チュイ川平原の新都市ビシュケク

シルクロードという幻想

シルクロードの旅、と言えば、例えば長安(西安)あたりから砂漠や草原の1本道を、西域、中央アジア、コーカサス、そしてローマなどとひたすら西に進む旅を考えるだろう。だが、それは幻想だ。昔の人にとって「シルクロード」という概念はなかった。だから、その端から端まで旅しようなどという野望は、現在のひま人でもなければ考えつかなかった。近隣地方・諸国の間で日常的な交易で行き来する、というのが実態だったろう。それら全体を巨視的に見れば、確かに東から西に一連の交易の流れがあったことにはなる。受け継がれて、遠くまで運ばれるモノもあった。

私も現代のひま人であることを認めるのにやぶさかではない。だから本来は端から端まで一路旅していきたいと思う方だが、あいにく事情でそうはならなかった。特に中央アジアは、当初目的地(バクー)に行けなかったこともあり、あちこち行っては引き返す無秩序な面的放浪の旅になってしまった。

何を言いたいかというと、その結果、同じ場所に何度も舞い戻ったということだ。特にアルマトイ、ビシュケク、タシケントなど各国最大都市は交通の要衝でもあり、数回舞い戻っている。例えば、キリギスの複雑でかつ魅力的な地形・景観をくまなく見学するため、結局、首都ビシュケクに3回立ち寄った。中央アジア大都市の多くは20世紀のソ連時代に発展した街で、あまり魅力的とは言えない。しかし、何も書かないのは申し訳ないじゃないか…ということでここにビシュケクの報告。

ソ連時代の整然とした街

ビシュケク中心部。ビシュケクはチュイ川平原につくられた新しい街だ。

ビシュケク(人口130万、旧フルンゼ)は、19世紀にチュイ川平原につくられた新しい街だ。特に、ソ連時代にキルギス自治ソビエト社会主義共和国の首都となり発展した。1863年にロシアに併合されてから、1876年の人口は182人だったのに、1902年に9,656人、 1970年に436,459人となった。 肥沃な土壌のためロシアから多くの移民が奨励され、1970年代まで人口の3分の2がロシア人だった(現在は「ヨーロッパ系」が約15%)。

西方から来て街に入るところに、市章タワーのロータリーがある。
ビシュケクの街路。普通の大通りだが、こんな風景がビシュケクの街の典型的な景観。

街の中心アラトー・スクエアー

街の中心、アラトー・スクエア。博物館を背景に、民族の英雄マナスの巨大像が立てられている。かつてはここにレーニン像があった。
反対側、博物館の側から見たアラトー・スクエアの全貌。
チュイ大通りをはさんで南側に噴水などの広場。

キルギス国立歴史博物館

博物館(国立歴史博物館)に入ってみよう。
民族叙事詩「マナス」の展示コーナー。
遊牧民の生活からつくりだされた民芸品、絨毯の展示。
遊牧民の住居ユルト(モンゴル語でゲル、中国語でパオ)の展示もあった。

レーニン像が残る

博物館の裏にレーニン像があった。うしろに隠されてしまったわけだが、それでも残っているだけで貴重だろう。旧ソ連圏にどれだけのレーニン像が残っているか。
レーニン像の視線の先にキルギス政府庁舎ビルがある。ソ連時代の1936 年に建造。1957年以降は共和国最高評議会が置かれていた。
キルギス議会議事堂。裏から見ている。この左手(東)に博物館とアラトー・スクエアーがある。

スキのない街

ビシュケクは「スキがない」という印象。中央アジアの大都市は、多くがソ連型都市だが、どこかに旧市街があり、人々のざわめきがあるものだ。しかし、ビシュケクはどこに行っても整然と整備されており、混沌とした庶民の生活があまり見られない。

ビシュケクの街は他にも公園が多く、ゆったりしている。写真は、ファシズムに対する勝利を記念する「勝利広場」。
国立学術オペラ・バレエ劇場。マナス叙事詩に見られるように、キルギスの伝統芸術は文書化されるよりも、吟遊詩人などパフォーマンス芸術として伝承されてきた。
ビシュケクのショッピングエリアの中心となるチュム百貨店は改修中のようだった。あまり賑わいが見られない。
よく泊まることになったカプセルホテル(Capsule Hotel TechnoCave)の近くにロシア正教会の美しい聖堂があった。「スヴャト=ヴォスクレセンスキー・カフェドラリニ・サボール」(Holy Resurrection Cathedral)。
同じく宿近くのチュイ運河。上流でチュイ川から取水し、ビシュケク市内を流れる。

中央アジア河川の3大特徴

同じ川でも中央アジアの川は日本の川とは3点で異なる。まず、北極海に流れる一部北部河川を除き、皆、途中の砂漠に消える。海まで届かない。シルダリアなど大河もアラル海までだ。上流の天山山脈近くで水量は多く、下流に行くにしたがって徐々に水は少なくなり、そのうち消える。

第2に、雪解け水を主な水源としている。乾燥した流域途中ではあまり雨は降らない。するとどういうことが起こるかというと、水害があまり発生しない。春に始まる雪解けは、麓からより高いところへ徐々に進み、水の流れは比較的一定している。だからあまり本格的な堤防は必要ない。野原に川がゆったり流れるのどかな風景が出現する

そして第3の特徴。川が比較的高いところを流れる。これは上記、宿近くのチュイ運河沿いを散歩していて気付いたことだ。写真ではわかりにくいが、川が、周囲の低地よりやや高いところを流れている。その後、中央アジアの川を注意深くみていたが、ある程度どこでも同じだ。本格的な堤防がないことも、大丈夫かと心配になるが、しかもその川がやや高いところを流れている。日本などでは考えられない。洪水になれば一挙に市街が水に浸されてしまう。

だが、上述のように、中央アジアの川は洪水を起こしにくいので、少し高いところを流れてくれた方がむしろいいのだ。簡単に取水できる。ポンプでくみ上げる必要がない。小さな取水口を開けるだけで、水が自然に市街地の方に流れ、生活用水に使える。

逆に言えば、日本のように川が低い所を流れていたら、かなり不便だろう。何考えているんだ日本人は、と中央アジアからの人は不可解に思うだろう。これじゃあ、大切な水も有効に使えないぞ、と。