昔、三保の松原、今、新倉山浅間公園
いやあ、半分が外国人だな。混雑する参道を登りながらつぶやいた。が、とんでもない。上まで登って行ってもほとんど日本語を聞かない。日本人だと思っていた人も中国人、韓国人、タイ人などアジアからの旅行者だった。95%が外国人か、と私は見立てた。
昔は富士の絶景スポットといえば「三保の松原」に決まっていた。しかし、インスタグラムの時代、この五重塔を配した富士が有名になり、特に外国に居ると、この構図の写真が目にとまることが増えた。いったいどこなのだろう。興味をそそられて、3月27日、新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん、富士吉田市)に行った。
観光インフラが追いつかない
明らかに観光インフラが追いついていない。大月から私鉄・富士急行の鈍行で約1時間、小駅の下吉田駅は人であふれていた。普通の地方駅なのに、漢字よりアルファベットのShimoyoshidaの表示の方が大きい。乗り過ごす人が多いのか。(帰りの)切符を買うのに10分は並ぶ。駅のトイレも、特に女子トイレは10分並ぶ。「観光バスで来た方は駅のトイレを使わないで下さい」という貼り紙。なるほど、駅前の小広場には観光バスが何台か停まっている。
決して繁忙期というわけではない。桜の時期にはもう少しある。
絶景スポットのある公園まで徒歩10分と近いが、ごく普通の地方都市生活道を行く。表札の出ている「民家の庭先」を大勢の観光客が歩くのは申し訳ない感じだ。玄関は締め切られたままだが、これじゃプライバシーも何もないだろう。畑の中にプレハブのコーヒー屋さんや急ごしらえの土産屋台が立つ。参道入り口付近の道路には、車が列を成して動かない。駐車場に向かっているのだろうが、これは車で来るところじゃないな。
降ってわいた人気
昔、三保の松原、今、新倉山浅間公園、だ。しかも、この観光地間競争での勝利は、決して意図したものでないらしいところがいい。何よりもこの新倉富士浅間神社はごく普通の村の神社(かつての社格は「村社」)。1962年に建てられた五重塔も、村によくある戦没者慰霊塔だ。が、これで勝負あった。鮮やかな色の五重塔と富士の景観は、インスタグラムの時代、特に海外の人々に人気を博した。黒松のある「わび・さび」の富士などより、カラフル五重塔の富士にこそ「グローバル性」があった、ということか。
「昔はこんなところにだれも来なかったですよ。神社も、山の中の寂しいところだったんですが。」
公園を散歩していた地元民おじさんが、珍しく日本語を話す私たちを見つけうれしかったか、話しかけてきた。「きょうは、天気がいいから来たけど、地元の人は、普通来ないよ。桜の季節なんか人が歩けないほどになってね。来ても外国人ばかりだし、英語苦手だもの。」
政府広報サイトによると、ここの富士山構図が、2015年の『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン(改定第4版)』や、2018年のNational Geographic『Traveler』の表紙を飾り、一気に世界に知られるようになったという。
フィリピン・マヨン山
富士山のような整った成層火山は決して珍しいものでないことは付け加えおくべきだろう。日本でも北海道の羊蹄山を始め多数あるし、世界にも多い。その中でもフィリピン・ルソン島南部のマヨン山(写真、2,463 m )は白眉だ。富士山より傾斜が急で、北斎の「赤富士」は、これをモデルにしたのかと思ってしまうくらいだ。