バレッタ散歩

さあ、前回の記事の通り、宿のあるマルタ大学あたりから首都バレッタの入口まで歩いてきました。バスターミナルと噴水のある広場まで来て、45分の散歩は一区切り。いよいよ本ちゃんのバレッタ市街見学と行きましょう。

噴水のある広場の向こう側にバレッタ市街の入り口が見えます。行政区域としてはすでにこの辺もバレッタ市ですが。
バレッタ市街はこのような巨大な城壁と堀で守られています。フィオリナの外にも城壁がありましたが、これが本丸。さすがにこれじゃ、敵も登れないですね。しかし、1565年の大包囲戦のときには、オスマン・トルコ軍は石を弾丸にした大砲で城壁を破壊したとのこと。この堀をまたいでバレッタのメイン通り「レパブリック通り」がはじまっています。(すみません、英語読みでいきましょう。)
バレッタのメイン通り「レパブリック通り」。お店やレストランが軒を並べ、いつも人がいっぱいです。
市街に入ってすぐの左、Capital Souvenir Shopは荷物預かりサービスもしています。1日2.5ユーロで、私が見た限り最安です。路線バスターミナルも近いので便利。この左隣にバーガーキングがあり、私はよく食べていたが、どうでもいいことか。
すぐ右手に見えてくるのが、ロイヤルオペラハウス跡。古代ローマの遺跡のように見えるが、1873年築。マルタの代表的建築だったが、1942年4月、ドイツ軍の空襲で徹底的に破壊された。以後、再建の動きが始まっては途切れ、結局、破壊された状態のまま、内側に野外コンサート会場がつくられた。夏はここで各種イベントが開かれる。なお、その手前にある四角い近代的なビルは、2015年に完成した議会議事堂ビル。
レパブリック通りに夜来ると…
レパブリック通りを歩くとすぐ左手に国立考古学博物館が見えてくる(旗がかかげられている)
中に入ると、マルタに多い巨石文化遺跡からの発掘品などが展示されている。これは紀元前3300 – 3000年頃の地下神殿ハイポジウムから出土された「眠れる婦人像」。マルタの巨石文化遺跡には、古代エジプト文明より1000年も古いものもあり、マルタが地中海巨石文明の最前線だった可能性も。
試みに、メイン通りを外れるとこんな感じ。マルタは起伏の多い島だが、バレッタだけは直線の道路で街がつくられている(したがって、サンフランシスコと同じで急坂が多くなる)。写真は、昔パン屋が多かったオールド・ベーカリー通り。
レパブリック通りに戻り、さらに東に進むと、右手ちょっと入ったところにマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の聖堂、聖ヨハネ大聖堂が見えてくる。16世紀後半築。ガランガランと大音響で荘厳な鐘を鳴らせているところを撮ったのだが、写真では聞こえないようだ。この中にカラバッジョの代表作「聖ヨハネの斬首」もある。
1565年のマルタ大包囲戦でオスマン・トルコの大軍を撃退し、マルタは、キリスト教世界を守る前線と目されるようになった。マルタ騎士団に多くの献金が集まり、大聖堂の装飾もかなりきらびやかだ。
レパブリック通り側からの聖ヨハネ大聖堂・美術館への入り口。
その前庭(大包囲戦広場)に立つ大包囲戦モニュメント(1927年築)。おや、像の下に何か掲示物が。
反骨のジャーナリスト、ダフネ・カルーアナ・ガリジアさんの死を弔う展示だ。2017年10月の彼女の暗殺以後、継続して掲げられている。ダフネさんは、パナマ文書なども利用しながら、マルタ首相夫人を含む政府高官の汚職を徹底して暴いた。オンラインギャンブル、資金洗浄、マフィアとのつながり、政府によるマルタ国籍の高額販売などについて厳しく調査報道を行ない、名誉棄損裁判も多数起こされた。現在ならマルタ政府が進めるブロックチェーン拠点化政策に真っ向からいどんだかも知れない。自宅近くで、乗っていた車に時限爆弾が仕掛けられ、殺された。島嶼国マルタの発展の陰に何があるか、その暗部につながるかも知れない事件。   
その向かいにあるのがマルタ裁判所建物。マルタの「ジャスティス」府に向き合う位置にダフネさんの展示が置かれている。
その次に右手に現れるのが国立図書館。野外カフェの後にある。身分証明書を見せればだれでも入れるが、2階図書館本体の入り口付近まで。実際に本を読むには役立たないが、中世の図書館はこんなものだったのか、と思うような光景を見られる。今にも粉々になりそうな古書が、天井まで届く書架にぎっしり詰まっている。
次いでセント・ジョージ広場が現れ、その右側に「騎士団長の宮殿」。正門両側に衛兵が立っている。マルタ騎士団の中枢だったわけだが、現在は大統領府と軍事博物館になっている。
散歩のときは入らないが、入場料を払った中に入ると、こんな中庭(ネプチューンの中庭)があり、
このような立派な部屋がいくつもある。 
軍事博物館の中。
中世騎士軍団の蝋人形。なかなかよく出来ていて生身の人間と間違う。
「騎士団長の宮殿」付近でレパブリック通りの華やかな界隈は過ぎ、さらに庶民的な通りを東に進んでいくと、半島の突端、エルモ砦に着く。写真はレパブリック通りから離れ、半島の北側付近から見たエルモ砦。
こちらは半島の南側から望むエルモ砦。
エルモ砦から灯台を見る。エルモ砦は、現バレッタのある半島(シラベス半島)の突端にあり、戦略上最も重要な砦。1565年のオスマン・トルコとの大包囲戦の際はここで激戦が繰り広げられ、一旦はトルコ軍に占領された。しかし、この戦いで疲弊したトルコ軍はその後敗退。
砦の内側。建物の内部は戦争博物館になっている。戦争に焦点を当てているが、新石器時代から冷戦終結のブッシュ・ゴルバチョフ会談に至るまでの歴史が展示されている。 
バレッタのメイン通りをまっすぐ進んで先端の砦まで行ったのですから、そのまま引き返して来ればいいのですが、それでは芸がない。南側の海岸沿いに出て帰ってきましょう。写真はエルモ砦方面から西側の湾をながめたところ。半島の南側には(も)深い湾が入り込んでいます。それがさらにいくつもの湾に別れ、まるで自然の埠頭がいくつも湾に突き出しているような地形です。この全体を「グランド・ハーバー」といい、マルタ騎士団ばかりでなく英国海軍も格好の港湾として利用しました。
切り立った崖はまっすぐ湾に落ちるところも。
湾に面して立つシージ・ベル戦争メモリアル。マルタで最も大きいベルで、毎日正午、第二次大戦中の爆撃で亡くなった7000人の兵士、民間人を弔って鳴らされる。マルタはヨーロッパ戦線で最も激しい爆撃を受けた地域の一つで、特に1942年には142日間連続して空襲を受けた。
湾の奥の方には大型船も泊まれる波止場がある。
こんな豪華客船も。
日本の船が泊まっていることもあった。
対岸のスリーシティー行きフェリーが出るあたりでエレベーターに乗り上にあがり、今歩いてきた海岸沿いを振り返ります。ここからは、バスターミナルも近く、そのまま宿に帰ってもいいですが…。
グランド・ハーバー対岸にこのようなスリーシティーズの要塞都市が見え、そこに行くフェリーが出ているのです。行かない手はないでしょう。そこで次の記事に続きます。

マルタの主要部の航空・衛星写真、ハイライトの景観などが出てくる動画。真ん中の半島部が首都バレッタで、湾をはさんだ下方(南)にビルグなど、まるで埠頭のように突き出した半島が複数並ぶ。湾をはさんで上方(北)がスリーマ。その湾が深く入り込んだ左奥付近にマルタ大学がある。