ケニヤ国境を越えてモンバサへ

ダルエスサラームからナイロビに向かうには、エルーシャなどキリマンジャロ周辺を通っていくのが近道だろう。しかし、一刻も早くケニヤに抜けるには海岸沿いをモンバサに抜けた方がいい。観光してはいけないとされるトランジット・ビザでは後者の方が通りがいいだろうと、ダル2泊後に、モンバサ行きのバスに乗った。モンバサ行きのバスは1日4便あるのだが(Tahmeed Bus、約3000円)、何とすべて朝4時~5時半の間に出る。ダルエスサラームに夜着いて翌朝4時発というのは無理だから2泊は順当だ。

朝4時半発のターミード・バスに乗った。市中心部の営業所のところから出発しているのはよい。宿からも近かった。
バスはインド洋岸沿いでなく、やや内陸に入った道を通って行った。少し内陸に入るとサバンナ的な景色になって、またか、と思ったが、ヤシの木があるなど、熱帯雨林気候の風情も若干は入る。
同上。
昼頃、タンザニア・ケニヤの国境を越えた(検問所の写真は撮らず)。7日間のタンザニア・トランジットビザだったが、予定通り4日で出国。取るのに苦労したケニヤのeTAもプリントアウトして完璧に所持しいるので、ともに問題なく通過。これで懸念のビザ関係をすべてクリアした。
たまたまかも知れないが、ケニヤ側は農地が多いように感じた。ナミビア「サン族の首都」には農地がまったくと言っていいほどなかった。ザンビア、タンザニアには農地があったが、サバンナの中の所々に、という感じ。それに比してケニアは農地の密度が高い。狩猟採集民族の風土を経験した後、農地にことのほか敏感になってきた。農業というのは文明の新段階なのだ。農地が、高度技術による一大産業地帯に見える。
同上。
放牧もある。
モンバサ島対岸にたどり着いた。モンバサ(人口120万人)は入り江に囲まれたような地形だが、厳密には島だ。ニューヨークのマンハッタン島のようなもの。
モンバサ島の南西岸「入り江」には橋が架かっていない。フェリーが行き来している。バスも乗客が乗ったままこのフェリーに乗り込み、対岸に運ばれる。歴史的にモンバサの中心地はモンバサ島東側入り江に面した方で、南西側入り江は最近開発された地域。これに沿って近代的な港湾施設、空港、高速鉄道ターミナルなどインフラが建設されている。大型船が入るので橋も容易にはつくれないと思われる。
対岸のモンバサ島に着いた。到着した手前フェリーから車が下りる。右手には出航してこれから対岸に向かうフェリー。
モンバサ島のフェリー発着場から南西対岸を望む。現在ではモンバサ島対岸一帯もモンバサ市域であり、郊外都市圏になっている。
南西岸入り江のかなり奥まったところにあるコンテナ船港湾施設(第2コンテナ・ターミナル)。この近くに空港や高速鉄道ターミナルもある。モンバサ港は東アフリカ最大の港で、ケニアばかりでなく、周辺のウガンダ、ルワンダ、南スーダンなどにとっても物流拠点となっている。2020年の取り扱い貨物量は3412万トン。過去5年間で年平均5.7%の成長を遂げた
そのさらに奥には手つかずの自然が残っているが、いずれはここも開発されていくものと思われる。
その一方、モンバサ島東側入り江の方には橋がかかっている。新ニャリ橋。私の安宿はこの橋を渡って約3キロの郊外にあった。通常、宿は、着いたばかりは中心部の見つけやすく行きやすいところに入り、その後郊外の徹底的に安い宿に移る、とするのが定石だが、モンバサは宿代が若干高いので、いきなり郊外宿に入った。そういう場合は必ず昼のうちに街に到着する、というのも定石。
モンバサ中心部の雑踏。

 

モスクが多い。ケニヤはキリスト教徒が8割以上を占め、イスラム教徒は11%。しかし、モンバサではキリスト教徒59%に対してイスラム教徒41%と拮抗している。伝統的にイスラム商人の影響が強かった。ケニヤでは、モンバサを含むインド洋岸、ソマリアに近い北東部地域にイスラム教徒が多い。
モンバサ島東側入り江は、古くからの街がつくられたところで、港もこちらにあった。ケニヤの歴史教科書では、900年にアフリカ系の王族によって街が設立されたとされるが、根拠が薄いようで、主にムスリム商人が交易の拠点としていたとみられる。
1596年にポルトガルが建設したジーザス要塞。東側入り江に面し、古いモンバサの街に近接する。ポルトガルは16世紀初めにモンバサを占領し、この要塞を拠点に東アフリカを植民地支配した。1696年から2年にわたってオマーンの包囲を受け、1698年までに多くが餓死し、陥落。当時のヨーロッパ勢力はイスラム勢力に十分対抗できなかったことを示す事例だ。その後、1895に英国領となり、1963年にケニア独立。
ジーザス要塞の入り口。今は博物館になっている。
要塞の近くにあるオールドタウン。スワヒリ系、イスラム系、インド系、ポルトガル系など多様な文化の足跡が残る。
同上。
オールドタウンは港に沿ってつくられた。今でも小船で領をする人が居る。この東側入り江には大規模港湾施設はない。
魚市場の活動も残っている。とってきた魚を売る。  
街に多くの三輪タクシー(トゥクトゥク)が走っている。
乗り心地は悪くない。モンバサは赤道直下の湿潤熱帯気候なので、風が入る乗り物はありがたい。ナイロビだと寒いくらいなので普及してないのかも知れない。