紅葉のニューイングランド(ボストン散歩)

10月18日(水)、ニューヨークから日帰りでボストンに行った。中国系の格安バス(一般に「チャイナタウン・バス」)もあったが、なぜか最大手のグレイハウンドが一番安かった。往復34ドル(行き:午前8時発20ドル、帰り:午後6時発10ドル、手数料4ドル)。1日前の予約だったが、数日前に予約をすれば往復共に10ドルくらいからあるようだ(週日の場合)。

出発の20分前、つまり7時40分までに、バス発着所(マンハッタンのポートオーソリティ・バスターミナル)に来いとのこと。珍しく早く起きて、マンハッタンに行く。通勤時間帯で地下鉄が混雑していた。駅からターミナルまで数ブロック歩くと、ミッドタウンは会社に向かう通勤の人々であふれていた。そういえば、朝の通勤時マンハッタンを見たのは初めてだ。こんなじゃだめだな。本当のニューヨークをまだ体験していないということか。

皆しかめ面をして、足早に歩いている。夕方のような和やかな表情や笑顔はない。あくびで口を開ける人も居た。東京の通勤時間帯の人々も顔もこんなだったな、と思い出す。

マンハッタンのミッドタウン西部にあるポートオーソリティ・バスターミナルは、223のゲートから毎日7000台の近郊・長距離バスが発着する世界で最も忙しいバスターミナルだ(ニューヨーク人は何でも「世界1」を付けるのが好き)。20分前に来たのに、バスは出発時間を40分すぎて到着。しかも、出発してからニューヨーク市内を出るまで渋滞で1時間近くかかった。ボストンでの滞在時間は5時間半しかないというのに、出発で1時間以上のロスは大きい。

グレイハウンド・バス発着ゲートで乗客が列をつくって待つ。
ニューヨークのポートオーソリティ・バスターミナル。ボストン行きグレイハウンド・バス発着ゲートに乗客が列をつくって待つ。バスが来るのが40分遅れた。

ターミナルを出るとバスはまっすぐリンカーン・トンネルに入り、ハドソン川を越えたニュージャージー側に出る。そういう構造になっているようだ。ボストンに行くのは通勤方向と逆なので午前8時発でも渋滞はないと思っていたが、とんでもない。わざわざボストンとは反対方向の郊外側に出て、それから朝の通勤マイカー群といっしょにワシントン橋を渡りマンハッタンに入りなおす。橋に入るまでがひどい渋滞だ。

ハドソン川をはさんでマンハッタンのビル街。
バスはターミナルを出ると、対岸のニュージャージー州側に出る。ハドソン川の向こうに朝のマンハッタンのビル街が見えていい景色だが、渋滞だ。
ハドソン川にかかるワシントン橋を渡る。
ワシントン橋を渡る。対岸がマンハッタン。右側がニュージャージー州側。
ハーレム川。
マンハッタン側に入ってからすぐハーレム川を渡る。この川がマンハッタンとブロンクスを分けている。

ニューイングランドは紅葉の季節だった

グレーハウンドバスの中。
グレーハウンドバスはさすがに車両もよく、窓から朝の陽光がさんさんと降り注ぐ。
車窓から山野の風景。
バスがきれいだと外の景色もよく見えるのか、前回のフィラデルフィア行きで見たニュージャージー州の山野より、美しい風景が広がる。
車窓から湖と山の緑と紅葉。
バスはすぐコネチカット州に入る。スタムフォード、ブリッジポート、ニューヘーブンとニューヨーク大都市圏の町々を次々と通るのかと思ったら、山の中ばかりを通る。高速道路とはそういうものだろう。街の中を通られてはたまらない。しかも、防風林のようなものに覆われて視界はよくない。こうした湖や川に接するところでだけ遠景が見渡せる。
水際の紅葉。
北上するに従って紅葉が美しくなっていった。ボストンのあるマサチューセッツ州など北東部6州は美しい紅葉で有名。これを目当てに来たわけではなく、本格的寒さの来ないうちに、と思っただけなのだが、思わぬ収穫だった。
バスの休憩。紅葉を背にクレーハウンドバス。
バスは沿岸を行くのでなく、内陸を通った。ハートフォードの郊外で休憩。
コネチカット州、紅葉の森。
紅葉の森。
コネチカット州、紅葉の森。
道路わきも紅葉。

ボストン到着

ボストンのバスターミナル前から中心部ビル街を望む。
ボストンに着いた。ボストンのサウスステーション・バスターミナルは1995年にできた新しいターミナル。ボストン中央駅(サウスステーション)の隣にある。ターミナルを出るとすぐ中心街のビルが目に入る。

ボストンには40年近く前の冬に訪れていた。しかし、零下20度の寒さで、降り積もった雪と口の中まで凍りそうな厳寒しか記憶にない。街を歩きだして、土地勘がまったくなく、何も覚えていないことに気づいた。そうだろう、街は雪に覆われ、寒くて観光どころではなかった。また来てよかった。「再訪」どころかまったくの初訪問と同じだ。(しかし、年寄りの記憶とはこんなものか。せっかく金をかけて旅行しても、土地勘どころか、どこを見たかさえ覚えていないのでは、行かなかったと同じだ。)

まだ10月のせいもあるが、幸いこの日は小春日和で暖かった。東海岸の気候というのはよくわからない。この時期だと、急に冷え込んだり、また暖かくなったりを繰り返す。セーターなど防寒用衣服を着てきたが、歩いているうちに暑くなり、結局最後はTシャツ1枚になった。

ボストンのチャイナタウン。
バスターミナルを出るとすぐ先に中華街の門が見える。さすがチャイナタウンはどこにでもある。しかも中心街近くにある。
ボストン中心部の公園ボストン・コモン。
市中心部の公園ボストン・コモン。1634年設立で、米最古の都市公園とされる。
ボストン・コモンの紅葉。
やはり紅葉が美しい。

フリーダム・トレイルを歩く

ここで弁当を食べたら、3時になってしまった。6時の帰りのバスまで3時間しかない。市内歩きを急がねば。幸い観光都市ボストンには、主な名所を網羅した約4キロの散歩道「フリーダム・トレイル」(自由の小道)が設定され、そこを歩いていけば重要ポイントはおさえられる。ボストン・コモン公園の中のビジターセンターからトレイルが始まる。

マサチューセッツ州議会議事堂。
ボストン・コモンのすぐ近くに小高い丘ビーコンヒルがあり、その最上部にマサチューセッツ州会議事堂が建つ。1798年築。州の行政府と議会が入る。
パーク・ストリート教会。
パーク・ストリート教会は改修中。
オールドサウス集会所。
オールドサウス集会所。1729年に教会として建てられたが、アメリカ独立革命に至る運動の中で市民の主要な集会場になった。1770年のボストン虐殺事件以後、毎年の追悼記念行事がここで行われた。1773年のボストン茶会事件の時には、ここでの集会後に群衆が港に繰り出し、(英国の課税に抗議して)英国船紅茶貨物をボストン港に投げ捨てた。いずれも1776年の独立革命に至る重要な事件。
ダウンタウン・クロッシング。
ダウンタウン・クロッシング。フリーダムトレイルからは少しそれるが、歩行者天国の2つの道路が交わる地点。この周辺一帯が街の中心と目される。ボストンの地下鉄網もここを中心に広がる。ボストン中心街ビジネス改善区(DBBID)が緑の看板を出して広報活動をしていた。ビジネス改善区(BID)は都市部再活性化の切り札とされる街起こしNPO。行政機関とも連携し、市が地域の不動産所有者から負担金を徴収する。商店主などが中心となり全米に1000以上のBIDがある。ニューヨークには67のBIDがあるが、ボストンは2011年設立のこのDBBIDだけ。歴史的建造物の保存・改修を行いながら中心部の活性化に取り組む。
フリーダム・トレイルの順路を示す歩道のレンガ筋。
フリーダム・トレイルの順路を示す歩道のレンガ筋。これさえ伝っていけば全部を見られる。なかなかいいアイデアだ。
旧州会議事堂。
旧州会議事堂。1713年に建てられた米国でも最も古い公共建築物の一つ。1770年、この建物の前で「ボストン虐殺事件」が起こった。繰り出した民衆に英国軍隊が発砲し、5人が死亡。のちの独立革命の引き金のひとつとなった。建物右前の路上に円形の記念碑がはめ込まれている(夫婦らしき2人が立っているところ)。
ファニエル・ホール。
18世紀のショッピングモール、ファニエル・ホール。1743年築の歴史的建造物(1764年に一度焼失して再建)。豪商ピーター・ファニエルの私財で建設され、1階が市場、2階が集会場だった。冬の寒さが厳しいボストンでは屋内市場が必須だったと思われる。19世紀に、需要に追い付かず、隣に下記クインシー・マーケットも建設。20世紀後半までにはさびれていたが、1970年代に一帯の歴史的建造物保存と相まって「ファニエルホール・マーケットプレイス」活性化事業が行われ、現在、この周辺は市民・観光客でにぎわうショッピングエリア、公共空間となっている。
クインシー・マーケット。
1826年築のクインシー・マーケット。手狭になったファニエル・ホールの裏手(沿岸を埋め立てた土地)に建設された当時全米最大規模のショッピングセンター。現在は歴史的建造物に指定され、買い物客でにぎわう。周辺を含めたファニエルホール・マーケットプレースの主要部を占める。

 

ポール・リビアの家。
ポール・リビアの家。1680年ごろ建てられたボストン最古の建物。1770~1800年に独立革命の英雄ポール・リビアが住んでいた。リビアは、独立戦争の初戦、レキシントン・コンコードの戦い(1775年)で「真夜中の騎行」を行い英軍の動きを植民地軍民兵に伝えた。後にヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの詩にうたわれ有名になった。
オールド・ノース教会。
オールド・ノース教会。ボストン現存教会最古の1723年築。レキシントン・コンコードの戦いの際、英軍の動きをこの教会に下げた提灯で伝えた。
ヨットハーバー。
湾奥に入り江が複雑に入るボストンは良港だった。現在は、このようなヨットハーバーも。
ボストン港。
ボストン港を望む。マサチューセッツ湾からの入り江が入り込む。
ボストンを流れるチャールズ川。
ボストンを流れ、マサチューセッツ湾(ボストン港)に注ぐチャールズ川。河口部に水位・潮流調節用のダム(チャールス川ダム、右手)がつくられ、その向こう側(上流)が公園リクリエーション地域として整備されている。ダム橋の上を地下鉄グリーン・ラインの高架線が走る。
ボストンのザキム橋。
チャールズ川にかかるザキム橋(レオナルド・P・ザキム・バンカーヒル記念橋)。州際93号と国道1号の高速道路用。2003年に完成し、ハープに似た形状でボストンの新しいシンボルになった。
米海軍フリゲート艦コンスティテューション。
チャールズ川河口のボストン港に係留される米海軍帆走フリゲート艦コンスティテューション(2200トン)。1797年進水で、航行可能現役艦としては世界最古。米海軍の象徴的な艦艦となったため解体の危機を何度も乗り切り改修・維持されてきた。
バンカーズヒル・モニュメント。
フリーダム・トレイルの終着点バンカーズヒル。1775年、独立戦争初期のボストン攻防戦「バンカーヒルズの戦い」があった。それを記念するモニュメントが1843年に建てられた。内部に294ステップの階段があり、登るのはきついが、最上部からボストンの市街がよく見える。
バンカーズヒル・モニュメント最上部から見たボストン中心市街。
バンカーズヒル・モニュメント最上部から見たボストン中心市街。
ボストンの住宅街。
バンカーズヒル周辺の住宅街。伝統的な建築、街並みを模しているようだ。

帰りのバス便に遅れる

バンカーズヒル・モニュメントの294段の階段を勢いよく登り下りし、足がつってしまったが、さて次はハーバード大学やマサチューセッツ工科大学のあるケンブリッジだ、と進路を模索。が、ふと時計を見ると5時を過ぎているではないか。ケンブリッジどころか、帰りのバス(6時)にも余裕がない。すぐバスターミナルに戻らねば。

バンカーズヒルからボストン中心部に帰るには、数ブロック下った地下鉄オレンジラインのコミュニティーカレッジ駅に出るのが正解なのだが、どうゆうわけか迷い、グリーンラインのレッチミア駅まで来てしまった。

そこからライトレール地下鉄に乗り、市中心部で乗り換え中央駅サウスステーションへ。急いで隣のバスターミナルに入ったのが4分遅れの6時4分。バスは出た後で発着ゲートは閑散としていた。ニューヨークを出る時は20分前に行ったのに40分遅れ。今度はたった4分遅れなのに置いきぼりだ。運命の神様のいたずら。

午後6時でなく、もっと遅い時間の帰り便を予約すべきだった。6時発が10ドルと安いのでついクリックしてしまった。貧乏人、安物買いの銭失い。しかし、歴戦のたびにんは失敗してもくさらないものだ。これは運命の神様が別のめぐり合いを用意してくれたのかも知れない、と前向きに考える。不運が返って吉となりいい経験ができたことは皆さんもあるのでは。

もう一泊して明日ケンブリッジを見て何か新しい発見があるのかも知れない…などと考え、近くのチャイナタウンで安宿探し。が、ボストンの中華街は小規模で宿のようなものはまったくない。少し離れたところにユースホステルがあったので、聞くと残っているのは1泊88ドルの4人部屋ベッドだけだとのこと。こりゃだめだ。20ドルで毎日ニューヨークから往復した方が安上がりだ。

バスターミナルに戻り、次のバス便を探す。グレイハウンドは満員売り切れ。しかし、チャイナタウン・バスの雄、ラッキースターの10時半発のバスがあった。25ドルと高いが止むを得ない。

乗り込んだラッキースターのバスは、グレイハウンドのバスよりも新しい立派な車両だった。窓もきれいに磨かれ、汚れスポットさえ付いていない。そうか、別の新しいめぐり合いはこれだったか。グレイハウンドだけでなく、やはりチャイナタウン・バスを体験しなさい、と運命の神様はのたまわった。

ボストンの地下鉄グリーンライン。
地下鉄グリーンラインはライトレールだった。郊外では地上、市内に入ると地下にもぐる。
ラッキー・スターのニューヨーク行き長距離バス。
ピンボケになってしまったが、真新しい車両であるのはわかるだろう。ラッキースターのニューヨーク行き長距離バス。

大手高速バスの寡占を崩すチャイナタウン・バス

グレイハウンドなどの寡占体制が続いていた米長距離バス市場に、1990年代末から、街頭乗り降りを基本にした格安の中国系バス会社が参入してきた。当初は市中心部に近いチャイナタウン間を結ぶ中国系の人々のためのサービスだったが、次第に一般の人々にも知られるようになり、米高速バス業界の寡占体制を崩し始めた。グレイハウンドなど大手も、現在は、街頭乗り降り方式の格安バス事業を系列会社で始めている。

チャイナタウン・バスは現在、東部ニューヨークなどを中心に米24州、カナダ3州で運行。特に当初は、安全上の問題や事故、ギャングがらみの暴力、殺人などの問題が取りざたされた。連邦、州当局の規制も厳しくなり、2013年には連邦自動車運輸安全局(FMCSA)から、20以上のチャイナタウン・バス会社が安全上の理由で業務停止処分。しかし、こうした批判の多くが偏見に基づいており、言葉の問題があり大手のような政治力を持たない移民社会の会社が不当に扱われているとの指摘もある。例えばJim Epstein, “The Government’s Cheap, Dishonest Campaign Against the Chinatown Bus Industry,Daily Beast, November 2, 2013。チャイナタウン・バス会社自身からの反論としては次のようなものがある。

http://www.chinatown-bus.org/history/

https://www.gotobus.com/chinatownbus/history/

私の乗ったチャイナタウン・バスのラッキースター社も、2013年、それまで事故を起こしていないにもかかわらず、安全上の理由で業務停止処分を受けた。さらに改善を図り、車両や機器を新しくするなどして同年中に再開を許可された。グレイハウンドよりいいバスだったのはこのためだろう。ボストンでは路上での乗客乗り下ろしが禁止され、ラッキースターもバスターミナルを使うようになった。政府当局対応向けめ高額料金のコンサルタント会社と契約するなどの手も打った。上記デイリー・ビーストの記事によると、こうした諸々の出費で料金も高くなったという。

夜中の2時半、ニューヨーク着

ボストン発のバスは定員の半分くらいの乗客で夜10時半定時に出た。歩き回って疲れていたので熟睡。バスが止まり乗務員に起こされた。途中休憩かと思ったが、ニューヨークだった。あっという間に4時間たって午前2時半。

夜、バスからたたき起こされ、見知らぬ街に出る、という苦しい経験はこれまで何度もあった。しかし、住んでいる街に着くのは楽だ。下りた瞬間どこに着いたかわかり(チャイナタウン外れのマンハッタン橋入り口付近)、どこの地下鉄駅に行けばいいかわかった。ニューヨークは一晩中地下鉄が動いているからありがたい。警官が厳重監視するグランド駅のホームに降りるとD線の列車がすぐ来た。家に帰り改めて寝なおした。