スチャバの散歩道、これ一択 中世モルダビア公国へのいざない

おお、中世モルダビア公国の大地よ。このスケイア要塞(スチャバ西部要塞)跡に続くハイキング道こそスチャバ唯一にして最上の散歩道だ。ここに来て初めて、モルダビアへの愛着が出てきた。おお、私は14世紀モルダビア公国に生きていたのではなかったか。この森よ丘よ、そして広大に広がるモルダビアの平原よ。私はここを治めていたのではなかったか。「木陰よお…」と「ヘンデルのラルゴ」旋律まで飛び出す始末。

スチャバの街で散歩に適した道は一つだけだ。ザムカ修道院からスケイア要塞跡にかけての山道。これ一択。なかなか厳しい、他にない。

街中に小さい公園はあるが、ウォーキングするほど大きくない。繁華街の舗道はまあ歩けるが、それは本当の散歩ではない。郊外に行く道路はどれも狭く交通量が多く、歩道がほとんどなく、車がスピードを出して走り、危険だ。そして脇の静かな道に出ようとすると、放し飼いの猛犬に攻撃される。大通りでも塀の中から連続的に吠えられるし、放し飼いの場合もままある。逃げ場がない。Walkable City、放し飼い番犬文化のなかにそれはない。

そういう中で滞在10日目にしてやっと一択の道を見つけた。緑多く、しかも犬が居ない、自然の散歩道。ある程度の長さがあり、眺望も優れている。そうこれ一択だ。下記の地図を参照。

スチャバの街と散歩道候補・地図。 赤線が散歩道の「一択」候補。赤点がスケイヤ要塞への主な入り口。黄色線は後述の第二候補散歩道。地図:OpenStreetMap
出発はこのザムカ修道院だ。ザムカ(正式名称:スチャバのアルメニア修道院)は、1401年に創建されたアルメニア正教会(アルメニア使徒教会)の修道院。黒海とカスピ海の間、コーカサス(カフカース)山脈沿いにあるアルメニア人のキリスト教会がなぜこんなところに。実はアルメニアはローマ帝国がキリスト教を国教化する(392年)ずっと以前、301年に世界最初にキリスト教を国教化した。つまりローマ・カトリック教会もしのぐ老舗のキリスト教教派なのだ。しかし、ペルシャやトルコ、そしてモンゴル帝国など大国から侵略を受け、世界に拡散する運命を背負わされた。ユダヤ人に似ている。商業に長け、10世紀ごろから現ルーマニア域に入ってきた記録がある。14世頃に移住が活発化し、交易活動に従事するとともに、自らの祈りの拠点をつくってきた。現在も夕刻、この修道院の周囲を歩くと、礼拝所から祈りの声が聞こえてくる。
ザムカの入口はここ。市街北部のザムカ通りの突き当り、ロータリーの右に進む。すでにザムカ修道院は右手に見えている。
突き当りを左(北)に行くハイキング道がある。車を通さない遮断器があるが、歩行者は歩いて行ってよい。ここで左(写真の後側)に行くハイキング道もあるが、これはすぐ行き止まりになるので、必ず右に行くこと。
ザムカ修道院の横を抜ける。
それを後ろから見るとこんな感じ。
このような草原の道を歩く。
左側の崖沿いはうっそうとした落葉樹林だ。
途中1軒だけ民家があり、そこに居る数匹の犬が猛然と吠えてくる。けしからんことだが、幸い塀の中だけにいる。しかし、何だね、ルーマニア人は、犬の散歩で平気でチェーンを外す人が多い。犬にとっては気持ちがよいだろうが、大型犬に走って寄って来られると生きたここちがしない。子どもも散歩している。ちょっと逃げて走ったりしたらどうなるか心配。
尾根の道、林の道。いろいろあって楽しい。
そしてスケイア要塞(スチャバ西部要塞)跡が見えてくる。

 

おお絶景ぞ。周辺のなだらかに起伏する平原と丘がよく見渡せる。スケイア要塞は、14世紀末に、当時この辺を支配していたモルダビア公国(1359~1538年)が首都スチャバの西の守りとして気づいた砦だ。この丘のかなたからポーランドやハンガリーが攻めてくるのをよく目視できる場所だったとされる。モルダビアは現在のルーマニア北東部からモルドバ、ウクライナのドニエストル川付近までを指す地名だ。現在ハリソン州でロシアとの激しい戦闘が続いているが、ウクライナが奪還したそのニエストル川右岸地域も含むわけだ。スチャバには東側に比較的保存されているスチャヴァ要塞(スカウン要塞)があるが、この西部要塞は早期に廃棄され、形状も崩れている。近年の発掘で伝説の要塞跡であることがわかってきたが、周囲に史跡であることを示すサインや解説板はまったくなく、訪れる人たちも「眺めのいい場所だ」程度の認識らしい。地元の人にはWikipediaの詳しい解説を見せてあげるといい。

スチャバの隣町(郊外)のスケイア方向を見る。私のホテルもこの中にあった。この急峻な崖下にはスケイア川(スチャバ川の支流)が流れ、それに沿うように鉄道が走っている。スチャバからプトナ修道院のあるプトナまで日に数本の列車が走っている。

 

そんなに高い丘ではない。標高はメートルだが、平地からの標高差は約80メートル。マウンテンバイキングでやって来る若者も多い。

往復1時間の散歩、いくつかバリエーション

極上の散歩は、この見晴らしのよい要塞跡まで来て、そしてまたザムカ修道院まで帰るコースだ。往復で1時間程度の歩きとなる。

しかし、それでは単純すぎるというなら、いくつかバリエーションをつくることができる。ひとつは、要塞跡見学に焦点を当てて、近道の道路を入って来る方法。行きか帰りをこっちのルートをとってもいい。もう一つは、逆方向の要塞跡の先の方に降りて行って郊外側の道に抜けるコース。少々崖が厳しくなるが、猛犬に会うくらいなら急崖を歩いた方がいい。郊外側に抜けてもあまりいいハイキングコースはないが、私のホテルはそこから近くなる。

スケイア要塞跡に上るだけなら、このMihail Sadoveanu通りを突き当りまで行けば近道になる。交通量の多いMircea Șeptilici通りから分岐するのがMihail Sadoveanu通り。すぐ先に、難民支援の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の建物があり目印になる。
このMihail Sadoveanu通りの突き当りまで行き、左に登って行けば要塞跡はすぐだ。ただし、この辺は森に近い人けが少ないところだからだろう、犬が多い。塀の中から次々吠えられるだけでなく、外に放たれている犬も居るからやっかいだ。

要塞跡からスケイア側に出る(そちらから入る)ルート

次に要塞の先に出て、私のホテルのあるスケイアの街の方に降りるルート。スケイア方面から行くルートと言ってもよい。このE58号線をスチャバ北部の方に向かうと前方に崖が見えてくる。これがスケイア要塞跡の丘だ。拡大すると…
拡大してみると、この要塞跡丘に人が登っているも見えるだろう。
これを丘ふもとまで行き、スケイア川の橋(写真)を渡ってすぐに、崖を登る道がある。
この看板が目印。このちょうど道路対岸を見ると、
なにやらけもの道のようなのがあり、その先に何の印か円が書いてある標識が。
行ってみると、線路がある。丸い印は何か鉄道の標識かも知れない。
道は線路を越えてずっと上まで続いている。かなり急なところもある。落ちている枝などを杖にしたらいい。雨の降った翌日などは滑るので危険。(しかし、犬は居ないから、はるかに安全。)
要塞跡の先に抜ける山道には、もう一つ、スケイア側の反対側、スチャバ側にでる道もある。スケイア側から来るとE58号線を右に折れ、Traian Vuia通りに入ってすぐのロータリーの右手に目立たない小道がある。この標識の裏手にあたる。詳しくは省略。

2番手もなくはない スチャバ要塞周辺

これだけ「一択」と言って紹介した後で何だが、実は2番手もある。同じく要塞跡、こちらは観光名所でもあるスチャバ要塞の周囲だ。その下の谷に優れた自然公園、散歩道が存在している。しかも、ここは市中心部に隣接するし、スチャバ名所のスチャバ要塞跡、農村民族屋外博物館、シュテファン大公騎馬像、宮廷跡発掘地、新スチャバ・セントジョーンズ修道院など見どころが多数存在する。普通ならこっちの方が「一択」と言っていい位だ。この近くには高級ホテルも多く、宿泊先がこの辺なら、まさにこれ一択になる。毎日この公園付近を散歩したらいい。

ただ、規模が小さい。私には満足できなかった。南端からちょっと行くと、市立公園があり、ずっと緑地帯が続くのかと期待させたが、これも児童公園で行き止まりになりそれ以上進めない。ここには開放的空間というものがないのか、と悲観した。

スチャバ中心部とされている一角。
その反対側を見るとこのようなMマークの伝統食レストランがありその右手に降りていく階段歩道がある。
そこを下りていくと、このような素晴らしい森と散歩道がある。州立公園Parc Şipote。
真っすぐ進み、眼前の急な斜面を登っていくと、この銅像。15世紀にモルダビア公国の最盛期を築いたシュテファン大公だ。
スチャバ要塞(スカウン要塞)の跡。スチャバは中世末期のモルダビア公国の首都で、このスチャバ川に張り出した崖の上の要塞が守りを固めていた。そこにモルダビア公の住居もあったのでスチャバ城とも訳されている。この要塞の谷にあるのが州立公園Parc Şipote。
ブコビナ農村博物館。モルダビアの特にブコビナ地方の農家などを屋外に展示している。