雨の日曜日、近くのコイン・ラウンドリーに行ったら空いていた。普通、週末は人がいっぱいで、洗い機確保に苦労するのだが。週末は雨天日をねらえ。重要な教訓を学んだ、と思って気づくと、もうラウンドリーに来ることはない。近くニューヨークを旅立つ。
アイルランド・ダブリン行き航空券を予約してから、妙に感傷的になってきた。近くのチャイナタウンを歩くのも、公園を散歩するのも、もうお別れだな、という感情が先に立つ。息子の家に行くのも、地下鉄で行けば速いのに、街をながめたいとわざわざバスで行く。3回乗り換え、3時間かかって約束の時間に遅れた。うらびれた地下鉄に乗っても「これも見納めか」。地上に出るあたりの線路わき側溝を見ても、「もうこれを見ることはないのか」。ちょっと異常だ。
息子夫婦が仕事の関係でサンフランシスコに移ることになった。彼らの支援?の建前でニューヨーク三昧の生活を家族から許されている。私もやはりサンフランシスコに移らざるを得ない。ニューヨークは離れる。ビジネスでもやっていれば出張でまた来るかも知れないが、そうでなければ、せいぜいあと50年の先の短い私はもうここに来ることがないかも知れない。そう思うとなおさら感傷的になった。
ある時、わけもなくマンハッタンの高層ビル街をさまよっていて、ついに限界に達した。何をやっているのだ、私は。もういい。街など、ニューヨークもサンフランシスコも、ダブリンも名古屋も同じだ。地上に建物が密集して空方向に立つ。そこに私はずっと暮らし続けるのだ。
以後、感傷が消え、粛々と引っ越しの準備をした。
11月13日、これからヨーロッパに行く。まず空港(スチュワート空港)までが長旅だ。まずい、時間がないぞ。