ずいぶん久しぶりにニューヨーク(アメリカ)に来た。入国審査で、米国パスポートの私は米国人(米国市民・永住者)の方に並ぶのだが、これがどうもアジア人、中南米系の顔ぶれが多い。対して「外国人」の列には、ヨーロッパからの旅行者など白人が多い。「逆転」だろう、いつからアメリカはこんな風になったのか、などと思いながら、20近く並ぶ入国審査ブースを見ると、そこの米国側審査官がいずれも黒人、中南米系、アジア系などの有色の人々。「アメリカ人」として一般にイメージするアングロ系白人は一人も居なかった。ようこそアメリカ、移民の街ニューヨークへ。
私の入ったアパートのあるブルックリンのサンセットパーク地区も同様に民族的に多様だ。Rの地下鉄を降りると活発な中南米系の街がある(5番アベニュー)。そこから3ブロック行くと今度は中国系の街だ(8番アベニュー)。さらに数ブロック行き、Dの電車のガードレール下あたりに来るとユダヤ系の街になる。
ユダヤ系の集住地区
黒い山高帽と裾の長い黒服を来た人々の集団をこれほどの規模で見るのは初めてだ。米国有数のユダヤ系集住地域ボロー・パーク地区の始まりだ。数日前にはユダヤ系のお祭りがあり、近くの街路に黒服の人々が集まり、大音響のスピーカーで民族(?)音楽を流しているのに驚いた、というよりたまげた。西海岸まで行くと、ユダヤ系の人々(やイタリア系、アイルランド系、東欧系の人々)は同化が進行して一般のアメリカ人社会に紛れ込んでしまうが(例えばロサンゼルスのビバリーヒルズが米国有数のユダヤ系集住地区だと言われてもピンと来ない)、東海岸ではまだこれらの人々が強いアイデンティティを保持している。(ニューヨーク市は、ユダヤ系人口が170万で、テルアビブに次ぐ世界第2のユダヤ人の街だという。)
私のアパートは8番アベニューの中華街に近い。アパートに入って3日目、中華街の端まで歩いてみようと、8番アベニューを南に下り始めた。そしたら続くわ続くわ。漢字の看板を出した雑貨店、スーパー、クリーニング店、金物店、レストラン、カフェなどが軒を並べる。ここは「ブルックリンのチャイナタウン」と言われている。ロウワー・マンハッタンのあの巨大なチャイナタウンとは違って5、6ブロックで終わりだろうと思っていたが、39番街から始まりN地下鉄の駅がある62番街になってもまだ終わらない。どうやら私のアパートはチャイナタウンのはずれの方だったらしい。歩くに従ってむしろ街が活気を帯びてくる。中南米系の街の方が大きいと思っていたが、むしろこっちのがすごいぞ。結局8番アベニューが高速278号線と出会う73番街くらいまで計34ブロック続いた。長さだけで言うなら、面積的に広いマンハッタンのチャイナタウンを上回り、世界最大と言われるサンフランシスコのチャイナタウンよりも大きい。私たち家族は1990年代にサンフランシスコの第2チャイナタウンと言われるリッチモンド地区クレメント街近くに住んでいたが、あれだってせいぜい十数ブロック続くだけだった。
アジア系、中南米系、ユダヤ系、そしてもちろん一般の黒人、白人の人たち。民族的に多様な人たちが混住している。サンフランシスコを経験してきた私でも、この民族的多様性にはどぎもを抜かれた。
ブルックリンとサンセットパーク
私のアパートがあるブルックリンは、域外者にはあまり馴染みがないかも知れないので説明しておくと、ニューヨーク市に5つある区のひとつ。高層ビルが並ぶマンハッタン区の南西、ブルックリン橋を渡ったところに広がる低層の住宅地域だ。かつては貧困地帯で治安も悪かったが、最近はマンハッタンからあふれ出た若く活力ある芸術家、起業家などが住み、活気づいている。私のアパートのあるサンセット・パーク地区は、その中心部からは南方に行ったところで、多磨霊園の1.5倍あるグリーンウッド霊園に近い便利な?所だ。2~3階建ての低層住宅が続き、子連れの家族が多く住む。やや高台になったところに芝生の美しいサンセットパークという公園があり、それが地域名にもなった。そこからマンハッタンの高層ビル街がよく見える(本サイトの最初の写真参照)。ワールドトレードセンターからエンパイアステートビル、そしてやや南の方には自由の女神も見える。今から16年前、人々はこの公園からマンハッタンの恐ろしい光景を目撃したのだろう、と考えながら散歩する。今は子どもたちがバスケやサッカーに興じ、中国人ご婦人たちが団体でのエアロビクスにいそしむる平和な公園だ。
この公園で昨日、草むらで食べられる草を摘み取っているアジア系のおじさんを見た。ホームレスとも思えない中国系ご婦人が、街路のゴミ箱からアルミニウム缶を拾い出している姿もよく見る。同じく昨日には、粗大ごみで出ている本箱のようなものを必死にアパートに引っ張り込んでいるおじいさんも見た(これはよく見ると岡部だった)。皆、移民の街で必死に生きている。私も負けてはいられない。