関東平野サイクリング -「高速自転車道」網の夢

高速バスと自転車で名古屋・栃木間2000円

昨年12月に帰国してから、危篤状態になった母の見舞いと父の介護のため、名古屋と実家(栃木県那須郡那珂川町)を何度も往復することになった。JR青春18切符(鈍行乗り放題)があるときはよいが、ない時期は、栃木通いは経済的に難しい。JR鈍行でも、路線バスを含め片道1万円かかる。そこで、いろいろ検討し、

東京圏まで高速バス2000円+そこから自転車で栃木県那珂川町まで

という方法を編み出した。高速バスは、名古屋から新宿や東京駅までなら朝発でも最安2000円、ディズニーランドや大宮までは夜行2000円の便がある。別にディズニーランドに行くわけではない。あそこは旧江戸川の河口にあたり、関東平野を縦断する自転車ルートに乗るには絶好の場所なのだ。旧江戸川、江戸川、利根川を伝って群馬県中央部まで行けるし、鬼怒川、思川その他関東平野を南北に走る河川堤防をたどって栃木県まで行ける。川の堤防上のアスファルト道路というのは車も来ないし、比較的平坦で、最高の自転車道なのだ。実家のママチャリを使うので1日では行けなかったが、途中にネットカフェはいくらでもある。また、高速夜行バスで大宮まで行けば1日走行が可能だ。

関東平野の北端部。栃木県高根沢町の鬼怒川鉄橋付近。広大な平野のかなた(北方)に日光・高原連山が見える。左から男体山(2486m)、大真名子山(2375m)、女峰山(2464m)、やや離れて右手に高原山(1995m)。それらの連山から流れ出るのがこの鬼怒川だ。かつては単独の水系として霞ヶ浦を経て銚子に流れ、関東平野の東半分を形成していた。江戸時代の大規模治水工事で、西半分を流れ東京湾に注いでいた利根川がこの旧鬼怒川流路を取るようになり、鬼怒川は利根川支流となった。
栃木県北部さくら市付近から南方に見た関東平野。かなたに筑波(右)・加波山系が見える。
鬼怒川に沿って自転車道が整備されている。堤防上の道というのは、ふだん車が通らず、しかも川沿いにあるので、比較的平坦だ(川は登ったり下ったりしない)。自転車道に指定されていなくても優れたサイクリング道路になる。しかも関東平野はこうした大規模河川がいたるところに延び、堤防路をつなげるだけで広大な「高速自転車道」ネットワークができる。
関東平野では川は至る所に入り、農業用水として利用され、さらにかつては河川交通網として重要な役割を果たしていた。写真は鬼怒川と並行するかのように栃木県東部を流れる五行川。下流で小貝川と合流し、やはり利根川に注ぐ。鬼怒川以外でも、例えばこの堤防ルートに沿って関東平野を南下することもできる。
国道4号線(東北本線に沿った国道)のバイパス道には両側にかなり広い歩道・自転車道が続く。ここを行くのが最も簡単でわかりやすいかも知れない(車の騒音を聞くことになるが)。バイパス道は埼玉県春日部市から栃木県宇都宮市付近まで続く。
鬼怒川堤防路から見た関東平野の広がり。栃木県小山市付近か。堤防路は優れた自転車道だが、単調だ。まわりに河川敷、藪など自然は多くても民家はない。せいぜい広大な農地。どこを走っているかもわからなくなる。橋があるところで、橋名から位置を割り出す。
筑波山(遠景)を過ぎたあたりの鬼怒川堤防路。茨城県常総市三坂町付近。堤防はますます見事に整備され、自転車も走りやすい。
実はこの辺は、2017年9月10日、台風17、18号に伴う豪雨で堤防が決壊した場所だ。鬼怒川東岸から小貝川にかけての広範な地域が浸水し、死者2名、災害関連死12名、全半壊家屋5000棟以上という災害をもたらした。その地点に「決壊の跡」の記念碑が立つ。堤防が立派で走りやすかったのは、その後に徹底した整備が行われたからだった。

2017年9月10日、茨城県常総市三坂町の映像

決壊場所付近の鬼怒川。鬼怒川は、下流に行くほど河川敷が狭くなり、堤防と堤防の間が狭い。これが下流での堤防決壊を招いた一因ではないか。一般に河川は下流に行くほど、昔からの集落が河岸付近に迫り、その分、堤防が「キツキツに」構築されているようだ。
これは上流(中流というべきか)の鬼怒川。栃木県上三河町付近。川面も対岸も見えない。河川敷が広く、そこに畑、藪、芦原、林などがあり、川本体の水への視界が遮られてしまう。集落が河岸近くに迫っておらず、余裕をもって堤防がつくられるからだと思われる。
利根川の橋(芽吹大橋)を渡る。鬼怒川から江戸川に出るには鬼怒川・利根川合流地点まで下ると遠回りになるので、水海道付近で右に折れ野田市付近の利根川を越え、野田橋で江戸川の自転車道に入る。
江戸川の自転車道。走りやすく、サイクリストの姿も多い。江戸川は利根川の分岐河川だ。通常、河川は支流が合わさって太くなりながら下流に向かう。しかし、下流で逆に本流がいくつかの支流(分流)に分かれて海に注ぐこともある。江戸川は利根川の分流で、隅田川は荒川から分流している。江戸川はさらに下流で旧江戸川(かつての本流)と江戸川本流(「江戸川放水路」)に分かれる。東南アジアのメコン川は下流で多数の分流に分かれるためベトナム語では「ソン・クー・ロン」(九龍川)とも呼ばれる。広島市にも太田川が多数の分流(「七つの川」)に分かれる地形が見られる。
江戸川は、下流に行くにしたがって、次第に周囲が都市的景観になる。
ついに海に到達。江戸川(「江戸川放水路」)河口。だが、本当は途中で右折して旧江戸川ルートを行くべきだったのだ。ずっと左側(左岸)を下ってきたので、そのまま新河道を下ってきてしまった。ディズニーランドは旧江戸川河口近くにある。
遠回りしたが、ディズニーランド着。これが我が愛車のママチャリ。

江戸川河口から栃木県北部まで

乗ってきたママチャリは京葉線浦安駅近くの駐輪場(1日100円)に停めて、高速バスで名古屋帰還。ディズニーランドからの夜行格安バスは若い人ばかりで、じいちゃんは私だけだった。

諸用事を足して、駐輪期限が切れる1週間後に再び名古屋から浦安に戻り、自転車で栃木県那須郡那珂川町を目指した。午後1時頃出発して旧江戸川、江戸川本流を遡上。予定通り、約50キロ上った春日部付近までこいで、午後7時頃、ネットカフェに入った。

江戸川サイクリングロードは快適なのだが、あいにくこの日は天気が悪かった。予報では午後に雨が止むはずだったが、夕方までみぞれだった。しかも今年一番の寒さ。そして風が強い。北からの向かい風だ。自転車乗りは、時にこのような荒ぶれる自然にも対峙しなければならない。

堤防上は寒さと強風で耐えがたく、街に降りる。住宅街の路地をジグザグ順路で走ったので、実際の走行距離は60キロ以上になっただろう。こいでいるので、上体や足は濡れても寒くなかったが、手足の先、顔が冷たかった。帽子や防水手袋など防寒対策が不十分だった。

春日部に着く頃にようやく雨がやみ、風も下火になった。そうなるとほんとにここは走りやすいサイクリングロードなのだが。

スーパーで買い出ししてネットカフェに入る、というのがいつものパターンになった。1000円以下で翌日までの食料を確保して、暖かいネットカフェに入るとほっとする。ドリンク、特にオレンジジュースが飲み放題なのがありがたい。寒い中を走っても結構水分を消耗しているらしく、がぶ飲みだ。明日は天気が良くなるという予報。おいおい、本当だろうな。

利根川・渡良瀬川・思川ルートをとる

本当だった。2日目はうって代わって快晴で、風もなく、これ以上ないサイクリング日和。こういうものだ、自転車乗りの生活とは。昨日はまったく写真なしだったが、きょうは写真で報告。

再び江戸川堤防サイクリング道に上ると、遠くに富士山まで見えた。
利根川との分岐地点に近づくと、関宿城が見えてきた(1995年復元)。手前が江戸川で城の向こうが利根川。関東平野水系の重要拠点として室町時代から居城があった。戦国時代には、北条氏と上杉氏が激しい争奪戦を行い、江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれた。
利根川堤防に入る。両岸にサイクリングロードがある。振り返ると遠方左手に筑波山が見える。広々とした日本最大規模の河川だが、まあ、世界の大河と比べれば大河川とは言えない。なぜなら、対岸が見えるから。
国道4号線バイパスの橋をくぐり、東北新幹線橋(写真)をくぐり、国道4号線橋をくぐり、JR宇都宮線橋をくぐると、渡良瀬川合流地点に至る。
渡良瀬川沿いに遡上していくと、足尾鉱毒事件でたたかった田中正造の「遺徳之賛碑」があった(2005年建立)。足尾銅山からの公害で渡良瀬川が汚染されたことを天皇にまで直訴したという。
渡良瀬遊水地域内に入る。増水時には水につかる域内に道があり、自転車で走れる。
遊水地で渡良瀬川に合流する思川の方を遡上する。澄んだ思川の水。渡良瀬川を上ると足利、桐生方面に行くが、思川を行けば、鹿沼から日光方面に出られる。
途中で右に折れ、一般道を通って鬼怒川河岸に出ると、栃木県北東部に行ける。写真は鬼怒川堤防上の「二宮・宇都宮大規模自転車道」。おもしろいことにこの自転車道が県道(289号線)になっている。
あとは夜間走行になって写真はないが、私の実家のある那須郡那珂川町に行くには、さくら市氏家あたりから鬼怒川を離れ、いくつか丘陵を超えて那珂川流域に向かうことになる。そのかん堤防沿いの道はないが、交通の激しい国道(293号線)を避け、人気ない裏道を選べばそれなりに快適なサイクリング道だ。写真は、さくら市喜連川付近に残る旧奥州街道の山道(右手)。

私のオリジン(出身地)は関東平野か

関東平野を自転車で行き来していると、この地域への愛着がどんどん深まる。俺も、那須野が原を馬で駆け回った那須与一ら野武士の血が流れているんではないかと思ったりする(彼が生まれたとされる居城「神田城」が我が那珂川町にある)。新幹線、あるいは車で走ってもこういう気持ちにはならない。自分の力でペダルをこいで走り回ると、身体がその土地と一体化し、愛着が湧いてくるのだ。

アメリカで暮らすと、常に自分のアイデンティティ、オリジン(出身地)を意識させられる。アメリカで私たちはエイジャン・アメリカンであり、日系人だ。私も日本がオリジンになるわけだが、もっと細かく言うと関東平野かもしれない、と今回思えた。平野に張りめぐられた川、そこを伝ってはぐくまれた河川交通と文化の伝播。川から舟運の益、水産物の恵み、農業の基礎となる水を得ながら暮らしてきた人々、その民家、伝統集落、、、それらがたまらなく懐かしい。

関東平野「高速自転車道網」の夢

堤防は優れたサイクリングロードだ。まず、どこまでも長く続く。しかも河川沿いの主要都市を結ぶ。そして、滝でもないかぎり、緩やかな勾配だ。川は登り下りすることはない。また、堤防は洪水を防ぐためのものだから必ず一定の高さがあり、眺望が良い。そして多くの場合自然が豊富だ。川本体の水以外に、広大な河川敷、その中の藪、草原、林、竹林、畑、氾濫原、石の河原などが広がる。河岸側にも広大な農地が広がり、舟着き場を中心にはぐくまれた伝統的集落が点在する。

堤防には、水害時の緊急車両、工事車両などの走行のため、簡易なアスファルト道路が通る。一般の車は入れない。しかし、自転車なら入れる。安全で快適な自転車走行ができる、ということだ。自転車道をつくれとサイクリストが要求する前からこんな優れたサイクリングロードが全国の河川沿いにあった。正式に「自転車道」と命名されなくても、すでに優れたサイクリングロード網だ。

そして、関東平野はでかい。地平線まで田園が続く。日本では最も広いだろう。カリフォルニアにだって、セントラルバレーを除くと、この規模の平原はあまりない。そしてこの広大な平地に大小の河川が配され、堤防サイクリングロードが伸びているのだ。

特に江戸川・利根川ルートには日本最長150キロのサイクリングロードが整備され、東京から群馬県渋川まで快適に行ける。宇都宮・栃木県北部方面もそれに次いで好条件。鬼怒川、小貝川、五行川、田川、思川などに沿って自転車道が伸びる。関東平野に「高速自転車道」網をつくろう。本格的なツーリング車で時速30キロで走れば、関東地方各地に5時間で行けるようになる。ガソリンをばらまいて行くより、自転車で行った方がかっこいい。そんな関東平野の自転車文化圏がつくれればすばらしい。