ブラッケン自然保護区からの雄大な眺め

ブラッケン自然保護区から見たサイモンバーグ山塊(1,399 m)の威容。

ここに来た日本人は私が初めてじゃないか。ブラッケン自然保護区からの雄大な眺めを見ながら私の心は高揚した。南アフリカまで観光に来る日本人は少ない。来た人でもケープタウンのテーブルマウンテンや喜望峰を回るのが普通だろう。その30キロ先の郊外ブラッケンフェルなどという無名の地の、しかもその(国立公園でもない)市立の自然保護区にまで足を運んで喜ぶ日本人などいない。はずだ。

しかし、ここからの眺めは何と雄大か。テーブルマウンテンも素晴らしいが、ここからの景観も、隠れた穴場である分さらにドラマチックだ。特に、北東に見えるサイモンズバーグ山脈の威容はどうだ。標高1399 mと低いが、その荒々しい岩肌が突き出た山容、それがケープフラッツ平原の間近にそそり立つので、さらに威容だ。

ブラッケン自然保護区は、ケープタウン東30キロの郊外都市ブラッケンフェルにある貴重植物などの自然保護区。高台なので、四方がよく見渡せる。西には、ケープタウンのテーブルマウンテンやライオンズヘッドが見える(写真)。その反対側、東方向を見ると、、、
サイモンズバーグ山塊を中心に、その右手のホッテントット・ホランド山脈、背後のボランド山脈などの雄姿が望める。ケープタウン都市圏の最奥、ケープフラッツの平野と住宅地が終わり、田園と公園地域がはじまるあたりであることがわかる。(つまり、ブラッケンフェルは、今はやりの言葉で言えば最遠郊外Exburbなのだ。)
36ヘクタールの保護区の真ん中に小高い丘(写真中央)がある。そこがこの保護区の最高地点で、眺めもよい。
頂上。

貴重な植物種を保護する

ブラッケン自然保護区は、16カ所ある市立自然保護区の一つだ。主に、この地域に特徴的な灌木類フィンボスやリノステベルトなどの貴重種を保護することを目的にしている。フェンスで囲まれ、入り口は一つ。数名の管理人が出入りをチェックし、入る人は名簿への記入が求められる。植物たちにとっても安寧の地だが、人間様にとっても、治安上の心配もなく、安心して自然に親しめる環境だ。

毎日7:30 – 16:00オープン。無料。私は15:00くらいに行ったが、1時間歩く内、だれにも会わなかった。都市公園ほどは利用されていないようだ。地元の人たちが、「フレンズオブ・ブラッケン自然保護区」という団体をつくり、市民の関心を高めたり、保全活動を行っている。

入り口は1カ所だけ。管理人のおじさんたちが守っている。後述するように正門は現在工事中で、ここは臨時の入り口。

ブラッケン自然保護区の歴史

ブラッケン自然保護区は、まわった限りでは、さほど貴重な植物が茂っているとようには見えず、立派なお花畑もない。むしろここは、軍用地や鉱業などに使われてきた自然破壊地域で、それを丁寧に修復しながら自然保全地域に変えてきているエリアだ。

敷地内の解説板によると、18世紀頃、この地にはオランダ東インド会社の大砲が設置され、「Kanonkop」(大砲のヘッド)と呼ばれていた。敵艦がケープタウン沖に現れた際に、その情報を大砲音で内陸、さらに東部の方に伝える伝達網の一部だったという。1734年に計20門の大砲でシグナル伝達網がつくられ、1758年の範囲拡大で50門のネットワークになった。大砲はまた、ケープタウンに船が入った際に、周辺の農家が産物を売りに行けるための合図としてもならさられたという。

オランダは1652年にケープタウンを設立したが(オランダ東インド会社所属ヤン・ファン・リーベックの上陸)、1795年からイギリスの攻撃を受けるようになり、最終的に1815年のウィーン議定書で英領植民地となった。大砲は使われなくなり、この地は打ち捨てられた。

1950年になると、花崗岩(みかげ石)の採掘場となった。1970年代初期にそれが閉鎖されると、今度はその跡が埋立処理場(ゴミ捨て場)に。その後、自然保護区に転換されるためには、別の土地からきれいな土を持ってきてかぶせたり、地中から発生する有毒ガスをパイプで放出したり環境回復作業が行われた。

歴史を反映して、敷地内に大砲が飾られている。ただし、昔からのものではなく、もともと南ア海軍のものが1997年に別の自然保護区に寄付され、2013年にそれがさらにここに寄贈されたという事情。
花崗岩採掘場、ゴミ埋め立て地として使われた跡のようだ。
正体不明の施設。有毒ガス排出に関係するのか。
どれが貴重種なのかわからず申し訳ないのだが、例えばこんな花が咲いていた。
この赤い実は見たことがあるぞ。サン族の狩りのドキュメンタリーで、半砂漠地帯の苦しい行脚の中、この実を見つけて必死に食べていた。
バードウォッチングの場としても親しまれている。草原を歩いているのはウズラの仲間か。
保護区を一周できるトレイルが整備されている。近くの人が散歩で来るという。このような休憩所も複数あった。
一応、トイレもあった。
このサイモンズバーグ山塊の絶景から少し目を左手前の方にずらすと、他の瀟洒な住宅地と明らかに異なる貧しい家々が目に入った。通りに沿って一列に並ぶ。
ブラッケンフェルは人口の7割が白人で、高所得者の街だ。そこにも区別された黒人地域があるという事実に愕然とする。ケープタウンの街に慣れてくると、画然と二種類の住宅街があることに気付いてくる。自然保護区のそばにあるのはいいのだが、かつてこの地は採掘場でありゴミ埋め立て地だった。

南アフリカの自然保護体制 国・州・自治体・世界遺産

南アフリカでは、国が行う自然保護地区である国立公園が19カ所あり、国土の3%にあたる375万ヘクタールを国立公園局(SANParks)が管理する。テーブルマウンテンや、喜望峰などケープ半島地域はテーブルマウンテン国立公園だ。その他に9つの州や自治体が管理する自然保護区がある。西ケープ州政府では自然保全委員会(通称「ケープネイチャー」)が113カ所の自然保護区・野生地域を含む31区域を管理している。

これとは別に国連教育科学文化機関(UNESCO)が南アフリカで3カ所を世界自然遺産に登録。そのうちの一つがケープ植物区保護地域群だ。西・東ケープ州の8地域1094ヘクタールがこれに指定され、前出フィンボス類、リノステベルト類などの貴重種、絶滅危惧種を保全している。この地域は狭い地域ながら非常に多様な植物種が見られ、熱帯雨林にも勝る生物多様性があるという。「9000種以上の植物が見られ、それはアフリカ大陸の植物の約20%で、約69%が固有種であり、なんと合計で1736種類も固有種が存在するホットスポットである」とのこと。

確かに、この地で見られる植物は、他では見られなかったようなものが多く、「フィンボス」、「リノステベルト」なども、慣れしんだ植物に例えて説明するのがむずかしい。それらが咲かせる美しい花々の様子は下記で。

世界自然遺産「ケープ植物区保護地域群」8カ所の中の「ボランド山地群」の中に冒頭紹介のサイモンズバーグ山域も入っている。ブラッケン自然保護区は残念ながら含まれていない。

ブラッケン自然保護区への行き方

ケープタウン中心部から車で来る場合は、高速1号線を東進し、ブラッケンフェル手前で右に折れ、並行するR101号線に入ることになるのだろう。するとすぐに鉄道を越える陸橋がある。それを渡ってから右に行けば保護区に行ける。

R101はかつてのN1で、高速道路ではないが、かなりの幹線路だ。こんな道を歩きたくはない。しかし、私は住宅街で犬に吠えられるのがいやで、宿からだとわざわざ遠回りになるこの道を歩いて行った。

南アは南半球で、太陽が北の空を動く。太陽といえば南だと思ってしまう北半球人は、どうしてもすぐ方向感覚がおかしくなってしまう。しかし、ケープタウンでは大丈夫だ。どこからでもあの特徴的なテーブルマウンテンが拝める。ああ、あっちが西だ、とすぐ修正できる。写真はR101が鉄道を越える陸橋から見た西方向(ケープタウン方面)。見まがうことなきテーブルマウンテンがのぞめる。
ケープタウン周辺図。

私の宿(もしくはブラッケンフェル駅)から歩いていくには、宿のすぐ前のCruis Roadをずっと東に歩いていけばいい。途中で通り名が変わるが、とにかくまっすぐ40分程度歩くと、ブラッケン自然保護区にぶつかる。最初は犬を警戒して遠回り(R101経由)したが、その必要はなかった。一応、歩道があり、特に左側を歩き続ければ犬に吠えられることはない。

このCruis Roadをとにかく東にまっすぐ歩いて行けばいい。
さらに行く。だんだん坂道になってくる。
交差点を越えてさらにまっすぐ。
すると保護区の角にぶつかる。ここが本来の自然保護区の入り口だ。現在工事中で、臨時の入り口が、ここから右に200m程度行ったところにある。
本来なら正門から入ってこの道を歩いてくることになる。正門付近で何かつくっている(鉄骨)。環境教育のセンターを建設中。ゼロエミッションを実現する建物になるという。

ゴンドワナ大陸時代に形成された岩石層

テーブルマウンテンやライオンズヘッドもそうだが、ブラッケン自然保護区から見えるサイモンズバーグ山塊、ホッテントット・ホランド山脈、ボランド山脈など、非常に荒々しく奇岩とも言える形の山が多い。

これら一連の山塊は、西ケープ州北部から東ケープ州・ポートエリザベス方面まで約850キロ続くケープ・フォールド山脈帯(Cape Fold Belt、ケープ褶曲帯)の一部で、地質学的に非常に古い成り立ちを持っている。特にその骨格を成すケープ砂岩は、古生代カンブリア紀・オルドビス紀(5億1000万年前~3億3000年前)に、当時この地にあった内海(Agulhas Sea)で形成された堆積岩層だった。長い間に圧力や変性で固化・セメント化し珪岩段階に移行。風化に強い岩層となった。それが、その後の隆起・浸食で鋭く露出したものという。

古生代カンブリア紀・オルドビス紀といえば、超大陸のゴンドワナ大陸があった時代だ(ユーラシアと北アメリカをのぞく全大陸がつながっていた)。したがって内海で形成された同様の岩層は、その後分離した南米、南極、オーストラリア大陸にも連なっていた。南米大陸アルゼンチンのベンタナ山脈、南極大陸のペンサコーラ山脈、オーストリア大陸東部の造山帯にも同じ岩層が見られるという。ケープ・フォールド山脈帯はこれらとつながった古代の巨大山脈だった。

植物相もそうだが、地形も独特。その長大な時間の流れを意識してこの地を見ると、人間の歴史を越える畏怖の念に打たれる。

南ア・ケープ地域の一連の山脈をつくる岩石は、今から3億~5億年前、超大陸ゴンドワナ大陸南部の内海(Agulhas Sea)で形成された。その山脈は南アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸の山脈とつながりがある。Figure: Oggmus, wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0