結果論としての進化論 進化が人間を越えるとき

進化論は結果論、身も蓋もなく

犬や猫、どんな動物でも、丁寧に子育てする姿を見ると、子孫を残すため子を愛する性質を進化させてきたんだな、と思ってしまう。

しかし、実際は、子を大切にする個体と、ほっぽり出したままの個体が居ると、当然にも、大切にする個体の子の方がより多く生き延び、増える。そして、次第にその系列の子孫が増え、種として「進化」が起こっている。子をほっぽり出す個体は、その世代でいかに繁栄しても、生き延びる子が少ないので、長い目には徐々に系列子孫を減らす。何世代にもわたるうち、子育て形質を備えた個体の方が多くなり、また、少しでもその形質が強い個体の方がさらに多く子孫を残し、結果的に、その種は、より子どもを大切にする方向に「進化」している。

寒さに強いとか、食糧の少ない時期に耐えられるとか、何らかの環境への適応が発達した形質についても同じだ。少しでも適応した個体が少しだけ生き延び確率を高め、それが何世代も続くうちに、結果的にその方向に「進化」してしまっている。

人間は、目的的に行動する存在だ。だから、進化も、その動物が何か意図的にがんばって達成してきたものだ、と思ってしまう。しかし、実際には意図は介在しない。単なる結果だ。結果が積み重なって積み重なって、そしていつの間にか全体が変化している。遺伝子というのは子孫に伝わっていくので、そういう「結果的変化」が起こる。伝わっていかなければ、一代だけの子煩悩で終わりだ。次の世代は増えても、やはり平凡なほったらかし親になるので、元の木阿弥。数を減らして、一時的に出現した優れた形質も消滅してしまう。

こうした「自然の匠」を他に知らない。鉱物はいかに「優れた」形質があってもそれを「次世代」に伝えないし、進化させたりしない。そもそも「次世代」をつくらない。星(恒星)が進化するとも言うが、別に優れた形質を競い合って長寿星になろうとしているわけではない。同じ物理法則にしたがって変化しているだけで、その変化が未来永劫同一に繰り返される。

確かに、これでだめだったから次はこうしてみよう、と合理的に考え、目的意識的に行動できる人間の存在の仕方は「進化」のプロセスとは異なる。ある意味、より素早く環境の変化に適応できる。「進化」はこれに比べれば非常に時間がかかるしコストも大きい。しかし、確実で強力な仕組みで、より根底的な自然の原理だ。

進化が起こるためには多くの個体が死ぬ、もしくは子孫を途絶または減少させる。死なない生物もいる。しかし、生物は死を獲得したことにより、進化という強力な手段を得た。子を産み、死に、形質を伝える。その生命という存在が進化を可能にした。

進化が人間の目的的行動を越えるとき

一見優れた人間の悟性も、単純結果論の進化にかなわない。1億5000万年も地上に君臨した強大な生物・恐竜も、6600万年前の巨大隕石衝突による気候変動で死滅した。地中に隠れる小動物や空中に逃れる鳥類は残った。残ったもののうちまたあるものが残って系統をつなぎ、少しずつ違うものが生まれ、そのいくつかが残り、新種になり、「進化」になった。

必ずしも優れたもの、強いものが残るわけではない。何が優れているかなど簡単にはわからない。その生物自身わかるはずはないし、「万物の霊長」でさえ本当のところはわからない。例えば、体の大きい強いオスの魚が縄張りを確保しメスに卵を産ませる。普通はそうだ。強いオスがそこに排他的に放精するのだが、弱小あぶれオスがすきを見て忍び込みまんまと放精に成功することもある。スニーキング行動という。どのような形であれ子孫を残せば残る。残ったものが残り、さらに残っていく。それが自然界のおきてだ。

そんなことでは強いオスが子孫を残せず、その種にとってマイナスではないか。いや、ただマイナスであれば、その種はやがて滅ぶが、このような「スニーキング」行動とそれを行なう種が現在でも存続している。存在するということは、何らかのメリットもあったということだ。すばしこさ、狡猾さ、そうした形質も一定程度受け継がれることに種としてのメリットがあったかも知れない。だからこの行動は現在も存在する。「ズル」が淘汰され、ただただ強大なものだけが残ると、かえって種としてマイナスで、それで絶滅したかも知れない。つまり、存在するものは合理的なものなのだ(ヘーゲル?)。ズルも一定必要ぞ、と自然はのたもうた。だから残った。残らなかった集団はその形質とともに消滅した。とにかく残ればその方向に「自然選択」され、「進化」した。進化万歳、結果が全て。残るものが残る。残ることに理有り。

「進化する」と自動詞で言う。しかし、繰り返すが、その生物が自ら意図して進化したのではない。たまたま残った。残り残り続けて、いつの間にかその方向に「進化」していただけだ。進化論は結果論。結果が結果的に積み重なってその結果が進化だ。

生物と環境が織りなす無限の相互作用。死滅と適応。その無限連関の中で、残るものは残り、残らないものは残らない。その結果をみて、なるほどそうだったのかと、自然と生命の間の妙なる原理が明らかになる。そう認識するのは人間だけで、自然界はただ結果で動いているだけだ。人間は、結果から後追い的に原理を理解する。そしてこの後追いは永遠に続く。その時点で「そうだったのか」とわかっても次の時代の変化で絶滅が起こり、別の「そうだったのか」に道を譲る。

人類はいずれ核戦争で死滅するだろう。放射能に覆われた地球で生き延び残り、さらに残っていくのはどこに棲むどんな生物か。昆虫かウィルスか、あるいは地下帝国に隠れていた(我々よりも大きな脳を持っていたという)ネアンデルタール人か。高度な知能をもつという形質は必ずしも進化的に優れていなかったかも知れない。あるいはその知能はまだ十全には発達していなかったのかも知れない。

(2025.9.20追記)