乗り合いミニバス 世界で最も普及した交通機関

「あんたどこまで行くんだい?」

同乗のおばさんに声をかけられた。外をきょろきょろ見て不安そうにしている外国人の私を案じたのだ。

「ブラッケンフェルまでですけど。」
「なら、最初にドライバーに言っとかなきゃだめだよ。これはクレーイフォンテインに行くんだ。」

なるほど、そういうことか。相乗りミニバスは使い始めたばかりだ。いろいろ失敗があるのはやむを得ない。ミニバスは、基本は主要目的地があるが、その途上で、ある程度融通を利かして客の行きたいところに寄ってくれる。私の新しい宿のあるブラッケンフェルは目的地クレーイフォンテインへのルート上からちょっとはずれている。そういう場合は前もってドライバーに言っておかねばならないということか。

ケープタウンから北東30キロのクレーイフォンテインまで35ランド(350円)。立派な高速道路(N1)が走っている。その中心部のミニバス発着場で降ろされた。乗り換えて南西約4キロのブラッケンフェルまで18ランド。

安価で庶民の足となっている相乗りミニバスだ。どの町にも中心部には小型マイクロバスが多数集まる発着所があり、市場などとも競演して大変な賑わいだ。大型バスはあまり見ない。ケープタウンなら、中央駅の上あたりにそうした発着ターミナルがある。市バスの発着場とは別だが、近代的な市バス・ターミナルに比べてこちらは庶民的。人の数も多い。

ケープタウンの相乗りミニバス発着場。中央駅の屋上階だ。
街を走る乗り合いミニバス。
どこの街でも、中心部に乗り合いミニバスの発着場がある。郊外のランガの街で。路上でも拾えるが、発着場に行った方が確実に乗れるだろう。
路上でも拾える。ショッピングモール前など、人の多いところには客待ちしている乗り合いミニバスも多い。ブラッケンフェルで。

時空を超えて普遍的な交通機関

実に不思議だ。アフリカはアジアから相当離れているのに、アジアと同じような交通システムがある。フィリピンのジプニーについては前に「ジプニー賛歌」というブログを書いた。インドネシアのアンコットについては下記巻末に載せておく。

狭い車内は牛詰めだが、客が協力してバス代を集めあう。近くの人とできるだけ釣銭を融通してまとめ、前の列に手渡す。するとその人がさらに前の方に出し、運転手のところに届ける。運転手も慣れたもので、片手でハンドルを握ったまま、もう一つの手を後ろに掲げそのカネを受け取る。お釣りが必要な場合は、同じように後ろに手をまわしてカネを渡してくれる。それを乗客が手から手に渡して当人のところまでまわす。

実によくできたシステムだ。乗客たちも慣れたもので、だれに指示されるともなく、日常の習慣のようにやっているところがすごい。いや、すごいのは大洋で隔てられたこんな遠隔の地でも、まったく同じシステムが動いている所だ。運転手の後に手を回すあの味な仕草さえ、フィリピン、インドネシア、その他アジア諸国とで見てきたのを彷彿とさせる。いや、アジアだけでなく、あまり使わなかったが南米などでも同じなのだろう。

日本や欧米にはない。しかし、途上国にはこの乗り合いミニバスが至るところで走っている。ワンマンバスやカード式バスや、あるいはちょっと古い車掌付きのバスなど、先進諸国ではいろんな形態のバスがあるが、世界ではこうした相乗りミニバス形態が最も普及しているだろう。これがグローバルスタンダードだ。世界の最も多くの人がこのシステムに慣れ親しんでいるのではないか。

思い返すに、単に地理的な広がりだけではない。51年前の1973年にもインドネシア・チモール島でこうした乗り合いミニバスを体験したことがある(同じく下記巻末記事参照)。広大な空間と時間を越えて、世界にはこの手の交通機関が普遍的に存在していたのだ。

乗り方は簡単

乗り合いミニバスは乗り方が難しそうに感じるが、実は簡単だ。ミニバスの溜まり場(発着場)に行く。目的地をとにかく連呼すればよい。ベルビルなら「ベルビル?ベルビル?」と聞いていく。ミニバスのドライバーや客集めをしている人に聞くのが一番いいだろう。すると、かなりのマイナーな目的地でも、「あっちの方に停まってバスだ」「何番の発着場に行け」とか指示をくれる。そこに行ったらすぐ出発しそうなバス、客がかなり入っているバスに行き、また「ベルビル?」と客や手配係に聞く。「そうだ」となれば、そこに乗り込むだけ。違っていれば別の場所を指示してくれるだろう。

乗り込んだら、出発を待つだけ。バスは満員になるまで出ないから、がらがらのバスを選ぶとかなり待たされることになる。路上で拾うような場合、これから長く客待ちする前のバスに載せられてしまうことこもあるので注意。

「ベルビルまでいくら?」と客に聞いてもいいが、聞かなくてもいい。バスが出ると皆がもそもそ支払いの準備を始める。それを見て同額の自分の分を出す。小銭を持ってなくても適当に出せば、横の人などが釣銭をくれてまとめた額を前の運転手に送り出してくれる。皆慣れている。受け取る運転手側も慣れている。運転しながら頭のどこで計算しているのか、と感心するくらい、釣銭の場合も正確に返してくれる。だれが出してだれが払ってないかもちゃんと把握しているようだ。何より、みんなが注視しあい協力しあいながら支払いが進むのだ。ごまかしが効かない。ぽっと出の旅行者でもだまされる心配がないのはうれしい。

マイナーな目的地に行く場合は、出発する際、ドライバーにきちんとその場所名を伝える必要がある。でないと寄らないで通過してしまう(寄れないような遠い所であれば、最初から別のバスに行くよう指示されているだろう)。

乗車中も、スマホのグーグルマップでどこを走っているか確認していた方がいい。グーグルマップはネットにつながっていなくても、市街地図を前もってダウロードしておけば地図上に現在位置が表示され続ける。これは旅行者には必須の機能だ。万一、行きたい場所を通り越しそうな場合は、「ここで降ろしてくれ」とドライバーに声をかける。特にバス停があるわけではない。どこでも降ろしてくれる。

最初は、市バスや電車より敷居が高かったが、むしろ簡単だ。無数の経路に多数のミニバスが走っているので、だいたいどこにでも行ける。そしてすぐ来る。どこにでも降りられる。市バスや電車より待ちが少ない。料金も数百円程度で安いし、前述のようにだまされる危険が少ない。(ただし、電車はさらにべらぼうに安く、ミニバスの5分の1以下だ。)

ケープタウンからベルビル、ブラッケンフェル、クレーイフォンテインなどへは35ランド(350円)だった。ベルビルからランガへは19ランド、ベルビルからブラッケンフェルへは18ランドだった。まあ数百円を出せば、大都市圏内のどこへでも行ける感じだ。(なぜか、時に値段が若干違うこともあった。明確な決まりがあるわけではないようだ。)

これがあるからだろう、市バスや鉄道は斜陽化し始めているようだ。1~2時間に1本などという鉄道は、相当安いにもかかわらず、あまり乗らなくなる。電車が来る直前以外、鉄道駅は閑散としている。ウーバーもこの市場に入り込むのは難しいのではないか。

ただし、乗り合いミニバスに乗るのは黒人が中心だ。白人はほとんど見ない。彼らは自家用車かハイヤーか、あるいは現在ならウーバーなどを使っているのだろう。これも、人種間の棲み分けが残る南アの実情なのだろう。

1980年代から急成長

相乗りミニバスは、アパルトヘイト体制が黒人に十分な公共交通機関を提供しないでいる中で生まれたという。1980年代に規制緩和が行われると急速に発展した。黒人の自由な起業も認められるようになり、黒人が担う巨大産業に成長した。交通省統計によると2018年に130,996の正規ライセンスが発給されている。全国タクシー協会は2017年に、20万台以上のミニバス・タクシーが営業し900億ランド(約7000億円)規模の経済になっていると推計した。

相乗りミニバスは公共交通の7割を占める(市バスは2割、電車は1割)。雇用面でも大きな貢献があり、交通省によると96万の雇用を創出している。一台に付き直接雇用3人、維持修理、事務など間接雇用で少なくとも10人がはたらいているという。


乗り合い小型トラック「アンコット」(2016年1月)

インドネシアでアンコット(Angkot)という興味深い公共交通機関を経験した。地域によってペテペテ、ミクロレット、コパジャなど様々に呼ばれる(日本語でアンコタと表記されることもある)乗り合いミニバスだ。フィリピンのジプニーなどと同種の交通機関。私があまり注目していなかっただけで、他のアジア諸国にも一定程度存在しているようだ。

車列を組んで客待ちするアンコット。インドネシア・スラウェシ(セレベス)島のマカッサル市内で。
アンコットの中。
乗り合いミニバスのアンコット。インドネシア・ニューギニア島マノクワリの市場で。地方では物資輸送にも重要な役割。屋根の上に荷物を載せる。

日本など先進諸国にはあまりない形態の交通機関なので見落としやすい。ゆるく運用される路線バスといったところだ。車体はミニバンや小型トラックを改造したもので、乗れるのは8人程度まで。一応、路線が決まっているが、ルート上のどこで乗ってもどこで降りてもよい。個々の乗客の要望に応じ多少ルートを外れた所にも行ってくれる。そのかわり、乗客が少なくなると、この辺で折り返すから別の車に乗ってくれ、と言われることもある。料金はどの都市でも一乗り均一4000~5000ルピア(30~40円)だった。郊外遠くまで行く路線もあり、その場合は2倍、3倍の料金を払う。「何キロ以上なら」という明確な規定はないようで、ドライバーと乗客のあうんの呼吸で料金が決まっているようだ。

小さいバスなので、便数が多く、幹線道路で待てば、だいたいすぐ乗れる。運行スケジュールが決まっているわけでなく、乗客がある程度乗れば出発する。しかし、あまり長く止まっていると、他のミニバスに先を越されるので、さほど長くは待たされない。運営はタクシー会社同様、会社が路線認可を取り、車体を保有。それを個々の運転手に貸し出すという形態のようだ。

不正が行われにくい

今は少なくなったが、東南アジアには、シクロ(ベトナム)、ベチャ(インドネシア)、リキショー(マレーシア)などと呼ばれる人力の輪タクがたくさん走っていた。それにエンジンを付けた簡易タクシー、例えば、フィリピンのトライシクル、インドネシアのベモなどもある。さらに、認可なしで個人が勝手に行うオートバイ・タクシーも多い。だが、これらはいずれも基本的にはタクシーだ。アンコットは基本的に乗り合いバスである点が異なる。

私がアンコットに注目した第1の理由は外国人観光客でも使い易いこと。現代版も含めて、タクシー型交通機関は運転手と乗客が1対1になり、不正が発生しやすい。運賃をぼられたり、メーターをごまかされたり、いやな思いをしたことのある外国人はできるだけタクシーを避けたいと思う。しかし、アンコットは乗り合いバスだからぼられることはまずない。多人数が乗っているし、それもほとんど現地の人たちだから、その目前で料金をぼったりはできない。

日本にも導入可能か

関心を持ったもうひとつの理由は、これは、公営バスがすたれていく先進国でも使える交通モデルではないか、ということ。ゆるく運行される路線バスは、地域住民ニーズに細かく対応できる。乗降場所が自由で、路線も少しならはずれてくれる。小型の乗り物だから、便数を多く出せる。暇にしている若者や、農閑期農民が手軽に小遣い稼ぎできるノリで運行すれば、十分使える交通機関になるのではないか。


1973年2月、チモール島での乗り合いミニバス体験

1973年2月9日、インドネシア領西チモールの漁村クパン。雨季で寸断された陸路を何とか島東部(当時はポルトガル領)の主要都市デリーまで行こうとしていた。来ないミニバスに振り回され1日を無駄にした翌日。バスは午前8時発だが、9時に来いと言われていた。その通りにした。バスは9時40分に来た。来たのだから上出来だ。(前日は来なかった。)

1971年当時のチモール島。当時は東半分がまだポルトガル領だった。

が、なかなか街を出ない。1時間以上街を流し、客を集める。それから当初の停留所に戻り、長々と停車する。さあ、これからが本当の出発なんだ、とでもいうような態勢。11時頃、いよいよ出発した。と思ったら、少し行くとまた街に引き返す。八方に伸びる街道を行っては帰り客集めをする。おいおい、こっちはビザ期限切れ問題をかかえ、決死の覚悟で乗り込んでいるのだぞ。

「おい、あそこの雑貨屋のおやじ、この前ソエに行くってなこと言ってたぞ。ちょっと寄ってみろよ」「よし来た」。言葉はわからないが、様子で運転手たちがどういう会話をしているかわかる。道で知り合いを見つけると、バスを止め、「やあ、暑いな。景気はどうだい」。

街はずれの民家で長々と停車した時、ついに堪忍袋の緒が切れ、運転手に食ってかかった。「いったい何時に出発するんだ。8時出発なのにもう12時近くじゃないか!」

こんな文句を言われたのは、この運転手は初めてだったのだろう。少し驚いて、それから急いだようだ。それでも出発は満席になってから、12時10分頃だった。これ以上逆戻りするなら降りる、と決心したギリギリのところ。4時間10分の遅刻。新幹線なら東京から岡山に行っている。いったいこんな所に住んでいる人たちが突然、新宿駅に来たらどうなるのか。心臓まひで死んでしまうのではないか。逆に、3分後には次の電車が来るのに、閉まるドアに駆け込む東京の人々が、ここにポッと出てきたら、どうなるのか。

マイクロバスが快適に飛ばし始め少しほっとすると、ようやく「オレという人間はどうしようもなく日本人だ」と思えてきた。ここの人にとって「バスが朝出る」ということは「1日がかりで目的地に着く」程度の意味なのだ。朝出るなら昼には着く、と考える方が間違っている。日本の感覚にとらわれ、私が一人でじたばたしている。冷静になって考えればそのことがわかるが、実際の現場に身を置くと、どうしても「地」が出る。

(実は私はこの時、腸チフスにかかっていて、陸路横断の困難の中で危ないところまで行った。詳しくは、拙著『アジア奥の細道』11章(6)「チモール島:国境越えの闘い」、あるいは「放浪記 東チモール」)