ダブリン記

アイルランド・ダブリンの市街。街の中心部オコンネル橋付近。ダニエル・オコンネルの銅像が立つ。オコンネルは19世紀の政治家で、プロテスタント系のイギリスの支配下にあったアイルランドでカトリック教徒差別撤廃に尽力した。

1年半住んだニューヨークの感傷に浸る間もなく、NYスチュワート空港にぎりぎりセーフで到着。翌朝ダブリンに着いて、それからすぐあわただしいヨーロッパの旅が始まった。過ぎた日々をゆっくり振り返られるのはいつだ。

ダブリンでの2日目、明るいうちは歩き続けた。運動のつもり。ダッシュやバスケの激しい運動ができないから、そのかわり9時間歩く。日が短いからまあ9時間だ。全力バスケ2時間よりは楽だ。

アイルランドは物価が高い。アメリカよりも高い。年金生活長期滞在の候補地として期待していたが、失格。コーラが一缶200円くらいする。水が清涼飲料水と同じくらい。その代わり牛乳、ヨーグルト、ジュースが相対的に安く感じる。途上国では相対的に高く感じて買わなかったものだが、ここではよく買って飲む。地元産牛乳は最安が500ミリリットル75セント(90円)から実値でも安いのだろう。

アイルランドは、大西洋に近いから、イギリスよりさらに海洋性の気候だ。常に曇りか小雨。暗い。文化的にはニューヨークの延長で、あまり変わったとは感じない。しかし、確かに高層ビルはない。道路は細く曲がりくねっている。名所旧跡が11xx年建立とか、9xx年にどうの、などはさすがにアメリカとは違う。人々の表情もニューヨークよりさらに暗い感じ。

苦労してきた国民だ。長いことイギリスの植民地だった。1348年には黒死病(ペスト)で人口の3分の1が死に、17世紀の清教徒命時にはクロンウェルに侵略され、その後の混乱でまた人口の3分の1を失い、1840年代には飢饉で人口の20%を失い、大量のアメリカ移民が発生した。現在、アイルランド系アメリカ人の数は3600万人なのに、アイルランド本国人口は480万人に過ぎない。アイルランド人口は現在も、19世紀の飢饉以前に戻ってないという。天気も暗いし、性格も暗くなるわけだ。

あてもなく歩いているといろいろ発見がある。アイルランド独立の小さい博物館があった。独立は1921年だった。第1次大戦が革命戦争に変わったのはロシアがあまりに有名で、陰に隠れてしまったが、アイルランドも同じ経過をたどった。ギネスブックを始めたのがギネスビールで(今は別会社)、そのギネスビールの本社はダブリンだった。工場地帯を歩いてきた。

ダブリンとヘルシンキは物価が高いからおちつけない。2日ずつ、飛ぶように移動する。4日間のがまん。その後バルト三国に入れば、個室宿に入れるはず。

ジャガイモ飢饉のモニュメント。アイルランドでは1845~1849年に主食となるジャガイモが疫病で大打撃を受け、人口の20%を失う大飢饉が発生した。
現在もダブリン市民の表情は暗い。え、暗いか?

クライストチャーチ大聖堂。創設は1030年。建物は19世紀に大規模改修されたもの。

イギリスのアイルランド支配の拠点となっていたダブリン城。13世紀からこの場所に砦がつくられていた。
伝統的街並み。
ギネスビールの工場地帯。