ウイルスと私たちの並々ならぬ関係

ウイルスについて勉強している。勉強せざるを得ない。こういう時期だから。

いろいろ読む中で、武村政春氏の諸論考が面白かった。ウイルスは悪さをするだけでなく、人間を始め多くの生物と共生し、進化に関係し、もしかしたら生命の進化とも深くかかわっているかも知れない。それは多くの人が語っているが、武村氏はさらに踏み込んで大胆な仮説まで出しているように思われる。例えば、武村政春『新しいウイルス入門』2013年、『巨大ウイルスと第4のドメイン』2015年、『生物はウイルスが進化させた』2017年(いずれも講談社ブルーバックス)など参照。さらにくだいて説明してくれた記事もある。この人は学者でありながらくだけた文章が非常にうまい。

「ウイルスの惑星」

武村は、地球は「ウイルスの惑星」と呼ぶにふさわしいという。地球上の全生物の数の10倍以上のウイルスが存在するという。地球は、人間の惑星でも、生物の惑星でさえもないというわけだ。大量のウイルス群集の中に、ヒトもちょっと顔を出す。

一般に地球上には10,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000(10の31乗)個のウイルスがおり(あり?)、粒を連続して並べると1000万光年になり、銀河系の大きさの約100倍に相当する。この広く出回った数字の最初の出典は1999年のRoger W. Hendrixらの論文らしい。現在の知見でこれが正しいかどうか検証した奇特な人が居て、ほぼ正しいという結論になったようだ。ウイルスの種類数としては、既知174万種の多細胞生物に取りつくウイルスとして約1億種類が推計されている。しかし、ウイルスの多くはバクテリアなど単細胞生物に寄生するものというから、その種類はさらに多くなるだろう。

海洋のウイルスについて調査したCurtis A Suttleは、上記Hendrix(の海洋部分推計)より4倍大きい数字を出し、別稿でいろいろ素人にもわかりやすい比喩をしてくれている。それによると海洋の全ウイルスは炭素換算1億トンに達し、これはシロナガスクジラ7500万頭に匹敵する。(ただし、バクテリア、アーキアなど原核生物は炭素換算52億トンでさらに圧倒的)。数にすればウイルスはバクテリアの約10倍で、海水1リットル平均1000万個を数え、近海水なら1リットル内に「地上の人間の数より多い」。海洋のウイルス全数は宇宙の星の数の1000万倍に相当。地球上の遺伝子情報としてもウイルスが最も多様に存在する。「もし異星人がランダムに地球のサンプルを取れば、惑星で支配的なのはこうした微視的生命、そのほとんどがウイルス、と知ることだろう」という。

我々の細胞核はウイルスがつくった

中学理科で、細胞の構造について習ったのを覚えているだろう。生物の基本単位は細胞で、そして動物や植物の細胞には核があって、その周りの細胞質にはミトコンドリアがあって…などと。原生生物なども含めてこれら細胞核をもった生物は真核生物と呼ばれ、核のない原核生物(バクテリアやアーキア)などよりも「発達」した生物ということになる。

我々動植物が「高等」であることの証であるこの細胞核が、実はウイルスによってつくられた。武村政春がそうした説を出した。2001年のJournal of Molecular Evolution誌に発表した論文で提起した。

それまでも、細胞内小器官がバクテリアなどによって形成されたことは徐々に明らかになっていた。ミトコンドリア(呼吸とエネルギー生成を担う)、葉緑体(光合成を担う)はバクテリア起源だ。しかし、細胞の中心とも言うべき核がウイルス起源だというのだ。(ミトコンドリアや葉緑体がバクテリア起源なのに、最重要の細胞核が「格下」のウイルスによってつくられたというのは面白い。)

しかもそのウイルスは、かの恐るべき天然痘を引き起こすポックスウイルス類似のものという。ポックスウイルスのDNAポリメラーゼ(DNA複製で中心的役割を果たす酵素)と細胞核のDNAポリメラーゼが類似している。そして、ポックスウイルスは、他のウイルスと違い、核の中に入らず、細胞質内で独自の「ウイルス工場」をつくり自己を再生産する。核のないところにウイルス工場をつくるわけだから、こうしたウイルス工場が細胞核になっていくと考えるのはつじつまが合うだろう。

武村は、「真核生物の細胞核は、その祖先細胞がウイルス工場を形成するようなウイルスに感染した後、 そのウイルス工場がやがて進化してできたものではないか、というシナリオが考えられる」「むろん、たった一回の感染でいきなりボコンと、ウイルス工場だったものが細胞核になったと いうわけではあるまい。そこにはきわめて気の長い、細胞とウイルスの相互作用と、両者におけ る絶妙な変化が必要であったはずなのだ」(『生物はウイルスが進化させた』、p.188)と言い、具体的な進化の道のりをいろいろ考察している。

胎盤の形成もウイルスが

ウイルスはときに生物とのバランスを崩し、新型コロナウイルスのように人間にも多大な害悪をもたらすが、ほとんどの場合、生物と共生し、むしろ生物の生存と進化に根幹的な役割を果たしてきた。細胞の基本中の基本である細胞核までつくった。もう一つ例を挙げれば、哺乳類アイデンティティの根幹とも言える胎盤の形成にもウイルスが重要な役割を果たした。武村も『新しいウイルス入門』で詳しく紹介しているが、エイズウイルスなどがその中に含まれるレトロウイルスに似たウイルスがかつて哺乳類の祖先に感染した際、胎盤を形成する遺伝子「シンシチン」をもたらした。

そもそもヒトゲノムの40%はウイルス起源で、私たちの体の根幹は訳の訳のわからない存在と交じり合っている。何十億年もの長い進化史の中で我々はウイルスと並々ならぬ深い関係を結んできた。

大胆に仮説を論じている

武村は諸著書で、ウイルスのこのあまり知られていない側面を紹介しては、最後の方で、それをもとに大胆な仮説を展開している。『生物はウイルスが進化させた』ではあとがきで次のように断っている。「本書の内容のほとんどは「仮説」である。第1章の内容は、これまでに報告されてきた巨大ウイルスに関する知見の概要だからそうではないが、残りの大部分、とりわけ第4章はほぼ全編にわたって、私を含む一部の研究者が考えている仮説に依拠している。それは、すべての生物学者の中でコンセンサスが得られているような、限りなく定説に近い仮説ではない。むしろ、このように考えているのは少数派であろう。この「仮説度」の高さは、前著『巨大ウイルスと第4のドメイン」の比ではない。」(p.243)

仮説大いに結構。大変刺激される。もともと文系は科学かどうかあやふやな社会科学などにのめり込み、「思想」や「イデオロギー」かのように仮説に仮説を重ねる議論が好きだった。いや、それを武村氏らの仮説と一緒にしては申し訳ない。仮説を立てることで新しい視座が開け、その検証に向かう中で新しい科学的発見が生まれるということだろう。

ヴァイロセル仮説

彼の依拠する「私を含む一部の研究者が考えている仮説」の根幹には、仏パスツール研究所のパトリック・フォルテールによる「ヴァイロセル仮説」がある。ウイルス観の転換ともいうべき「きわめて先駆的でアクの強い仮説」(武村)だ。

ウイルスは、一般的には生物ではなく物質のようなものだととらえられている。呼吸せずエネルギー代謝を行なわず、したがって自ら動くことはなく、何よりも自ら増殖せず、生物の中に宿借りしてはじめて自己を再生産できる。細胞はなく、電子顕微鏡で見ると正二十面体のような結晶の形をしたのが多い。

だが、これはウイルスの一面をとらえたもので、ウイルスの本体はむしろ生物細胞の中に侵入してウイルス工場を作動させた状態の中にこそある、とする。ウイルスに感染した細胞をヴァイロセル(ウイルス細胞)と呼び、むしろこれこそウイルスの本体と考える。例えて言えば、これまでは精子のようなのをウイルスと考えていたが、それが卵子と合体して受精卵から生命体がはじまったところこそウイルス本体と考えるということだ。だから、これまでウイルスと言われていたものを「ウイルス粒子」と呼ぶ。それが生物細胞に入って本来的なウイルス活動を始めた姿を中心に置き、それを「ヴァイロセル」というわけだ。

するとどうなるか。ヴァイロセルは生物になる。細胞をもち、独自の増殖活動を行う「細胞性生物の一つ」になる。確かに侵入された生物も独自の生命で、細胞はもともと彼らの細胞だった(こちらを「ライボセル」と呼ぶ)が、共存的な関係は生物界には広く見られる。ウイルス粒子がライボセル(生物細胞)内に活動の場を見出しそこに寄生する。それがヴァイロセルとして生物的な活動を始める。時に遺伝子まで交換して並々ならぬ関係に入り、生物(ライボセル)側の進化までお膳立てする。

宇宙に物質と反物質があるように、生命世界に生物とウイルスという二大ワールドがあるかのようだ(私の勝手な解釈)。それが緊密に関係し影響を与え合い、互いに進化発展を駆動する。いや、ウイルスの方が生物よりずっと数が多く、地球が「ウイルスの惑星」であるならば、むしろウイルスの連綿たる活動の一部に生物も組み込まれているだけかも知れない。生物とは要するにウイルスの自己再生産の場として用意されているものかも知れない。生物は、そのようにウイルスに駆られてきた。

現在、生物界の親玉と勘違いして地上にのさばっている種もいるが、とんでもない。ウイルスとの共存バランスがちょっと乱れただけで、絶滅とまではいかずとも、大混乱に陥る。そういう哀れな存在なのだ、我々は。

有性生殖の起源は?

ウイルス粒子が精子に似ているという点について武村は面白い描写をしている。

「精子は頭部と尾部(しっぽ)からできた不思議な細胞で、頭にはほとんど細胞核(ならびにDNA)しかなく、しっぽの付け根にはやや膨らんだ部分(中片部)があって、ここにはしっぽの運動のためのエネルギーを生み出すミトコンドリアがある。/卵に頭部を突っ込んだ精子からは、細胞核(ゲノムDNA)だけが卵の中に入っていき、他の 部分は捨てられる運命にある。つまり、受精したその時点で精子という細胞は消えてなくなり、残るのは卵の細胞質に入り込んだゲノムDNAだけとな る。どこかで聞いたような話ではないだろうか?/そう、ミミウイルスやパンドラウイルスの粒子がアカントアメーバ細胞内に入り込み、ゲノムDNAを含むコ アを放出するという話だ。/精子とウイルス粒子の違いは、精子が入り込む相手は 同じ生殖細胞である卵であるのに対し、ウイルス粒子が 入り込むのは受精相手ではなく、宿主となるべきアカントアメーバである、という点だろう。」

いかに「仮説度が高い」仮説を展開するといっても、生物学者である武村氏には矜持があるのだろう。極端なことまでは言わない。しかし、しかしこんな事実を示されると素人の私は、そうか、精子と卵子の有性生殖もウイルスが関係して生まれたのかも知れない、などと思ってしまう。ウーム、ウイルス恐るべし。

自身は死んで子孫を残す

ウイルスが生物細胞に入れば普通は「共生」とは言いにくい。細胞(ライボセル)内で細胞の力を横取りして新しいウイルス粒子をつくる。子孫が大量にできると、細胞を破壊して外にばらまく場合もある。生物細胞は殺されてしまう。

しかし、ということはウイルス本体たるヴァイロセルも死ぬということだ。自身は死ぬが、生殖細胞にあたるウイルス粒子をつくり周囲にまき散らす。それがまたどこかで生物細胞に入り新たなヴァイロセルを形成する。やはり生物の営みに似ている。武村の言葉によるとこうだ。

「ヴァイロセルの中心的な機能を遂行しているウイルス工場は、さしずめヴァイロセルの「細胞核」ということになる。この「細胞核」は、ヴァイロセルのゲノムDNA(すなわ ちウイルスゲノム)を大量に複製しながら、周囲のリボソームで作られた大量のヴァイロセルタンパク質(すなわちウイルスタンパク質)を自身の内部、もしくはその周辺領域に集積させる。/そうして、その周囲でカプシドを形成し、ウイルス粒子を成熟させて、それをあたかも「生殖細胞」であるかのごとく、大量にヴァイロセルの外へと放出する。」(p.223)

そして、ミミウイルスの場合を例にとり、こう続ける。「ヴァイロセルが死ぬのは、これら新しいミミウイルス粒子が 放出された後である。ミミウイ ルス粒子を放出したヴァイロセ ルはその形を失い、雲散霧消す るように消え去る。このシーン は、多細胞生物の個体が生殖を達成した後に死ぬ、その場面とじつによく似ている。/放出されたミミウイルス粒子は、新しいライボセルに侵入し、そこに新たなヴァイロセルが生まれる。そのようにして、同じサイクルが繰り返されていく。このシーンもまた、生殖細胞によ る生殖が繰り返されていく、私たち普通の、細胞性生物のありようと類似している。」(pp.225-226)

これまで言われていた「ウィルス」を、実はウィルス細胞の本体であるヴァイロセルの単なる「生殖細胞」的なもの(ウィルス粒子)ととらえ、生物細胞内につくられるウイルス工場をヴァイロセルの「細胞核」ととらえてしまう。さらには、そこで行われる生殖活動の周辺を、一代限りで消滅する(多細胞生物の)体細胞とも重ね合わせ、なかなか意味深だ。(生物が多細胞生物に進化する上でも何らかの関与? いや、うがちすぎか。)

11次元に支配されていた

生命の在り方には実に多様なものがありそうだ。その一時期を見て「物質だ」とされてきたウイルスも、かなり異なる様式でだが、生命活動をしているように見える。そして、自然界ではこのようなウイルス界こそ主流だ。現実の存在の前に、私たちの方こそ生物の概念を変える必要があるかも知れない。

生物側があまり気づいていない広大なウイルス界があった。その活動に私たち生物は深くかかわり、組み込まれ、時に進化までさせられてきた。これまで見えなかったダークマターがそこら中にあることがあったような感覚。宇宙の11次元構造が広大に支配していて、その中に我々は何も知らずに暮らしてきていた。そんな世界の転倒感を味合わせてくれた。