75歳引退?
イチローは75歳まで大リーグでプレーするという冗談を聞いた。確かに冗談だろう。イチローなら85歳で死ぬ1カ月前までプレーできる。「ピンピン・コロリ」理論からすれば、私たちは死ぬ直前までピンピンで現役を貫ける(最後に、まあ1カ月は身辺整理や遺言書きで必要だろう)。イチローならそれができる、と確信し、期待していた。
ところが彼は、事実上の引退とも取られかねない「会長付特別補佐」職を受け入れてしまった。これを何と言えばいいのか、まだ適切な言葉が絞りだせないでいる。「イチ、今年は首位打者だ」の希望的観測は外れてしまった。残念だし、「ご苦労様でした」ともまだ言えない。
結果がすべて
年齢を云々する周囲の雑音を一蹴すべく確実な結果を出さなければならない時だった。それが最初の1か月で2割5厘(.205)の打率だった。抗弁はできない。スポーツは結果がすべて。戦力外やマイナー落ちは止むを得なかった。あくまで「現役」にこだわるイチローはその掟をよく知っていたはずだ。マイナーで歯を食いしばってがんばり、再びメジャーに上がってくる。私の知っているイチローとはそういう人だったが、違った。私の知らないイチローが居たのか。「野球の研究者でいたい」「チームの力になれるなら何でもやりたい」という先に何か別の情熱・目標をもつイチローが居るのか。
もう少し続ければ結果が出ていたとは思う。イチローは昔から立ち上がりが遅い選手だ。去年までの17年間の月別打率を見ると4月が.297と最も低い。プレーし続ければ5月、6月と飛躍的に成績を伸ばしていった可能性はある。しかし、それを許してくれるほど、イチローの周囲はもはや甘くなかった。1カ月で結果が出なければ落ちる、そういう厳しい世界に生きることが「現役を続ける」ことの意味だとイチローも知っていたはずだ。立ち上がりが苦手ということも含め弱点の克服をするのが一流の務めだ。
自分のことを考えさせられた
イチローは私にとって、歳とっても頑張るベテランの星だった。しかし、このかん、居続けることへの批判をたくさん聞いた。それは私自身にも突き刺さった。「いつまでもやっていないで、いい加減、後進に道を譲るべきだ」。ピンピン・コロリ論に沿ってがんばっているのに、褒められずに、「身の引き際がわかっていない」と非難される。厳しい道だ、高齢者の生きる世界は。イチローのことを考えながら、実は私自身のことを考えていた。私も、いつまでも「一線で物書き」のねじり鉢巻きをしていないで、若い人に道を譲るべきか。後進を育てる? いや、私は12年間、大学教員をして、後進を育てる責務を充分果たしてきたのではないか…。
最良の位置に居る
イチローにとって不幸にも、彼の生きる野球という世界は集団競技だった。ベテランががんばっていると若い人の活躍の場が狭められる。しかし、私が今居るフリーライターの世界はそうではない。「結果」が数字で明確に表れない危うい世界ではあるが、勝手にブログを書いて電子本つくってがんばってもだれの迷惑にもならない。若い人の活躍の場を狭めない。ネット上のどこかで勝手に長らくがんばって、しかしそのうちいつの間にか消える。それでだれも文句は言わない。この立場は老いの生き方として理想的な位置かも知れない。権威も権力もない。組織に居付いて老害にもなっていない。もちろん依頼が来れば全力で仕事をするが、営業はしないし、雑誌社、出版社との関係を維持して迷惑を及ぼしてもいない。今居るこの立場はかなり理想的環境かも知れない。
マラソンでも、いろんな大会に勝手に出てがんばって、しかしそのうち走れなくなって勝手に消えていくのはいい。相撲だって大関経験力士ががんばり続け、勝てなくて幕下まで落ちて行っても、本人が苦しむだけで周りに何の迷惑もかけない。いや、バスケだってチームで県大会に出るとかいうのでなければ、勝手に公園バスケに来てじいちゃんの力を見せつけて、そのうち居なくなったところで何の問題もない。
私の「老後資産」
だが、年金をもらっているというのはどうか。私の場合、生活保護程度の年金だが、それでもこれは、若い人にはない「ベーシック・インカム」だ。私に金銭的資産はないが、貧乏で暮らせる、安く世界を旅できる、などの能力・ノウハウ、そして体力だけは一貫して鍛えてきた。それが私の「老後資産」だ。金銭的資産ではないが、それで人生的に豊かな生活ができるのだからやはり金銭的資産としても機能しているようにみえる。これら老後資産で私の生活が成り立っている。それを誇りとするが、しかし年金はどうか。高齢者ゆえの一種の「ハンディ」をもらっていると考えてくれよ、自分の積立分も入っているんだし、と言いたいが、しかし、若い人にはない特権であることは確かだ。ベーシック・インカムをもらいながら若い人と対等に勝負しているなどと思ってもらっては困る。私は年金を返納すべきか…。
悪夢から覚めると
だんだん思考が苦しくなってきたところで目が覚めた。寝汗をかき、苦しい悪夢を見ていたようだ。時は2019年6月。イチローは日本でのマリナーズ開幕試合出場後も絶好調で、現在4割台で首位打者を快走していた。