米国に帰る便が欠航
コロナ禍で米国に帰る便がキャンセル。未だに日本に据え置かれている。
今年は、年初から難しい年となった。年末に正月一時帰国をしたのだが、母が危篤になり、帰れなくなった。やがて残念ながら帰らぬ人となり、葬儀など一連の営みを終えてから、いざ帰ろうとすると今度はコロナ禍だ。
何とか3月26日、関空からハワイ経由のサンフランシスコ便を予約した。格安航空会社エアアジアでホノルルまで1万5000円、そこからサンフランシスコまで同じく米系航空会社キャンペーンで1万円。計2万5000円と最安のSF便だった。ところが、ちょうどこの3月26日からハワイ州で到着者全員2週間自宅隔離施策が始まり、エアアジア便はこの日から欠航になった。
あきらめた。このコロナ禍の中で、国際移動する方が間違っている。向こうに着いても無事自分のアパートまで行ける保証はない。たどり着けても、いずれにせよ家の中にこもる日々が続くだけだ。最初日本の方が危なかったが、あっと言う間にアメリカの方が悪化した。この大難の時期、日本で、家族とともに静かにしているのがいいのかも知れない。
常にほっつき歩っていないと気のすまない私としては、家にずっと居るのはつらい。気力がどんどん萎える。しかし、対コロナ戦争で、困難な前線で戦っておられる医療関係者の方々に敬意を表し、連帯のためにも、今はただひたすら家に留まることが私ら高齢者できる唯一の「協力」だ、と言い聞かせる。電車での旅行どころか市バス、地下鉄にも乗らず、駅周辺の商店街にも寄り付かず、ずっと自宅近くで待機。熱を上げているカラオケさえ行かなくなった(そのうち営業休止になった)。学校開放体育館でのバスケもない(やがて学校も休みになった)。市営スポーツセンターでの家族との卓球も封印(市営施設がすべて閉鎖された)。公園バスケも、一人玉入れならともかく、接近ディフェンスの1対1は「蜜」そのものなので禁じ手。
日本はアメリカやヨーロッパほど状況は厳しくない。それでも多くの人が自宅待機・外出制限で、こんなもんもんとした生活を余儀なくされていることだろう。
読書
困難な時期をどう過ごすか。まずは読書だ。家で静かに勉強する。戦前の共産主義者が、投獄されるたびに外国語を一つマスターした、という話を思い出した。家に閉じ込められるのも服役と同じようなものだ。新しい外国語は習う気はしないが、読書三昧で教養を高めるということならできるだろう。時節柄、まずは感染症の歴史とウイルス学の勉強か。
当初、市の図書館が(閉館ながら)ネット上で予約すれば読みたい本を取りに行って借りられるという体制を取っていた。これは平常でもやっているサービスで、市内どこの分館にある本でも、クリック一つで取り寄せられる。アマゾンなどで買うのと同じ感覚で、入手困難な本も読めるのがありがたかった。
だがこれも、緊急事態宣言の後サービス停止になった。図書館はまったく利用不可。そこで次はブックオフの100円本。今は、昔と違ってインターネットがあるので、ネット上の記事を検索しても相当の「読書」はできる。しかし、ずっと突っ込んだ究明をするにはやはり単行本を読みたい。それでブックオフだ。
そのうち、アメリカの電子図書館が使えるのを思い出した。アメリカの図書館も休館だが(そもそも日本からは行けない)、かの地の図書館は電子書籍も一定程度貸し出している。図書館利用カードがありさえすれば、地球のどこからでもネットを通じて電子書籍を借りられる。ウイルス関連の本は日本でも翻訳本が多いので、その「原著」をアメリカの電子図書館からある程度借りることができた。無料で読めてしまって申し訳ない。
体を鍛える
近隣散歩まで禁じるヨーロッパ諸国の外出禁止令は行き過ぎだろう。それではかえって病気にかかりやすくなってしまう。十分感染防止対策を取りながら近所を走ったりして体を鍛えるのは必要だ。アメリカの外出禁止令でもそれは認められている。
高齢者が簡単にコロナ感染しては医療崩壊を招く。気力・体力とも維持して、健康に暮らすことが我々高齢者の課題、社会貢献だ。
夜の9時か10時に、家付近をジョッギングする。幸い私の住む天白区(名古屋市東部)は、もともと人出が少ない。昼でも住宅街は閑散としている。夜なら道路にほとんど人がおらず、最近は車も少ない。歩道を走っても排気ガスをあまり吸わされず、時には車道さえ走れる。
近隣公園や天白川堤防を中心に走る。昼は散歩の人が居ても、夜はほぼゼロ。たまに、若いもんがスケボーをやっているのに出くわす。彼らも自宅待機ばかりじゃつらいだろう。ソーシャル・ディスタンシングだけには注意して、お互い夜の堤防でがんばろうじゃないか。
名古屋市内360度を見る公園
きょうは、カミさんと緑区の滝の水公園・滝の水緑地に行った。遠出はなしで、電車は使わず、家の周りで、歩きか自転車だけで「行楽」を楽しむのだ。直近の地元では、天白川堤防と河川敷の公園、そして八事の興正寺とその緑地、塩竃神社や島田神社、天白公園(結構広い、半分が自然の森)、そして広大な八事霊園(眺望が素晴らしい)などがある。しかし、きょうは自転車30分のやや遠出で、天白川を越え、高台公園まで行ったということだ。
名古屋に来たらこの滝の水公園がお薦め。いや薦めなくてよいか。地元民だけが行く隠れた名所にしておきたい。住宅街のさほど高くもない所にある広い芝生公園なのだが、何と名古屋市内360度見渡せる。こんな公園は他にない。少なくとも東京にはこんなのはなかった。サンフランシスコならツインピークやバーナルハイツだが、あれは一応「山の上」だ。ニューヨークならブルックリンのサンセット公園がこれに近いかも知れない。広々としてマンハッタンの眺望もよい。しかし、やはり240度程度の眺望だった。
公園円周をぐるりと回る散歩道がある。北西方向に名古屋の名駅周辺や栄のビル街が見える。はるか北には山頂の城(岐阜城)のある金華山が見わたせる。天気によっては御岳山方面も。東には猿投山周辺から、豊田、岡崎方面の建物群が見える。空気の透明度が高ければ南アルプスの山々まで。南から南東方向には名古屋港方面。
前回来たときは風が強かった。「ちょっときょうは風があるな」という日に来てはだめ。高台は風がビュービュー吹いている。きょうはほとんど風がなくぽかぽか陽気だったが、それぐらいがちょうどよい。「ほとんど風なし」でも、高台公園にはそれなりの風が吹いている。芝生に寝っ転がり、本を読んだり昼寝したり。雲もなく晴れ渡り、虚空に昼の半月を認めた。
隠れた名所とは言え、さすがにここは人が出ていた。それでも3蜜になることはない。余裕で10メートル以上の間隔は空けられた。
住宅街の尾瀬、里山
次いでお隣の滝の水緑地。より小さな公園だが、里山の森、湿地帯、池などが自然のまま保全されている。すぐ向こうを自動車道が通るが、森の中は打って変わって静かな空間。池ほとりのベンチに座り、鮮やかな緑を見ていると、ツバメ、ヒヨドリ、ムクドリ、その他いろんな鳥が木々を渡り、癒される。高い交通費を払って行楽に行かなくても、身近に素晴らしい自然がある。今年のゴールデンウィークは、コロナのおかげで素晴らしい発見、体験をさせていただいている。付近の住民の方々が長い期間をかけて守ってくれた身近な自然の数々。ありがたく堪能させて頂く。
自然界はいつも通り
どんどんいい季節になっていく。桜が芽を吹き、満開になって散り、今は、暖かい大気に若葉が見ごろを迎え、自然界が活力を得ている。家の周りを散策しても、その生命力は十分に感得できる。人間界は、コロナウイルスに席巻されて激動の中にあるが、自然界にとってはさほどのこととではない。いつも通り移り変わるこの自然の営みに振れれば、それがわかる。
ウイルスは自然界に存在する最多数の種で、彼らは多様な動物、植物と同居し、多くの場合便益を与え合って共生している。他種内で悪さをするのは例外的かつ一時的な現象だ。現在のコロナ禍も、自然界の巨大な運行の中でのわずかな揺れに過ぎない。
ここ名古屋東部の住宅街では家周辺の散歩でも、道順さえ工夫すれば、穏やかな風光を味わうことができる。畑や果樹園が少し残る。川に出れば堤防や河川敷の自然が豊かだ。児童公園をつないで行けば、子どもたちの元気な遊ぶ姿に励まされる。家々に洗濯物や布団を干されている光景もいい。アメリカではなぜかこれはご法度で、電気式ドライヤーで乾かしたり、裏庭に干したりする。
家々の庭は広くないが、敷地に色とりどりの花が植えられ植木も手入れされ、道から見るだけで、なかなかの行楽になる。いや、それらがなくとも、アスファルトの隙間からたくましく生えて来る「雑草」たちに心踊らされる。彼らにだってちゃんとした名前があって、厳しい条件で育つ分、強い生命力を放っている。
サイクリングで天白川源流へ
天白川は名古屋市東部を流れる全長23キロの小河川。日進市の名古屋商科大学キャンパス付近を水源とし、天白区、緑区、南区などを通り、東海市との境付近で伊勢湾(名古屋港域)に注ぐ。私の家は、この中流地点付近にある。休みに、この上流方面と下流方面にサイクリングに行った。これも、特に観光地というわけではなく、人出は少なく、コロナ感染のリスクはほぼない。
天白川の素晴らしいところは、小河川であるにもかかわらず、水源から河口までほぼ切れ目なく舗装された堤防歩道・サイクリング道が続くことだ。昔からよく、この河川全域でマラソン練習をさせて頂いた。近傍にお住いの方々にもぜひこの堤防サイクリングを薦める。
天白区役所(タワーのある建物)付近の天白川。まずは、この上流方面に向かった。
天白川の河口へ
小河川の天白川だが、下流に行くにしたがって次第に広く、堂々とした川になっていく。
相生山緑地に広大な里山が保存されている
我らが近辺の身近な自然として相生山緑地を外すわけにはいかない。森を縦断する都市計画道の建設を住民運動が阻止し、124ヘクタールの広大な里山が保全されている。住宅街から一歩中に入ると、山登りに来たかと思うような自然の環境につつまれる。贅沢すぎる。
身近な自然を発見する好機
コロナ禍には手を焼くが、発想転換すれば、身近な自然を見直す好機だ。名古屋市でも名古屋城など第1級の観光地は置いといて、家のまわりを見て回ろう。興正寺、塩竃神社のような名所旧跡、あるいは桜の名所、山崎川などさえ避けて、あまり人が行かない地元民にとっての近隣環境を究めつくす。人々の努力のかいあって、素晴らしい自然があちこちに残されている。いや、特別な保全地区でなくてもよい。残された畑や果樹園、家々の花・植木、アスファルトの隙間から生える植物などにも、自然の息吹を感じることができる。
一通り回ってきて、ああ、我々はいいところに住んでいるな、と思う。名古屋市東部、いいですよ。どうですか。アパートも1Kで月2万円程度からありますぞ。