「魔女の宅急便」の街に来た。クロアチア南部のドゥブロブニク。ベネチアなどと並ぶ中世の交易都市だった。城壁に囲まれた旧市街が残り、白壁とオレンジ色のかわら屋根の家が密集する。宮崎アニメ名作のモデルになったと言われている(*後注参照)。
そして青い海と紺碧の空。― と言いたいところだが、朝、外に出たら雨が降っていた。すぐ止んだが、一日中曇りだった。ドゥブロブニクで雨とは、よほど何かのバチが当たったのだろう。
前日は、スプリットからドゥブロブニクまで5時間のバスの旅。天気は良く、バスが海岸沿いを進むので、写真を撮るのに忙しかった。青い海と、海岸沿いの南欧風の街、つまり白壁とオレンジ色のかわら屋根の家々。陸側は、乾いて岩のごつごつした山が連なる。時々、山が海にまっすぐ落ちる地形もある。バスが絶壁の道を走り、怖かった。雲南奥地の旅を思い出す。
地中海の鮮やかな風景に最初は感動しまくったが、1日見続けていてだいぶ慣れた。あと数日もすると飽きてくるだろう。モンゴルで大草原を体験したときと同じだ。最初は感動しまくるが、数日でそれが普通になってしまう。
ドゥブロブニクに近づく頃、一旦、国境検問を通った。ボスニア・フェルツェゴビナに入り、約10キロでまたクロアチア領に入る。つまり、ドゥブロブニク一帯はクロアチア共和国領の飛び地になっている。内陸の国、ボスニア・フェルツェゴビナは、この狭い地域だけ海に開ける。複雑な歴史を背負い、国境も複雑になっている。
ドゥブロブニク(Dubrovnik)。― 何とも難しい名前だ。現地語はもとより日本語でもなかなか言えない。バスの中から焦って景色を撮らなくても、ここにすべてがあった。海岸に立つ南欧風の家々、歴史的街並み、乾燥した山地、青い海など。― そして、青い空があれば完璧だったのだが。
ホテルは家族経営の小さなゲストハウス。海岸から階段の細い道を上って行って山の中腹にあった。広い共同ベランダがあり、街と地中海が見渡せる。おっとりした息子さんが留守番をしていて、やがて帰ってきた母親が細かい説明をしてくれ、さらに保育園から子どもを連れ帰った現代風の娘さんがWifiをつなげてくれた。他に客がおらず、共同の居間、シャワー・トイレ、キッチンが使い放題だ。調べた限り最安の20ユーロ(2600円)宿としては上出来。ベランダへの出口の戸がこわれて閉まらないとか、細かい所は大目に見よう。
旧市街まで3キロと遠い。だから安かったのだな。しかし、バスターミナルに近いのは素晴らしい。私としては、街に着いてすぐ宿に入れるというのが何よりありがたい。一息ついてからなら街が遠くても苦ではない。むしろ、たくさん歩けてうれしい。
旧市街まで3キロをゆっくり散歩できる小道があった。急傾斜にできた街。海岸部から階段で登ってくる無数の小道があり、それと直角に交わる等高線沿いのいくつかの並行道とで古い街並みが形成されている。この地域の街の基本構造だ。
(*後注:ドゥブロブニクと「魔女の宅急便」の関係はどうも都市伝説のようだ。スタジオ・ジブリの公式ページは「様々な地域が部分的に取り入れられている作品がほとんど」としながら、「魔女の宅急便」については、「大いに参考にした場所」としてスウェーデンのストックホルムと、バルト海のゴトランド島ヴィスビーの町をあげている(別の名作「紅の豚」で参考にした場所として「 アドリア海沿岸」をあげている)。しかし、確かにドゥブロブニクはあのキキの街にもっと似ている気がするし、見る側が自由に身近な街に引き付けて鑑賞してよいと思う。
私ら家族にとってはあの街はサンフランシスコだ。金門橋あたりから見たフィッシャーマンズウォーフと坂の街の光景が似ている。子どもたちが小さい頃サンフランシスコに移住していったとき、家族みんなで見ていた。新しい街で元気に暮らすキキの状況と似ていたのではないかと思う。)



















スプリトからドゥブロブニクまで、バス車窓からの風景

