の地域連携活動に重要な役割を果たす。2001年7月、上海での第三回世界計画会議(World Planning Congress)に出席するのを期に来日。学位論文は「社会的資本の測定手法」に関するもので、同会議での発表も、水系管理を事例にとった社会資本整備に関する研究報告である。編著書に『レインブック:適正技術資源』『ホームを知る:地域自治へのガイド』『ライターのためのコンピュータ・ガイド』『ポートランド圏の都市自然資源ハンドブック』その他がある。

 皆さんこんばんは。司会の方が私をどう紹介されたか私にはわからないが(笑)、私は25年間NPO(非営利団体)セクターに居て、過去10年間はポートランド州立大学で仕事をしてきた者だ。ポートランド州立大学はオレゴン州にある主要な3大学のうちの一つである。他の2つは地方にあり、農業やテクニカルな研究教育を主体にするが、ポートランド州立大学は都市型大学で、総合的なカリキュラムを組んでいる。行政、都市計画、社会福祉その他、都市型の職業をめざす学生が多い。1万5000人のフルタイムの学生がおり、パートタイム学生を含めると2万人。その多くがすでに働いており、平均年齢は高い。何年か仕事についた後、キャリアを進めるために大学に戻ってきた学生も多い。オレゴン州やポートランドについては知らない方も多いと思うが、アメリカ北西部の太平洋岸の州で、ポートランドはその中の最大都市。都市圏人口が約150万だ。運動靴のナイキの本社がある。私の姉が高校時代、ナイキの現社長と同級生だった。
 
90年代初めから地域連携を開始
 ポートランド州立大学では約10年前、1990年代初め、大学をめぐる諸問題を検討する中から、地域を基礎にした学習を徐々に拡大してきた。ひとつには、カリキュラムが学生の現実と合わなくなったという問題があった。MTV(映像型の音楽番組)のようなものに慣れ親しんでいる学生の生活からは、大学の授業が非常につまらないものに感じる。授業に様ざまな行き詰まりが見られ、どうすれば学生の興味を喚起できるか、どんな新しい教育方法があるのか、私たちは模索した。
 また、私たちの大学は州立大学だが、かつては連邦、州政府からの多くの補助金が出ていた。が、これが減少し始めた。かわりに大学は地域からの支援が必要になったという要因がある。地域の人びとの中で、大学が何をやっているか明らかにしなければならず、大学の地域貢献が要請されるようになった。
 アメリカの福祉制度の転換もあった。アメリカでは1960-70年代、連邦政府の支援によりNPO(非営利団体)セクターが大きく拡大した。100万以上のNPOが存在するようになった。ところが、1980年代のレーガン政権以降これらに対する連邦・州助成がどんどん減額された。そこで地域のNPO側も外部からの支援がより必要となり、大学にも支援を求めるようになった。
 ここでいい縁結びが成立したということだ。私たち大学としては地域社会により溶け込みたかった。地域社会は我々の支援を必要とした。学生の集団、教職員の専門知識は、地域にとって巨大なリソースである。1万5000人の学生が地域で活動したとしたらどうだろう。その上大学には膨大な専門知識も蓄積されている。
 ポートランド州立大学はさきほど述べたように街の中心にある都市型大学だ。過去10年間に私たちは500以上の地域団体と様ざまな関係をもつことができた。大学の中に約200の「地域を基礎にした学習」(CBL)クラスをもつに至った。カリキュラムを抜本的に改変し、すべての学生が計100時間以上のボランティア活動を地域で行なうことを必須にした。このパートナーシップの中でどのような地域活動を行なっているか、例をまずスライドでお見せしたい。
 
地域活動の諸事例
 これは、ポートランドの日本語地域学校で、本学の教員が狂言の練習を指導しているところだ。この写真をぜひ日本の皆さんに見せたかった。彼は「ガイジン」、つまりアメリカ人だが、日本に何度も来て狂言の専門教育を受けた。現在、ポートランドで日本文化の教授を中心にして地域との連携を進めている。
 これは高校で移民の青少年たちを支援する地域活動だ。1対1で英語その他を教えたりして、新しい文化に適応するための支援をする。この写真に写っている高校生たちは計30以上の異なる国から来ている。
 この写真は、障害者がアクセスしやすい動物園はどんなものかいろいろ調査しているところだ。これは建築学科の学生たちで、大学で実際の設計も行なうわけだが、こうして動物園に来て障害者たちといっしょに施設を利用してみる。園内の道路の通行しやすさ、動物との触れ合いが容易にできるか、などをチェックする。
 これは環境関係の活動だ。ポートランド地域には今、イングリッシュ・アイビーという外来のツタの一種が広く繁殖してきている。松にからまって木を枯らしてしまう。この学生たちは、森の中でその「侵入種」を取り除く作業をしている。自然の森を守るわけだ。
 この学生たちは先住アメリカ人(先住民族)の人たちと活動している。先住民族の人たちから民具の作り方を習っている。同時に、先住民族の古くなった民芸品の復元に力を貸している。木工の民具を修復し、以後長持ちするような保存技術を先住民族の人たちに教えている。
 科学博物館でボランティア活動をする学生たちもいる。子どもたちに航空関係の展示を見せ、飛行機はなぜ飛ぶか、飛行機の構造、航空管制の仕方などを体験的に学んだりしているところだ。この科学博物館ではこうした館内ボランティア活動プログラムを常時組織しており、私たちはそことパートナーシップを結んで、こうした活動を行なっている。
 また、ポートランドは札幌と姉妹都市なので北海道大学といろいろ交流している。教育改革、地域を基礎とした教育に彼らも関心を寄せているので、この方面での情報交換、交流活動を活発におこなっている。彼らが訪れた時の写真だ。
 
「地域を基礎にした学習」とは
 その他非常に多様な地域活動の事例があるわけだが、スライドはこれまでにして、次は、「貢献学習」(SL)や「地域を基礎にした学習」(CSL)と言われる地域連携教育の概念についてお話したい。
 SLの言葉自体は新しいが、思想自体は教育哲学者ジョン・デューイ(注:プラグマティズムの代表的思想家、1859-1952)、19世紀の社会改革者ジェーン・アダムス(注:セツルメント活動の創始者、1860-1935)までさかのぼる。デューイは経験に基づく学習を提唱し、授業だけでなく、実際に何かをやって体験することからこそ学べると主張した。アダムスは、地域に出て地域活動をすることで、人びとの心を社会に広げていくことを提唱した。
 「地域を基礎にした学習」とは、学生と教員が共に地域の中に出て活動を行なうことにより、学生の学習と地域の福利が共に益するような活動だ。第一の目標は理論を地域で経験によって検証することだ。クラスで学んだことをすぐ次の日に実地に体験できる。通常の授業では、経験は大学を卒業するまで引き伸ばされる。さらにこれにより、地域の満たされていないニーズを満たすことができる。地域社会で実際に何が必要とされているかを実際に感じられば、それに対する適切な解決策も考えられる。また、グループとして行動することで学生が学ぶことも大切だ。無気力で自分に自信がない学生でも、地域で活動する中で活発になる場合がある。リーダーの役割を果たしたり、新しい自分を発見する。また、この地域学習は、学生が市民的スキルを学ぶ場でもある。雇用のためのスキルではなくて、コミュニティーの健全な一員となるスキルだ。地域でどのように生きるか、問題をどう解決するか、市民としての生き方、行政との付き合い方、企業とどう連携していくかなども学ぶ。
 私たちはまた、学生を敢えて社会的な問題、不平等の問題などに直面させることも重視する。マイノリティー、そして貧困の問題がある。こうした問題は学生の日常から隠れていることが多い。同様に、学生に多様な社会、文化を経験する機会を与える。ご存知のようにアメリカには多様な文化をもった人びとが生きる。そのすばらしさにかかわらず、しばしば互いに隔離されてしまっていることもある。境界を越え、異なる文化を経験できるようにしていくことが必要だ。
 もうひとつ強調したいことは、現在アメリカが抱える大きな問題として人びとのコミュニティーにかかわろうとする意識、市民的参加への意識が弱くなったことがある。市場経済が社会をおおい、企業が活発に諸地域を移動し、人びとの地域とのつながりが希薄になっている。ここではあまり触れられないが、多くの研究、調査が人びとの地域とのかかわり、市民団体や政治への参加と関心が低下していることを明らかにしている。地域を基礎にした学習によりこの傾向を逆転させたい。
 
プログラムをつくる秘訣
 次に大学が実際にどのようにこのプログラムを導入したかだが、まず、教員への調査を行なった。教員の研究、教育上の関心がどの辺にあるか、地域連携への興味があるか、どの程度、地域学習への要素を授業に含めているかをアンケート調査した。またシラバスやカリキュラムを調べ、どの授業が地域連携に適切か検討した。あらゆるクラスが地域学習に向くわけではない。社会科学系のクラスならやりやすいだろうが、例えば、数学のクラスではやりにくい。
 教員の中には地域連携にかなりの興味をもち、すでにある程度の実践を行なっている者もいた。そういう人たちを探し出し、重点的に支援して全体のモデルになるように仕向けるのが優れた方法である。そこでカリキュラムを改変し、支援スタッフをつけ、地域団体を探し、といった先進的取り組みを行なう。そのために一部財政的支援も行なった。
 地域団体を招いて教員の間で様ざまなフォーラムを行なった。地域で現在どのような問題があり、どんな活動がなされているのか勉強した。大学の教員は実際に社会に起こっている問題から離れている場合が多い。例えば朝食会を開いて地域の人びとを呼び、話を聞いて教員が学習する。地域の人々もそうした場での交流でいろいろ学ぶ。地域の人々も大学で何が行なわれているか、教員がどのような研究を行なっているかよく知らない。互いに相手を知る機会づくりを行なったわけだ。
 プログラムを成功させる秘訣は何か。いくつかあるが、まず、地域体験の後、学生がそれを反芻する機会をつくることが大切だ。その経験が何であったか学生によく考えさせる、明らかな認識に高めていく。学生が外に出たら授業の中のようなコントロール下の状況ではなくなる。予想外の経験をすることも多い。例えばソーシャルサービスのホットライン(緊急電話)を担当して、これまで向き合ったこともないような深刻な問題にぶつかり、衝撃を受けることもある。学生がこれを冷静に受け入れ、体験として内部に取り込めるような教育的枠組みをつくらねばならない。例えば活動日記をつける、クラスに体験を持ち寄り報告する、皆で討論するなどの体制が不可欠だ。
 また地域活動の前に契約をきちんと取り交わすことも大切だ。これはビジネス契約と同じである。地域団体は学生に何を期待できるか、学生は地域団体から何を期待できるか、契約の中で明確化し、後で誤解や混乱が起こらないようにする。実際の活動の場で責任者が不明確で混乱する場合が多い。各当事者の役割と責任を明らかにすることがとても大切だ。
 
問題は教員?
 プログラムを行なう上で、意外と教員の問題が大きいこともわかった。地域連携プログラムをつくるにはカリキュラムを変えなければならないし、いろいろ仕事が増える。すでに述べたように授業の中身が予測できない。何が起こるかわからない。教員は、当然そのような不確実性に抵抗を示す。また、地域体験の中では学問的領域も単一のものにとどまっていない。これはもちろんよい面でもあるのだが、教員によっては嫌うこともある。例えば生物学の授業で、絶滅に瀕した種の問題を調査に行くとする。いろいろ行政と交渉している内に、行政の仕組みや行政学的なものに学生の関心が移ってしまう場合がある。そうすると教員は対応できなくなる。あるいは、環境政策、水力学、環境科学、いろんな専門分野がからんでくる。やはり一人の教員の手には負えなくなってくる。学生がいろんな知識を詰め込んで大学に戻ってきて質問をぶつけても答えられない。
 したがって、このような地域を基礎にした学習を組んでいくためには、教員に対する様ざまな支援が必要だ。すでに述べたようにまずは先進的な教員のプログラムを大いに延ばし、他の教員が参考にできるようにする。各種会議、勉強会への出席、カリキュラム作成への助成などを行なう。地域の新聞や大学新聞などに試行錯誤中のプログラムを取材して頂き、ハイライトをあてて頂く。
 
1年で80時間以上の地域学習
 地域を基礎にした学習は、大学の全体的な改革の一環だった。一般教養、卒業要件などを含め大規模な改革を行なった。1年から4年生まで連なる大学学習プログラム(University Studies Program)という学際的プログラムをつくった。1,2年では「探求」(Inquiry)というコースがあり、これは伝統的な専門別の授業でなく、何か具体的な問題やテーマを設定してそれについて探求するというクラスだ。4,5人の異なる専門をもった先生が学際的に参加し、特定の問題に多方面からのアプローチで迫る。例えばアインシュタインの宇宙観について探求するコース、行政単位に縛られず(ポートランドの立地する)コロンビア川流域全体を一体的にとらえ、その自然、社会、文化の探求するコース、その他いろいろある。隔離された単一専門からものを見るのでなく多分野から総合的に探求する。
 最終学年で取るコースが「キャップストーン」(冠石)講座だ。これはそれまで大学教育のしあげの意味をもつコースで、2セメスターに渡り、80?100時間の地域体験型学習を行なう。これまで大学で学んできたことを実際の社会にあてはめてみる。必須の卒業要件になっている。私たちのNPOマネジメント研究所は、地域団体を探したり必要な教材をそろえたり、最大限の支援を行なう。例としては、広告学科の学生たちが、NPOの広告キャンペーンの支援をする。NPOは商業的な広告会社を雇う金がないが、学生がそうしたサービスを無料で提供する。あるいは、これはとても人気のあるクラスだったが、社会学の先生がリサイクリング体験学習のプログラムを組んだ。「リサイクリングの社会心理学」というクラスだ。リサイクリングがいいことだとわかっていてもやらない人が結構いる。なぜか、ということを社会心理学的に追求する。学生が、高校生のリサイクル事業に付き添って、リサイクリングしない人の心理分析をする。高校生は、ビデオを使って教育普及活動をしたり、あるいは小学生といっしょに活動して、その親にいろいろ啓発をするなどのことを行なう。学生は、その様子を分析しながら様ざまな社会心理学的な仮説を検証する。
 
実際に社会に貢献する
 また、地域NPOと長期にわたるパートナーシップを組む場合もある。1クラスだけ、1学期だけ短期の連携をする場合もあるが、何年にも渡り協力し合う緊密な関係をつくる場合もある。例えば「スチュワードシップ・プログラム」と呼ぶ事例があるが、これは市機関と連携しながら地域の人々とともに地域河川域をきれいにしていく活動だ。すでに6年続いている。昨年は学生たちが地域に入り、一般住民を含め7300人のボランティアを動員し、6000本の原生種の植樹を行ない、ゴミ捨て場や荒廃地となった3200エーカー(1300ヘクタール)の土地を回復させた。
 このような成果を数字できちんと示していくことが大切だ。大学は地域の中で確実に貢献した。それによって行政を代替し税支出を抑えた。大学が公的な資金で支えられるには、地域社会の理解を得るべくそれなりの努力が必要だ。実際、大量の学生ボランティア活動は行政の仕事を確実に減らした。行政は過去10年間でこの植生回復に3000万ドルをつぎ込んだが、ボランティア活動はそれと同じくらいの仕事をした計算だ。10万時間以上のボランティア時間がつぎ込まれた。
 最後に触れたい点は、こうした活動を組織するために大学インフラの改革が必要ということだ。センター・フォー・アカデミック・エクセランス(大学教育改善センター)がこうした地域連携学習を推進している。同センターに10?15人のスタッフがいる。教員の地域学習クラスづくりを支援し、地域のパートナー団体を探し、様ざまな書類や契約書を作成し、互いに問題なく協力できるようにし、コンピュータその他技術的支援が必要になれば提供し、非常に広い分野にわたり支援を行なう。かなりのクラスが自立してやれるようになってきてはいる。それでも1万5000人もの学生がいる。依然として多様な支援活動が必要だ。
 現在、全米約150大学の大学がこれと私たちと同じようなカリキュラムを実施している。私たちの大学は確かに早くからこれを行なっがが、ここだけではない。多くの大学がこうしたカリキュラムづくりを大学改革の重要課題の一つとして位置付け、全米的な流れとなっている。
 

(質疑応答)

(質問)4つの質問がある。まず、日本でも大学の地域開放を積極的に行うようになってきたが、地域住民の方で、大学を近寄りがたいものと考えてしまっていることが多い。地域住民が気楽に大学に来れるようにすればよいか。その点でのアメリカの経験を聞きたい。
 第2に大学が企業、経済界と連携する際にどういう点に留意する必要があるか。連携によっては弊害もあると考えられる。その際の注意点は何か。
 第3に、我々の大学でも学生を企業に送ってのインターンシップ制度、コーポレイト教育をやろうとしているが、その際の留意点は何か。
 最後に、きょうお話頂いたプログラムは非常に参考になるが、その際には当然費用が発生すると思う。それはだれが負担するのか。例えば交通費、滞在費は。先方の団体で経費が発生する場合は、寄付を行うのか。
 
多様なボランティア活動の内のひとつ
(ジョンソン)最初に明らかにしておきたいことは、私たちの大学には様ざまな地域連携プログラムがあるということだ。「地域を基礎にした学習」はそのひとつに過ぎない。インターンシップというのもあるが、実は、それはきょうお話した「地域を基礎にした学習」とは別のものだ。就職課、経営学部など別の部門が行なっている。インターンシップは、学生が就職するための実体験教育という側面が強い。就職を希望する会社で早期に仕事を体験する場合もある。どちらがいいかということでなく、異なるプログラムだということだ。「地域を基礎にした学習」の場合でも、たまたまそこで仕事がみつかることがないではない。しかし、それは目的でない。ここでの基本はあくまで教育である。学生は実体験をした後教室に戻りそこでの学習に反映させる。「地域を基礎にした学習」の最終的な目標は常に学習なのだ。
 また、「地域を基礎にした学習」は単なるボランティア活動でもない。学生のボランティア活動を組織したり紹介するセクションは、これまた別にある。地域での活動を教室での学習の中に生かす、それが「地域を基礎とした学習」の基本だ。
 
人は様ざまな形で学ぶ
 特にこのような教育は、途中でドロップアウトするような学生の援助になると思う。人間は皆異なった方法で学んでいくものだ、という認識が基本にある。ある学生たちは、経験によってよりよく学べる。授業の中ではよく学べない。最初に言ったように、学生が授業への関心を失いつつある問題がアメリカにもあり、それに対応する教育という側面がある。インターンシップがどう職を得るかに対処したプログラムであるように、地域を基礎にした教育は、どう学ぶかの問題に対応したプログラムだ。どうすれば学生が学ぶことに関心を維持できるかという問題意識から生まれている。この方式の中で学生は集団行動の中で学ぶ。また、教室で学んだことを即実際の社会の中で試す。これまでの教育では、習ったことを何年かたってから試すだけだ。
 例えば私が先学期担当したキャップストーンのクラスは、借家人の権利についてのものだった。アパートの借家人らがどのような問題をかかえているかを学ぶ。借家人関係の法律を教え、家主が修理をしない、共用部分の掃除をしないなどの問題をどう解決するかを学ぶ。この場合でも、卒業してからその知識を生かすというのでなく、すぐ地域に出る。借家人支援NPOで住居関係のホットラインの応答を担当し、市民の相談に答えた。
 
まず地域の人から聞く
 そこでまず最初の質問への答だが、地域の人々が大学に来やすくるためにどうすればいいか。これはまず大学側が積極的に地域に出て行く姿勢をとる必要がある。地域の人々が何が問題かを定義し、私たちはそれに手助けをするというアプローチが必要だ。例えば私は都市計画学関係の学部に属しているが、都市計画専門家は、何が問題でそれをどう解決するかを一方的に住民に語ることが多い。それが都市計画家の仕事だと訓練されている。しかし地域の人々はそんなことあまり問題でないと思うことが多い。むしろ、犯罪が一番の問題だ、学校教育の質が問題だ、などと言う。だから私たちはまず地域に出て行って、市民の意見を聞くことからはじめなければならない。ポートランド地域には非常に活発な地域活動がある。それらの人々の意見にすべて賛同しなくてもよいが、まずは聞かなければならない。その上で協働する。そこから徐々に信頼が生まれる。特に大学は象牙の塔にこもり地域の問題を知らなすぎるから、その点を努力する必要がある。
 2,3番の質問だが、私たちの「地域を基礎にした教育」、キャップストーンのクラスでは9割がNPOか行政機関でのボランティアだ。それに対し経営学部や就職課で行なうインターンシップの場合はほとんどが企業での仕事だ。その際は、無料の働き手になってしまうのではと心配もされるが、時給8-10ドルの一定の支払いが出ることが多い。私たちの場合は、NPOや行政機関で地域のためにボランティアするという形になる。
 最後の質問で、「地域を基礎にした学習」の経費の問題だが、これは連邦政府からのいくつか大きな助成が出た。最近では、地域企業からの助成も出るようになった。特にプログラム立ち上げ期に資金が必要だった。最初の5年間で1000万ドル以上の連邦助成があった。現在ではプログラムも軌道に乗り安定してきた。トレーニングもやったしカリキュラムもできた。現在の運営コストはかなり下がり、助成がなくとも内部資金、つまり授業料で調達できるようになった。

(質問)単なるボランティア活動ではなく学習に比重をおいた活動だ、など非常に興味深い。しかし、どうもその具体的な授業の様子がもうひとつわからない。
 

実際にはじめてみると
(ジョンソン)「センター・オブ・アカデミック・エクサレンス」(大学教育改善センター)が、こうした活動の全体を管轄している。先ほどの借家人のキャップストーン・クラスの例でもう少し詳しく説明してみよう。これは15人の小さいクラスだった。通常はもう少し多い(10人から25人)。ここにもう一人補助教員を雇い私と2人でクラスを担当した。地域活動だけで2セメスター6ヶ月で80時間行なう。週2,3時間の割合になるだろう。これ以外に大学内での講義、話合いが週2,3時間ある。
 授業ごとに地域で活動している人を呼び話をしてもらう。借家人の団体の人からいろいろトラブルの実例を聞く。法律相談NPOから弁護士スタッフが来て、借家人関係の法律の話を聞く。「センター・オブ・エクサレンス」からも人が来て、日誌をどうつけるか、体験をどう理論化するか、ボランティア時の注意事項などノウハウが提供される。そして学生を逐次、地域に「放り出す」わけだ。正直言って、いろいろ混乱が起こる。いきなり地域に出ても、学生は何をやっていいかわからない。だれの指示に従えばいいのか、何を学ぶのか、いざ地域に出てみるとわからなくなる。コーディネイションがうまく取れない。
 こういう失敗を長く続けていくうちに、いろいろ現場で支援が必要だとか、コーディネーション手法だとか、だんだんノウハウが蓄積されてくる。同じようなプロジェクトをやった他の教員からアドバイスを受ける場合もある。すでに関係のあった団体、地域、リーダーについての情報がデータベース化されているのでそれも利用できる。毎週クラスに戻ってくる学生に問いかける。「どうだね、何がわかったかね、何がわかってないかね」。学生は頭をかきむしり、やはりここが分からないとかいろいろ感想を出す。それに基づいてまた次週、別の人を呼んできてその辺の話を聞く。
 こうした学習活動が2セメスター、まるまる6カ月は続くわけだ。約200コースある。その混乱ぶりを想像できるだろう。もちろんこれを全部突然はじめたのではない。最初は必修にはせず、限られた範囲ではじめた。6,7年かけて徐々に必修化してきた。いきなり200もはじめたら、これは悪夢だ。

(質問)私の大学でも同じような地域体験学習をやっていて、長所も短所もよく似ているので驚いている。それでちょっと細かいことになるがお聞きしたい。センター・オブ・アカデミック・エクセランス(大学教育改善センター)のスタッフは具体的にどのように運営されているのか。また成果の報告はどのように行なっているか。大学の社会的評価との関連はどうか。契約の内容も非常に興味がある。活動内容ばかりでなく例えば事故の場合の対処とかの契約もあるのか。また、体験学習の学問体系への影響はどうか。教育の方法としての地域体験学習が語られた。それ以上の大学の学問のあり方も変えていく可能性はないか。
 

大学の社会的評価が高まる
(ジョンソン)大学には、通常、教員の教授技術開発のためのFD(Faculty Development)部門がある。そこに「地域を基礎にした学習」支援機能を大きく強化して改変したのが現在のセンター・オブ・アカデミック・エクセランスだ。10人から15人のスタッフが居る。以前はその半分だった。地域学習支援機能を拡大するにつれてスタッフを拡大し職名や責任も大きく変わった。異なる能力が求められるようになったので、前からのスタッフで辞めた人も何人かいる。地域学習が成功を収めてから、州からの助成が出るようになった。いくつかこの分野で全米的な賞も得て私たちの大学が注目されるようになったからだ。地域学習活動をたたえるため、クリントン大統領が1年のうち2度も来たこともある。そうしたことが、私たちの活動をやりやすくしたし、州からの助成金という形でも成果が入ってきた。
 大学の社会的評価は、もちろんこの事業によっては高まったと思う。学界は今だに「論文を出すか滅びるか」のアカデミズム志向に縛られているが、少なくとも地域社会での評価は大いに高まった。行政の評価も高まった。それが助成という形に現れた。
 活動の成果は広く地域社会一般にも知らせる。新聞、テレビなどはこうした活動を好んで取り上げる。若い人たちがコミュニティーのために活動する。さっきのリサイクルの地域活動でも、学生や高校生、小中学生がいっしょになり、地域で空き缶などを集める。絵になる。メディアはこういう写真を喜んで載せる。
 このようなカリキュラムでより学生にどのような変化が出たか、調べようとしている。包括的な調査研究を行なうためにちょうど助成が得たところだ。今回、私がポートランドに帰って真っ先にやらなければならないことも実はこれだ。市民指標化(Civic Indexing)調査と言う。これらのクラスを取る前と後で学生がどう変わったかを調べる。「地域でボランティアしたいか」「地域に責任があると感じるか」などのアンケートも行なう。私たちには意図があってこうしたカリキュラムで組んだわけだが、それがきちんと学生たちに伝わっているか、評価しなければならない。帰ったらすぐどこかのクラスをフォーカス・グループとして選ぶ。そこが中心となって調査をどう行なうか検討を開始する。
 契約書については、弁護士のアドバイスなども受けて適切に作成している。あまり危険な場所には出さないので、事故や怪我の問題が起こったことはまずない。ただ、同性愛者を支援するNPOで体験学習を行なった際、保守的な親から反対が出たことがあった。これは意見の違いもあり難しい問題だ。しかし、それを避けるのではなく、議論の多い問題にも学生が積極的に関わっていくという姿勢を重視する。学生の自主性を生かし、彼らが必要と思う活動にかかわっていくようにする。また、前にも言ったが、アメリカの民族的文化的多様性を充分尊重して、異なる文化から学ぶ活動を特に重視している。
 
学界の改革
 学界への影響は遅々としているが、前進はしている。全米の多くの大学がこうした貢献学習、地域を基礎とした学習を強化しており、それにともなってコミュニティーや地域活動に関する学術的な調査研究が活発化している。論文も増えている。様ざまな学会も形成されている。確かにこれまでの学界では、地域を基礎とした学習を実施してもあまり評価されなかった。これでは教員のインセンティブがない。ポートランド州立大学では、テニュア(終身教授資格)を認める際の資格要件を変えた。学術論文だけではなく、「地域と連携した学習」活動でどれだけの成果を上げているかも正当に評価するようにした。こうした全般的な評価、ガイドラインの改革がないと教員も変わりにくい。私たちの大学の中だけの昇進については一応改善がされたが、教員が他大学に移る際にはまだ問題がおこる。地域学習の教育実績が評価されないので、やはり教員の熱意を妨げる。地域を基礎にした学習は広がってきてはいるので、今後は全米的に、こうした評価の問題も含めて体制を変えていく必要があるだろう。

(司会)議論が活発になってきたところだが、時間が過ぎたのでこの辺で打ち切りたい。多方面からの参加に感謝する。ジョンソンさん、ありがとうございました。
           (東邦学園大学・短期大学発行『東邦学誌』第31巻1号より)
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