犬と旅行者、と猫

本記事は拙著「アジア奥の細道」第1章(17)からの転載です。2016年1月頃、インドネシアで書いたものです。

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犬との競合

私の旅は、観光地でない普通の街を、何くわぬ顔でどこまでも歩いていくことだ。時に現地の人々に紛れ、時に物珍しげな周囲の目を感じ、民家の並ぶ街並みを歩いていく。

強敵は犬だ。人間が異分子に気づかなくとも、犬は鋭く見抜き吠えてくる。都会では犬も異邦人に慣れているのか吠えない。また、都会から遠い大自然の中では、人も住まず犬も居ない。しかし、人がある程度住む郊外や農村には犬がおり、異邦人を攻撃するよう訓練されている。しかもアジアで犬は放し飼いになっている。このため、一番魅力を感じる田舎の風景、都市近郊の伝統的街並みに入っていくことが難しい。

犬に噛まれる

ベトナム北部ハザン省で、犬に噛まれて苦労した。一瞬のすきに、後からふくらはぎ下部を噛まれた。苦痛を感じる余裕もなかったが、後が大変。犬にとっては挨拶代わり程度かも知れないが、人間様の側は、狂犬病予防の煩雑な手続きが必要になる。狂犬病は発症すれば100%死ぬ恐ろしい病気だ。すぐ応急措置をとる必要がある。全世界で毎年5万人以上が狂犬病で命を落とす。すぐ患部を洗浄・消毒し、病院で狂犬病の予防接種を受けなければならない。その後、1カ月のうちに計5回のワクチン注射(日本の場合6回)を受ける。この事後ワクチン投与でほぼ100%発症が防げるのが救いだが、頻繁に病院に行く手間は相当なものだ。私は、犬を見ると何よりもこの手間が思い出され、警戒心が先立つ。

アジアの番犬文化

犬を番犬に使うという文化は特に東アジアで根強いように思う。ベトナムの犬も、日本の犬と同様、よく吠える。しかし、カンボジア、タイまで南下すると犬はおとなしくなる。ミャンマーまで来ると、「これが犬か」と思うくらい、人に対してまったく吠えなくなる。人間に対しへりくだっているようにさえ見える。赤面恐怖症でまともに人の顔を見られないくらいだ。

番犬文化の中心は中国だと思うのだが、最近の中国では、特に都市部でペット文化が広がり、小さくおとなしい犬が好まれるようになった。中国で犬に関し怖い経験をしたことがない。2015年には、ペットとして犬よりも猫の方が多数派になった、との報道もあった。

ラオスでの体験

ラオスには強力な番犬文化が残っている。南部に行けば、タイの犬に近くなるが、北部の犬はかなり荒々しい。今回の旅の途中、中国国境に近いウドムサイ(かつて民族解放闘争のパテトラオ軍の拠点となった街)に滞在したが、犬との確執に悩まされた。大通りをちょっと外れると犬が吠えかかってくる。

大通りは車の騒音と埃まみれだから歩きたくない。郊外の美しい自然に出たい。しかし、犬に追われるので出られない。自転車を借りて繰り出しても犬の集団が足元に吠えかかってくる。丘の上の博物館に行こうとしたときさえ、アクセス路に犬が数匹寝ており、むっくり起き上がって向かってくるので愕然とした。結局、この美しい山岳都市で、宿の中と大通りでしか生活できなくなった。

明らかに時代錯誤だ。ラオスもこのウドムサイの町もエコツーリズムや少数民族ツアーで売り出し、観光客を呼び寄せようとしている。しかし、犬ですべてぶち壊しだ。かつてよそ者は犯罪者だったかも知れない。よそ者だけ効果的に排除してくれる犬は便利な防犯ツールだったかも知れない。しかし、今、よそ者は大切な客、金を落としてくれる存在のはずだ。私のようにほとんど金を落とさない観光客も居るにはいるが。

もうこの町には来ない、と正直、そう決心してしまった。

どの家も家を飼っているようだ。しかし、さほど防犯の目的を考えて飼っているようには見えない。皆、ただ何となく飼っている。ただ何となく護身用にナイフを持って歩く困った人がいるが、それと同じような習慣に見える。

地元の人は、犬放し飼いの観光への弊害に気づいていないかも知れない。だから、観光局の人にアドバイスを与えておいた。これ、かなり深刻なことなんだよ、と。効果が出ればいいのだが。

イスラム圏に犬は居ない

番犬文化は、タイ、カンボジアに入ると弱くなり、マレーシアに入ると消滅する。何と、マレーシアにはまず犬が居ないのだ。インドネシアも同じ。とてもうれしかった。

なぜだ。調べてみると、イスラム教では犬は不浄な動物とされているらしい。マレーシアは人口の6割がイスラム教徒で、国教もイスラム教。インドネシアは8割以上がイスラム教で、特に人口が集中するジャワ島では9割を超える。

これで私の旅の形態も変わった。どんどん郊外や農村地帯に出ていける。そうだ、犬は不浄だ、イスラムって何てすばらしい!と感動して歩き回る。

ベトナム、中国と違い、マレーシア、インドネシアでは私は一発で異邦人とわかる。あれ、何でこんな人がここに居るの?とびっくりされるようなシーンに次々ぶつかる。私としてもよくまあこんな所まで入り込んでいるものだと思わないでもない。しかし、特にインドネシアは、こうした異邦人に開放的だ。ごく普通の村民がにこにこあいさつしてくる。見事としか言いようがない。

猫の進出

犬が居なくなると、猫がその立場を肩代わりする。まるで犬のように通りを堂々と歩く。田舎ではニワトリもこれに加わる。犬のため通りから追い出されていたのは観光客だけではなかった。

こんな猫を今まで見たことがなかった。人間を見ると、自分を大きく見せるためだろう、背中を高く突き出し虚勢を張る。街のあちこちを徘徊し、路上の餌をあさる。犬と同じだ。

しかし、そこまでだ。やはり猫は猫。人間に媚びず「我が道を行く」態度は変わらない。人に対しへりくだることもないが、攻撃的になることもない。

北セレベスはキリスト教圏

そして、意気揚々とインドネシアを東進し、セレベス(スラウェシ)島北部のビトゥン(マナド近郊)で下船すると、犬を見かけるのでギクリとする。住宅街から犬の吼える声も聞こえる。セレベス島北部はキリスト教地域で、街中で信者から勧誘説教を受けることもあった。北スラウェシ州人口の71%がキリスト教徒だという

また「不浄な犬文化」が始まるのかと愕然としたが、幸いにもここの犬はまだ多くなく、人間を攻撃する文化もあまり身につけていないようだった。