地中海の復権、という世界史的転換  ー松尾昌宏論文に寄せて

久しぶりに読み応えのある論文に出会った。下記だ。

松尾昌宏「「地中海」の復権:「一帯一路」と欧物流ルートの大転換ー」『桜美林大学研究紀要 社会科学研究』2,198-216 (2022-03-25)

地中海。エーゲ海サントリーニ島付近。

ここ数百年の近代は、スペイン、ポルトガル、オランダ、英国、フランスといった大西洋岸ヨーロッパが率い、イギリスにおける産業革命でそれが決定的流れとなった。その世界史が、現在のグローバルな社会経済的変化で変わろうとしている。地中海、特に東地中海地域が再び歴史の主舞台に躍り出てくる、と野心的な展望を示した。松尾自らの明快な言葉で語ってもらった方がよいだろう。「はじめに」で次のように述べている。

「従来のアジア‐ 欧州間の海上輸送における欧州側の最も主要な目的地は、ロッテルダムを中心とする欧州北西部の大港湾であった。それが、1990年代以降、特に2010年代以降、 地中海地域の諸港湾、なかでもギリシャのピレウス港を中心とする東地中海からイタリア北部諸港湾を経由するルートへの転換が進みつつある。しかしこの動きは、鉄道輸送ほどには世間の注目を浴びていない。

歴史を振り返れば、欧州の経済の中心地は長年、地中海沿岸部地域であった。それが今日の北西欧州へと切り替わったきっかけは、15世紀以降の大航海時代に伴う欧州の主要海上交易ルートの地中海から大西洋への転換であった。それが、ここ30年ほどのアジア経済の急成長と、冷戦終結に伴う欧州経済の重心の東方シフト、そして欧州域内における陸路輸送インフラの整備に伴って、500年ぶりに再び、地中海ルートの重要性が増している。」

私もかつて、なぜ北西ヨーロッパが台頭したのかについて、それなりの見解をまとめたことがある。海の時代の到来により、その地勢的条件から海洋技術に優れていたヨーロッパが、特に「新大陸」を得たことで台頭し、その一角から産業革命も起こった、という世界史的な流れを考察した。しかし、その歴史が、ふたたび大きく転換し、地中海の復権に至る流れがはじまっている、というのだから、大いに刺激的だ。

松尾は、この復権の要因として中国を始めとした東アジア経済の台頭と冷戦終結による東ヨーロッパ諸国の市場経済拡大をあげる。共に地中海東部からの貿易拡大を意味し、東地中海の重要性を高める。例えば、スエズ運河から来た船がアドリア海北岸の港で荷下ろしし内陸に運べば、ロッテルダムなど北西部港湾を経るよりも、距離にして4000キロ、日数にして4日短縮できるという。

これまでのヨーロッパは対米貿易が中心であり、冷戦末期の 1980年代後半でも、欧州コンテナ貨物取扱量の3 分の2を欧州北西部(ハンブルクからルアーブル、イギリス諸港)が占め、地中海諸港が占める割合は22%だった。それが、2000年過ぎには、地中海港湾のシェアが 33%まで高まり、北西部港湾のシェアは 55%余りに低下したという。

その後、地中海諸港の取扱量は一時期伸び悩んだが、東ヨーロッパ諸国の市場経済が軌道に乗り、バルカン諸国の紛争が落ち着き、さらに、2013年に中国の一帯一路政策が始まるにつれて、地中海諸港湾の伸びが加速している。地中海諸港のコンテナ取扱量合計は2000年に北西欧州の半分だったが、2019 年には 73%に達したという。

遠距離輸送の経済

私の愚直な思考を交えて書かせて頂こう。

ウーバーイーツやバイク便というものがある。街中の近場に1対1の配達を行なう。こんなところに規模の経済は起こらない。大型トラックや貨物船を使えば、Aさん宅に届けるピザの配達料が10分の1になる、などということはない。バイクや自転車で配達する方がむしろ効率的だ。

日本程度の地理的範囲で、都市間で荷物を輸送する際も、大型貨物船よりもトラックを使った方が効率的だろう。人々や事業所が面的に広がっており、道路が網の目のように行き渡っている。小出しの荷物を1対1で配送し合うこともできる。

しかし、東アジアとヨーロッパの輸出入となるとどうだろう。ユーラシア大陸にはシルクロードはあっても、密に行き渡る道路網は少ない。ましてやそこを短時間で行き来できる高速トラックなどない。やはり大型貨物船の出番だ。日本国内でトラックを使って荷物を集めはするが、どこかの港で大型貨物船にまとめて載せ、西太平洋、インド洋、スエズ運河、地中海を越えてヨーロッパに向かうだろう。その間の長距離輸送はスケールメリットを十分働かせる。できるだけの大型船を使う。むこうに着いてからまた小分けにして配送していく。

いや、日本でも、本州にほとんど人が住んでおらず、北海道と九州にだけ人口・産業集積地があったとすれば、大型貨物船の出番となるだろう。あるいは鉄道輸送などは、その中間に位置する輸送方式で、大型船ほどのスケールメリットは得られないが、ある程度までは「規模の経済」がはたらき、スピードも船より若干速くなる。

海で隔てられたヨーロッパと北米の間は最初からそうだったが、台頭してきた東アジア経済とヨーロッパの間の遠距離輸送も、このような大量輸送の形をとらざるを得ない。それが経済合理性にあっている。したがって貨物船もコンテナ船もどんどん大型化する。幸いスエズ運河は、パナマ運河と違って、こうした大型船でも通れる。

松尾が、美しい数学的叙述も交えて次のようにいう通りだ。

「今日世界最大級のコンテナ貨物船のサイズは、2万TEUにも達する。一般に、貨物船の貨物積載量は、長さの3乗に比例するのに対し、燃料消費量は、長さの2乗に比例するので、貨物船のサイズが大きくなるほど、燃費は改善する。さらに最大級の貨物船でも乗員数は20名程度で足りるので、人件費の面でも規模の経済がはたらく。」

一方、陸上でも道路網がどんどん発達している。遅れていたヨーロッパ南部・東部でも、高速道路を初め、内奥まで入っていけるインフラが整いつつある。スエズ運河から地中海に入ってきた大型貨物船は、わざわざヨーロッパの北側にまで行かず、ギリシャやイスタンブール、アドリア海北岸などの港で積荷をおろし、発達した道路・鉄道・運河網を通じてヨーロッパ内陸に運ばれていく。

これだけですでに、北西ヨーロッパに対する地中海世界の台頭、もしくは復権の要因を充分に示している。しかし松尾は、ここに「コンテナ輸送」という技術革新がもたらす変化を加味して、議論に深みを与えている。

コンテナ物流革命

1950年代から導入されたコンテナ(標準化された輸送コンテナ)は、要するに単なる箱だが、実はこれがピーター・ドラッガーが言う通り画期的なイノベーションだった。20世紀最大の発明とよいしょする人も多い。

松尾の説明に従えば、かつて港湾労働者の大量動員で行われた貨物積み下ろしに1週間かかっていたところ、コンテナの導入で、1個あたり1分半から2分、大型船でも半日程度で作業が完了するようになった。コンテナは縦にも横にも無造作に積んで並べて運べる。船からトラック、貨物列車とクレーンでそのまま積み替えるだけでよい。「インターモーダル輸送」を実現する輸送の革命となった。

単なる効率化にとどまらず、産業構造を変える力ももった。松尾は、輸送がネックとなって先進国に集中してきた製造業の「工程間分業」が可能となり、人件費の安い途上国への工程ごとの 立地展開が進んと指摘。「1980 年代以 降のアジアを中心とする、新興国の急速な工業発展と経済成長を可能にし、世界経済に占める 新興国のプレゼンスを大きく高めた」と言う。

積み下ろし、積み替えの簡略化で積荷を引きうける地理的範囲が格段に拡大した。それが、大型船による効率的な大量輸送を可能にし、大型船の需要も高めた。各港湾は、集荷力をめぐって激しく競争する。その港湾のある都市だけでなく、後背地をできるだけ広く獲得した港湾が、集荷力を高め、大量輸送時代の港湾として生き抜くことが出来る。積荷を集められない港湾は、寄港されず「抜港」されていく。松尾はここに、現在、都市の「メガリージョン」化が進む一つの要因も見ている。

さらにコンテナ物流革命は、全く新しい形態の港湾も生み出す。周辺海域の港湾からの積荷のトランシップ(積み替え)に大きく依存する港湾だ。コンテナで積み替えが容易になれば、周辺の中小港湾から積荷を集めてくることも容易になる。その都市圏自体の集荷力は低くても、圏外の広い海域諸港からの積み換え量を確保することで競争に勝ち抜く。海峡、運河の出入り口、半島の先など地理的に重要な地点にこうした港が発達する。地中海でもこの傾向が顕著だという。

アドリア海北岸港湾

いくつか急成長する港湾の例を挙げているが、一つはコペル(スロベニア)、トリエステ、ベニス、 ラベンナ(以上イタリア)、リエーカ(クロアチア)など、アドリア海北岸の港町だ。いずれもそれ自身の都市規模は大きくないが、ヨーロッパ中央部の広大な後背地をかかえている。地図を広げればわかるが、スエズ運河から来て、ヨーロッパ深部に最も食い込むのが、このアドリア海の切れ込みだ。その北岸で積荷を下ろせばヨーロッパ中央部へのアクセスがよい。

例えばコペルは、2000年のコンテナ貨物取扱量は 85,742TEU で、ロッテルダムの 1.4%に過ぎなかった。しかしそれが、2010 年には 477,000TEU、2018 年には 988,000TEU と急増し、同年のロッテルダム(1451万TEU)の 6.8%にまで増加した。2014 年には日本の日通がコペルに拠点を置いた。2015 年には、ダイムラーがここを輸出ハブ港とし、「欧州有数の自動車輸出港ター ミナル」に成長しているという。

松尾は、コペルの後背地であるオーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、さらにはルーマニアやポーランド、バルト諸国との鉄道連結が強化されつつあることを詳細に示し、最も有望な市場、ミュンヘンなどドイツ南部さえも、ハンブルク港と張り合って奪う可能性にも触れている。

コペル(スロベニア)のライバルであるトリエステ(イタリア)も、2019年のコンテナ貨物取り扱い量が79 万TEU と、コペル(95万9000TEU)に迫る急増を示した。同じく後背地との鉄道輸送強化などを詳報している。西部イタリアだが、アルプスを越える新たなトンネルが次々に完成していることに触れているのも興味深い。ゴッタルト・ベース・トンネルが2016年に完成。それと補完的関係にあるチェネリー・ベース・トンネルも 2020 年に完成し、スイス、ドイツ南部へのアクセスが改善された。アペニン山脈を貫く第三の鉄道計画 (Terzo Valico)が進行中で2023 年に完成予定という。

中国によるピレウス港買収

そして松尾が重点を置いて解説するのが、よく知られた中国によるピレウス港(アテネの外港)の買収だ。中国遠洋海洋集団(COSCO)が2009年に、まず同港第 2、第 3 埠頭の35年間経営権を取得。2016年にピレウス港が民営化されると、同港を買収した(3.7億ユーロで、株式の51%を取得)。EUの問題児とされるギリシャだが、国の基幹的港湾を外国に売り渡するとは情けない、と私などは思うが、松尾によるとその後の同港の躍進、電力会社買収や空港開発、東欧全体に向けた高速道路、鉄道、運河の整備など多分野での中国によるテコ入れでギリシャ経済が立ち直り、財政赤字も解消した面も否定できないようだ。

2010年に51万TEUに低迷していたピレウスのコンテナ貨物量は2013年に300万TEUを超え、第2、第3 埠頭の開発とも相まって、2019年には565万TEUと、地中海トップに踊り出た。欧州全体でもドイツのブレーメルハーフェンを超え4位で、将来的には1000万TEUと、欧州北西部三大港湾の規模にするという。

中国に買収されたピレウス港湾公社の本社事務所。COSCO(中国遠洋海洋集団)のマークがあり、漢字で「中遠海運ピレウス港有限公司」と読める表記もある。
ピレウス港の空撮。東から西方向を望む。手前にパサリマニのヨットハーバーがあり、中ほどに港客船埠頭、その後方にコンテナ埠頭などがある。Photo: Cristo Vlahos, Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
ピレウス港は客船港としてもヨーロッパ最大規模。巨大客船が十数隻泊まっているのが目撃できる。エーゲ海の島々、地中海沿岸都市への航路が発達している。Eurostatの統計では、2021年の年間乗降客数は約600万人。

中国がなぜピレウス(アテネ外港)を選んだかについて、財政難のギリシャが安く売り出したという事情もあるが、黒海方面へのアクセスも狙った、ということもあると私は考える。地図を見ればわかる通り、バルカン半島先端のピレウスは、ヨーロッパ主要部(北西部)へのアクセスはさほどよくない。バルカンの陸上交通インフラも良好というわけではないし、こうした面では前述アドリア海北岸港湾より不利だ。しかし、ギリシャ南端は、エーゲ海、マルマラ海、ボスポラス海峡を経て黒海へのアクセスがよい。中国は東の旧社会主義欧諸国とも関係が深い。コンテナ輸送でトランシップ積み換えが容易になったことも含めて、この東西両面に進出できるという点でピレウスに魅力があったのではないか。

松尾はその他、躍進し可能性を秘めた地中海港湾として、イタリア西部のジェノア、スペインのバレンシア、トルコ・イスタンブール近郊のクムポート(いずれも中国が一部買収)、モロッコのタンジェ、エジプトのポートサイドなどを解説している。スエズ運河に近いポートサイドは松尾も注目しているところだが、確かにヨーロッパを後背地にできないのが弱点だろう。

多様な要因がからむ

コンテナ輸送がインターモーダル物流を促進したように今後も輸送技術他の革新で「地中海の復権」も様々に規定される可能性がある。船舶がさらに大型化して輸送コスト削減をした場合、地中海よりもむしろヨーロッパ北西部諸港に有利に働く可能性もある。スエズ運河のキャパシティは2021年3月の事故に見られるように、すでに上限に達しているそれ以上の大型化になるとむしろ地中海を飛ばして喜望峰回りの方が効率的になる可能性もある。実際、その事故の前から、燃料費が下落した際に、喜望峰ルートをとる船が増える動きも見られた。

ロシアが開発しようとしている北極周り航路はまだ問題が多すぎるようだが、これが可能になれば、やはり地中海は地盤沈下する。旧社会主義諸国の市場経済展開についても、バルト海方面へのアクセスは依然としてヨーロッパ北西部諸港の方が有利だ。

鉄道輸送より海路輸送で歴史的転換

松尾論文は、一帯一路政策関連で脚光を浴びる鉄道輸送でなく、実は海路輸送の面から重要な歴史的転換が起こっていることを示した点で意義がある。しかし、鉄道輸送の方も、確かに松尾の言う通り海路の10分の1以下の実績、キャパシティなのだが、その相対的なスピード優位性、一定の網的配送、そして沿線諸地域にもたらす経済的のみならず社会文化的影響も含め無視できない面がある。これがどこまで健闘するかの目配りを怠らず、世界史の地政学的転換を考察することが必要だろう。

最後に、松尾論文の「結語」を紹介して、同論文の射程の大きさを確認しておきたい。

「世界の歴史において、通商ルートの変化は地域の発展や地域間覇権の交替に、多大な影響を与えてきた。欧州地域においても、16 世紀の地中海から北西欧州への主要な通商ルートの切り 替えは、欧州域内における地中海から北西欧州への覇権交替を生んだ。それから 450 年を経て、 アジア新興国の台頭に伴う欧州のアジアとの貿易拡大は、欧州経済の東方シフトと相まって、 再び欧州の主要交易ルートの地中海への切り替えを引き起こしている。このことは今後、欧州域内の地域発展パターンを変え、欧州の地政学を大きく左右するかも知れない。」