共産主義は「昭和」だった

共産主義消費者博物館

ティミショアラの共産主義消費者博物館には、「昭和」の、つまり共産主義時代の家庭のありとあらゆる生活用品、雑貨が並べられていた。

若者たちの交流の場

君はどうしてこんなところに来たの?と聞くと若者は、「楽しいからだよ。」

しかし、これは共産主義の博物館だろ。共産主義に興味あるの?共産主義をなつかしがってるの? 「共産主義には悪い面もあるし良い面もある。何よりも僕らのヘリテッジ(伝統的遺産)の一部なんだ。親の世代、祖父母の世代がこういう時代に生きていたんだし。」

共産主義時代の生活を展示した博物館に来たつもりだった。確かにアパートの地下に展示室があり、当時の一般庶民の生活をしのばせるありとあらゆるガラクタ(失礼!)が所狭しと並んでいる。当時を知る人たちにとってはたまらなく懐かしい家具、調度品、生活用具のたぐいだろう。

しかし、この博物館(Communist Consumers Museum、「共産主義時代の生活博物館」くらいのニュアンスだろう)の主体はそれではない。若者のたまり場となっている1階のバー、レストランが中心だ。地下の懐古趣味の博物館は一種の余興だ。実際、そこに客はだれも居なくて、私一人が珍客として見て回ることになった(無料)。地下に昔なつかしい風物があるバーに集まってきて、しかし、昔の思い出に浸るのでなくて、若者たちが楽しむ。ことによったらヒップな(カッコいい)場所かも知れない。お酒を飲むし食事もとる。デートで来ているカップルも居る。小さいながら映画上映室もある。「博物館」を名乗っていながら開館(営業?)時間は、夜11時までと遅くまで開いている(午前10時から、日曜だけ午後2時から)。

確かに東欧の共産主義は平成元年(1989年)にあらかた消え去り、共産主義は「昭和」を象徴する過去の物語になった。日本でも、書類ばかりでIT化できない古い会社体質に「昭和かよ!」と叫ぶコマーシャルがある。昭和っ子である私などは複雑な気持ちになるが、この「博物館」もまさにその乗りで、古く生きにくく、しかしどことなく懐かしい抒情あふれる「昭和」が漂っている。

しかし、来ているのは若者ばかりだ。昭和を懐かしむおじさん、おばさんが来ているのではない。

父母、祖父母らの時代のヘリテッジ

しかし、君らは共産主義とたたかったんだろう。「確かにティミショアラは共産主義を倒す革命がはじまったところだ。しかし、僕はその後に生まれた。」

「私は生まれていたね」と少し年上の男が横から口をはさんだ。「これはマオ(毛沢東)のヘリテッジ(伝統遺産)なんだ」と、私を中国人だと思ってか、ちゃちゃを入れてくれる。まあ、中国人であろうと日本人であろうと、遠い東洋の国からの客であればマオさんを例にとればわかってくれる、ということなのであろう。

「この紙の裏側に英語がある」と紹介文を渡してくれたので、その若者から話を聞いたのだ。ここに来る若者は皆英語がたっしゃのようだ。紹介文には「親愛なる同志たちよ、私たちの過去を訪問しよう」とある。「普通のアパートに見せかけたこの共産主義消費者博物館を目と耳、そして触って探ってみう。タンス、引き出し、キャビネットなどにかつてルーマニアの黄金時代に製造された何千と言う物品を見つけ出せるだろう。」

「同志たち」「黄金時代」と、もちろんおちょくっているのだが、懐古趣味も明らかにある。「本館は民間の事業で、政治的・イデオロギー的な立場は持っていない。入館は無料。寄付は受け付ける」とある。食事も出すし、最近は古書、古レコードの販売も始めたとの案内も、それとなく挿入されている。

博物館なら、近くに行けばすぐわかるだろう、と思ったのだが、かなり迷った。薄暗い住宅街の普通のアパートの奥に明かりが点いていて、これが「共産主義消費者博物館」だった。目に付くような看板もない。明かりの点いているあたりがバーの中庭で、そこでも若者たちがグラス片手に立って賑やかに話し込んでいた。
アパートの地下が博物館。「昭和」のありとあらゆる生活用品が所狭しと並べられている。
同上。
1階はバー、レストラン。お客にはカメラを向けられないのでバー店舗の写真だけに留めるが、立ち話も含めて多くの若者がにぎやかに歓談していた。
狭いながら映写室もあった。

革命発端の場所に近い

ティミショアラは1989年12月、ルーマニア革命の発端が開かれた場所だ。そのさらに発端は、人権派牧師の追放処分に抗議してセントマリア広場周辺に集まった人々の行動だった。

「ここは革命がはじまったマリア広場に近いんだ。行ってみたらどう。」

そう言われて、行くことにした。夜だが、抵抗の集会も夜に活発化したわけだし。市電の走る道を20分ほど歩くと、マリア広場に着いた。ベガ川が近くを流れ、その橋を渡ればすぐ勝利広場など中心部に出られる場所だった。もちろん今は歩く人も少なく、小雨の中ひっそりと広場と教会がたたずむだけだった。

ティミショアラの革命が始まったセントマリア広場。追放処分を受けた人権派のテケーシュ・ラースロー牧師は、ここの教会(「改革派教会」)に属していた。
同上。