メソポタミア(現イラク近辺)に安々とは行けない今、行ける人類最古の文明の地はエジプトだろう。4500年前のピラミッドが今でもナイル河岸にそびえたっている。
ピラミッド造営は職を与える人民救済の公共事業だった?
ピラミッドは奴隷をこき使ってつくらせた巨大建築、ではなく、農閑期に仕事のなくなる人民の生活を支えるため行った公共事業だ、との説がある。ドイツ生まれの英国の物理学者にして考古学者のクルト・メンデルスゾーン(1906~1980年)が1974年の著作The Riddle of the Pyramids(邦訳『ピラミッドの謎』1976年、文化放送)で発表した。明確な史料や物証はないが、それを否定する証拠もなく、ある程度受け入れられているという。(なお、王の墓ではないということもほぼ確定したようだ。)
何とすばらしいことだ。そしてこのピラミッドは4500年たった今でも、人民の生活を確固として支え続けている。コロナ禍以前の2019年、エジプトには1300万人の外国人観光客が訪れ、観光収入は130億ドルに上った。観光関連産業はGDPの12%を占め、観光関連の労働者は全体の約10%、約250万人に上るという。ギザのピラミッドのみでは年間1470万人が訪れるという(国内旅行者を含むと思われる)。あこぎな客引きやぼったくりタクシーを含めて250万の人々が4500年前の人民救済事業からいまだに生活の糧を得させて頂いているのだ。泰然と存在し続けるピラミッドにあらためて驚嘆せざるを得ない。
高さ数千メートルの構造物がそびえるる
結果として人民救済になる側面はあっただろう。しかし、人民救済なら新田開発や灌漑工事、あるいは古代ローマのように競技場や浴場をつくってもよい。用途不明の巨大建築をそのためにわざわざつくらないだろう。では何のためのものか。一歩踏み込むと、専門家の間でもまだ謎だらけだという。祭祀施設、日時計、天体観測所、穀物保管所、貴金属保管所、災害からの避難所…?
今でもピラミッドに近づくとその150メートルの高さと幅200メートル広がりに圧倒される。その感覚から、素人目には建設の狙いは明白のように思える。ただただその巨大さだ。神々しいまでの巨大さを実現してそこに王朝権威の根源を示した。
数百メートル級の高層建築が普通の現代的感覚からこれを見てはいけない。当時は、恐らく最高で十数メートル程度の建築しかなかったはずだ。そこに150メートルのピラミッドをつくってしまった。10倍だ。現代で言えば数百メートルの高層ビルしかないところにいきなり高さ数千メートルの構造物が現れたようなものだ。しかも横にも広い山のような存在で、表面が白く輝く数千メートルの高さの人工構造物。そこで人々が何を感じるか考えてみたらいい。ただただ恐れおののく。しかもそこにはオリオン座や天の川など天空との近似がある云々、夏至のときの光線の方向云々、恒星シリウスとの位置関係云々、などいろいろ細工も仕込まれている。全宇宙の運行と連動するファラオが存在している、と人民におののかせるに充分な仕掛けだった。
人類が生み出した最古の国家・王朝は、その根拠となるこのような構造物をつくった、つくる必要があった、という事実をここでかみしめておきたい。
3000年続いた文明、が滅びた
エジプトでは紀元前3150年頃に統一王朝が築かれ、紀元前2500年頃までにはギザの三大ピラミッドが揃い、最後の王朝プトレマイオス朝が紀元前30年に滅ぶまで古代エジプト文明は3100年以上続いた。
徳川300年どころではない、3000年だ。この時代の中の人々はその文明に始まりがあり終わりがあることを認識できたろうか。その社会は太古の昔から未来永劫に続く世界そのもので、ナイル川は8月頃から10月頃まで毎年定期的に氾濫して沃土を与え、ピラミッドは河岸の人々の生活をずっと見続けていた…。
しかし、考えたいのはその悠久の歴史ではなく、それが滅びたということだ。紀元前30年にローマの軍門に下り、その後東ローマ帝国下を経て、639年にイスラム帝国に滅ぼされる。その後、1517年からのオスマントルコ時代を含めてエジプトは全面的にイスラム化される。かつての太陽神崇拝の古代宗教はローマ時代のキリスト教を経てイスラム教に取って代わり、言語さえもアラビア語に置き換えられていった。そびえつづけるピラミッドはそこで何を見たのか。偉大な古代文明の子孫たちはその継承者であることもほぼ忘れ去った。過去の文明の人たちは現代のエジプトを見て何を思うだろうか。
いや、それでいいのか。1万年以上続いた縄文文明に居た人々はある時点から中国文明を受け入れ、150年前からは欧化し、太平洋戦争後にはかつての戦争相手国アメリカの文明にどっぷりつかってきた。かくいう私も…
もうよかろう。エジプト以上に変わり身の早かった我々は彼らをよく理解できる。言語、宗教も含めて一つの文化を維持することよりもっと大切なことがある。エジプト文明は、新しく現れた先進文明イスラムにどっぷり染まった。そして今では、むしろアラブの盟主になっている。もっと大切なこと、常に新しい環境と歴史的変遷の中で人々がたくましく生きること、そういう人としての強さの大切さを人類最古の文明は示しているかも知れない。活力あるカイロの喧騒に身を置きながらそんな理解が芽生えた。
イスラム時代のカイロ
コプト教徒の街「オールド・カイロ」
シタデルを拠点にしたイスラム王朝
現在の中心街