公的な市民参加機関

 
ポートランド市役所

市民団体の「機関化」

 スティーブ・ジョンソン[ 1]は、アメリカの都市として街づくり、環境保護などの点で例外的に著しい成果を収めたオレゴン州ポートランド市を対象に過去40年にさかのぼって市民活動の内 容を分析し、新しい市民運動、したがってまた新しいソーシャルキャピタルの創出モデルが生れていると主張する。

 「ポートランドにおいて一九六〇年から記録された五〇〇のコミッション(commission)、理事会(board)、市民諮問委員会 (civic advisory committee)、実施委員会(task force)は市民的生活の欠かせない部分である。ポートランドの自転車運動の事例研究で示された通り、挑戦的なグループは市民セクターから消える時もあ る。しかしそれは、目的を達成できなかったり受け入れられなかったからではなく、まさに成功したから消えた。非営利・非私有の団体の浮沈だけを対象にした 調査は、こうした機関化(institutionalization)プロセスを見落としている。そして、団体がひとつ減少することを市民インフラの衰退 ととらえてしまう。しかし、ポートランドの新しい交通政策を積極的に機関化していった団体「自転車ロビー」は、自転車活動家たちが自転車道作業委員会の設 置に成功した時消えたのである。」[ 2]

 アメリカには、市民参加の機関としてこうした「コミッション、理事会、市民諮問委員会、実施委員会」がある。日本の「審議会」とは違って完全に公 開であり、それどころか会議の中で市民が自由に発言できる。関連部局の実質的な政策決定の場になっていることも多く、行政に大きな影響力を与えることがで きる(詳しくはここ)。 担当部局長の任免権まで行使できるコミッション、理事会もあり、その場合、そうした組織は部局の指導部・本体であって、部局の官僚機構はコミッションや理 事会の事務局の位置づけとなる。
 

ポートランド市議会で発言する市民。市議会の半分以上は市民の 発言。

自転車運動の先駆け

 ジョンソンは同書で、前述「自転車交通同 盟」(BTA)が生れる以前の自転車交通市民運動を詳論している。それによると自転車交通を推進する市民運動のはしりは一九七〇年に設立された自 転車ロビー(Bicycle Lobby)だった[ 3]。ポートランド州立大学の異端教授サム・オークランドが開始したもので、自転車ラリーなどのデモンストレーションを組織する他、市に向けた署名活動を 行い、バイクレーンや駐輪施設の建設、市バスへのバイク・ラック取り付けなどを求めた。州に対してもタバコ税や高速道路建設資金から自転車交通インフラ整 備に金を出すよう働きかけ、一九七一年には、州高速道路資金の一パーセントを歩行者及び自転車交通のインフラ整備に振り向ける法案(Bike Bill)を通している。州資金が自転車に回される全米最初の法律だった。


 同年さっそくポートランドで自転車専用路の計画が立案さる。BTAの記事の 最初で紹介したスプリングウォーター・コリドールである(しかし計画は、隣接する鉄道の権利との関係で膠着状態が続き、工事開始は三〇年近くもたった二〇 〇〇年)。同じく七一年の一一月には最初の自転車関連市民助言委員会「自転車路作業委員会」(Bicycle Path Task Force)が設置され、自転車ロビーのサム・オークランドその人が議長に任命されている。短期・長期の自転車交通インフラ計画を策定する課題をやりとげ た後、七三年にはより長期的な「市民自転車助言委員会」(Citizen's Bicycle Advisory Committee)が設置される。依然として自転車に対する無理解はあったもののオイルショックにも助けられ、次第に自転車専用路やバイクレーンの建設 が進む。七四年には市庁の中に「自転車コーディネイター」の職がおかれ、市の部局「自 転車プログラム」(Bicycle Program)が生れる。七八年には市民自転車助言委員会に代わる「ポートランド自転車歩行者委員会」(Portland Bicycle and Pedestrian Committee)が設置され、これが自転車行政への市民の意見を取り込む制度として位置づけ られる。同委員会は市民バイセクリストなど委員七名で構成され、月一回、第二月曜日の夜、市役所で公開の会議をもち、市民の意見を聞くとともに、市の自転 車行政について提言をとりまとめる。

 こうして市民参加の舞台が、市民助言委員会など半ば公的な代議的機関に以降する中で、最初の市民運動団体「自転車ロビー」は七五年の早期に姿を消 していた。しかしこの市民団体が消えたからと言ってソーシャル・キャピタルは減少したのか、そうではない、それに代わる半ば公的な市民参加機関での市民の 活動がむしろ活発化した、とジョンソンは主張しているのだ。特にこのような公的市民参加機関が一九六〇年から五〇〇にも及ぶほど増加する趨勢の中では、こ れを一つの新しいソーシャル・キャピタルづくりの形態として考慮しないわけにはいかない。
 
 

公的市民参加機関とアドボカシーNPO

 が、こうした半ば公的な市民参加機関だけでは、やはり事態打開に向けた歩みはのろい。ジョンソンは一九九〇年になった新しくできたアドボカシー NPO「自転車交通同盟」(BTA)の存在も高く評価する。

 「BTAは、長く継続した半ば公的な市民自転車歩行者委員会と市交通局の自転車プログラムの外側に新しい、独立した組織化の構造を提供した。また BTAの目標は単にバイク路をつくることよりも広く、一九九五年のインタビューにこたえてBTA創設者レックス・バークホールダーは次のように言ってい る。『私たちの努力の全体はライフスタイルに関している。子どもが学校に自転車で行く。店に自転車で行く。単に自転車レーンをつくるということではない。 よりよい生き方を築いていくということだ』」[ 4]

 一九七〇年にBTAが活動をはじめてから事態の進展は急速だった。五〇〇〇人の署名を集め、ポートランド都市圏の公営バス公社トライメットにバイク ラック(サイクリストがバスに乗り代える際、外部に自転車を取り付けて運べる装置)取り付けを求めた。九二年にトライメットはその全バス車輌にバ イクラックを付けることに同意した。次に市を東西に横切るウィラメット川にかかる橋の自転車交通の改善を求め、市の「橋アクセス調査」(一九九四年)を実 現させた。これにより一九九八年、ホー ソン橋に大幅な自転車交通改善工事がほどこされた。BTAはまた裁判闘争もたたかう。高速道路トラスト基金から自転車交通のためにまわされる一 パーセントの予算を充分使っていないとして、一九九一年、ポートランド市を訴え、市の自転車予算を健全化させた。

 BTAの主張は多くの反対も受けた。例えば保守派のボーグル市議は、車を止めて自転車にすれば全てが解決だと考えていると批判し、「保育所に子ど もを連れていかねばならない親や仕事の後、いろんな会議に出なければならない」ような「一般の市民」のことを考えていない、と発言したことが記録されてい る[ 5]。近隣組合との間にも微妙な意見の食い違いがあった。地域の住みやすさ、利便性を最大の関心事とする近隣組合は、車交通の騒音や渋滞の改善では同調し たが、「貴重な車道空間をさほど利用されていないと見るバイクレーンに取り上げてしまうこと」には強い反対があった。

 しかし、このような反対を押しのけ、若干の偏向を恐れず、自転車交通の促進を強力に主張する勢力は必要であり、確実に歴史の流れを速める。このア ドボカシーNPOの意義を認めた上で、その欠点を補う機能が半ば公的な市民参加機関にはあることをジョンソンは示している。

 「挑戦的なグループで最も成功した自転車交通同盟(BTA)は、一つの問題にだけ容赦なく圧力をかけてくる単一イッシュー型組織である。BTAの 歴史は、単一イッシュー関心団体がいかに生れ、自己を維持し、主流の市民文化を疎外せずにその目標を達成するかをもよく示している。その短い歴史が明らか にする通り、疑いなくその過程には激しい議論があったし、BTAのようなグループの頑固さはある人々を怒らせたことも確かだった。しかし、オープンで民主 的なコミュニティーの市民的プロセスに関与することにより、単独又は組織的に行動する人々が、市民生活の広範で多様な人々を巻き込む能力を示していったこ とも確かなのである。」[ 6]

 近年活発化したアドボカシー型の市民団体は、自己の狭い主張を続け、ソーシャルキャピタルをむしろ破壊しかねない存在だとの批判もある。しかし、 ジョンソンは、こうした運動団体と、多様な市民が意見を調整しあう市民助言委員会のような公的機構のコンビネーションが現代における新しいソーシャル・ キャピタル創出の一類型になっていると主張する。

 「」[ 7]
 
 

行政の柔軟な対応性

 再びパットナムに 帰るが、ポートランドの市民的活動の先進性を支えた要因として、彼が触れている行政対応の柔軟性の指摘も重要だと思われるのでここで触れておく。

 パットナムは、一方で、ポートランドの活動家たちの「運動するスキル、粘り強さ、影響力を与える範囲」を評価した上で、行政側の「対応し適応でき る進化する能力」を特に取り上げ評価している。「そのような市民のはたきかけは、普通なら彼らの職務や権限に対する挑戦、変革を起こすための妨害行為と見 て、批判者たちをののしり退けるところであるが、ポートランドの行政は適応と受け入れの文化を進化させた。市民たちが市民的スキルを研ぎ澄ませ、その見解 を騒々しく打ち出してきた時、行政は、多くの市民的提案を拒絶するのでなく、対応し学び取る文化を発展させた。この「呼びかけ・応答」から、市民による提 案と行政による対応のパターンが進化し、他の都市で変革を阻害し活動家を落胆させた強圧、麻痺、うっ血状態があまり生じなかった。」[ 8]

 慎重な言い回しで述べているのであるが、市民活動は闘争スキルを進歩させ、時に強引なまでに主張を繰り出してくるのだが、それを拒絶せず柔軟に対 応し、実効性ある制度づくりに受け入れていくという行政の柔軟性は特筆に価する。むろんこれも「卵とニワトリ」の関係で、ポートランドに活発な市民活動が あるから、このように行政が進化していったとも言えるが、参加型自治体の行政のあり方を目指す上で重要なポイントだ。ポートランドに限らずアメリカの行政 の中には市民活動出身者が多く雇用されることともここで付記しておきたいが、こうした行政の総合的なあり方から、次のような認識が生まれてくると理解した い。

 「(ポートランド市民は)市政府を信頼している。なぜなら彼ら自身が政府だからだ。ポートランド地域の政治は広範な参加に開かれている。」[ 9]
 
 
 
 

 1 - Steve Reed Johnson, The Transfor-mation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002.

 2 - Steve Reed Johnson, The Transfor-mation of Civic Institutions and Practices in Portland, Oregon: 1960-1999, A dissertation submitted in partial fulfillment of the requirement for the degree of doctor of philosophy in Urban Studies, Portland State University, 2002, p.308.

 3 - 以下、pp.224-253参照。

 4 - p.244.

 5 - p.244.

 6 - pp.252-253.

 7 - p.303.

 8 - p.249.

 9 - Carl Abbott. Greater Portland: Urban Life and Landscape in the Pacific Northwest. Metropolitan Portraits. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2001, pp.81-82.




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