マルタは、将来の長期滞在候補地として「有望」。そういう印が点灯した。
風光明媚。気候がよい。英語圏である。ヨーロッパの一角である。物価が比較的安い。特に住み場所の料金が決定的要因になるのだが、今回私はbooking.comで個室1泊13ユーロ(1700円)の宿を見つけることができた(シャワー・トイレ・キッチン共同)。1カ月5万円で、ニューヨークで入っていた安宿(500ドル=6万円)より安い。物価は全体として値上がり傾向で、この宿も今後上がっていく可能性がある。しかし、少なくとも現段階では、住める可能性が高い。そして、暮らしてみたいと感じさせるもう一つの何かがマルタにはある。
今夏行ったフィリピン・セブも魅力的で、上記条件もかなり似ているだが、もう一歩の何かがなかった。マルタにはそれを感じた。
複合民族的な都市国家
マルタは複合民族的な都市国家だ。一般的な規模の国民国家と異なり、主要民族が存在しない。いや、存在するのだろうが、あまりその存在を感じない。マルタ語を話すマルタ人がいる。しかし、マルタ人とはどういう人だ。紀元前からフェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人が植民し、紀元後も、イスラム教徒のアラブ人、バイキングのノルマン人、ヨーロッパ全土から招集された騎士団、大英帝国イギリス人が進出してきた。もちろん近隣のイタリア人、シチリア人の影響も強い。そういう人たちが全部混合してできあがったのがマルタ人だ。最近では、海を挟んだ北アフリカからチュニジア人、リビア人、アルジェリア人、サハラ以南からの黒人も増え、英語を学ぼうとヨーロッパ中から学習者が訪れ、日本などアジアからも多数の若者が来る。同じく英語の得意な国民だからろうか、フィリピン人も多くここに来ているようだ。ここはそういう異なる人々が交わる多民族空間になってきている。マルタは小さな島国。国外から人が入ると、民族構成がすぐに変わる。
マルタ語はイタリア語や英語の借用語が多く、発音もイタリア語的だが、文法構造にはアラビア語の影響を多分に残し、セム語系に分類されている。EU加盟国の中で唯一インド・ヨーロッパ語系とは異なる言語だ。
交易と交流の要衝
地図でもわかる通り、マルタは地中海のほぼ真ん中に位置し、交易の要衝だった。当然軍事的にも重要で、ここを制したものが地中海を制した。1565年にマルタを防衛するマルタ騎士団とオスマン・トルコの激戦が行われ(マルタ包囲戦)、キリスト教世界はここでオスマン・トルコの進撃をからくも止めた。イギリスは、マルタを地中海支配の重要拠点とした(アレキサンドリア、ジブラルタルを含めて3大拠点)。だからマルタは後の独立後も英語圏として残っている。第二次大戦時には枢軸国と連合国がマルタで激しい攻防を繰り返し、最終的にイギリスがここを保持したことでイタリア侵攻が可能となった。
マルタは、アジアのシンガポール同様、都市国家がどうやれば生き延びれるのか、よく理解している。複合民族が自由に交差し、交易と交流の拠点となることで存在価値を得、発展していく。主要民族が民族主義をかかげて「我が国を発展させるぞ」と言って発展するのではない。単独もしくは排他的な発展が不可能だ。まったく異なるアプローチを取らざるを得ない。国民国家アイデンティティよりも、無国籍的なインターナショナルな空間での発展を展望する。住民の多様性をまさに基盤にしてその関係の上に発展を築く。
都市国家からの未来
通常の国民国家と異なっているが、それこそ未来国家だ。小規模な都市国家は、近代の民族国家の制限を越え、今後生まれ来るであろう多民族的な社会秩序を生み出している。未来を先取りした国、社会の在り方がここから生まれている。世界中の小国家、都市国家は、国民国家の次の秩序を目指し、萌芽させる存在だ。
だからなんだと思う。住みよい。無国籍的な空間。それが私の感性によく合う。英語を純粋の母語とするような人(おそらく英国系)は4%しかいない。しかし9割の人が英語を話す。私も下手な英語を使う。それで普通に生活できてしまう。相手も皆下手な英語だ。それで通じ合えればよい。実際通じる。人が皆、よそ者を見てもよそ者と思わない。皆がある程度よそ者だから。「俺がこの国の多数民族だ」とふんぞり返る人たちもいない。居るかも知れないが、その空気をあまり感じない。「おもてなし」もされない。人は、客に対して「おもてなし」をする。みんなが客で、客同士互いに付き合い、儲け合い、幸せになっていく。それでいんだ。そういう社会だ。気張らなくてよい。住み心地がよい。