ビルグの聖アンジェロ砦の雄姿。マルタ騎士団の「国旗」(右)とマルタ共和国の国旗が並んではためいている。
バレッタよりも古い歴史
ビルグ(イタリア語:ビットリオーザ)は私がマルタで最も気に入っている街です。何しろここは1530年、マルタ騎士団が最も早く拠点とした場所。首都バレッタより歴史が古いのです。その半島の突端にある聖アンジェロ砦も最も早く築かれた砦です。
1551年に、大包囲戦の前哨戦となるオットーマン・トルコのマルタ攻撃がありましたが、そのときトルコ軍は、ビルグの反対側、現バレッタのある半島(シラベス半島)北のマルサイムシェット湾(現在のスリーマとバレッタを挟む湾)にやすやすと侵入していました。そこでシラベス半島の突端にも本格的な砦を築く決定が下され、聖エルモ砦が建設されました。1565年のオスマン・トルコ軍との大包囲戦ではここで死闘が行われ、28日間の闘いの後、6月23日までに陥落します。守備していたマルタ騎士たちは全滅だったといいます。
その後、本陣・聖アンジェロ砦の闘いが激しくなり、8月までの4カ月の戦いで、ほぼ陥落状況に追い込まれます。しかし、当時70歳の騎士団長バレッタの英雄的な活躍でこれを守り切ります。トルコ軍は疲弊し、9月にシチリアからの援軍が到着するに及んで撤退します。
さらになるオスマン・トルコの攻撃に備えるため、翌1566年からシラベス半島側(エルモ砦の後方)に要塞都市バレッタの建設が始まり、1571年、首都がビルグからバレッタに移されます。
その後、1795年にマルタは仏ナポレオン軍に占領され、次いで、これを撃退した英国の支配下にはいります。聖アンジェロ砦は、1800年から1979年まで英国海軍の拠点となります。
原点に返った砦
ナポレンオン軍に追い出されたマルタ騎士団は、ローマに本部を置きましたが、1998年のマルタ共和国との条約で、聖アンジェロ砦を99年間に渡り使用する権利が認められました。砦は元の主人に復帰したのです。砦の上に、「両国」の「国旗」をともに掲げることが「条約」内容に含まれています。マルタ騎士団はある意味「領土を持たない国家」的な側面を現在でも持っています。
そのような歴史からも、ビルグと聖アンジェロ砦はマルタの原点的存在です。しかし、その割には観光開発があまり進んでおらず、聖アンジェロ砦を訪れる人も、それほど多いわけではありません。16世紀に建てられた建築物が残るビルグの街は静かで穏やかです。例えば、観光客の多いスリーマやサンジリアン(セント・ジュリアン)などと比べると大違い。マルタの隠れた至宝と言えるのではないでしょうか。
その他、島内各地の巨石文化遺跡、古都イムディーナ、別の島のゴゾ島などいろんなところを歩きましたが、「散歩」の枠を超えるのでまた別の機会に。