有望な投資先:健康

コロナ禍で行動範囲はせばまったが、逆にオンラインでのZoom交友は広がった。旧友(英語で言うまさに「オールドボーイ」)たちとの気のおけないバカ話を楽しんでいる。しかし、そこで気が付いたことは、私は老後の貯えがまるでない、ということだ。友人の多くは長い勤労の後に十分な貯えを持ち、あるいは不動産業など資産構築活動を現在でも続けている。

私の場合、今後の何十年か、わずかな年金しかない。自分の人生を深く反省しつつ、議論するうち、しかし何だか不思議な認識にたどり着いた。私は確かに何の資産もないが、健康・体力という資産がある。これまで金銭的な資産構築活動をほとんどしてこなかったが、体力という資産の構築に並外れた努力をしてきた。そしてこれって意外と有望な資産じゃないの。老後を見据えた投資先として実は極めてまっとうかつ最強の資産構築戦略かも知れない。以下、バカ話から出たまじめな岡部理論を展開してみる。

確かに「体が資本だ」というのは単なる例えだ。それを基礎に何をやるかが問題で、何かやってそこで初めて実際の資産が生まれる。というのが普通の考えだ。しかし、実は健康・体力も意外と真の資産であって、カネにもなるし投資対象として悪くはない、という認識にあるとき到達してしまった。不動産業を続ける旧友にこう反論した。

「バスケもテニスもジョッギングも仕事だし資産構築活動だよ。かなりきつい仕事だ。往復7時間かけて自転車で友人宅に行ってテニス。夜、きょうはもう寝たいと思ってもジョッギングに出る。歯を食いしばって坂ダッシュ20本もする。ニューヨーク時代はバスケ、今はテニスにも熱を入れているが、これ、全部私の資産構築活動だ。体は資本だ。私は体力・健康という巨大な資産をつくるため莫大な努力、労働をしているのだ。」

不動産、例えば自分が住む住宅だが、人々はそれを基礎に労働し、何らかの資産構築活動を行う。だが、人によってはこの不動産自体を投資先、資産と考え、カネを生み出す源にしてしまうこともある。これと同じように、生活の単なる基礎にすぎない健康・体力も有望な投資先になる。別にそう考えてこれまで運動してきた訳ではない。しかし、いづれの御時にか定かならずも、突然年金とぞいえるカネが入りて、仰天した。「これは儲かる」。だって、20代の体力があって世界旅行でも何でもできる状態で、少ないながらカネが入ってくるのだ。預金利息、家賃収入のようなものに思えた。あるいは近頃言われだしている「ベーシック・インカム」だ。若い人々にもとにかく基本的な収入だけは保証するという制度。

年金は通常、老いて多くのことができなくなったときにもらえる。人生の終末を迎える人に、安らかに生き永らえて頂こうと与えられる社会給付だ。ところが、ピンピンして何でもできる状態でこの歳を迎えると、この年金がまるで投資純益のようなものになる。フリー(ライ)ターが長かった私の年金は多くない。プライバシー上(というより恥ずかしいので)正確な額は言えないが、生活保護以下であることは確かだ。ここでは便宜上一般的な日本の平均年金受給額月15万円で考えてみよう。年間180万、20年間で3600万円になる。20代で3600万円の宝くじが当たったと同じだ。20代、30代、仕事しないで世界旅行しまくり、仙人的思索・著作活動に打ち込めるとしたら、これはビル・ゲイツもうらやむ相当の資産家になるのではないか。

(もちろんここには私の蓄積したもう一つの資産、貧乏に暮らす能力、カネがなくとも安く外国旅行する能力などもある。体力と貧乏術こそ最強の蓄積資産だ。)

体力が普通は資産でないように、住む家も普通は単に生活の基礎であって資産構築の手段ではない。しかし、自分の家を買って住み始めてから、それが有望な投資先でもあることに気づく人もいる。私はこれをアメリカ人友人から教えてもらった。この友人夫婦はおんぼろ住宅を安く買って住み、そこを少しずつ修理しながら2階に人を住まわせ家賃収入を得、1階は自ら住んでそこも少しずつ改修し、やがて高く売ってさらに良い不動産に移っていく。あるいは別の不動産も購入してその家賃収入を得て…とどんどん資産を拡大していく。見事だ。人間の日常的な生活の一部に資産形成の卵が存在しているのだ。

同じ投資先でも、定額預金、株、不動産、それぞれ異なる。その性格、収益幅、リスクなどをよく知る必要がある。岡部流健康投資は、年金制度に立脚しているのは確かだろう。これがないと、少なくとも金銭的な利得は生まれない。不動産投資でも、住宅ローンが減税になるので、貸家に住むよりも持ち家、と不動産購入する人がおり、これに似ている。社会的に設計された制度をうまく使い投資収益を生み出す。

(おいおい、こんなヤツに年金出すなよ、死ぬまで働かせろ、との厳しいご叱責が出るかも知れない。後段でその点を考察しているので参照のこと。)

健康投資にはさらなる利得がある。医療費を節約できる。病気によるその他人生コストも削減できる。長生きで生涯年金も増える。例えば65歳から通常20年で3600万円のところ、40年で7200万円に増やせる。40年間寝たきりだとあまり意味ないが、その間、生気みなぎり快活に生きているのであればかなりの投資収益だ。

ただ、いくら増やそうとしてもせいぜい7200万円止まりで、トランプ様の不動産のように富の無限増殖はできない。また、ガンであっという間に死んでしまえば、何の利得も出ない。苦しんで坂ダッシュした投資活動は無に帰す。遺産にも残らない。しかし、投資にはあらゆるものに特有のリスクがあり、その投資がどういう性格のものなのか、利得とリスクを充分理解しておくのは投資のイロハだ。

健康投資の他と異なる圧倒的に優れた利得は、それが人生の豊かさに直結していることだ。120歳まで健康に暮らせること以上の人生の幸せはあるか。常に体内に生気が充填され、健康な体力から健康な精神が生まれ、社会的に意味ある仕事を行う可能性が高まり、まわりに愛に満ちあふれた家族・友人関係がつくられる。この点が他の投資と決定的に異なる。これに比べれば、その金銭的利得側面などどうでもよくなる。

不動産や株(一般にカネ)は、それが存在するだけでは何ら人生の幸福ではない。外に存在する単なる物体だ。それを使ってどういう風に内部(人生)を豊かにするかは別の課題になる。しかし、時にそれが人生をかき乱し不幸にすることも多い。しかし、健康はそれ自身すでに人生の幸福だ。

自然界の動物たちはそれぞれのニッチ環境に適応し、それぞれ独自の生存の糧を得る活動を行っている。つまり多様な資産形成活動をしている。人間も、市場と市民社会の諸条件の中で多様な資産形成活動を行う。それらはそれぞれその人の選択であり、特定の活動をけなしたり誇ったりすべきものではないだろう。だが、その中で、健康投資という私の資産形成活動も悪くない選択なんじゃないか、と思えるきょうこの頃なのだ。

(若者たちへ)

こんな健康老人に年金出すな、それでなくても年金制度は危うくて俺ら世代にはなくなっているかも知れないのに、という若者たちからのご叱責が一番胸につかえる。この私の資産構築活動路線は社会的・倫理的に見て正しいのか。

しかし……そうすると、後の世代のためには、老人はほとんど年金をもらわず迅速に消えてもらうことが一番よくなるが、まさか、心優しい今日の若者たちがそんなことは主張しないだろう。我々老人世代も、そこまで卑屈になって社会のためを考える必要はないだろう。

長生きすれば確かにもらう年金額も増える。しかし、体力・健康の維持活動を積極的に行えば、医療費・介護費などの社会的コストは減らせる。また、そもそも年金の半分は、長年こつこつ払い込んできた自分のおカネだ。

健康なら働け、と言われても70過ぎて働ける職場は限られている。「雇用」という形の仕事はやりにくいが、例えば私ならこうしたブログ、著作を通じて海外情報を伝えるという社会貢献を懸命にやっているつもりだ。そんなの老人の自己満やってるだけ、と言われると返す言葉はないが、退職してからこそ本当の仕事だとがんばっている人たちは多い。私も、若者以上に懸命に働く覚悟でいる。