なぜ米国市民権を取ったか


 私は、米国滞在中の1999年、米国市民権を取得した。つまり「帰化」して米国籍者になり、日本国籍は喪失した。現在、日本には外国人永住者として暮らしている。
 なぜ米国籍をとったのか。その事情、考えを、日本への帰国時に、友人たち向けの下記通信に書いた。プライベートなことで、あまり公表することでもないとも思うが、現在、連坊さんが日台の国籍をめぐって批判の矢にさらされている。ウェブ上にはひどい書き込みもある。そういう中では、この個人的体験も積極的に出して行かねば、と思った。(2016年9月)

----------------------------------------------
人は一度、外国人にならなければならない
(2001年3月)

 つまり、自分の母国で。
 つまり、人は一生に一度、母国で外国人にならなければならない。

 アメリカ市民権を取り日本国籍を離脱し、外国人として日本に入ってきました。「日本人の配偶者ビザ」。滞在期間は3年。素行不良などがなければその後も延長できるようです。一応合法滞在。就労もできるビザですのでお間違えなきよう。

 幕末には、多くの志士たちが「藩を裏切った」ということで斬られたそうです。どうか皆さん、私を斬らないで下さい。

 「あのー、国籍離脱届けを出したいんですが。」
 とサンフランシスコの日本領事館に電話して説明すると、「あ、あなたの場合は国籍喪失届けですね」とのお返事。アメリカ市民権を取得した段階ですでに日本国籍は喪失しており、その事実を届ける手続きをとるだけというのが正解だそうです。

 ウーム、日本国はなかなか厳しいですね。資料のようにアメリカは二重国籍を事実上認めており、他国籍をとったからといって自動的にアメリカ国籍喪失にはなりません。

 (他の国籍をとったら日本国籍離脱とみなすのは、厳密に言うと「何人も・・・国籍を離脱する自由を侵されない」と定めた日本国憲法第22条(2)に反する可能性があるのでは。アメリカでもこの点が各種裁判で問題になり、自動的には国籍喪失にはならない最高裁判例が確立してきました。資料参照)

 アメリカ市民権取得から日本国籍離脱まで、いろいろおもしろい経験がたくさんあったのですが、今は引越し・就職の渦中で忙しく、書けません。後日をお楽しみに。

 日本に来て早速、外国人登録をしました。1ヶ月すれば(かの「常時携帯」しなければならない)外国人登録証が届きます。胸をワクワクさせています。幸い、指紋押捺をさせられることはありませんでした。在日外国人たちの指紋押捺許否運動のおかげです。私自身も日本国民の誇りにかけてその運動をしたことがほんとによかった、と身に染みました。

 外国人になることで「日本人には見えない日本」がよく見えてきます。で、人は「一生に一度、外国人にならなければならない」。

 アメリカ市民権(国籍)をとった最大の理由は、子どもにアメリカで生きる可能性を残すためです。人格形成期に8年以上アメリカで暮らした彼らは日本に適応できない可能性があります。将来アメリカに生きることを選択する可能性があります。永住権(グリーンカード)は1年以上外国に出ているとなくなります。親の一人でも米市民権があれば永住権を容易に再取得できます。子の人生のためなら、親の不便など二の次でしょう。

 私らのような者でも二つの社会に基盤ができてくると単一藩籍主義はいろいろ不都合が出ます。まして、国際結婚をした人たちなどは重国籍が生活上の必要になるでしょう。

 日本国籍を失って、もし戦争なんか起こったらどうすのか、って? 戦争が決しておこなないよう全力をあげてがんばる他ないでしょう。そういう立場に進んで自分をおくということです。

 はりねずみのような民族諸国家競合の世界に、徐々にグローバルな市民社会が台頭しつつある。その歴史的潮流に私もこういう形で参加していけるのはエキサイティングなことです。(「私の祖国はグローバルな市民社会です」、なーんて言うのはやはり青臭い?)

 「日本人の配偶者」ビザをとるには、その配偶者からの(法律の遵守や経済的な保証などを含む)「身元保証書」をつくってもらう必要がありました。「お願いです。どうか私の身元保証して下さい」と頼んだのですが、「フフフフ」というあの妻の不気味な笑いだけが不安です。
   (2001年4月)
--------------------
(注: 後で教えて頂いたが、元日本人が日本に行く際、「日本人の子として出生した者」としても長期滞在ビザが下りるようだ。在留資格「日本人の配偶者等」の中に日本人の子も含まれるとのこと。また、外国人登録(長期滞在)での指紋押捺はなくなったが、2007年から、入国時の外国人指紋登録がはじまった。これは2001年の同時多発テロを受け、2004年に米国が開始した制度で、その後世界中に広まったようだ。)

 国籍を変更することに躊躇がなかったと言えばうそになる。自分は「国」などの理屈にからみ取られて生きる人間ではない、と思っていたが、いざ日本国籍を離脱するかとなったときに抵抗があった。あの時の躊躇はいったい何だったのだろう、とこれからも考え続けていく必要はある。一歩踏み出したのは、日本人は米市民権取る人が少ないということを聞いてからだ。フィリピン人、中国人などは簡単に自国籍を捨て米市民権を取る。海外に出て華僑、華人として力強く生きる中国人を多く知っている。しかし、なぜか日本人では少ないという。それで決めた。ここで躊躇しては「人道」に反する。国籍とは結局、紙切れだという天の声?も聞こえた。

 米国で永住権(グリーンカード)を保持し、5年間滞在していれば、試験を受けて市民権が取れる。「米国の初代大統領はだれか」など比較的簡単な設問が多かったように思う。その後、面接もあった。サンフランシスコの移民局で係官1人による面接だった。案の定、「母国とアメリカが戦争になったらどうする?」という質問が来た。どちらの国に忠誠を尽くすのかをただす質問。これで徹底的に追及する係官もいると聞いた。「戦争は絶対ない。起こらないよう全力を尽くす」と答えた。係官はかすかに微笑んだように感じた。サンフランシスコでいつも付き合っている快活なアメリカ人という感じの若者。それ以上、追及はなかった。

 米国では年間約70万人が米市民権(米国籍)を取る(帰化する)。サンフランシスコの帰化宣誓式も大講堂で行われ、数千人が参加した。ターバンを巻いた人、アフリカの民族衣装を着ている人など、自分たちの文化を誇示する姿もあり感動した。ロビーには星条旗をあしらったコスチュームを着てはでに喜びを表すグループが居た。帰化セレモニーの象徴的シーンで、写真などでよく見た。しかし、多勢の中の1グループだけで、違和感があった。景気づけのパフォーマンスかと思うくらいだった。

 式典は要人の挨拶が続き、結構長引く。「アメリカ市民になることがいかにすばらしいか」と高ぶった論調が続くが、トイレに立つと、ロビーですれ違う人々はさほど感動しているようには見えない。「忙しいのに、早く終わってくれんかな」と苦虫をかみ殺したようなアジア系の顔を見て、そこで初めて帰化するこの国への愛着が沸いてきた。こんなに簡単に大量の異邦人を取り込んでしまうアメリカという国はやはりすごいな。

 国籍を変えるということに、理解不能、とんでもない、と反応をする人もいる。かつて幕末の志士など「脱藩者」は死罪に値したそうだ。坂本龍馬なども国越えまで必死に逃げたし、暗殺も土佐藩士犯人説が出るくらいだ。今では笑ってすまされる「藩」の価値観だが、国籍を変えることについても100年後にはそんな風に振り返られているだろう。昔の人はどんな考えをしていたのか ―それがよくわかる貴重な証言がウェブ上にたくさん残されている。

全記事リスト(分野別)


岡部ホームページ






全記事リスト(分野別)


岡部ホームページ

ブログ「岡部の海外情報」