アドリア海沿岸を南下する

12月2日、朝早くドゥブロブニクを出てモンテネグロのポドゴリッツァに向かう。バス6時間、240クーナ(3500円)。

宿を出るとき、薄暗い空に雲がまったくないのを確認した。一昨日もこんな快晴で、きょうも快晴。その間の昨日、ドゥブロブニク見学の日だけ曇天だった。何の因果か。天気まで良いとあまりにこの街が気に入って住み着く危険性があるとみた神様の采配だろう、と考えることにした。

宿の家族を起こして悪いな、と思いながら戸をたたくと、おっとり型の息子さんがすぐ起きてきた。確実にカギを返せた。こういう細かい宿の仕切りを任されているのが彼らしい。感じのいい家族だった。普段は宿予約サイトにコメントは書かないが、今回は書いてやろうと思う。私以外に客がおらず、私には快適な滞在だったが、宿側は赤字で大変だろう。

再び地中海(アドリア海)を右に見ての南下。快晴の下、相変わらず、写真を撮り続ける。前から差してくる光線をかわし、焦点を外に絞り、窓の汚れや反射像を避け、できるだけバスが速度を落とした時に、など写真撮りが難しい。

モンテネグロの国境検問を通った

シェンゲン協定国のスロベニアからクロアチアに入るときは、出国、入国でいちいちバスを降りたが、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの間、そしてモンテネグロへの入国は、バスの中に座っているだけでよかった。係官がパスポートを集めに来て事務所でチェックし、その後バスの乗客に返しに来る。検問は出国と入国の2カ所だが、出国検問でバス側に返却されたパスポートをドライバーがそのまま持ち、モンテネグロ側入国検問に渡すようだ。全部終わってから、乗客一人一人に返却される。

バスの前方に座っていた乗客が配り役を命じられ、慣れない手つきで、顔を見ながらパスポートを渡してまわる。こっちはずっと座ったままなので楽だ。

世界遺産の街が続く

リアス式の湾(フィヨルドともされる)が深く入り込むコトルでかなりの乗客が下りた。中世に長くベネチア共和国領で、ベネチアの城壁などが残り、世界遺産に登録されている。コトル湾はアドリア海で最も深く内陸に入り込んだ湾で、しかも複雑な形状なので、そこを海岸沿いにうねうね走るバスは時間がかかる。静まり返った湾の水面が美しかった。

コトルの街の教会がベネチア・サンマルコ広場の時計塔と同じ形だった。バークレーの大学時計塔はサンマルコをモデルにしているのでなじみがある。ベネチア共和国(726~1797年)は単に一つの自治都市というより、アドリア海沿岸全域に支配を伸ばした「帝国」的存在だったらしい。

次いで、アドリア海沿岸で最も古い都市(紀元前5世紀成立)と言われるブドヴァを通る。これも世界遺産。アドリア海沿岸は、海と南欧風の住宅、城壁都市などが美しく、世界遺産の目白押しだ。(いちいち言わなかったが、スプリトもドゥブロブニクももちろん世界遺産だ。)

バルカン半島南部のモンテネグロなどに行ったら、どんな辺境になるのか、と思っていたが、そうでもない。ブドヴァは地中海の一大観光拠点でヨーロッパ中から年間何十万という観光客が訪れる。国外の金持ちが多く住むことでも知られ、『モンテネグロのクウェート』と呼ばれるともいう。

驚いたことに、モンテネグロまで来てまたユーロ圏に戻ってしまった。クロアチアはまだユーロ圏移行が認められていないというのに。

さらば、ドゥブロブニク。
アドリア海沿岸を走るハイウェイ。もうすぐモンテネグロとの国境。
国境を超えると深く内陸に入り込んだコトル湾が姿を現す。静かな水面が神秘的だ。「ヨーロッパ最南部のフィヨルド」ともされる。
コトル湾の奥に世界遺産の街コトルがある。 ベネチアの影響が強かった地域。
湾を出て山を越えると有名リゾート地のブドゥバがある(右手奥の白い街)。その南西5キロに赤い瓦屋根が密集する小島スベティ・ステファンがある(左手。江の島のように現在は狭い地峡で陸続きになっている )。かつては独立自尊の集落に数百人の住民が暮らしていたが、人口減と共産主義時代の政府方針で退去させられ、観光開発された。アドリア海沿岸でも最高級のリゾート地となり、映画スターなど、多くの有名人がここを訪れる。2014年にテニスチャンピオンのジョコビッチらもここで結婚式を行なっている。