コロナ禍のリモートワークで都市の時代は終わるか
現在、コロナ禍のリモート・ワーク拡大で、都市の時代が終わると言われている。感染を避けるため人は大都市を避ける。リモートワークができるので、もはや高家賃のサンフランシスコやシリコンバレーに住む必要はなくなった。テキサスやコロラドなど自然豊かな遠隔の地に移動してしまう。北カリフォルニアがデジタル革命の中心である時代は永遠に去る、という。
旧約聖書のモーゼによる「出エジプト」を大文字でExodus(原義「脱出」)という。メディアはこれと同じような「サンフランシスコ・エクソダス(脱出)」、「カリフォルニア・エクソダス」が起こると合唱している。
本当にそうなのか。私も、サンフランシスコの高家賃で郊外に追われた貧困者の一人だ。だからサンフランシスコから人が出て行って家賃も下がるなら大歓迎だ。嬉々として懐かしき憧れの都に戻りたい。そういう人は無数に居るように思える。そんな醒めた目で、メディアの「サンフランシスコ・エクソダス」言説を聞いていた。
「地理は死んだ」のか
通信の発達やリモートワークの台頭で、もはや人は1カ所に集まる必要はなくなる。つまり「地理は死んだ」というのが経済学理論の主流になっているそうだ。世界が益々「フラット」になり、経済活動はバーチャルな空間で行われようになるという。しかし、シリコンバレーなどクリエイティブな産業を生み出す地域を研究する都市論者リチャード・フロリダは、こうした見解を「これほどあてにならない神話もない」と排し、次のように言っていた。
「人間が依然、密に集住しているのみならず、経済自体 ―ハイ テク産業、知識集約産業、コンテンツ産業など経済成長の多くを担う産業― も、オースチン、シリコンバレーやニューヨーク、ハリウッドなど、特定の場所に集中し続けている。ロバート・パーク、ジェーン・ジェイコブスからウィルバー・トンプソンに至る、都市発展および地域発展の研究者たちは、クリエイティビティ、イノベ ーション、新産業の育て役として場所の役割を指摘してきた。さらに「場所の終焉」という予想は、端的に言っ て、私が聞き取り調査をした人々や統計分析の結果と一致しない。場所とコミュニティは、以前にも増して重要 な要因となっている。その大きな理由は、経済自体が、ケリーの示唆するように抽象的な「宇宙」にではなく、 人々が現実に集まって暮らす具体的な場所に形成されるから、というものである。」(リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』井口典夫訳、ダイヤモンド社、2008年、p.282)
あるいは、都市論の碩学ピーター・ポールも、大著『都市と文明 文化・技術革新・都市秩序』で、次のように言う。
「10年ほど前にフランセス・ケアンクロスが『距離の消滅 The Death of Distance』という本を書いた。通信の発展によって距離はなくなるか、世界のどこにいても同じように経済活動を行なうことができるようになるのではないか、というのがそこで提示された問題だった。しかし現実は必ずしもそうならなかった。通信というのは確かに人の移動に取って代わることもできるが、人の移動を推進することもあり得る。イギリスのS・グラハムとS・マーヴィンという二人の都市研究者が1996年に出版した『電子通信と都市 Telecommunications and the City』という本によれば、フランスにおける通信の伸びと個人の移動の伸びの二つの曲線が、電報ができた1830年ごろからデータがある1975年までの間、ほとんど平行している。日本でもアメリカでも、そして世界全体においても、この二つの曲線が平行しているということがわかるが、これは基本的にたいへん重要な所見だ。すなわち、携帯電話、eメール、そしてインターネットなどへのアクセスが多ければ多いほど個人の移動も増えていくということである。」(ピーター・ポール『都市と文明Ⅰ 文化・技術革新・都市秩序』佐々木雅幸監訳、藤原書店、2019年、p.6)
これらはいずれもコロナ禍がはじまる前の見解だ。現在、コロナ禍でリモート・ワークがさらに拡大する中で、状況は根本的に変わったのか。今度こそ本当に「地理の死」「距離の消滅」が現実のもになるのか。
映像で風景を見れば旅をしなくなるか
例えば旅。私たちはどこに出て行かなくとも、家の中で世界中の様々な土地を映像と音声で体験できる。ズーム会議のような不鮮明映像ではなく、大画面の非常に鮮明で、しかもプロのカメラマンたちが技を駆使した感動的な映像を見ることができる。こんな風景が地球上にあったのか、こんな街があったのか、このような素晴らしい音楽があったのか、と知る。
私たちはそれで満足し、終わりになるか。どこにも出ていかなくなるか。そんなことはない。実際にそこに行きたくなり、海外への観光客が激増する。音楽のコンサート、ライブに向かう人も同様に増える。
あらゆるバーチャルなメディアを通じて、私たちは異なる土地、諸外国の社会、文化、政治、経済の動きを細かに知ることができ、追体験することができる。一流の専門家による分析・解説まで付く。しかし、それでも、実際にその地に留学したり住んだりすることによって得られる情報は果てしなく大きい。「その場に立つ」ということの意味はかけがえない。言葉だってメディアでいくらでも勉強できるが、実際にその地に行って住むことによる効果には及ばない。通信技術の発達によって、私たちは遠隔にとどまることになるのではない。いや、一方でそれが可能になるが、同時に、広い世界の人々が新たな土地、活動、文化、産業を知り、魅惑され、それに向かってしまう。集積が激化する。
拡散と集中
おそらく拡散と集中は同時に起こっている。拡散するのか集中するのかどちらか一つと考えるのは単純な発想だ。ものごとは常に複合的過程として生成しており、常にその全体を見る必要がある。
リモートで多くの人がつながることによって、中心的な出会いの場が益々重要になる。リモートでこなせるような(敢えて言えばつまらない)仕事は次々にバーチャル世界で実行され、それとともに実際に人と会ってしかできない仕事・経験が限りなく貴重になる。場所をとらないデジタルな事業が増え、人々の間の会議さえデジタル空間で行えるようになると、それは確かに働く場を拡散するが、同時にビジネスにあまり場所をとらなくなり、益々高密度な都市空間に企業中枢が立地できるようにもなることも忘れてはならない。
定番モノの「サンフランシスコの終焉」説
地元紙サンフランシス・クロニクル文化欄担当ライターは、サンフランシスコ終焉説は昔からある定番モノと断じる(Peter Hartlaub, “Here’s a history lesson for all the people saying San Francisco is ‘over’,” San Francisco Chronicle, Jan. 26, 2021 )。
「サンフランシスコからのテック・エクソダス(IT産業の脱出)が騒々しく論じられる中、我々は東部発の追悼記事を読みながらなおこの地にサバイブし続けている」との皮肉ではじまるその記事は、まずは1850年代のゴールドラッシュ終焉時の「サンフランシスコの終わり」言説を紹介する。サンフランシスコは1848年のシエラネバダ山地帯での金鉱発見ではじまった街だ。ラッシュが1852年にピークを終えると、これでサンフランシスコも終わりだとされた。確かに多くが近隣地帯に去り農業を始めた。だが、実はそのときからサンフランシスコは本当の成長をはじめた。
1906年にはサンフランシスコ大震災が来る。街は灰燼に帰し、人々は我も我もと片道切符できるだけ遠くに去っていった。今度こそサンフランシスコは終わった…。はずだったが、2カ月後のサンフランシスコ・クロニクル紙記事は「最初の衝撃で慌てて街を去った人の多くが帰りの切符を求めている」との鉄道員取材記事を載せている。関東大震災や大空襲を経験した東京と同様、灰燼に帰したサンフランシスコも復活した。
第二次大戦の軍需特需でサンフランシスコは活況を呈する。インフラ整備が追い付かず、家賃が高騰し、そして戦争が終わり特需が消えると、やはりサンフランシスコは「終焉」を迎える…と言われたが、むろんここでも終わらなかった。むしろ戦後の好況の中でこの街はさらに発展した。
その後も何回となく終焉説は出た。例えば、1960年代に花咲いたヒッピー文化が同年代末に終焉したとき、あるいは映画「ダーティ・ハリー」に描かれたような殺人事件がサンフランシスコで増加した1970年代に(1977年には現在の3倍、142人が殺人の被害者となった)、あるいは2000年代初めのお馴染みドットコム・バブル崩壊で、そして、今またコロナ禍でサンフランシスコは「終焉」を迎えようとしている。
奥ゆかしい文化記者氏は特にコメントせず、これらの歴史を淡々と叙述して記事を終えている。
マスコミの仕事は、その番組、記事を見させ読ませてなんぼの世界だ。AIで人間の仕事がなくなるぞ、デジタル産業のメッカ、サンフランシスコが没落するぞ。え、そうなのか。にわかには信じられないが、とにかくはその記事を読んでしまう。私もフリーライターやブロガーとしてその手をよく使うのではないかと反省する。
あるいは、サンフランシスコ没落説を喧伝するのはニューヨーク・タイムズなど東部メディアであることが多いが、デジタルで興隆を極めるこの街が没落して欲しい、という潜在的な願いが、他の都市、地域にはあるかも知れない。辛口のガーディアン紙は、政治的な保守派もこのリベラル都市が没落すると思いたがっていると言う。「“没落の一歩手前のカリフォルニア”という言説は、これまでも右派がずっと唱えてきた。いかに多くの億万長者が「社会主義の絶望的社会」のこの州に住んでいようが、そう言われてきた」と喝破している(”Is San Francisco’s tech exodus real or a fantasy?” Guardian, September 12, 2020)
リモートワーク可能な職種、高家賃の大都市
「カリフォルニアは終りだ!」と甲高く叫ぶ米東部メディアの中で、次のニューヨークタイムズ記事は、イーストコースト新聞でありながら(^^)、冷静な、バランスのとれた分析をしている。Jed Kolko, Emily Badger and Quoctrung Bui, “How the Pandemic Did, and Didn’t, Change Where Americans Move,” New York Times, April 19, 2021。
まだ2020年国勢調査のデータが出そろっていない時点で、郵便局への住所変更届を中心に、クレジットカード会社の情報、引っ越し業者のデータ、不動産データなどを交えて人口動静を分析し、ほとんどの地域で、パンデミック以前の状況が継続しているだけであることを示した。つまり、諸々の経済要因で流出があるところは流出が続き、流入があるところは流入が続いているということだ。例外は、サンフランシスコとニューヨークなど「高家賃でリモートワーク可能な職種が多いところ」で、こういうところでは純流出が認められる、とした。
郵便局への住所変更届の分析によると、2020年は前年に比べて大都市で純転出が記録された。サンフランシスコ都市圏(2.8ポイント減)、ニューヨーク都市圏(1.7ポイント減)、サンノゼ都市圏(2.8ポイント減)、シアトル都市圏(1.3ポイント減)、ボストン都市圏(0.9ポイント減)などでの純流出があった。「サンフランシスコからの脱出」ばかりでなく、東部都市での同様の事態が進行していることにも着目しているところは誠実でよろしい。
確かにこうした知識産業都市では、リモートワークの広範な導入が可能だし実際活発になっている。家賃が高くて普段から困っていた人は、リモートワークの拡大に伴って郊外に出る傾向が強くなるだろう。
同記事は、通常は流入が多いこれらの都市に、流入が少なくなったことも大きな要因と指摘する。後に、国勢調査局の人口動静が発表されているが、それによると、2020年3月から2021年3月までに米国人の8%しか引っ越ししておらず(日本から見れば多い)、これは同局が1948年に同統計を取り始めてからの最低だった。つまり、人々はコロナ禍のためあまり動こうとしなかった。そうすると最も影響が出るのは、普段人口流入が多い上記都市のようなところだ。特にサンフランシスコは昔から若い人たちがこぞってやってくる街だった。流動性が高い若者の街は、全般的な流入減から特に大きな影響を受ける。
「サンフランシスコ脱出」、根拠なし
また、このニューヨーク・タイムズ記事は、サンフランシスコから流出した人の多くが、同都市圏内、遠くてもカリフォルニア州内に移動していることを賃貸市場データなどから明らかにしている。そして、次の結論を出す。
「これら全てを総合すると、大規模なコロナ禍による都市部からの脱出、あるいは特にカリフォルニアからの脱出は根拠がない。衰退している地域の再生を促すと期待されたリモートワークの恩恵なども証拠がない。」
さらに、それに加えて次のような結論を出しているが、控えめながら正鵠を得た予測だろう。
「コロナ禍は人口移動を逆転しなかったものの、パンデミック期の変化のいくつかは持続する。ニューヨークやサンフランシスコなどの都市周辺労働市場は拡大し、より外縁部の町々に届く。毎日通うのは無理でも、週1の通勤なら可能な衛星地域を含むようになる。」
大量辞職時代
コロナ禍によるリモート・ワークの増加は、都市の時代の終焉などではなく、まったく別の、予想外の結果をもたらしているように見える。いわゆる「大量辞職」(Great Resignation、あるいはBig Quit)時代の到来だ。コロナ下の不況で人々がどんどんクビになる…どころか労働者が次々に辞めてしまい、厳しい人手不足の時代が到来している。米労働統計局の集計によると2021年8月の離職者は427万人(雇用総数の2.9%)、9月436万人(3.0%)、10月416万人(2.8%)、11月450万人(3.0%)、12月434万人(2.9%)だった。11月の450万人は2000年に統計を取り始めて最高の辞職率という。
100人居る会社で毎月3人が辞めるという状況はどういうものか。単純計算すれば1年で36人が居なくなることになる(実際は、入ったばかりの人が辞めるなどしてこうはならないが)。コロナ禍や働き方の変化で、人々が人生や仕事を見つめ直す機会となっている。高齢の人は早く退職してしまうし、家庭を大切にしたいと迷っていた人もこの機に辞めてしまう。家から行える自営業に入る人も増える。コロナ禍の影響が出始めた2020年第3四半期に、自営業開始に必要となる雇用者登録番号(EIN)の取得申請がそれまでの約2倍、過去20年間最高の156万件に達し、2022年初頭でも月間40万件以上の高水準が続いている。
リモートワークの普及は、人々を都市から離れさせるより、「(会社で働く)ワークからリモート」にさせているかのようで、この面でこそ重要な変化が起こっている。