新著2冊、「都市型シリコンバレー」への変動など

このほど下記の新著2冊を出版しました。

1,『サンフランシスコ圏:「郊外型」から「都市型」シリコンバレーへ
(電子書籍版と印刷書籍版)

2.『自転車で行くSFベイエリア
(電子書籍版のみ)

アマゾンの電子本出版(KDP)は、印刷版(ペーパーバック版)も出版可能になったので、1について印刷本もつくってみました。第三者オンデマンド出版を通すより割安になるようです。ISDN番号も付きます。

海外アマゾン・サイトからも同様に入手可。Kazuaki Okabeで検索のこと。

海外のアマゾン・アカウントで日本アマゾン・サイトから購入する際にいろいろ問題があるようだが、私のアマゾン電子本は海外すべてのアマゾン・サイトから入手可能の設定にしているので、問題なく入手できるはず。名前の他、商品識別番号ASIN(上記新著の場合、B09TB2VMXG、B09T996JS4)で検索してもよい。書籍詳細ページは、この番号に基づき、例えばアメリカのアマゾン・サイト(amazon.com)なら、https://www.amazon.com/dp/B09TB2VMXG/https://www.amazon.com/dp/B09T996JS4/にある。)

「都市型シリコンバレー」

新著1は、現地観察を踏まえて、シリコンバレーが都市型に移行しつつある現状を分析したもの。具体的には、活発な起業活動がシリコンバレーからサンフランシスコに移行していること(シリコンバレーは、中心都市サンフランシスコとは別の郊外地域)。この点を中心にしながら、さらに、IT経済で加熱する同都市圏が「メガリージョン」に拡大しつつあること、米国社会多民族化に伴い郊外もマイノリティ地域化しきていること(例えばシリコンバレーもアジア系が最多集団)など、同地域動向の全体的紹介を試みた。

多様性ある自由な都市空間にこそクリエイティブな人材が集まり、活力あるイノベーション経済が生まれる。リチャード・フロリダの言う通り、そうした構造が今日の世界で明確になってきた。専制主義と力による支配に拘泥する勢力はこうした方向からも追い詰められるだろう。

イノベーティブな経済を生む都市は同時に、徒歩や自転車、公共交通機関での移動可能な「コンパクトシティ」的でもある。そもそも都市とは何だったのか。都市の今後の進むべき方向も追求した。

もう一つはサイクリング紀行本

新著2は、書名通り、サンフランシスコ・ベイエリア(湾岸都市圏)を自転車で紀行した記録。アメリカでサイクリングするとどうなるか、自動車社会の中で自転車走行がどのように位置づけられているか。サンフランシスコ都市圏を自転車で見て歩いた解説本、あるいは旅行記・観光ガイドとして見てもいいでしょう。実際にこの地をサイクリングするための指南書にもなれば幸いです。

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前述の通り、この電子版をアマゾンにアップロードしたちょうどその日、ロシアのウクライナ侵攻がはじまった。何という因果か、衝撃を受けた。核戦争も起こりかねないこのような危機に、私の書いていることは意味を持つのか。愕然として本の宣伝をする気が失せた。

が、個人が一時にやれることは限られている。課題を重く受け止めながらも、まずは順を追って、新著の宣伝させて頂くことにした。

 


参考:「坂本君への手紙」

(新著『サンフランシスコ圏:「郊外型」から「都市型」シリコンバレーへ』の後書きより)

本というのは自分で出すもんだ。そういう常識をつくりたい。著名出版社から出したい、などと思ってはいけない。いや、私も若いうちはそういう努力をした。でないと読まれないし、業績にならない。だが、今更どこかに業績を売り込む必要もなくなった。ひたすら重要と思うことを書き、売れるか否かを顧慮せず、真実のメッセージを世に出したい。そう思うようになったであろう同志諸君。そう、坂本(龍馬)君、新しい出版文化をつくろうじゃないか。ニッポンを洗濯するのだ。ウェブ上で一人で情報を世界に出すように、本も自分でつくり世に出す。それがこれから時代の常識だ。文化だ。

ということで、本書が、2015年以降、電子版単独本を含めた自主出版の11冊目になった。

申し訳ない。私には出版産業に素晴らしい友人がたくさんいる。まるで彼らを敵に回しているようじゃないか。もう君らの時代ではない、出版文化をひっくり返そう、と言っているようじゃないか。

いや出版に携わる素晴らしい友人たちこそ、そういう自立的精神を最も理解する人たちだ。自分たちの既得権を維持したい、などとこれっぽっちも思っていない。一番同志と呼べる人たちが彼らかも知れない。坂本君、やろうじゃないか。

気概はあるが、本を自分で出すのは、実のところ確かに大変な仕事だ。編集者の立場から助言を得たり適切にまとめる方向を示してもらったりされない。用語の統一やテニオハの間違い、あるいは若干の稚拙な表現の指摘などは、ソフトウェアがある程度やってくれるようになった。しかし、それでも一つの本に仕上げるのは大変だ。構成はどうするか、足りない論点はないか。印刷本にしていくなどとなると、本当に出版産業の人たちが作り上げてきたものにはものすごいものがある、と感嘆せざるを得ない。

それに日本ではまだ、出された本を自分の目でしっかり評価する文化がない。どこから出てるか、どんな雑誌に載ったかでしか評価しない。たぶん、できない。そういう中で自作本を出すのは不利になるだけだ。内容の自画自賛はしないが、自作本であるというだけで何分の1かの評価になるのは目に見えている。自主出版本、特に電子本はマンガやノウハウ本だと思われている。日本の図書館はISBNという本の背番号がついてなければ購入しない、という方針までとっている。

しかし、同志よ、そういう中だからこそがんばりがいがあるというものじゃないか。実は、真実のメッセージはこういうところから発せられていた、新しい文化は常に広大な野辺の一角から生まれている。それを示すため、君はこの困難な道に入った。私もそれに続く。新しい日本の文化を築こう、坂本君。
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