責任を感じないで下さい

バスケの試合形式練習での会話。
「続けて大丈夫ですか。無理だったら休んでください。」
高齢プレーヤーの私に若者が声をかけてくれたのだ。
「大丈夫です。死ぬまでやります。」
「死なれると困るんですけど。」

冗談の会話だ。しかし、後になって考えるに、本当に練習中に急死する可能性もなくはない。この日は珍しく30代も少し居たようだが、10代、20代ばかりの試合形式練習に出ることが多い。30代、40代、50代、60代が居なくて70代が一人居る。明らかに異常だ。

好きでやっている。あくまで自己責任だ。何があっても周囲は責任を感じないでほしい。「無理にでも止めさせればよかった」などと思わないでくれ。私に何かあった場合はぜひこの記事を読むこと。いざというときの連絡手紙としてこれを残しておく。後先考えずの突進。これでやっぱり急死するようなことがあれば、バカなやつ、この教訓を生かしてほしい、と後進へのよきアドバイスになる。運動もどこまでやれば健康によく、どこからが逆効果、危険になるか。後進の判断、もしくは医学的理解の一助になるだろう。

確かにすでに満身創痍だ。最近では1対1対決で思い切りぶつかりムチ打ち症になった。手のしびれは収まったが、後首の鈍痛は残る。膝も痛い、肩も痛い。古傷の股関節が痛む場合もある。一昨年は太ももの肉離れで半年休んだ。その他大小の傷、ケガは数え切れず。

今回のムチ打ち症が貴重な警告だったのかも知れない。医者いわく。「手がしびれるのは重症ですよ」「首の痛みは治らないですね。悪くならないようにしましょう」。軽く考えている私に医者はMRIの画像を見せた。確かに神経が通る管(脊柱管)が少しよれよれになっている。納得せざるを得ない。

なのになぜやっているかいうと、面白いからだ。若者とたたかうのは血沸き肉躍る。そして続けられる重要な要因の一つは、私は若い頃にバスケをやっていなかったことだ。まったくの初心者から55歳で始めた。当時大学教員をしていて周りに若い元気なのがいっぱい居た。共に体を動かすことになった。特に、名ばかりだがバスケ部長を頼まれ、それをきっかけに練習をはじめた。

若い頃からやっていれば、絶頂は20代で、その後、どんどん衰えるだけだろう。「こんなやつにも負けるのか」という状態になって、否が応でもモチベーションが下がる。ところが私は、(もちろん年とともに体力は下がるが)技術はなにがしか向上する。何しろゼロから始めたから。入らなかったシュートが入るようになる。レイアップシュートもできるようになる。フリースローも半分入るようになった。進歩の速度は若い時の10分の1で、つまり若いうちの1年の成長を10年で達成というレベルで悔しい。しかし、何しろ最初がゼロだから成長がゼロではなく、それが励みになる。最近は、「じいちゃん、ケガするなよ」とばかにしている若者を、(破れないにしても)慌てさせるくらいはできて、それも面白い。

そうやっていい気になってやっているうちに、どうにかなってしまうのだろう。最近も、とある県のPR担当女性社長が強すぎる「承認欲求」のため大変な失敗をしでかしたというニュースがあった。他山の石として肝に銘じなければならない。

むろん、必ず「どうにかなってしまう」ことを前提にやっているわけではない。別の可能性がありうるということを信じてやっている。体が「血沸き、肉躍る」状態を維持できると、精神も活発になる。「がんばらにゃ」と言い聞かせなくとも、体の中から未知の意欲がわいてくる。でなければ「アフリカに行こう」などという気にならない。壮大な理論的課題に立ち向かう気力も出る。カラオケさえ声が出るようになる。あれは芸術というより体全体で声を出すものらしい。もちろん、何より、体が頑健になって長生きできる可能性が高まると期待している。

どうなるかわからないが、とにかく挑戦する。ベンチャービジネスと同じだ。リスク覚悟で立ち向かう。素晴らしい成功が待っているかも知れないし、大失敗でぶちのめされるかも知れない。しかし、失敗して他山の石となることで社会に貢献できる。失敗してもベンチャーには必ず何か意味があるという教えを信じる。ちーん。