例えば「スタンフォード大学」でグーグル検索すると、本ブログの下記ページが全体の6番目、堂々の1ページ目に出てくる。
500万件ヒットするうちの6番目だ。いろんな観光ガイド、ほとんどの留学ガイドページより上。すぐ上が同大学の公式ホームページ(英文)、3つ下が州観光局のページ(日本語)というのは、すごいというより、申し訳ない。
確かに、世に二つとない(英文情報を含めて)ユニークな切り口のスタンフォード大学紹介記事だと自負するが、グーグル検索AIさんがそこまで認識してくれたとは思えない。
(グーグルの検索順位は、そこへのリンクの貼られ具合などを中心に、約200の基準からページを評価し順番が決められる。どのようなAIアルゴリズムなのか知らないが、サイトの信頼性、ユーザーにとっての利便性などが見られているという。順位は、時がたつにつれて変わるようだし、アクセスする場所によって異なるなど検索設定の違いも影響するようだ。検索総ヒット数も毎回変わるなど、あくまで「目安」に過ぎないという。)
あるいは、一番新しい4、5日前書いた下記記事(今年のノーベル文学賞受賞詩人ルイーズ・グリュックの記事)も「ルイーズ・グリュック」で検索すると2ページ目、全体の16番目に出て来る。
7万件のうちの16番目だから最新記事としてはなかなかいい成績だろう。NHK、朝日には負けたが、毎日、共同、時事、ロイター日本語などの受賞ニュースより上なので驚く。
ネットに出して4、5日では、さほどのリンクも貼られていないだろう。グリュックさんは日本では無名で、情報が少ないノーベル賞受賞者だったから最近のへぼ記事でもすぐ上位に行ったのかも知れない。
だいたい私が書く記事など、どこにあるのかわからないくらい相当下の方に隠れているものなのだが、時々例外的にヒットすることがあるようだ。何でこんな記事が上位なのかわからないもある。例えば、「カザフスタン人」を検索すると、下記の記事が3000万件ヒットのうち4位だ。むろん1ページ目で、最上位常連のウィキペディア2件のすぐ下。
外務省の各国情報ページより上なのでたまげた。カザフスタンの専門家でも何でもない、一介の旅行者の印象を綴ったものなのに、これでいいのか、と恐れ多い。(グーグルAIさん、これを見て、「間違えた」などと順位を下げたりしないでね。)
アメリカの市民権を取得(帰化)すべきかどうか迷う人が多いのだろう、「米市民権」「米国帰化」などで検索すると、下記ページが1000万件中10位以内(1ページ目)に出てくる。
少し絞った検索では
上記は、いずれも一般的な単独キーワードでの検索の例だが、もちろん、複数キーワードなどで検索を絞り込めば、上位に出る可能性は高まる。「海外情報 岡部」で検索すればこのブログ「岡部の海外情報」が最上位に出てくるのは当然だ。「移民トランスナショナリズム」で検索すると、下記が27万ヒット中8番目に出てくるのはうれしい。しかし、これはやや専門的な用語だろう。
私は、アメリカのことを書くことが多い。したがって、「アメリカ」と何かのキーワード複合で、上位に出てくるかが心配だ。「アメリカ」と「自治体」では次が1400万ヒットの最上位、しかも特別枠(強調スニペット)で出てきていてありがたい。
「NPO」「非営利組織」「市民参加」「都市計画」などと組み合わせても5位前後に出るからかろうじて胸をなでおろした。前2者では下記が、
後2者では下記ががんばってくれている。(これらが代表作というわけではないのだが。)
「NPO 失敗」で検索すると、私の次の記事が(中国語のページを除くと)トップに来る。
これは、別にNPOがだめだと言ったのでなく、逆にその価値の高さを主張する記事。「通常は、市場の失敗、政府の失敗から非営利セクターが生まれたとされるが、アメリカでは、非営利セクターでは不十分だったので政府セクターが生まれたと見る理論もある」とレスター・サラモンさんの理論を紹介した。恐らく「NPO 失敗」で検索する人の多くは、NPOに何かケチをつけたくて来ているのかも知れないが、こんな記事がトップに出ていてがっくりするのではないか。そしてそういう人達の要望を満たすようなNPO論難サイトは信頼性があまり高くないので私の記事がトップに来たのでは、と理屈づけしてみた。だが、上位に出る記事のほとんどは、NPOが失敗しないようマネジメントをアドバイスする上質かつ良心的な記事だった。
「バスケコート」と、「名古屋」、「アメリカ」、「ニューヨーク」、「ハノイ」などを組み合わせて検索すると私の下記ページがいずれも最上位に出てくるのは面白い、というかこれがもしかしたら一番誇らしいかも知れない。
全体としては低迷記事ばかり
全体的に、私が死力をつくして書いた記事は、どこに出たのかわからないくらいの下位で、思ってもみなかった意外なものが上に出る、という傾向があるようだ。
グーグル検索で上位に出るようになれば、アクセスも増え、広告をクリックしてくれる人も増え、私にもアドセンス広告収入が流れてくるという仕組みだ。しかし、まだまだ取るに足らない額なので、ほとんどの記事は下位低迷であることは間違いない。自分の思い入れだけで書くのでなく、グーグルAI様の目に留まるよう、ユーザー目線に立って書くよう反省しなければならないかもしれない。
「グーグル様」
あなたはグーグル検索(ヤフーも内実はグーグル検索を使っている)で、結果上位の何番目まで見るだろうか。せいぜい2ページまでに出る検索結果、徹底調査している場合でも10ページ程度までが限界ではないだろうか。それ以下にしか出てこない検索結果の記事は、インターネット上にあると言っても、ないも同然になってしまう。
かつてフリーライターは、雑誌編集者の段階でふるいにかけられ、一定以上に評価された原稿だけが陽の目を見ていた。インターネット上では、あらゆる記事は即「出版」され、ネット上に存在することを認められる。それは素晴らしい。だが、そこに検索AIが来る。彼(彼女?)に認められなければ、やはり出版されないと同然になる。ネット時代には検索AIが編集者の代わりにゲートキーパー(門番)の役割を果たすのだ。(この分野でも、AIが人間を管理する事態が進行している、ということだろう。)
自分のブログやホームページにアドセンス広告をつける場合でも、勝手にはつけられない。グーグルからの厳しい審査があり、広告目的でつくったような疑似ブログははねられる。その他テクニカル的な課題もあり、私も最初はまごついた。いろいろノウハウ指南ページを見たが、そこで「グーグル様」という言葉が、冗談にせよ頻繁に使われているのを目撃した。検索や広告や何せよ、ネット上を取り仕切るグーグルの存在は大きく、これににらまれたら一貫の終わりになるわけで、まさに「グーグル様」だ。
見ている人は見ているという信念
検索で上位に来るよう、グーグルAI評価基準に合うよういろいろ自分のページを改変することをSEO(Search Engine Optimization)という。私も最初、これを試した。キーワードを工夫したり、メタディスクリプション(記事概要のようなもの)を記入したり、いろいろやったが、どうも思ったような効果は出ない。さすがグーグルAI、小手先の改変ではだまされない。やはり、ひたすら良い内実の記事を書く以外ない。その王道を行くことにした。
長年フリーライターをしていて、売れなくてもひたすらいい記事を書く努力をしていけば、見ている人はどこかで見ている、という確信のようなものを得た。それが何事においても私の人生哲学の基本になった。ネット時代でもそれは同じと信じる。グーグルも、よりよい記事を検出すべく検索AIを改良し続けていると思う。実際、これだけ力をもったグーグルは、より良い情報をきちんと世に送り届ける社会的責任を帯びている、と言うべきだ。
むろん、それは私自身の問題を棚に上げて言うこと。私自身は、自分勝手なだけの記事を反省し、より読者目線に立った記事が書けるよう「グーグル様」の変わらぬご指導を仰ぐばかりだ。