身体との旅、岐路へ(ルイーズ・グリュック)

今年(2020年)のノーベル文学賞に米国の詩人ルイーズ・グリュックが選ばれた。彼女の詩の日本語訳は出版されておらず、英語の原書もあまりおかれておらず、賞による販売増に期待していた日本の出版・書店業界は落胆したようだ。

私も知らなかったし、そもそも詩を多く読むような人ではないが、ふと目にしたクロスロード(Crossroad、岐路)という詩が、とても印象に残った。

短い詩だが、全文を引用するのは著作権上問題があるので、部分的に紹介する。グリュックはまず、「私と私の身体は、もう長くはいっしょに旅することはない」という形で老いを表現する。いかにも結論を暗示する出だしだ。

そして、そういう時期になったとき、「あなた(身体)に対して新たな優しさを感じるようになった」と続ける。まるで若い時の愛のように一途に。時にあまりに多くを求めすぎたように。そういう残酷さを許してほしいと、おのれの身体に対して言う。

そしていくつかの感傷を述べた後、最後の言葉がいい。「it is not the earth I will miss, it is you I will miss.」

私が名残惜しく去るのは地球ではない、私の身体なのだ、ということだ。少し衝撃を受けて、同じく老いてきた私は、ディスプレーから目を落とし自分の胴体のあたりを眺めてしまった。

私たちは通常、自分と自分の身体を同一視している。しかし、「私」という精神は、この世界において自分の身体の中に宿り、死によってそこを去るのだ。なぜこの身体だったのかはわからない。不思議なめぐりあわせだった。「なぜこんなに足が短いのか」などと悪態をつき、時に痛飲したりマラソンしたりして痛めつけた身体。別れが近づくにつれて、その身体がかけがえのないものとして感じられてくる。

身体は37兆個もの細胞でつくられた小宇宙だ。私たちは宇宙を去っていくのだが、何よりもこの小宇宙を去る。そこにたまらない愛着を感じている。

私は前に、この世界を去る者にとって、数百億光年先の銀河も、数億年前に生きていた恐竜も、たまらなく近しい「この世界」の一部だった、というようなことを考えたことがあった。しかし、そんな広大無辺の時空間ではない、この身体こそ、私たちが去っていく最も近しい宇宙だった。

そんな風に自分の身体を考えたことはなかった。それを知れただけで彼女の詩は意味があった。彼女の他の詩をこれからたくさん読むことはないだろう。しかしこの詩に触れる機会を得ただけでも、彼女のノーベル文学賞受賞という事件は私にとって意味があった。