外に出ると、さわやかな風が吹いて涼しい。モルドバは天気がいい。毎日晴れだ。夕立の予報があってもほとんど降らない。乾燥しているので木陰に入れば暑さはさほど気にならない。そしてこの風だ。大陸性の気候で、大地に常に風が吹きわたる。
天気図・レーダー図を見ると、西からやってくる雲が、バルカンの山やルーマニアのカルパチア山脈に遮られて、その東側が快晴になる。バルカンの旅では、常に雲が出てどんよりとしていたが、こちらは別世界だ。
こんな天気がすぐ東隣のウクライナにも続いているのだろう。いや、その先のロシアも中央アジアも同じなのかも知れない。
車掌さんがいた
市バスに乗る。運転手にバス代を出そうとすると、ガラス窓が閉まっている。「違う違う」と運転手が手を振る。
まずい、ここもカード方式か。東欧のほとんどの大都市がバスはカードで料金を払う方式になってしまった。着いたばかりの外国人観光客には不便でたまらない。現金をズイと出すのは簡単だが、カードでは、まずどこで手に入るのかわからない。カード券売機を見つけても、どんな種類の券を買えばいいのか。1日カードか1週間定期か、プリペイドカードか、あるいは1回券があるのか。操作も不慣れで手間どる。外国のクレジットカードを受け付けない端末もあった。通勤で日常的にバスに乗る地元民には便利なのだろうが、旅行者には高いハードルになってしまう。便利なはずの市バスが遠い存在になる。
キシナウもそうなのか、と愕然として、とりあえず中に入った。すると、すぐご婦人が制止する。カネを払えと言う。え、車掌さんなの。
何のことはない。カードではなく現金だった。しかもワンマンバスでさえなく、車掌さんが車内を巡回している。感動した。なんと便利なシキナウ。まだのんびりしているかも知れない元ソ連領モルドバの人口70万の首都キシナウだ。
白人の国
街を歩いて人の視線を感じる。アジア系の私が珍しいので思わず見てしまうのだろう。考えてみれば、街でまだアジア系に出会ったことがない。黒人は少数だが見た。
視線の方に、ニコッと笑ってあげる。すると私を見ていた人がハッとして目をそらす。大人なら、ジロジロ見ているのは失礼だと気づくからだ。しかし、子どもはそういう配慮がない。いつまでもジーっと見ている。ハーイ、ハワユー!と満面の笑みを浮かべて笑ってあげる。するとびっくりしたり恥ずかしがったり。日本と同じだ。日本でも、見慣れぬ外国人とすれ違うと無意識のうちにジッと見てしまっているでしょう。(あなたにとってはごくたまにの経験で、かつ何気ない動作なのでしょうが、見られる方の外国人にとっては日々街中で連続している現象で、ストレスがたまるようだ。)
私はこの「白人ばかりの国」で多様性を訓練するために送られてきた大義の使者。私を通じ多様な人間がいることに慣れて下さい。顔が違っても普通に笑いコミュニケーションできる相手だ、ということを知って頂く。崇高な使命感をもって街を行く。ルーマニアでもそうだったが、ここキシナウでもそんな気持ち。
アメリカなら、白人ばかりの田舎町に来たと同じだ。有色人種がほとんどいない。だが、かの地ではジロジロ見られることはまずなかった。都市に行けば有色人種が居てある程度慣れているからだろう。ヨーロッパでもEU圏なら有色人種もある程度居て、あまり珍しくはならない。
モルドバはルーマニアと文化的に近いが、かつてルーマニアのように一応東欧の独立国だったのではなく、ソ連だった。結構ロシア系もいるはず。今でも、あまり「西側」の観光客は来ない。「西側」のヨーロッパ人旅行者でも珍しく見られるのでストレスを感じるという手記を読んだことがある。ましてや私のようなアジア系はまず居ないのだ。
宿は前述の通り1泊1300円。安心して長居ができる。そして旧ソ連風の広い町並み。広すぎて違和感があったが、そのうち慣れてきた。広いんだから、気楽に大らかに歩いていればよい。ある種の解放感がある。これに慣れると、狭い街に帰ったらつらいかも知れない。
友だちが増える
なんだかティーンエイジャーの友だちばかり増えていく。キシナウでは長期滞在するし、かつすぐ近くにバスケコートがあるので、毎晩バスケで体を鍛えることにした。そうすると相手はティーンエイジャーばかりだ。大人も少し来るが、あまり実戦(試合や1対1対決)には加わらない。73歳のおじいさんが15,6の若者と対決。
「あのー、すみません、あなたはカザフスタン人ですか中国人ですか」と若者が聞いてきた。英語の話せない見物人から、聞いてくるように言われたという。「日本人だよ。」
「おお、日本。ビューティフル。」
よろしい。昔は日本はエコノミック・アニマルと言われていたものだが、今は美しい国というイメージができたか。それにしてもなるほど、まずは「カザフスタンか」と思うのだな。かつてソ連圏、社会主義だったから、東アジア系の顔立ちはまずカザフ人に見えるのだろう。
最近はスマホ翻訳で、簡単にコミュニケーションできるようになった。便利だが面倒になったかも知れない。こっちはシュート練習したいのに、いつまでもスマホ入力翻訳でいろんな質問をぶつけてくる。「何歳?」「名前は?」「日本のどこ?」「何しに来ている?」「職業は?」「家族は?」「バスケはどこで覚えた」…。
モルドバの若者たちは活発だ。「日本が好きだ」「アニメが好きだ」「これからは中国も含めてアジアの時代だ」「ヨーロッパ人は半分が腰痛持ちでスポーツできなくなっている」「僕は(車で横滑りさせる)ドリフトってのが好きなんだ。ほらこれ日本車だろ」と動画を見せる。
よかろう。若きモルドバの諸君に国際理解と交流の場を提供できることは誠に光栄であって…しかし、シュート練習したい。体が冷えてしまう。
バスケ対決
きょうは16歳と3対3バスケをやってしまった。まだ体ができてないので本格的にはやりたくなかったが、誘われたら断るわけにゃいかめえ。まあ対等だったが、何しろ年寄りは夜目が効かない。このつっかけみたいな靴もだめだ。あした中古屋で運動靴を買って、そして明るいうちに行くぞ。俺に火をつけてくれたな。やってやる。
15、6歳が多いのはハイスクールの学年のせいか。卒業するとあまり来なくなるのだろう。だいたい近所の若者だが、「僕はキシナウじゃなくて田舎の方から来ている」というのも居た。頻繁にやってくる小学生の男の子はイスタンブールから来たという。「タバコ持ってないか」と一番最初に近づいてきた16歳のアドリアン君は、お姉さんがドバイに働きに行っているとのこと。ある日そのお姉さんが帰ってきて試合に参加した。なかなかうまく、彼はお姉さんに鍛えられているようだ。明るいうちに3対3でやっているかなりうまい20代の青年たちはアゼルバイジャン人なんだという。皆ほとんど英語が話せないので、どういう事情かわからないが、面白いことだ。イケメンで背の高い若者が「ウクライナから来た」と言うので驚いた。「戦争に行かなくていいのか」と思わず言いそうになって止めた。まだ16歳かも知れない。
いろんな国、地域でバスケの性格も少しずつ違う。ここキシナウでは、結構ロングシュート(3点シュート)が入るから注意しなければならない。しかし、皆守備が甘い。ディフェンスに慣れておらず、少ししつこいディフェンスをするとすぐシュートが入らなくなる。スピードもちょっと甘いな。73歳に抜かれるようではだめだ。
(要するに基本ができていないということだ。日本では、サービス残業をいとわぬ献身的な顧問先生方の努力で、バスケに限らず、部活でスポーツの基本がよく仕込まれる。部活経験者は動きが違い、私のような50代でバスケを始めた者は手も足も出ない。しかし、アメリカをはじめ、諸外国では学校の部活はあまりない。皆、仲間内の自己流でスポーツを覚えていく。)
こうして、毎夕、ティーエイジャーに交じって73歳が踏ん張るようになった。彼らは皆体が大きく、あまり子どもという感じはしない。背の高いのがバスケをするからだが、だいたい180センチ以上。こちらこそ体が小さく、(シュートを外したときなどに)ファック、シットなどと言いながら走り回って子どもみたいだ。