「人道に対する犯罪と虐殺」博物館
残虐な報道写真には慣れていると思っていた。サラエボの「人道に対する犯罪と虐殺」博物館(Museum of crimes against humanity and genocide 1992-1995)。展示は陰惨なものだったが、事実として認識しようという態度で臨めた。撃たれた人が最後の息をしているビデオを見るまでは。
その人は街路に横たわり、血を流して大きく息をしていた。いや息というより、生物の最後の兆候が激しくうごめく感じ。あと少しで「遺体」という物体に変わる。その直前の生体反応、どうしようもなくだれも対応できない生物の反応が路上で生起する。その動きを映像がとらえた。
激しく動揺してやはり後は平静に展示を見られなくなった。人が、生きている人が、まわりの人が、家族が、あんな状態になったらあなたはどうするのか。人でありながらもはや人でなく、生体反応をする生物組織になっていた。
1991年から10年あまりにわたって各地で続いたユーゴスラビア紛争の中でもボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はとりわけ残虐な殺し合いが行われ、1992年から1995年の間に死者20万、難民・避難民200万、その他無数の負傷者、レイプ被害者を出した。首都サラエボ(人口42万)には、その悲惨な戦争の傷跡をとどめようとする多くの博物館・記念館がある。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
ユーゴスラビア解体の中で、1991年6月のスロベニア、クロアチア独立宣言に続き、1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言した。人口約430万人のうち44%がボシュニャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人だった。セルビア人は独立に反対して北部に「スルプスカ共和国」を独立させ、ユーゴスラビア連邦軍とともに、ボスニア・ヘルツェゴビナ軍と戦闘状態に入った。当初セルビア人、ユーゴスラビア連邦軍が優勢だったが、NATOによる空爆などが行われ、1995年10月にセルビア人側が停戦に応じた。
多くの地域で市民の虐殺が行われ、特に1995年7月には東部スレブレニツァで8000人以上のボシュニャク人が虐殺されるジェノサイドが起こった。首都サラエボも1992年4月から1996年2月までユーゴスラビア連邦軍、スルプスカ共和国軍により包囲され(「サラエボ包囲」)、市場への砲撃や街路への銃撃などで市民に多数の死傷者が出た。1万2000人が死亡、5万人が負傷し、うち85%は一般市民だった。殺害と強制移住で、市の人口は紛争前の64%、33万人に減った。
「サラエボ包囲」博物館
戦争子ども博物館
ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館・歴史博物館
歴史的な街に銃痕が残る
サラエボ地域は、ローマ帝国に征服されて以来、ゴート族、スラブ人などが居住していたが、サラエボが本格的に発展するのは1429年にオスマン帝国の支配下に入ってから。イーサ=ベグ・イサコヴィッチ知事の統治下で、1461年以降、現在旧市街の基礎が築かれた。
近代において、オスマン帝国はロシア、オーストリア勢力に徐々に押されていき、1878年のベルリン条約でボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権はオーストリア=ハンガリー帝国に移った(1908年に完全併合)。
このような歴史的経緯から、サラエボ地域は異なる民族、宗教が共存する多文化的環境が存在していた。
もう一つの歴史的な場所
サラエボはもう一つ、世界史的事件の発端となった重要な場所がある。1914年オーストリア・ハンガリー帝国皇位継承者のオーストリア大公フランツ・フェルディナントとその妻ゾフィー・ホテクが、訪問中のサラエボ旧市街で、ボスニア系セルビア人に暗殺された。これをきっかけに第一次世界大戦が勃発した。いわゆる「サラエボ事件」だ。世界史の教科書には必ず出てくる。
その後の歴史
この暗殺事件の後、オーストリア=ハンガリー帝国とセルビア王国の対立が深まり、7月28日に開戦。当時の勢力関係からセルビアにロシアが加担し、オーストリアにドイツ帝国が付き、やがて第一次大戦の全面戦争に拡大していく。オーストリア・ハンガリー帝国内ではセルビア系に対する暴動が起こり、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアではセルビア系住民に対する虐殺も行われた。サラエボでは暴動初日だけで2人のセルビア人が殺害され、約1000件のセルビア系住宅、店舗などが襲われた。
一方で、セルビア人民族主義者の間ではプリンツィプは今でも外国支配にたたかった英雄だ。2014年のEU主催サラエボ事件100周年記念行事に対し、ボスニア・ヘルツェゴビナ内セルビア人側(スルプスカ共和国)は参加を拒否。逆にプリンツィプの銅像を建てたという。
第一次世界大戦も、それを引き起こした暗殺事件も、ボスニア・ヘルツェゴビナではまだ「歴史」になっていない。当時からの民族対立がつい最近も悲惨な殺し合いとしてこの地の人々に降りかかったばかりなのだ。