「マルタは猫のパラダイス」、の背景(仮説)

ウェブ上の書き込みを見ると、マルタが猫のパラダイスだという情報が目立つ。地中海の島で、多くの猫が、自由にのびのびと暮らしている、と。猫好きの人にはたまらない光景が各所に繰り広げられている、という訳だ。テレビや雑誌でも取り上げられ、マルタ観光局も「猫の島」を売り出しているようで、「世界キャットショー」などのイベントも開かれている

しかし、バルカン半島を経由してきた私には、マルタに特に猫が多いとは思わなかった。確かに必ずしも飼われているとは思われない猫(つまり野良猫)が、いろんなところに集団をつくり、レストランの床に寝ていたり、スーパーの前で「座談会」をしていたり、もちろん有名遺跡などでは、人が入れない空間を自由に闊歩していたりする。しかし、これはバルカン半島でもよく見る光景だった。この地域全体に言えることで、特にマルタが特別だとは思わなかった。

野犬が居ないから猫が出てくる

私の判断(独断、あるいは仮説)を先に言ってしまおう。この地域には野犬が少ないのだ。だから猫が街路を大手(足?)を振って歩ける。なぜ野犬が少ないかと言うと、イスラム文化の影響を受けているからだ。マルタは聖ヨハネ騎士団が入ってくる以前、9世紀から11世紀にかけて200年ほどイスラム圏だったことがあり(アグラブ朝治下)、その時に多くのイスラム系住民が入ってきた。現在のマルタ語もアラビア語の影響を多分に残し、実際アラビア語の一方言とも分類される。EU圏では、唯一セム語系(アラビア語を含む中東・北アフリカ分布の言語系統)の認定公用語である。シチリアも一時期イスラム圏だったが、言語がアラビア語系に変わるまでには至っていない(一時期そうだったがイタリア語系に戻った)。

イスラム教では犬は不浄な動物として忌避される。犬が居なくなれば、代わりに猫が大きな顔で街中を闊歩するようになる。犬と猫は「人間社会の傍ら」という同じ生態系の中で生きる中型動物で、同一ニッチ内で競合している。犬の方が大きいので、通常なら猫は街路など目立つところから駆逐されている。が、犬が人間社会の都合で意図的に排除されれば猫が前面に出てくる。バルカン半島でも、歴史的にオスマン・トルコなどイスラム勢力の影響が強く、南部には、コソボ、アルバニアなど、現在でもイスラム教徒が多数を占める国がある。

郊外も歩きやすい

マルタは私には歩きやすい土地だ。街の中はもちろん、郊外や農村に行っても犬に追われることはない。アジアの国、例えば長く居たベトナムやラオスでは、放し飼いの犬が多く、かつ獰猛で、郊外や田舎の村を歩いていると必ず犬に吠えられる。噛まれて狂犬病発症予防の注射で苦労したこともある。そこに行くとマルタはまず犬に会うことがなく、安心して歩ける。街で見る犬もほとんどが室内で飼われる小型犬で、大型犬も必ずチェーンにつながれている(多くの場合、最近増えた北部ヨーロッパからの滞在者が大型犬を散歩させている可能性がある)。農村で犬の鳴き声を聞くことはあるが、塀の内側からで、外を闊歩しているようなことはほとんどない。自由闊歩の犬が多いと、おのずと郊外や農村の街路を避けるようになるが、居なければ、猫と同様、そこに進出する。人々の暮らしを見ながら、どこまでも街路を歩いて行くのは放浪旅行者にとって極上の楽しみだ。

(マルタでも放し飼いの犬が居ないわけではない。つい最近(2018年10月)も、犬がのさばると猫の運命はこうなる、ということを示す悲しい新聞記事があった。マルタ島北部のGharghurで7匹の野犬集団に襲われ、猫、鶏などが犠牲になったという。旅行者も注意しなければならない。)

つまり、猫と同じように、私も同じ生活空間で犬と競合しているのだ(食うものは違うので「同じ生態系」とまでは言わない)。わけもなく街路をうろつき回る。だから犬と競合する。猫が犬に追い出されるように、私も犬に追い出され、犬が居なければ私も街路に復帰する。だから私にとって犬と言う存在は非常に大きく、これにかなり敏感になる。その辺の事情を、アジア旅行の際にまとめた。次のブログ記事で再録したので参照を。

イスラムはなぜ犬を忌避するか

イスラム教がなぜ犬を忌避するようになったのか。明確な解答はないようだが、一般には、狂犬病の危険を避けるためだったと言われている。狂犬病は現在でも世界中で毎年5万人の命を奪う。インドで3万人、中国で3000人が死ぬ。発症すれば100%死に至る恐ろしい病気だ。

犬は羊などを追いかけ牧畜コントロールに有益な動物である。中東など乾燥遊牧地帯を中心に広がったイスラム教がその犬を忌避するというのは一見奇妙だが、詳細に見ると、イスラム教は、砂漠地帯でもオアシス社会を基盤に形成されてきた(以前、「オアシス商業資本」とイスラム教の関係を考察したことがあるので、興味があれば参照)。オアシス社会では牧畜用の犬の役割は減少し、代わりに、狭い都市の中で狂犬病をはやらせる危険な存在の要素が強くなる。狂犬病は犬だけでなく、他の動物も媒介するが、犬は人を噛む。これに対し、猫は人間への攻撃性があまりないので、脅威は少ない。イスラム社会でも受け入れられ、犬に代わって愛玩動物の主役にあった。

(ただし、狂犬病の危険はイスラム社会だけでなく、どの地域にもあるはずで、これを媒介する犬の忌避は、より広い背景基盤があるとも思われる。牧畜用や番犬としての用益、ペット文化などが地域によって異なり、それが、その地域での犬と猫の立場を規定してきたと見る。)

猫とツーリズム

野良猫が観光振興の妨げになる、という意見がある(Charlotte Munro, “Study of Strays in Malta and the way they are perceived by the Maltese Society“)。しかし、確かに人への攻撃性をもつ野犬は観光客を遠ざけるが、猫がそうだとは思えない。むしろ、「猫の島」を期待して来る人も多く、観光振興に一役買っているようにも見える。マルタ観光局はこれを積極的に宣伝している。国際キャットショーなども頻繁に開かれる。猫たちのシェルターをつくり、彼らの生息条件を改善し、虐待を防ぐ活動をする市民団体も多く、そうした活動を見るのは心温まる。例えば、Tomasina Cat SanctuaryThe Malta Feline Guardians ClubAnimal Care Malta など。

衛生上の問題

野良猫が一定の衛生上の問題になるのは確かだ。糞尿の問題、出されたゴミを荒らす問題、そして寄生虫、病原菌を野生動物、ペット、人間にうつす問題。しかし、(あくまで旅行者の見立てだが)それほど脅威になっているようには思われない。「野良猫がそこら中に居る」という状況ならばともかく、「猫の島・マルタ」には、イメージと違ってそんなに猫は居ない。犬が居ない環境で自由に生きているので、多く居るように感じるだけではないか。餌付け場所の限定、避妊手術など、ある程度コントロールされた条件の中で猫がかわいがられている。

ウェブ上には「マルタには人口の2倍、70万~80万匹の猫が居る」という書き込みがあちこちにあるが、何を根拠にしているのか、その元となる調査や確かな試算データは、不勉強にして見つからなかった。一種の都市伝説なのかも知れない。「マルタに野良猫が3000匹」という数字を出している記事も見たが、こちらの方が実態にあっているように思う。

小動物への脅威

これが一番心配なところだ。猫はネズミを捕ってくれるありがたい存在だ。しかし、ネズミ駆除だけに特化してくれる保証はない。その他の小動物を襲う可能性が高く、半野生化した猫は、希少種を含めてマルタの爬虫類にかなりの打撃を与えているという指摘もある。

飼い猫が完全に野生化してしまったオーストラリアでは、これが深刻な問題になり、小型哺乳類や爬虫類、地上性鳥類などすでに63種を絶滅させ、現在さらに100種以上を絶滅の危機にさらしているという。野生猫の習性を利用した猫だけを安楽死させる駆除剤までもが試験的導入されてきている。

マルタは小さな島だ。野生猫による小動物への害があれば、悲惨な結果が急速に表れる可能性がある。郊外や自然地域にそれほど猫が棲息しているとは思われないが、オーストラリアの野生猫は棲息行動域が非常に広い上に、日中は洞穴などに身を隠して目視されにくく、捕獲が難しいらしい。

ただ、ここでも公平のために付け加えておくが、猫を愛するマルタの人々は、きちんとコントロールされた形で野良猫をかわいがっている。都市部の海岸地帯など、野生に拡散しないような環境で餌付けされている。例えば、猫の聖地として有名なスリーマのインデペンダント・ガーデンは、そうした典型的な海岸部公園で、公園のすぐ上は交通の激しい道路で隔絶され、その先は都市域だ。自然の野原に拡散していくことは難しい。「猫の島」で、そこら中に猫が居ると思うのは間違いだし、実際そうなったら、大変なことになることは知っておく必要がある。

猫たちも安全な場所で十分な食糧が与えられるなら、敢えて厳しい自然の中に出て行こうとはしないだろう。餌付けして猫を愛する文化は(各種コントロールと相まって)猫の野生化を防いでいるかも知れない。

スリーマ(首都バレッタ北のリゾート都市)の海岸公園インデペンダント・ガーデン(タカリ国立公園)に立つ巨大な猫の像(身長3メートル)。彫刻家Matthew Pandolfino氏の作品。
その像の下周辺に、こんな風景が。猫好きの人たちがエサを与えている。猫たちの居住用小屋の一つも見える。
公園散歩の人もエサを与える。このインデペンダント・ガーデン公園は猫の聖地なのだ。
スリーマの北、セント・ジュリアン側から見たインデペンダント・ガーデン公園(緑の部分)。海に面しており、後ろ側は道路とリゾートマンション街。
私の宿の近くにある「猫の村」(Cat Village)。犬や虎のぬいぐるみなどがたくさんあってわかりにくいが、猫が見えるだろうか。虎の上に2匹寝ている。塀にも1匹。奥の台の上にも1匹。ヒルトンホテルや高級リゾートマンションのすぐ近くで、開発ラッシュから辛うじて免れている。
茶店周囲にも集まってくる。
レストランにも。
スーパーの前に集まって「座談会」。
犬が居ないわけではない。大型犬を連れて散歩する人。必ずチェーンを付けている。   
街路を散歩。何気ない風景だが、猫は普通、道路をこんな風に悠々とは歩かない。
漁師の獲った魚を待ち受ける猫、の像。セント・ジュリアンの海辺で。猫の像も路面に固定されて動かせない。
バルカン半島でも同じような光景を多く見た。これは、クロアチアの地中海沿岸部都市スプリトで。