変貌するサンフランシスコ・ミッションベイ、SOMA地区

全米から人材がサンフランシスコに

私がミッションベイ再開発地域(サンフランシスコ東岸)の見学に出かける前の晩(5月18日)、この付近で一人の女性が車にはねられて死亡した。ロビサ・スバリングソンさん(29歳)。気候変動に対処するソフトを開発するパッチという会社に勤めるソフトウェア・エンジニアだった。サンフランシスコ、特に中心街マーケット通りの南からミッションベイ地区にかけては大規模な再開発が進み、高層ビルが次々に立ち、IT企業が続々と入居してきている。優秀なソフトウェア技術者たちが全米から集まってきて、サンフランシスコの自由な空気の中で青春時代のチャレンジに情熱を傾ける。そんな若者たちの一人の夢が、ここで不幸にもついえた。マーケット通りに近いポーク通りを歩いていて、車の衝突事故に巻き込まれて亡くなった。いっしょに居た恋人のダニー・ラモスさん(30歳)も瀕死の重傷で入院している。

彼女が働いていたパッチという会社は、企業の二酸化炭素削減やオフセット(他の環境投資による排出の埋め合わせ)を支援するソフトを開発する会社。昨年できたばかりのスタートアップで、社員11名の顔ぶれを見ると皆若い人たちばかりだ。その中にスバリングソンさんの顔もまだ見られる。同社は、事故現場近くのアパート一室を借りて事業をしている。成長すればミッションベイ周辺の大きめのオフィスに移っていくのだろう。今年2月には、シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィツから支援を受けた。このベンチャーキャピタルも、他の多くのバレー同業者同様、サンフランシスコに事務所を出したばかりだ。もちろん、ミッションベイ地区近く、広義の「マーケット通りの南」地域だ。

重傷を負った恋人のラモスさんは、同じく「マーケット通りの南」のIT企業ニュー・レリックの技術者。こちらは10年以上前に設立されており(10年たてば古株)、従業員2000人を越す中堅企業だ。スバリングソンさんとラモスさんは、デンバーのソフトウェア学校で知り合い、夢の抱いてサンフランシスコにやってきていた。

マーケット通りの南に拡大するサンフランシスコ中心街

サンフランシスコの真ん中にはマーケット通りという大通りが北東ー南西方向に走っている。写真中央に見える通りだ(ツインピークスからの眺望)。これは2021年3月の写真だが、明らかにマーケット通りの南(右)側の方がビルが建てこみ都市化が進んでいるように見える。しかし、15年前の2006年の下記写真を見ると、同通りの北(左)側の方が都市化し、南(右)はさほどでない。ここ15年でいかに南側が発展してきたかわかる。
2006年のほぼ同じ場所からのサンフランシスコ中心街の写真。中央、マーケット通りの北(左)側の方がビルが建てこんでいる。写真:Christian Mehlführer, Wikipedia Commons (CC BY 2.5)
サンフランシスコを東(サンフランシスコ湾)上空から見た航空写真。中央右寄り、人口掘り込み湾のように見えるミッション・クリーク付近がミッションベイ地区。2015年10月の写真なので、まだほとんど新しい建物は立っていない。右端にサンフランシスコ中心部の高層ビル街。そこから出ているベイブリッジも見える。半島の突端や金門橋は写真の右で見えない。遠方の海は太平洋。左手にはサンブルーノの丘が見える。そのさらに左(南)のサンフランシスコ国際空港は見えない。写真:Alfred Twu, Wikipedia Commons, Public Domain
マーケット通りの南側(大きくSouth of Market=SOMA地域と呼ばれる)が今、急速に変貌し高層化を遂げている。広義のSOMAの中に狭義のSOMA地区その他があり、特に現在、ミッション・クリーク周辺のミッションベイ地区の再開発が活発だ。

ミッションベイ地区再開発の現況を伝える不動産会社Saba Shoaeioskoueiのビデオ

新しい街ができつつある

空港(サンフランシスコ空港)の方から市内を目指しサイクリングをしていた時、ハンターズポイントやベイビューなど貧しい荒れた地域が続く後に、突然真新しい都会が現れてびっくりしたことがある。

どこの街だ。

見慣れたサンフランシスコではない。まだ行ったことのない新しい街が突然広がりだした。ミッションベイの再開発地帯。1990年代に私がサンフランシスコに住んでた頃、この「マーケット通りの南」奧の地域は、空き地と倉庫があるだけで、まず人の寄り付かぬところだった。それが明らかに変わり始めている。まるでサンフランシスコ副都心のようではないか。

それでこの地域に関心をもち、よく訪れるようになった。

どこの街だ。コロナ禍の、しかも日曜の朝の風景なので人出は少ないが、しゃれた街並みのこのミッションベイがサンフランシスコ市内だと言われても、ピンとこない。長くサンフランシスコに住む人でも、いきなりこの場所に連れて来られたら、どこだかわからないだろう。
サンフランシスコの南東部には、必ずしも裕福でない地域が続く。そこの三番街に沿って市営の路面電車(メトロ)が走っている。
所によってはこんな荒れた地域もある。再開発途上のためでもあるが、もともとは工場や倉庫が多い地域だった。
それが突如としてこんな「都会」になる。ここはどこ?私は誰? 街に見覚えがない。サンフランシスコではないどこか別の街に連れてこられたような感じだ。しかし、確かに先ほどまでの三番街路面電車(T線)がこの街も貫通している。さっきよりずっとしゃれた「ライトレール」に見える。
同上。
これまでの見慣れたサンフランシスコの中心街マーケット通り。その北東部には昔から高層ビルが立ち並び「マンハッタニゼーション」が進んでいた。
その「マーケット通りの南側」(SOMA)も、最近都市化が進み、このような高層ビルが林立するようになった。昔ながらの低層倉庫街的な一角から北方を見ている。
同上。至る所工事中で再開発が進む。中心の高いビルがサンフランシスコ最高層のセールスフォース・タワー(326 m)。
マーケット通りの南地域には高速道路が入り込む。景観を損ね、街を分断している。これを撤去しての再開発案もある。
シリコンバレー方面からやってくる鉄道カルトレインの終着駅もミッショベイ地区内にある。
海岸部(湾岸部)には、昔ならの港、倉庫施設などが少し残る。
ミッションベイ湾岸から北方を望む。遠方にベイブリッジが見える。この区画では現在、公園を建設中。
ミッションベイ地区とミッション・クリークをはさんだ対岸(の湾岸部)に大リーグ・ジャイアンツの本拠地球場オラクル・パークがつくられた。2019年8月撮影。
ミッション・クリーク。ツインピークなどサンフランシスコ中央部の丘陵地帯から東部湾岸に流れ出る小河川だが、現在ではほとんど暗渠化され、この河口部のみが地表に出ている。川というより海から掘り進められた運河の風情。両側に高級アパートが立ち、河口部に古くからの鉄橋と野球場オラクル・パークが見える。
クリーク上に20軒ほどの水上住宅がある。
クリーク周辺に公園やアパート群の建設が進む。
ミッションベイ再開発地域の約3分の1をカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF、医学専門)が占める。このキャンパスをミッションベイに持ってくることで再開発が大きく動き出した。
あまり大学キャンパスらしからぬ企業オフィスのようなビルが続く。生物医学研究で先端を走るUCSFに引き付けられバイオテク関係の企業が多く入ってくることが期待されている。サンフランシスコ市南隣の南サンフランシスコ市湾岸にバイオテク企業集積地があり、そことの連携も期待される。ミッションベイ地区からはメトロ(路面電車、一部地下鉄)のN線が、サンフランシスコ中心街を経て西端の太平洋岸まで伸びている。筆者らも以前この沿線上に住んでいたが、UCSFの旧キャンパスもこの沿線上にあり、両キャンパスを結びつける格好の動線になると見た。
しかし、実際は、バイオテク企業よりも、周辺で活性化しているIT企業が陸続と入居しているようだ。写真は今年3月にオープンしたウーバーの本社。オンラインストーレッジのドロップボックス、ウーバーのライバル、リフトなどもこのミッションベイ地区に本社を置く。周辺の狭義のSOMA地区まで含めると、市内最高層ビルをもつクラウド事業のセールスフォースをはじめ、ソーシャルメディアのツイッター、宿泊照会・予約のAirbnb、お店口コミサイトのイェルプ、Ai英文校正のグラマリー、画像収集サイトのピンタレスト、IT文化誌ワイアードなど、さらに多くの有力事業体が本拠を構えている。確かに、グーグル、アップル、フェイスブックなどGAFAレベルの巨大企業は南方のシリコンバレー地域にあるが、サンフランシスコのこの地域は育ち盛りの有望企業が集中する。
ミッションベイ地区の外側になるが、Airbnbの本社。外見は控えめで看板さえ出ていない。しかし住所から判断して本社ビルに間違いない。この周辺の成長期IT企業はこうした質素な(あるいは少なくとも外見上は粗末と言っていい)ビルに入っていることが多い。
サンフランシスコは、活気ある都市文化に惹かれ人材が集まる。このため、シリコンバレーのIT企業もここに事務所を拡大している。例えば写真はアドビ社のサンフランシスコ事務所。画像編集ソフトのPhotoshopやPDFファイルなどで知られる同社(本社はシリコンバレー内のサンノゼ市)は、10年以上前からミッションベイ地区すぐ外側にサンフランシスコ事務所をかまえた。写真は2019年に別途新しく加わった事務所ビル。同社はサンフランシスコでも約2000人のスタッフをかかえる。サンノゼの本社ビルもサンフランシスコ事務所もともにカルトレイン駅に近く、相互の行き来にはよいと思われる。(実は、シリコンバレーの人材の多くもサンフランシスコに住みたがり、グーグル、フェイスブックをはじめバレー企業の多くが、サンフランシスコからの専用の通勤バス・サービスを提供している。ハイテク高給取りが住むことで家賃が上がるため、こうした専用バスにサンフランシスコ地元からの反発がある。)
米プロ・バスケットボールの強豪ゴールデンステート・ウォリアーズの本拠地チェイス・センター。2019年9月、ミッションベイの中心部、ウーバー本社の後側に完成した。というより、ウーバー本社がこの巨大多目的アリーナの後につくられたと言うべきか。JPモルガン・チェースがネーミングライツを取得した。これで、ミッションベイ地区周辺には野球場オラクル・パークとともに二つの巨大スポーツ施設ができたことになる。サンフランシスコ公共交通のほとんどが北のマーケット通りに収束するのに対し、このミッションベイ地区は必ずしも交通の便がよくない。チェイス・センター近くに大きめのメトロ駅がつくられた他、試合やイベントがある際は、市営バスを無料にしたり、特別便を出したりして交通緩和をはかっている。フェリー会社も対岸から近くの波止場へ特別便を出すような対応を計画している。現在の三番街を通るメトロをミッションベイ付近から地下鉄化し、市中心部、チャイナタウン、将来的にはフィッシャーマンズオウォーフなどまでをつなげる工事(Central Subway Project)が最終段階に入っている。

何がなんだかわからない多様性

ミッションベイ地区の再開発を見て、まず感じるのは、基本的なコンセプトがはっきりしない、ということだ。大都会的な一角もあると思えば、高級アパート街もあり、一定の低家賃住宅も確保されてもいる(正式計画書によれば、3,440戸のアパートを建設するうち、1,100戸が「極低・低・平均所得者用」の住宅)。医学校のキャンパスが広大な面積を占めると思えば、それに連携してバイオテク関連企業の立地が期待され、しかし実際にはIT関係の企業がどんどん入り、大企業の本社もあれば駆け出し小企業も入る。その上、巨大なスポーツ・イベント施設が2つも立ち、しかし、クリークの環境が保全され、水辺の公園も一定程度確保され、、、いったいこれは何なんだ、プランナーは何を目指したのか、わけがわからない、という印象を受ける。

サザン・パシフィク鉄道会社が、鉄道車両基地のビジネス型開発を目指す当初計画から40年。今でも継続中の事業だ。事業遂行の困難さがうかがわれる。シリコンバレー地域周辺の大都市として求められるニーズに大きなものがあり、しかし、同時にリベラル都市サンフランシスコの名に恥じない強力な(時に極端な)開発反対運動があり、Willie Brown市長(1996 – 2004)など強力なリーダーシップで動く政治的プロジェクトの側面があり、低家賃住宅も確保しないことには合意などあり得ず、(ビジネスでなく、比較的イメージのよい)大学キャンパスの誘致というウルトラCで初めてプロジェクト発進が可能となり、、、、などなど、多くの政治勢力の台頭とその対立・妥協の産物としてこの再開発が進められてきた。

その結果、何がなんだかわからなくなった開発事業だ。しかし、結果としてそういう多様性が構造的に組み込まれた。もともと都市というのは、多くの勢力が多様にからみあい妥協の産物として生まれる複雑系の環境だ。だからこそ内部に活力とエネルギーを秘める。単一の目的でつくられた人工都市など退屈で、すぐ古くなる。あらゆる可能性を秘めた複雑性が、変化に対応して成長する力強さの源泉であり、都市の都市たる所以なのだ。