ヒヴァ ホラズム(太陽の国)へ

ヒヴァのパノラマ・ヴュー。photo: Euyasik, Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

シルクロード、さらに西へ

シルクロードをさらに西に向かう。サマルカンド、ブハラなどザフラシャン川平原を越えて、アムダリアに沿い西へ。年間を通じて300日は雲のない日が続くという乾燥の地、ホラズム(「太陽の国」)へ。北東にキジルクム砂漠、南西にカラクム砂漠を擁し、しかしその間にアムダリアのデルタが広がる。かつてはその先にアラル海も広大に広がっていた。ホラズムは、乾燥地内で水に恵まれた地域として古代文明が栄えた。灌漑農業が古くから行われ、シルクロード交易の起点となった。7世紀にアラブが侵攻した際、「千の要塞の地」と形容されたという

ブハラ駅からヒヴァ行きの列車に乗る。
ホラズム(太陽の国)へ。乾燥の大地へ。
三等寝台は乗り心地満点だ。中央アジアでは、昼でも寝台車が主流。

中央アジア最初の世界遺産・城壁都市ヒヴァ

ホラズム地方では、アムダリアの流路変化により、中心となる都市が変遷した。10世紀頃から現ヒヴァの南にあったクフナ・ウルゲンチ(旧ウルゲンチ)がホラズム・シャーの本拠地として発展。1221年にモンゴルに徹底的に破壊されるが復興し、14世紀にはジョチ・ウルス支配下で中央アジア屈指の大都市として繁栄した。その後アムダリヤ河道が北に遷移し、旧ウルゲンチは衰退。16世紀以降ホラズムを支配したヒヴァ・ハン国は都をヒヴァに移した。(しかし、同時期に、ヒヴァ近くに新しいウルゲンチの街がつくられ、特に20世紀、ソ連の時代にはこの現ウルゲンチがホラズムの中核都市として発展した。)

古い街並みを残すヒヴァは1990年、中央アジアで最初に世界遺産に登録された。オアシス都市の内城部分(イチャン・カラ)全体が世界遺産だ。シルクロード城壁都市の姿をそのまま今日に伝えている。

城壁に囲まれたヒヴァの街(イチャン・カラ)。街全体が世界遺産になっている。
時間が止まったようなヒヴァの街。2007年12月。

駅ができ、内城まで立派な観光路

ヒヴァには新しい鉄道駅ができていた。2007年12月に来たときには、ウルゲンチから乗り合いタクシーなどで来なければならなくて、やや不便だった記憶がある。それが内城(イチャン・カラ)東門約1キロのところまで鉄道で来られるようになった。ウルゲンチから約30キロの鉄路が2017年1月に開通した

駅から歩いてヒヴァに入ることが可能。街に至るまっすぐな大通りは歩行者天国で、周囲に歴史的建造物を思わせるホテル、各種施設が立ち、観光開発が進行していた。ただ、まだ人は多くないようだ。

駅(中央奥)からまっすぐな道路がヒヴァの内城に向かって続いている。
周囲に歴史的建造物を思わせる建物が増え、それらしい観光開発が進行している。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァと歴史的な街々が次々にテーマパーク的な観光地に変化してきている。こうした動きに批判もある
駅から壮大な観光路を歩いて、このイチャン・カラ(内城)東門にたどり着く。

まずは宿

まずは宿だ。ヒヴァ駅周辺は、上記の通り豪勢な観光開発でホテルはいずれも高級だった。ヒヴァの街中(内城)に入ってから本格的に探した。古い街並みの中に、一般人が経営すると思われる宿がたくさんあった。

東門近くの安宿に入った(Xiva Otabek Hotel)。
気に入った。2階奥のトイレ・シャワー付き部屋(写真奥)が、記憶では2000円くらいだった。特に宿主人の若者が好印象で、身体障害をもちながら快活に旅人へのサービスに尽力していた。宿泊が1泊だけで申し訳ない。事情が異なればここに長逗留してもよかったのだが。
ヒヴァの街は城壁に囲まれている。特にその南や北のはずれには安めの民宿が多いようだった。

西門からの主要観光スポット

駅に近い東門は元来は裏門だ。西門が正門で、ここから入ると主要観光スポットが目白押し。(写真の左手に西門がある。)
西門を入ってすぐ未完成のミナレット、カルタ・ミナルが目に入る。ムハンマド・アミン・ハンの命で1852年に着工したが、ハンの死により1856年に中断したままとなった。基礎部の大きさから、完成すれば70~80mのミナレットになったとされるが、26m止まり。奇しくもヒヴァを象徴する建築となった。その右手は同じハンの命で1852年に完成した中央アジア最大規模の神学校ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。現在はホテルとして使われているという。
左手の巨大な壁は、17世紀に建てられたハンの宮殿、キョフナ・アルクの城壁だ。これら主要建築に囲まれた通りが西門から東門までをつなぐヒヴァのメインストリート。街路に沿って屋台、お店が多い。遠くにヒヴァのもう一つのハイライト、ジュマ・モスクのミナレットが見える。
メインストリートを東進する。ジュマ・モスクのミナレットが近づく。高さ42m、創建は10世紀ごろ。
同上。
振り返って見たカルタ・ミナル。西門方向だ。
メインストリートから南側に入っていくと、この街で最も高いイスターム・ホジャ・メドレセのミナレット(45m)がある。ロシアなどから近代技術を盛んに取り入れたモダン派大臣イスラーム・ハジャにより1910年に建てられた。意外にも20世紀の建物で、ヒヴァでは最も新しい建築という。イスラーム・ハジャはヒヴァ最後のハン、イスファンディアル・ハンの大臣。
同上。
相撲か。アトラクション的で面白くはあるが。

城壁の上に登れる

内城城壁には登ることができる。北門付近から料金を払って登る(写真はその登った付近からの展望)。
城壁は何より防備の壁だった。城壁の上を歩けるし、所々に外敵を監視、攻撃する穴が開いている。
穴から外をのぞく。
城壁は土塀でできているようだった。
内城全体が城壁で守られている。