ここに来た日本人は私が初めてじゃないか。ブラッケン自然保護区からの雄大な眺めを見ながら私の心は高揚した。南アフリカまで観光に来る日本人は少ない。来た人でもケープタウンのテーブルマウンテンや喜望峰を回るのが普通だろう。その30キロ先の郊外ブラッケンフェルなどという無名の地の、しかもその(国立公園でもない)市立の自然保護区にまで足を運んで喜ぶ日本人などいない。はずだ。
しかし、ここからの眺めは何と雄大か。テーブルマウンテンも素晴らしいが、ここからの景観も、隠れた穴場である分さらにドラマチックだ。特に、北東に見えるサイモンズバーグ山脈の威容はどうだ。標高1399 mと低いが、その荒々しい岩肌が突き出た山容、それがケープフラッツ平原の間近にそそり立つので、さらに威容だ。
貴重な植物種を保護する
ブラッケン自然保護区は、16カ所ある市立自然保護区の一つだ。主に、この地域に特徴的な灌木類フィンボスやリノステベルトなどの貴重種を保護することを目的にしている。フェンスで囲まれ、入り口は一つ。数名の管理人が出入りをチェックし、入る人は名簿への記入が求められる。植物たちにとっても安寧の地だが、人間様にとっても、治安上の心配もなく、安心して自然に親しめる環境だ。
毎日7:30 – 16:00オープン。無料。私は15:00くらいに行ったが、1時間歩く内、だれにも会わなかった。都市公園ほどは利用されていないようだ。地元の人たちが、「フレンズオブ・ブラッケン自然保護区」という団体をつくり、市民の関心を高めたり、保全活動を行っている。
ブラッケン自然保護区の歴史
ブラッケン自然保護区は、まわった限りでは、さほど貴重な植物が茂っているとようには見えず、立派なお花畑もない。むしろここは、軍用地や鉱業などに使われてきた自然破壊地域で、それを丁寧に修復しながら自然保全地域に変えてきているエリアだ。
敷地内の解説板によると、18世紀頃、この地にはオランダ東インド会社の大砲が設置され、「Kanonkop」(大砲のヘッド)と呼ばれていた。敵艦がケープタウン沖に現れた際に、その情報を大砲音で内陸、さらに東部の方に伝える伝達網の一部だったという。1734年に計20門の大砲でシグナル伝達網がつくられ、1758年の範囲拡大で50門のネットワークになった。大砲はまた、ケープタウンに船が入った際に、周辺の農家が産物を売りに行けるための合図としてもならさられたという。
オランダは1652年にケープタウンを設立したが(オランダ東インド会社所属ヤン・ファン・リーベックの上陸)、1795年からイギリスの攻撃を受けるようになり、最終的に1815年のウィーン議定書で英領植民地となった。大砲は使われなくなり、この地は打ち捨てられた。
1950年になると、花崗岩(みかげ石)の採掘場となった。1970年代初期にそれが閉鎖されると、今度はその跡が埋立処理場(ゴミ捨て場)に。その後、自然保護区に転換されるためには、別の土地からきれいな土を持ってきてかぶせたり、地中から発生する有毒ガスをパイプで放出したり環境回復作業が行われた。
南アフリカの自然保護体制 国・州・自治体・世界遺産
南アフリカでは、国が行う自然保護地区である国立公園が19カ所あり、国土の3%にあたる375万ヘクタールを国立公園局(SANParks)が管理する。テーブルマウンテンや、喜望峰などケープ半島地域はテーブルマウンテン国立公園だ。その他に9つの州や自治体が管理する自然保護区がある。西ケープ州政府では自然保全委員会(通称「ケープネイチャー」)が113カ所の自然保護区・野生地域を含む31区域を管理している。
これとは別に国連教育科学文化機関(UNESCO)が南アフリカで3カ所を世界自然遺産に登録。そのうちの一つがケープ植物区保護地域群だ。西・東ケープ州の8地域1094ヘクタールがこれに指定され、前出フィンボス類、リノステベルト類などの貴重種、絶滅危惧種を保全している。この地域は狭い地域ながら非常に多様な植物種が見られ、熱帯雨林にも勝る生物多様性があるという。「9000種以上の植物が見られ、それはアフリカ大陸の植物の約20%で、約69%が固有種であり、なんと合計で1736種類も固有種が存在するホットスポットである」とのこと。
確かに、この地で見られる植物は、他では見られなかったようなものが多く、「フィンボス」、「リノステベルト」なども、慣れしんだ植物に例えて説明するのがむずかしい。それらが咲かせる美しい花々の様子は下記で。
世界自然遺産「ケープ植物区保護地域群」8カ所の中の「ボランド山地群」の中に冒頭紹介のサイモンズバーグ山域も入っている。ブラッケン自然保護区は残念ながら含まれていない。
ブラッケン自然保護区への行き方
ケープタウン中心部から車で来る場合は、高速1号線を東進し、ブラッケンフェル手前で右に折れ、並行するR101号線に入ることになるのだろう。するとすぐに鉄道を越える陸橋がある。それを渡ってから右に行けば保護区に行ける。
R101はかつてのN1で、高速道路ではないが、かなりの幹線路だ。こんな道を歩きたくはない。しかし、私は住宅街で犬に吠えられるのがいやで、宿からだとわざわざ遠回りになるこの道を歩いて行った。
私の宿(もしくはブラッケンフェル駅)から歩いていくには、宿のすぐ前のCruis Roadをずっと東に歩いていけばいい。途中で通り名が変わるが、とにかくまっすぐ40分程度歩くと、ブラッケン自然保護区にぶつかる。最初は犬を警戒して遠回り(R101経由)したが、その必要はなかった。一応、歩道があり、特に左側を歩き続ければ犬に吠えられることはない。
ゴンドワナ大陸時代に形成された岩石層
テーブルマウンテンやライオンズヘッドもそうだが、ブラッケン自然保護区から見えるサイモンズバーグ山塊、ホッテントット・ホランド山脈、ボランド山脈など、非常に荒々しく奇岩とも言える形の山が多い。
これら一連の山塊は、西ケープ州北部から東ケープ州・ポートエリザベス方面まで約850キロ続くケープ・フォールド山脈帯(Cape Fold Belt、ケープ褶曲帯)の一部で、地質学的に非常に古い成り立ちを持っている。特にその骨格を成すケープ砂岩は、古生代カンブリア紀・オルドビス紀(5億1000万年前~3億3000年前)に、当時この地にあった内海(Agulhas Sea)で形成された堆積岩層だった。長い間に圧力や変性で固化・セメント化し珪岩段階に移行。風化に強い岩層となった。それが、その後の隆起・浸食で鋭く露出したものという。
古生代カンブリア紀・オルドビス紀といえば、超大陸のゴンドワナ大陸があった時代だ(ユーラシアと北アメリカをのぞく全大陸がつながっていた)。したがって内海で形成された同様の岩層は、その後分離した南米、南極、オーストラリア大陸にも連なっていた。南米大陸アルゼンチンのベンタナ山脈、南極大陸のペンサコーラ山脈、オーストリア大陸東部の造山帯にも同じ岩層が見られるという。ケープ・フォールド山脈帯はこれらとつながった古代の巨大山脈だった。
植物相もそうだが、地形も独特。その長大な時間の流れを意識してこの地を見ると、人間の歴史を越える畏怖の念に打たれる。