時間の感覚

20世紀の真ん中1950年に生まれた。その5年前に太平洋戦争が終わった。戦時中どんなにつらかったか父母から聞かされて育った。遠い昔の別の時代の話のように聞いていた。

だが、72歳になった今、5年前がどれだけ最近のことだったかわかる。ほとんど同時代と言っていい。5年前の2017年、北朝鮮は相変わらずミサイルを飛ばし核実験もやっていた。日本では森友問題が発覚した。桐生が日本人初の100メートル走9秒台を出した。

いや、5年前どころか21年前の同時多発テロで高層ビルが崩れ去る光景さえつい最近のことのように感じる。

今、6歳の子どもは、生まれる5年前に起きた東日本大震災・大津波(2011年)の映像をテレビなどで見る。それは、私らが6歳のとき親から聞いたB29の爆撃や南方での多数の兵士の餓死・戦死と同じ遠い時代の話なのか。

あのとき聞いた「戦時中」はつい最近だったのだ、と今更のごとく気づく。時代はつながっていた。

そのさらに50数年前の、例えば日露戦争(1904-05年)など「歴史」上のできごとだった。だが、今から見ればせいぜい、学生運動華やかなりし我々の青春時代(やはり50数年前)に相当し、そんな大昔ではなかった。(いや、ということは、今の人から見れば、怒れる若者の60年代も、俺たちにとっての日露戦争と同じくらい遠い歴史上事件になったということなのだろう。)

人は受精卵からはじまり数十億年の系統発生をたどって胎内成長し、出生してくる。生まれてからも初期の成長は著しい。変化する分、そこでに経過する時間は非常に長い。無から発生する歴史を私たちの体内時計は刻んでいる。私たちは永遠のかなたからこの地に降り立ってきた。

一旦大人になった私たちは、徐々に老いる以外、形状はあまり変わらない。次第に時間が速く進行していく。いや、こっち内部の時間進行が止まるので、周囲環境の時間進行が相対的に速く感じられていく。季節が目くるめく移り、1カ月が1日、1年が1カ月になり、季節変化のないサンフランシスコのようなところに居ると、え、もう10年?、などとなってしまう。

こうして私たちは、ついには1億年があっという間に経過する世界に突入する。やすやすとは物事が動かない物理的世界の一部と化し、つまり死んでいく。私たちが元居た場所に戻る。