1年半住んだニューヨークの感傷に浸る間もなく、NYスチュワート空港にぎりぎりセーフで到着。翌朝ダブリンに着いて、それからすぐあわただしいヨーロッパの旅が始まった。過ぎた日々をゆっくり振り返られるのはいつだ。
ダブリンでの2日目、明るいうちは歩き続けた。運動のつもり。ダッシュやバスケの激しい運動ができないから、そのかわり9時間歩く。日が短いからまあ9時間だ。全力バスケ2時間よりは楽だ。
アイルランドは物価が高い。アメリカよりも高い。年金生活長期滞在の候補地として期待していたが、失格。コーラが一缶200円くらいする。水が清涼飲料水と同じくらい。その代わり牛乳、ヨーグルト、ジュースが相対的に安く感じる。途上国では相対的に高く感じて買わなかったものだが、ここではよく買って飲む。地元産牛乳は最安が500ミリリットル75セント(90円)だから実値でも安いのだろう。
アイルランドは、大西洋に近いから、イギリスよりさらに海洋性の気候だ。常に曇りか小雨。暗い。文化的にはニューヨークの延長で、あまり変わったとは感じない。しかし、確かに高層ビルはない。道路は細く曲がりくねっている。名所旧跡が11xx年建立とか、9xx年にどうの、などはさすがにアメリカとは違う。人々の表情もニューヨークよりさらに暗い感じ。
苦労してきた国民だ。長いことイギリスの植民地だった。1348年には黒死病(ペスト)で人口の3分の1が死に、17世紀の清教徒命時にはクロンウェルに侵略され、その後の混乱でまた人口の3分の1を失い、1840年代には飢饉で人口の20%を失い、大量のアメリカ移民が発生した。現在、アイルランド系アメリカ人の数は3600万人なのに、アイルランド本国人口は480万人に過ぎない。アイルランド人口は現在も、19世紀の飢饉以前に戻ってないという。天気も暗いし、性格も暗くなるわけだ。
あてもなく歩いているといろいろ発見がある。アイルランド独立の小さい博物館があった。独立は1921年だった。第1次大戦が革命戦争に変わったのはロシアがあまりに有名で、陰に隠れてしまったが、アイルランドも同じ経過をたどった。ギネスブックを始めたのがギネスビールで(今は別会社)、そのギネスビールの本社はダブリンだった。工場地帯を歩いてきた。
ダブリンとヘルシンキは物価が高いからおちつけない。2日ずつ、飛ぶように移動する。4日間のがまん。その後バルト三国に入れば、個室宿に入れるはず。
クライストチャーチ大聖堂。創設は1030年。建物は19世紀に大規模改修されたもの。