社会主義革命は絶対主義革命だった…

ソ連型社会主義が崩壊してすでに30年以上が過ぎた。中国型社会主義も経済実態は資本主義に近づき、それを旧来の専制主義が支配しているような形になっている。つまり歴史的に出現した「20世紀社会主義」は崩壊した。

これをあくまで「20世紀社会主義」「現存社会主義」の崩壊ととらえ、いや、別の、まだ実現していない「真の社会主義」があるとし、理念の有効性を主張する人々もいる。「現存社会主義」はロシア、中国の特殊な事情に歪曲されてしまったもので、真の社会主義ではなかった、というわけだ。あれだけの社会主義の悪行が現出したにもかかわらず、なおその理念をつなぎ留めたい場合に用いられる典型的な論理だ。

それと並行して、いや、滅んだのはスターリン型の社会主義であって、レーニン、エンゲルス、マルクスは有効だとか、レーニンもだめだがマルクス・エンゲルスは有効だとか、いやエンゲルスはマルクスの資本論をゆがめてしまったので、マルクスの原初に帰る必要がある、とかの議論もある。いずれも現実に起こった巨大な歴史的現実の前にはむなしさを感じざるを得ない企図だが(実際は、マルクスこそあの人を斬る鋭すぎる論調が以後の流れに危険なDNAを忍ばせたように思われる)、いや、今でもそれだけの論陣をはる理論家がいるとすれば貴重な存在だと賞賛したいくらい、社会主義の凋落には悲惨なものがある。

2000万人を超える、ナチズムを凌駕する巨大な犠牲を生んだ。社会主義とはいったい何だったのか。私もそれを考えざるを得ないし、多くの人がそれを痛みも感じながら振り返り、理論化しようとしている。その中で、ひとつ、「社会主義革命は絶対主義革命だった」という主張に接し、なかなか面白い視点だと思った。下記の論考だ。

望月和彦「社会主義の歴史的位置づけに関する一試論」(『桃山学院大学経済経営論集』第39巻第3号、1998年)

なお、私はここで望月氏の視点を紹介しながら独自の(勝手な)思索を展開するのであって、氏の主張を曲解、もしくは一面的に援用している可能性がある。主張を正確に知るには、上記原文を直接参照して頂きたい。ウェブ上で全文が読める。

国家資本主義か、封建制か、国家奴隷制か、絶対主義か

望月は、社会主義が実際は国家(独占)資本主義だったのではないか、という主張を検討し、あるいはそれを「復元された封建制」や「国家奴隷制」と規定する例も紹介しながら、結論的には、封建制と資本主義の時代の間に存在した絶対主義の体制だったと規定する。

「世界史上、社会主義体制は、マルクスの予言したのとはちがい、先進国で成立したわけではなく、むしろ、相対的に遅れた国々で成立した。トロッキーが言うように、ロシアにプロレタリア革命が起こったのは、ロシアが資本主義を基盤とした発展ができないほど後進的であったからなのである。ロシアにしても中国にしても、工業化が十分に発達する前に、戦争による混乱の中で共産党が権力を握ったのである。このことは、単なる理論からの逸脱ですまされるものではない。/これは社会主義革命が経済社会の進歩の結果なのではなく、むしろ、その社会の後進性の証明であることを示しているのである。そしてさらに、現存社会主義体制は、資本主義体制の後退によって生まれた体制であり、それは「再版絶対主義」と呼ばれるべき特徴を持っている。/かつて西欧で、農奴制が解体し、資本主義への前段階に移行しようとしていた同じ時期に、西欧よりも経済的に遅れていた東欧では、農奴制が崩壊するのではなく、逆に農奴制が強化される形で新たな農園経営が成立した。これを「再版農奴制」と呼ぶ。これと全く同じ事が、社会主義国でも起こったのである。つまり絶対主義から資本主義に移行するときに、経済的に遅れていた地域では、資本主義へ移行することができず、逆に、絶対主義体制強化という形が現れたのであった。/つまり現存社会主義とは資本主義以前の体制であった絶対主義の変形なのである。また社会主義革命とは、絶対主義的性格を持った反動的な革命であったのである。」(上記望月論文、pp.34-35)

封建制から資本主義への過渡期

絶対主義とは、一般に、近代社会ができる一歩前の過渡的社会、封建制の最後の時期、もしくは資本主義の最初の段階に生まれる王、君主による専制的支配体制を指す。市民革命(ブルジョア革命)が倒した体制が絶対主義であり、典型的にはフランス革命前のブルボン朝、イングランドのテューダー朝、地理上の発見時代のポルトガル、スペインの王朝などがあげられる。日本の戦前の天皇制も「絶対主義天皇制」などと規定されることもある。世界史の教科書的な説明では次のような規定がある。

「国王は、没落しつつある封建貴族階層と、力をつけつつあった市民階層のバランスに乗り、官僚制と常備軍を整えて強力に国家統一を進めた。この絶対王政は、中世の身分・社会秩序(中間団体)を維持したまま集権化を進めたことなどから、封建国家の最終段階であり、他方で、国王に主権を集中して一定の領域を一元的に支配する主権国家を形成したことから、近代国家の初期の段階とみなすことができる。」(山川出版社『世界史B用語集』(2013)

歴史段階の中に社会主義を位置づける

社会主義を20世紀に現れた特異な、独特の制度として分析する視角も当然ある。社会主義崩壊後、各種資料が公開され、その分析は益々精緻に行える、行われるようになった。むろん、それも必要だが、いろいろ当てはまらない面が出るとしても、絶対主義というすでに定式化された歴史上の体制に敢えて位置付ける方法にも有効性を感じる。絶対主義は、スターリン的唯物史観の影響を受けた「原始共産制、古代奴隷制、中世封建制、近代資本主義、今後の社会主義・共産主義」という歴史的発展段階説の中には含まれないが、封建主義から資本主義に移行する過渡期としてある程度の学説的支持を得た歴史的体制だろう。社会主義をそこに落とし込むことにより見えてくるものがある。望月は言う。

「絶対主義の特徴は、王権神授説によるイデオロギー上の正統性の主張、官僚制、そして常備軍の存在であると言われているが、現実の現存社会主義体制はこれらの特徴の全てを備えている。そして帝政ロシアとソビエトロシアを比較すれば明らかなように、再版絶対主義は、絶対主義よりも過酷で残虐な支配であった。」(前掲望月論文、p.36)

王権神授説、官僚制と常備軍、人権抑圧

社会主義が支配に援用した「王権神授説」はむろん共産主義イデオロギーである。マルクス・レーニン主義であり、毛沢東主義であり、主体思想であり、その他いろいろ現地的イデオロギーの多様性をもつ。スターリン、毛沢東に見る通り、カルト的な個人崇拝も出現する。選挙による政権交代という権力移譲の制度をもたないから、権力者の生物的死をもって移譲が行われる他ない。そしてその際には激しい内部抗争や粛清がともなう。社会主義独自の平和的権力交代制度をついに生み出すことができず、結局はかつての専制国家同様、世襲、つまり血のつながった子への権力継承を取る体制も現れる。

絶対主義の特徴としての肥大した官僚制と常備軍、そして人権抑圧。これらについて改めて触れるまでもなかろうが、望月は例えば次のように言う。

「ソ連は、他のほとんどの点でアメリカの後塵を拝していたが、唯一、軍事面においてはアメリカに匹敵するほどの実力を有していた。つまり軍事力だけは突出していたのである。核爆弾や大陸間弾道弾といった最新兵器に関してもアメリカに若干遅れてはいたものの、質的劣勢を量的な優位でカバーできていた。中国もまた、核戦力を有する地域軍事大国である。北朝鮮の核開発が近年国際問題となったことは記憶に新しいところである。」(同論文、pp.37-38)

ソ連の人権抑圧に関しては、私のブログから引用しておこう。

「秘密解除された強制労働収容所(グラーグ)管理局や内務人民委員部(NKVD。KGBの前身)などの文書によると、ソ連では、例えば1937~1938年だけで、157万5000人が逮捕、134万5000人(85%)が有罪、68万1692人(有罪の51%)が処刑された。しかもこれには粛清された共産党幹部の数はほとんど入っておらず、当時強制移住されて死亡した者(37年に極東の朝鮮人17万2000人がカザフスタン、ウズベキスタンに移住させられている)、獄中で拷問を受けて死亡した者、強制収容所で死んだ者(37年に2万5000人、38年に9万人以上)、収容所への移送途中に死んだ者は含まれていない。アーチ・ゲッティ、オレグ・Ⅴ・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』は、「1930年代の拘禁中の死亡数」を200万人と推定している。ソ連極秘資料集『共産主義の記録』シリーズの創始者でディレクター、ジョナサン・ブレントは、「1928年から1953年に至る25年のスターリン治世下での犠牲者数については推計にかなりのばらつきがあるが、現在では少なくとも2000万人だったと考えられている。彼は欧州史最悪の大量虐殺者とされる」と結論付けた。」

開発独裁との関連

社会主義を絶対主義と規定した上で、望月はまた、これの「開発独裁」との連関も検討する。資本主義の初期において、特に後発国が、集権的な国家体制を築いて上からの急速な開発を目指す体制を開発独裁という。マルクス経済学では「原始的蓄積」の時期にあたるとも言われる。例えば李承晩、朴正煕政権下の韓国、蔣介石、蔣経国の台湾、マルコスのフィリピン、スハルトのインドネシアなどが典型で、やがて民主化革命の中で打倒されていった。

「現実に存在した社会主義体制は、当時の帝国主義列強の中では相対的に遅れた経済が、先進資本主義諸国にキャッチアップするために、生産力を急速に増加させる体制として成立した再版絶対主義体制であったということができる。これは一種の「開発独裁」体制であった。」「ガーシェンクロンは、日本やロシアのような後発国の経済発展には国家の役割が重要になると主張したが、ロシア革命後の社会主義体制の成立は、国家の役割が究極の形で展開されたのであった。すなわち、国家が生産システムの唯一の主体として現れたのであった。」(前掲望月論文、p.40)

そして実際、この「絶対主義」と「開発独裁」で社会主義は、一定程度まで経済的の発展を勝ち取る。最終的に矛盾に阻まれ崩壊するが、ある時点までは相当の経済発展をしたことは認めなければならない。望月が言う通り、

「現存社会主義体制は、後発国のキャッチアップシステムとして有効であったということができる。それは、ロシアが革命によって社会主義体制となり、五カ年計画を強力に推
し進め、これによる工業化の成功によって、対独戦を勝ち取り、第二次世界大戦後は、アメリカに対抗する超大国として東側世界に君臨したという歴史が証明している。このような発展は、ロマノフ朝下のロシアでは想像もできなかったことである」(同論文、p.40)

しかし、役割を果たした後、経済の新しい展開の中で社会主義は終焉する。さらなる発展には、強権体制は阻害要因になる。韓国、台湾、その他開発独裁国家が民主化の波に洗われていくように、社会主義も民主化の波に抗しきれない。「東欧革命」が起こり、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が解体する。これを望月は次のように説明する。

「現存社会主義経済は、ある程度まで量的拡大はするものの、生産力の壁にぶつかってしまうのである。すなわち、これらの諸国は、社会主義的成長の限界点である極相(climax)に到達してしまったのであった。そしてその社会主義的発展の極相において、社会的諸矛盾が激化し、社会体制を維持することが不可能となって、1991年に体制転換が行われるのである。それ故、1991年の「革命」は、ブルジョア革命であり、これによって、ソ連はようやく資本主義の段階に達したのである。他方、中国のように、開発独裁は続けながら、計画経済を放棄し、経済的には資本主義へと転換した社会もある。ベトナムもまた中国型の経済システム転換を模索している。このように、現存社会主義から資本主義への遷移パターンにはいくつかの型が観察される。」(同論文、p.43)

東欧民主化はブルジョア市民革命

現存社会主義を絶対主義ととらえれば、1990年前後のソ連・東欧の民主革命は当然ながら市民革命になる。市場経済が全面的に開花するためのブルジョア革命だ。伝統的マルクス主義歴史学では、「社会主義後」に来た革命が何なのかなど規定できない。共産主義革命?反革命? しかし、「社会主義」の衣をかぶった絶対主義が倒された市民革命ととらえれば、様々なことが明瞭化する。その後に実施される自由選挙と議会、法治主義と立憲政治、思想言論の自由をはじめとした民主化、私的所有の明確化と市場経済の確立。「ブルジョア革命」の課題が進行した。

ロシアでは、絶対主義の成立時にも革命(1917年)が起こって、次に市民革命(1991年)が起こったという形になるが、そういう経路があったとしてもおかしくない。もともとロシア革命はクーデター的な色彩が濃い「革命」だった。開発独裁国家で、独裁者がクーデターで権力を握る事例は多々ある。望月は次のようにも言っている。

「革命の指導者たちは、確かに、マルクス主義の信奉者であった。だが、だからといって彼らの行った革命が社会主義革命であると即断するのは誤っている。歴史的評価は、あくまでも、その結果によって評価されねばならない。その結果、生まれた社会体制が何かによってその革命の性格は規定される。」(同論文、p.40)

大いに同意できる。私の革命観でも、民衆は常に、千年王国的(つまり超歴史的)解放を夢見て「革命」に走るが、実現される体制は常に歴史的なものである。つまり、それまでの社会経済が蓄積した以上のものではない。フランス革命の理念がいかにすばらしく、民衆は平等への強すぎる希求に憑かれていたとしても、それが実現するのは結局ナポレオンの独裁体制でしかなかった。革命はその中で発せられる掛け声や理念よりも、その*収拾過程*が根幹的で、結局どのような体制に収まるかで革命が規定される。

従属理論も批判

各国の歴史を、封建制から絶対主義、資本主義などと「一国史観」的な進行でみるのは、従属理論、もしくはウォーラステイン的世界システム論からの批判を受けそうである。マルクスの労働者階級窮乏論は、一国史的にはもはや崩れかけているが、第三世界が構造的に資本主義中枢から収奪されているという理論は今なお力をもち、マルクス主義的分析の最後の拠り所になっている。しかし、望月はこれに対しても、明快に排除する論拠を用意しているようだ。次のように言う。

「第二次世界大戦の結果、中国や東欧などがソビエトブロックに属したことで資本主義諸国にとって大きな市場が失われ、また植民地諸国の独立によって、排他的経済圏も消失し、そのうちのいくつかは東側につくことによって資本主義市場から離脱したのであった。/これに関して、後期資本主義の対外関係を「自由貿易帝国主義」とよぶものもあるが、これは全くの形容矛盾でしかない。もし後期資本主義の繁栄が、周辺国の収奪によって成り立っているとすれば、第二次大戦後に生じたこれらの市場の喪失は、後期資本主義にとって致命的ダメージを与えたはずである。ところが、経済的に停滞したのは、東側ブロックに属した経済の方なのであって、中心国に「収奪」されているはずのアジアの新興工業国は、未曾有の経済発展を遂げたのである。」(同論文、p.49)

市民革命の次に何が来るか

1990年前後の社会主義民主化革命が市民革命(ブルジョア革命)だったとすると、史的唯物論の定式化からすれば次に社会主義革命が来ることになる。社会主義者の方々は喜ぶか。これからこそ本当の、「真の社会主義」の革命が来る、と。が、そもそも教義を信じていない一般人にはそんな段階説はあずかり知らぬものであり、史的唯物論者にしても、ほかならぬマルクス氏が次のように言っていた言葉が耳に痛いだろう。「歴史は繰り返す。先ず悲劇として、次は茶番として。」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」冒頭)。1848年仏二月革命が再び皇帝たるナポレオン3世の1851年クーデターで終わったことについて語った言葉だが、20世紀社会主義があれだけの悲劇に終わった後、また同じ名前の革命が(「真の」を付けて)来るというのでは、茶番になる。

今後の歴史がどう進むかは今後私たち全体が真剣に追求していかなければならない課題だ。望月は、「資本主義」と呼ばれるこの経済体制の内部を見ながら、そこに社会主義的な発展を含めた新しい社会を展望しているようだ。

資本主義の中に社会主義的発展がはらまれる

まずは、「第二次世界大戦後、未曾有の経済的繁栄を謳歌した後期資本主義の特徴の一つが政府部門の拡大」だったとする。福祉充実、雇用拡大などの要望に応えながら、マルクスが予測もしなかったような資本主義内での公共部門の拡大が起こった。「大きな政府」がいろいろ問題を起こしがらも、皮肉にも社会主義に似た体制をつくりだしている。

人的資本、社会資本など私的物的資本以外の資本の役割も重要になった。「社会資本はまさに社会的所有になっており、大企業などの独占資本が支配しているわけではない。このことは、日本において、過大ともいえる社会資本が地方に建設されていることから見ても明らか」とする。金融資本の拡大も、実はそれに資本を提供しているのは労働者を含めた一般国民であり、「国民の多くが、株式をもったり、金融機関に預金をもつことを通して、直接的・間接的に生産手段を社会的に共有」している。「資本主義が成功裏に発展を続けることによって、結果的に共産主義体制が成立する方向に動いている」(p.53)。

このように資本主義を分析した上で、返す刀でマルクス主義を次のように斬る。

「あくまで資本主義を根本から否定し、人々の生活向上という資本主義の成果を一切認めようとせず、すべての社会問題を資本主義の矛盾の激化と解釈し、その矛盾の最終的解決手段として、革命を主張する者は、それはあくまでも政治闘争の手段としてそれを主張しているのであって、当然のことながら、それは経済理論上の学説ではなく、政治目的を持った運動であると見るべきである。」「権力を目指す人々にとって、現在の体制を根本的に否定するマルクス主義ほど魅力的なイデオロギーはない。」(同論文、pp.54-55)

「おわりに」の中では、マルクス主義者のビジョンと非マルクス主義者のビジョンは収斂すると考えることもできるとして、次のように言っている。

「両者の違いは、むしろ現状に対する評価なのである。すなわち、資本主義社会に積極的意義を見出し、そこで生産力の増大を図り、その過程で生じる種々の問題を資本主義の枠内で解決することによって、その究極にある理想社会を目指すのか。それとも、資本主義社会を性悪でいずれ崩壊するものと規定した上で頭から否定し、批判のための批判だけで終わるのかの違いなのである。」(同論文、p.60)

今後

引き続く民族紛争、大国の横暴、核戦争の恐怖、地球環境の破壊…現実に人間社会は多くの困難をはらみ、社会変革の課題は私たちの前に山積する。これをそのままにしていいわけがない。今後の私たちの挑戦が求められるわけだが、きびしく批判される「資本主義」が、(おそらくその厳しい批判が許される体制であるからだろうが)議会と選挙による権力移行をはじめ、立憲・法治国家、言論・思想など各種の自由、人権、福祉と公的サービス、情報公開、労働法や労働組合、マイナーではあるが、NPO、協同組合や、自主管理組織まで、多様な民主主義制度のオルタナティブを作りだしてきた。それに対して社会主義は何を生み出したか。機能しない国有企業はつくったし、ユーゴでは貴重な自主管理企業の実践もあった。しかし、政治的専制、独裁と個人崇拝、強大な軍事力、粛清と秘密警察、強制収容所、権力の世襲など、これまでの古い社会の体制しか現出させなかったのではないか。私たちはどこを見て未来への糸口を展望すべきなのか。

ここで紹介した望月論文は1998年のものだ。25年がたってしまった。今では、20世紀社会主義が何であったか考える人もあまり居なくなったかも知れない。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でも感じるが、かつての社会主義は現代にも暗い影を落としている。

そう考えて旧ソ連の一角、モルドバにも来てしまった。しかし、「来た」だけでは何もわからない…とも自問しているところだ。