北米に移り住む日本人

(岡部、『思想の科学』1981年1月)

この間ロスアンゼルスに行った時、リトル東京で「フリーウェイ」という、ミニコミを見つけた。日本語で書かれた手書き1ページの「新聞」は、日本語の本屋さんの片すみにちょこんと置いてあった。その時ぼくらは、サンフランシスコの「のびる会」という新渡米者世話団体から、リトル東京で再開発反対運動をやっている人たちをたずねに行っていた。リトル東京にもいろいろ三世たちのつくった住民連動のグループがあるが、ほくらと同じような、(戦後)日本から来て日本語を母国語とする人たちの組織したグループはまだ聞いたことがなかったので、ぼくらはそのミニコミをとてもめずらしく思って大切に持ち返って来た。

「フリーウェイ」は見たところ、日本からの英語学校留学生や「生活旅行者」の人たちのミニコミといったものらしい。さっそく手紙を書いて大量にバックナンバーを送ってもらったが、それによると1978年9月から月3回ずつ、すでに50号以上を出してきている。79年11月にはそれまでの号をまとめて”The Freeway”という小冊子を出している。

アメリカ西海岸は日本では「若者の天国」という感じで軽薄に宣伝され、たくさんの若者が希望と夢をいだいてこの地に来るが、来てみればきびしい現実に直面してなやむ人たちが多い。この「フリーウェイ」にはそうした、現実にこの西海岸社会にめんとむかった人たちの体験が様ざまにつづられている。そういう人たちの間で情報交流の場ともなっているようだ。

それからまた最近、ある日本の雑誌を読んでいたら、オーストリアはウィーンで「おージャパン」という日本語のミニコミが出ていると紹介されていた。やはりウィーンに長期に滞在している人たちの間のミニコミで、たとえばオーストリアの反原発運動などにもある程度か関わっていて、そのレポートなどをのせる他、日本から反原発活動家などが来た時、そのミニコミを出しているグループの人たちの所にお世話になるということだ(『技術と人間』1980年4月号、p.104)。

けっこう今、日本人は世界のいろんな所にもぐりこんで行って、そこでささやかにグループや運動をつくったり、ミニコミをつくったりしているらしい。むろんここでは経済進出で出ていく駐在員さんたちの社会のことを言っているのではない。何と言ったらいいか、それほど固い目的があるのでなく、どっちかというと半分放浪的な旅でやってきてそこに居ついてしまい……とにかく何か新しい世界、別な世界に生きたいと思い出た人たち、世代的には戦後のベビーブームのど真ん中であぶれたり、またそれとどういうわけかおんなじ世代だけれども「学生ウンドー」にめざめてしまい、その結果日本で生きることに愛想をつかしたり疲れてしまったりした人、そしてそれよりさらに若い二十代の人たち、そういう人たちが今けっこう世界のあちこち、目立たない所でポチンポチンとささやかな拠点づくりをしているんじゃないか。ぼくは今そんな愉快な予感がしてきてこの文を書きはじめた。

この文の載る雑誌は、きっとそういう人たちに一番届きやすい媒体だろう(と思う)から、ここに書くことによって、地球のスミズミに分散して何かやつている人たちの息吹や運動を探し出したい。ぼくらのこともあなたに知らせたいし、ぼくらもあなた方のことが知りたい ―そう思って今この文を書いている。

世界地図を広げてみて、そういうグループが一番居そうな所はやっぱりアメリカ西海岸なんではないか、という気がする。ヨーロッパにもけっこう居そうだけど、ヨーロッパは意外に「そこに居つく」というのは難しい所なんじゃないか。つまり移民の国で、日系移民もずいぶん行っている南北アメリカは住みつくのに他と比べて比較的やさしそうだ。とりわけ北米西海岸は日本にも近いし、「ポパイ」などを見るに、あたかもかつてぼくら地方の青年に「トーキョー」へのあこがれをやんややんやとつのらせたとおんなじ感じ、いやそれ以上にセンセーショナルに喧伝してくれているから「若年流入層人口」は最も高まる所かも知れない。

そういうことで北米西海岸にみる諸グループを簡単に整理してみると次のようになる。

×まずロスアンゼルス。ここには前記の「フリーウェイ」という、ミーコミがある(住所The Freeway Office, 1417 So. Atlantic Blvd. #5, Alhambra, CA 91803)。

×それからカナダのバンクーバーには「新移住者の会」というものがあって、日系新移住者のための互助活動をやっている。月刊で「新移住者の会・会報」を出している(Japanese Immigrants’ Association, P. O. Box 69012, Station K, Vancouver, B. C., V5K, 4W3, Canada. Tel. 324-1254)。またバンクーバーには「まつりの会」という日本から移住してきた女性の会があって、女が自立するため、様々な活動を行なう他、「まつり」という月刊ミニコミを出している(Matsurino-kai, 1458 E. 15th Ave., Vancouver, B.C., Canada)。

×サンフランシスコには「新渡米者の会・のびる会」というものがあって、新移住者の互助活動・文化・社会的活動の他・雑誌『風車』と月報『歯車』を出している(Nobiru-kai, 1858 Sutter St., San Francisco, CA94105, U.S.A., Tel: 415-922-2033)。またこの「のびる会」気付で「移民研究会」というグループがあり、日本人を中心としながらも、他のアジア系人・白人なども含めて研究活動をやっている。

他にもまだたくさんあるかも知れないが、一応簡単に目に入ってくるのは以上のような所だ。

そしてぼくは、何を隠そうこの中のサンフランシスコの「のびる会」の中の人間だ。もう4年もかかわらせていただいたことになるが、その中で私の理解しえた限りでのこの「のびる会」をこれから紹介していきたいと思う。日本から出てきた人が外国でいろんな活動をはじめるといっても、やはりその土地の様ざまな社会的歴史的条件の中で、それに影響されつつはじめることになるので、そのバックグラウンドも少しつっこんで説明しておきたい。

【のぴる会とは】

のびる会は日本から新しく移住してきた人たちの会で、1973年、日系三世たちのつくったJCS(日系社会奉仕会)というセツルメント活動団体の中に生まれ、翌年、独自の新渡米者の組織として発足した。この場合「新渡米者」とは、「戦後日本から移住してきた日本語を話す層」というかなり広い規定で使っている。

意外とみんな知らないけれど、アメリカには日系一世・二世・三世の他に戦後移住していった日本人もずいぶん居るのだ。統計を見ると戦後の日本からの移民(1945年~1978年)は、2位ブラジルの6万7000人を大きく引きはなし、アメリカ11万8000人がトップに来ている(外務省『わが外交の近況』昭和54年版より)。現在でも毎年2000人から3000人の日本人がアメリカに移住している。アメリカは現在でも何人かの日本人にとっては”よその国”なのではなく、これから一生生きていく自分の国・社会として存在しているのだ。

「のびる会」はこうしたか新一世層を対象にした”新一世”による生活世話奉仕(ソーシャルサービス)団体である。新渡米者は言語・文化の違いから様ざまな困難に直面するが、それを助けながら、またおたがいに助けあいながら、力強く「のぴて」いこうということで「のぴる会」という名前になった。(後日注:後に指摘されてこれは間違いとわかった。創設者たちによると、いろいろ緊張のある日常から出て「のびのびできる場をもとう」ということで「のびる会」になったという。)

世話活動に参加する人々はすべてボランティア、活動資金は寄付の他、四季折々「日本町」(サンフランシスコの日本人街をこう呼ぶ)で開かれるお祭りで屋台を出し、照り焼きチキンなどを売ってかせぎ出す。こんなボランティアの「人だすけ」運動など、ふつうの日本人が聞くと「宗教団体か」と間違われるかも知れない。事実「のびる会」という名前が宗教チックだということでキリスト教か何かの慈善団体だと感違いする人がたくさんいる。だからこういう活動の生まれてきた背景もちょっと言っておく必要があるかも知れない。

(以下略。その詳しいバージョンはここを参照のこと。)