アフリカの旅(4)
4日4晩の列車の旅
(岡部一明、1981.3)
3月25日。カルツームを発つ日だ。朝10時発の列車は11時ころ駅に入ってきた。かなりのおんぼろ車輛だが十両以上の長い編成だ。週一便の特別列車。南部スーダンに物資と人を送りこむ
キャラバン隊という風情である。西南部のワウまで3日かかるというが、少なくとも4日はかかるだろう。10日以上かかることもあると聞いた(地図参照)。
1日目、2日目と列車の中で過ごす。列車はスーダンの大地をゆっくりと走る。あたりの風景はまだ半砂漠だが、カリフォルニアの内陸平原を思わせる広大な
農業地帯も目に入った。列車の速度が遅いせいか砂ぼこりは多くない。カルツームでの鍛錬の成果か、暑さにも若干耐性がでてきた。
旅友となったドイツ人のクリフトフと果てしなくチェスをする。チェスくらいしかすることがない。程よい接戦を何度も繰り返した。
風景は次第に半砂漠からサバンナになる。木が増えてきた。が、まだ乾期の終わりなので草はなく、地面が露出している。地形はあくまで平ら。山も見えない。きのうもきょうも、どこまで行っても平らなサバンナが続いている。広い。
鉄道分岐点ババヌサ
3日目の夕方、ババヌサに着く。鉄道分岐点なのでやや大きめの駅だ。[注:ここから西に向かうと、2003年以降、内乱と虐殺の危機に陥いるダルフール地方に入る。鉄路は南部の同地方中心都市ニャラまで伸びている。私たちの列車は南に分岐し、南スーダンのワウに向かう。]
駅と言っても、引き込み線が何本かあり、傍に駅舎らしい建物が立っているだけだ。列車が着くと村からたくさんの人が駆けつけてくる。ある者は果物を売
り、ある者はお茶を売り、ある者は水(にごった水)を売り、ある者は食べ物を売る。そして他の多くの者は、この列車のもたらす「文明」を見に来る。村人た
ちの衣服は貧しく、家は丸いわらぶきの小屋だ。カルツームには不足気味ながらあったコーラ(少なくとも安全な飲料だ)も、この辺ではもう見ることがない。
こんな場所に十数両も列車を引いて現れた機関車は、異様に巨大な文明の侵入者だ。
私たちは、列車が駅に着くごとに水を探しに出かけ、そのたびに失望してきた。濁った溜まり水しかないのだ。しかし、このババヌサには水道があって一応ましな水が出ていた。ましと言っても濁ってはいるから、浄水剤を入れずに飲む気にはなれない。
ババヌサで新しくイギリス人の旅行者、デイビッドが乗り込んでくる。彼の話では、列車は「朝着く」ということだったので9時ごろからずっと待っていた
が、結局、午後5時になって着いたという。私たちは始発のカルツームからただただ耐えて乗ってきたのだが、途中で乗る人にはさらにいろいろな苦労があるら
しい。
はだかの人々
列車に乗って4日目の朝、列車が止まったので、起きてびっくり。窓の下に寄ってくる村人たちの中に素っ裸の人が混じっている。子どもは大半が裸。大人の中にも少数、一物を丸出しにして体をポリポリかいて歩きまわる人がいる。
とうとう南スーダンに来たのか、本当の「アフリカの奥地」に来たのか、と興奮する。しかし、こうしてほこりでボサボサの裸の人を眼前に見るのはショックだった。彼らと人としてコミュニケーションが取れるのか。私の中の偏見が彼らに接するのを恐れさせた。
村の家々は、側壁は木皮が当てられ、屋根は丸く束ねたわらが乗せてあるだけだ。文明の利器らしいものは何も見えない。一人だけ中国製の旧式自転車に乗っ
ている人がいたが、それさえ異様に不釣り合いに見える。裸の子どもたちがバケツに入れて売って回る飲料水は、白く濁って雑巾の絞り水のようだ。
この日の夜(正確には翌29日未明)の2時半、ワウに着く。遅れるのはかまわないが、何という時間に着くのか。これでは宿も探せない。が、多人数の旅行
者でいると楽だ。付いていけば何とかなる。週1本の列車なのだから、真夜中でも街までのトラックなどはちゃんと待機している。それに乗ってマーケットまで
行き、ポリース・ステーション(警察詰め所)で交渉し、庭に寝させてもらう。
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