アジア系への暴力 どう見るか

アメリカでアジア系に対する暴力事件が増えている。そのことは日本でも報じられていて、「大丈夫か」と心配する声が日本から届く。確かにアジア系で高齢者は標的になることが多く、私などはその両方に合致するので注意しなければならない。が、のどかな郊外に住んでいることもあり、私の周辺では今のところ危険を感じない。

危険なのは私の方か

むしろ、私の方が危険な存在なのではないかと思う時もある。昼間に運動ができないで、夜になってジョッギングを始めることがある。周囲の人は、暗闇で走ってくる人に恐怖を抱かないか。夜、公園に人が居なくなるが、そこで一人もくもくと腕立て伏せをしている人が居たら怖いだろう。夜、街灯のあまりない街を散歩をせざるを得ない時は懐中電灯を持って出る。そうすれば、一応夜の散歩をしている人のように見える(そういう人がある程度居る)。暗い公園で私に会う人は怖いだろうが、連れている犬は怖がらない。走っていると吠えかかってくるので要注意だ。人が居ないと思って放し飼いにする愛犬家がいるから困る。

コロナ禍での不満の高まり

カリフォルニア州立大学憎悪犯罪・過激主義研究センターの調査によると、2020年に米16大都市で、前年比150%増の122件のアジア系に対する憎悪犯罪があった。サンフランシスコでは50%増、ロサンゼルス114%増、ニューヨークでは何と833%増だ。AAPI(アジア系・太平洋諸島系)憎悪阻止報道センターによると、アジア系に対する憎悪事件は昨年のコロナ禍初期の3月から5月にかけて月平均300件とピークに達し、その後月140件程度に収まっていたが、今年1~2月に月250件と再び増大しているという。

路上を歩いていたアジア系高齢者が暴力的に倒されるといった監視カメラ映像がニュースで流され衝撃を与えている。3月16日にはアトランタで、アジア系6人を含む8人が殺される銃撃事件が起こった。

指摘される要因は、一つにはコロナ禍の活動制限で一般的に人々のフラストレーションがたまっていること、そしてトランプ前大統領が新型コロナ感染症ウィルスを「中国ウィルス」と呼んだように、諸悪の根源は中国・アジア人とする風潮があることだ。関連して、コロナ禍でのドラッグ利用が拡大していることもあるし、中国に関しては、大国主義的膨張への反発など一般的に外交的対立が強くなったことも背景にあるだろう(この点では、第二次大戦中の日系人受難と同様の「国家間の対立が国内マイノリティの抑圧に作用」という構図に似る)。憎悪で危害を加えるような人はむろん中国も他のアジアも区別しない。1月28日にサンフランシスコの路上で体当たりされ死亡した84歳の男性はタイ系の高齢者、アトランタ銃撃事件で亡くなったうちの少なくとも4人は韓国系の女性だった。

アジア系地域で起こる暴力の映像

監視カメラ

これらの報道を見て、同じアジア系としていろいろ思う所はある。まず監視カメラ。エレクトロニクス関連の文化に慣れ親しんだアジア系の間では、自宅や街頭に監視カメラを付ける人が多い(モノのインターネット=IOTに情熱をもつ友人によると、家庭内機器のリモート操作に必要な機器は、香港などのネット店舗を探るとだいたい手に入るという)。そのためこの手の犯罪は、かなりの確率で映像に納められ、ニュースで大々的に報道される。それで問題の深刻さが広く伝わるし、犯人も比較的容易につかまる。

これは良いことと思う。日本で、監視カメラ増加で監視型社会が強まるとの批判が強いことは承知している。安全な日本ならそれもありだが、犯罪多発のこのアメリカに暮らして同じことが言えるか。特に、政府設置の監視カメラでなく、住民自ら自衛で設置するカメラは理解したい。アジア系の地域では監視カメラが多く、何かやってもすぐ捕まる、という認識が広がれば一定の抑止力になる。

昔、ロサンゼルス暴動(1992年)の際、アジア系の商店街が略奪されるのに銃で対抗する動きがあった。アジア系は銃を持たないと思われているから襲われるんだ、と強硬に銃使用を主張する人たちが居た。銃による抑止力より、監視カメラによる抑止力の方がはるかに好ましいと思う。

映像があるからメディアが報じる

テレビ・ニュースにとっては、監視カメラの衝撃的な映像があることで報道志向が高まる。視聴率も上昇する。結果的に人が死ぬような犯罪現場の映像を普通は流さないものだが、アジア系への憎悪犯罪激増への対応という錦の御旗があれば容認される。だから現在、米国メディアはこれまでにないほどアジア系憎悪犯罪の報道を拡大している。アジア系にとってはありがたいことだ。

アジア系はこれまでひどい目にあっても声を上げない傾向があった(性格的にも言語的問題からも)。昔からアジア系の高齢者は犯罪のターゲットになっていたが、あまり表面化せず、報道もされなかった。それが今、どんどん報道される。注目されているから被害報告も増え統計的にも増大するという関係もあろう。こうした一連の動きの背景に多数の現場映像の存在という要因があることを無視できない。

アジア系がたとえ何もしゃべらなくても、数十秒の映像が雄弁に語ってくれる。弱々しいアジア系高齢者を、どんな人物が、どんな前後事情で、どれくらいのスピードで体当たりし、どれくらいの負傷を負わせる衝撃を与えたか、一部始終を正確に十二分に語ってくれる。それを口や文章で語ればある程度主観的になるが、映像はそのままで事実を訴え、主観の入り込む余地はない。部分的取り上げで「文脈を外れて」誇張される危険もあるが、多くの映像は、静かに歩いているところを一方的に後ろから突き飛ばされるなど誤解しようもない全体事実を雄弁に語ってくれている。

このような映像の存在、それを通じた積極的なメディア報道、それで動く世論。それに応じて州知事大統領も声を上げる。アジア系の反差別運動も時ならぬ盛り上がりを見せている。それらすべてよいことだ。必要以上にその流れに「便乗」してはいけないが、現在のところ、これまで隠れていた暗部が暴き出されているということで、歓迎されるべき事態と評価できる。

弱き者を攻撃する人間の性(さが)

アジア系への憎悪犯罪の要因になっているのは前述の通り、1)コロナ禍の引きこもりによるフラストレーション増大、2)大統領自らが扇動する「中国ウィルス」非難、の二つが大きい。それらが憎悪犯罪を確実に増やしたが、それだけではないと私は考える。より一般的な要因として、弱い者を狙って襲う人間の性(さが)、あるいは動物的な本能があるのではないかと思う。アジア系は体型が比較的小さい。しかもその中で女性、そして体力が弱まった高齢者が集中的に狙われている。

アジア系は小さい

バスに乗る時、前の巨躯の男が乗車口を登ったところで、バスの扉が閉められそうになったことがある。その後に隠れた小さめの私が目に入らなかったのだ。「ああ、こりゃだめだ」とそういうとき思う。

情報化・知識化が進む現代社会で、体格など問題にならないと考えるかも知れないが、決してそうではない。単に乱暴なだけの人は別だが、立派な体躯をした人はまわりに威圧感があり、同じ主張をしても説得力が出る。背の高い人の方がビジネス上の成功を得やすく、結婚相手にも恵まれるという調査もよく見る。人の身体が実は微妙に人生を作用する、というのは長く人生を生きてくる中で一つの隠れた真実だったように思われる。

この根は意外に深く、動物社会にまでたどれる。肉食獣は、獲物集団を攻撃する際、弱った個体を狙って仕留める。老衰で動きの鈍ったシマウマ、よちよち歩きの子どもなどが狙われる。

動物社会からのDNA

最近、サンフランシスコ都市圏内にもコヨーテが出没するようになり、イーストベイ地域でここ数カ月で5件の人への襲撃があった。うち2件は子どもに対する攻撃。他は大人だが、その内1件は、腕立て伏せをしている時に襲われた。後の2件は休憩で座っている時だった。いずれも上背が低くなる時で、コヨーテも本能的に自分より小さい者を狙う。彼らは羊は襲うが、牛は襲わないという。

だから私も、コヨーテ出没地域をサイクリングする際は、立ったまま休むようにしている。決して座らない。コヨーテ諸君は人類の「直立」という革新技術には思い至ってないようだ。

ひ弱そういなお年寄りがよろよろ歩いていたら、大丈夫かなと見守ってあげるのが普通だろう。しかし、こういう人を見るとぶちかまして倒したくなる病んだ人々もいる。あまりに非人間的と言えるが、しかし動物段階から受け継いだ根深い本能的習性だとも言える。強盗や盗みなどいわゆる「ペティ(安っぽい)犯罪」をする者も、まずこうした弱い者を狙うのが通例だ。

(私は、女性差別も、性差というより、体格と筋力の違いが根本にあるとの考えを持っている。なぜか動物の多くで雌・女性の方が体力が弱くつくられている。それで暴力を受ける側にまわってしまった。これが逆だったら、頑健な女性にか弱い男性が支配される社会になったろう。子どもも産めない男(まさに性差だ)はさらに役立たずで、厳しい状況におかれる。メスより小さいカマキリのオスは、交尾後(もしくは交尾中)にメスに食べられ、子孫繁栄のための栄養になるという。)

事例詳細

現場映像の中でも、サンフランシスコで84歳のタイ人男性 ビチャさん(Vicha Ratanapakdee)が体当たりされて死亡した事件が特に衝撃的だった。第三者個人宅内の監視カメラがとらえた映像と思われるが、歩道を弱々しく散歩していた老人に、道路の反対側からダッシュしてきた19歳の若者が、まさにアメフトの体当たりの勢いでぶつかり、コンクリート歩道になぎ倒している。頭部を強く打ったのが見て取れる。(この場合も、監視カメラ映像がなければこれほど注目されることはなかったろうし、悪くすると、散歩中倒れて頭を打ったくらいの「事故処理」で終わる可能性もあった。)

この場所は、私も見覚えがある。かつて1990年代に家族で住んでいた地域に近く、家から日本町にいく途中の住宅街だ。

日本の犯罪報道記事では比較的動機が詳しく報じられる。しかし、アメリカでは、「憎悪犯罪」が連邦・州法で規定されているにもかかわらず、この辺の食いつきが弱い。警察側のつっこみも弱いのではないか。すぐに「またアジア系への憎悪犯罪」と一般化しないで、その時の容疑者の具体的な心理状況に迫って欲しい。少ない中で、上記事件に関してニューヨークタイムズの記事がある程度分析を深めていた。

それによると、19歳の容疑者は感情的に不安定な状態にあり、その前日、隣町の自宅で家族とケンカをした後、車で家を出た。その午後、サンフランシスコ市内で交通事故を起こし、赤信号無視と乱暴運転でチケットを切られている。その日は家に帰らず車中泊した。事件当日、彼は女友だちと一緒だった。感情が高ぶっており、複数の監視カメラに、駐車している車を手でたたきまわっている姿が映っている。そこに不幸にもビチャさんが居合わせる。目撃者によると、道路の対岸から「何を見ているんだ」というようなことを言って、ビチャさんに突進していったという。

突発的で、激情的な行動だった。その際に、アジア系だからとか、コロナ感染源だからとかの「理屈」が介在した可能性は低い。弁護士は、ビチャ氏がマスクをし帽子をかぶり冬服に身を包んでおり、遠くからはアジア系と視認できなかったとも主張している。

他の多くの暴力現場映像を見ても同様だ。「チャイナウィルス」や「アジア系だから」というより、そこに小柄な高齢者が弱々しく歩いていたので突き飛ばした、襲った、というような事情が見て取れる。

むろん、窃盗を意図する場合は、ある程度計画的なので、弱々しいアジア系高齢者はカモだ、という意識はあったろう。だからわざわざチャイナタウン周辺に出向いた。また、カリフォルニアなどと違ってより東部の地域ではアジア系に慣れておらず、異種の民族集団が来ているという感覚が相対的に強い。アトランタの歓楽街で起こった銃撃事件では、アジア系の女性たちが性産業につき、ネイティブの文化を乱しているという女性差別を伴ったアジア系への偏見があったようだ(容疑者自身もこうしたサービスを利用していて、感情が屈折している)。動機は多様だが、その多くで、弱い者を倒す動物的習性が働いていたいたことを感じる。

黒人はアジア系を差別しているのか

映像に収められたアジア系への暴力の多くで、黒人が加害者となっている。それで、黒人が(ブラック・ライブズ・マターの黒人差別反対運動をしているにもかかわらず)アジア系への差別・憎悪犯罪をしている、との非難の声がある。しかし、これには慎重な検討が必要だ。貧困など悪条件に置かれた彼らの間でペティ犯罪率が高まり、それがアジア系への暴力にも現れている、ということなのかも知れない。

銃乱射など凶悪な大量殺人は、白人が犯人である場合が多い。1982年から2021年3月までアメリカには計121件の銃乱射事件があり、そのうち66件(54%)で白人、21件(17%)で黒人が犯人だった。今回の一連のアジア系憎悪犯罪でも、8名(うちアジア系6名)が犠牲になったアトランタ銃撃事件の犯人は白人だった。爆破事件などでも同じで、2001年同時多発テロは別としても、これまで最多168人の死者を出した1995年オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件や、1970年代から90年代にかけて社会を震撼させた伝説の連続爆破犯「ユナボマー」の犯人は白人。また、第二次大戦後に50人以上を殺害した連続殺人犯計21名を見ても、一人を除きことごとく白人だった。

これに対し、強盗での年間逮捕者は 白人32,128人(43.6%)、黒人40,024人(54.3%)と人口比率からみても明らかに黒人が多い(FBI統計、最新年2017年に逮捕された人の内訳)。もちろんこれには、警察の偏見から黒人を多く逮捕している可能性も検討しなければならないが、同統計の犯罪全体での逮捕者が白人68.9%、黒人27.2%とこちらでは黒人の方が少ないことから、強盗が多いことは一般傾向として指摘できるだろう。つまり、相手がだれであっても、黒人・白人であっても、黒人による強盗の被害に会うことが多く、当然アジア系でもそうなるということだ。

対立をあおるのでなく

うがった見方だが、今、アジア系への暴力が大きく取り上げられる要因、少なくともその過熱報道が容認されている要因の一つに、アジア系への暴力を行う者の多くが黒人で、人種差別反対を叫ぶ彼ら自身が結構差別してるじゃないか、と暗に非難する心情が存在するのではないか。差別されるのが黒人で、その加害者・白人が糾弾されるというアメリカ社会の永遠の業に、別の視点が与えられる。そのことに少し安堵を感じる層が、どこかに存在しないか。

むろん、黒人の側にも他の人種に対する偏見はあるだろうし、黒人の人々にとっても、その省察は、差別に対する重層的でより高度な認識を獲得する機会になると思うが、それはこちらから言うべきものではないだろう。この時点で「黒人も差別している」と非難するのは対立を助長するだけだ。アジア系の抗議集会には黒人の友人を誘ってくる人もおり、ブラック・ライブズ・マター運動の代表に連帯の挨拶してもらうことも多く、適切な対応だ。ニュース報道でも、アジア系への暴力を止めに入ったような黒人の姿を報道する、黒人の警察署長の決意表明を大きく流すなど、評価できる面がある。