電子本『社会主義とは何であったか』を出版

このほど、電子本『社会主義とは何であったか』を出版しました。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DVFCBV2J/

(内容)

本書は、20世紀初頭のロシア革命に端を発し同世紀末にその世界体制の半分が瓦解した社会主義について、何であったのかを探る試みだ。社会主義とは何であったか ―多くの人がこれを考え、似たような題名の書籍や記事は他にも多い。それでよい思う。多数の人が自分なりのバージョンでこの社会現象が何であったのか迫ることが必要だ。

ソ連崩壊後、多くの秘密文書が公開され、その実態が明らかになった。しかし、それは充分に顧みられていない。「もう過去の出来事だ」「別に深くかかわったわけではない」「どこか関係ない政治潮流の話でしょ」…。ステファヌ・クルトワ編『共産主義黒書』(原著1997年、邦訳2001年)などの本格的研究、現在29巻に及ぶ『共産主義の記録』(Annals of Communism)シリーズのような詳細な公開極秘資料集も私たちは得た。前者でフランス人のクルトワは、西側の人も含めて「多くの追従者が昔の偶像を放棄したが、彼らはそっと目立たぬやり方で見捨てた」のではないか、と問うている。

明らかにされた事実の一端を紹介すると、ソ連共産党第20回党大会(1956年)のフルシチョフ秘密報告によると、1934年大会で選出された中央委員139人のうち98人、代議員1966人のうち1108人が粛清(処刑)された。

強制労働収容所(グラーグ)管理局などの文書では、例えば1937~1938年だけで、157万5000人が逮捕、134万5000人(85%)が有罪、68万1692人(有罪の51%)が処刑された。これには共産党幹部の粛清、強制移住での死亡、拷問の犠牲者、収容所への移送途中に死んだ者などは含まれておらず、これらを含めると1930年代の拘禁中死亡者は200万人とする推定が出ている。

さらに、例えば1932~1933年のウクライナで400万人餓死など意図的に起こされた飢餓、虐殺の一形態としてシステマチックに用いられた強制労働、1920年からのコサック解体(ラスカザーチヴァニエ)に見られる民族ジェノサイド、1930~1932年の「クラーク(富農)撲滅」などに見られる階級ジェノサイド(出生に基づく虐殺)などを含め、1928年から1953年に至る25年のスターリン治世下での犠牲者数は少なくとも2000万人と推計されている。これに中国で6500万人、北朝鮮200万人、カンボジア200万人などを加え、全世界で1億人近くが共産主義の犠牲になったととの推計がある。ナチズムの犠牲者2500万人を上回る数だ。(第2章参照)

こうした数字に、歴史資料を再検証し、ある程度ダメージを少なく見積もることも可能だろう(増える可能性もあるが)。しかし、「人間の解放」を目指したはずの社会主義をそういう形でしか擁護できないとしたら、その時点で社会主義は根本的な失敗であったと言わざるを得ない。これだけの惨状を見せられて、「真の社会主義は別にあるのであって…」などという論は立てられないし、それは知的良心にとっての敗北だ。

本書は、社会主義のどこが間違っていたかその政治理論や革命戦略を問題にしたものではない。やや突き放した観点から、それを一種の宗教運動だったと見る。原始キリスト教や7世紀のイスラムの拡大のような社会現象だったのではないか。東アジアの社会主義では、王朝末期に起こる農民反乱や匪賊との関連も探った(第4章)。社会主義がかつてのモンゴル帝国の領域に拡大したことから「モンゴルの遺産」説も検討した(第6章)。しかし、最も影響を受けたのは、J・L・タルモン『フランス革命と左翼全体主義の源流』(原著1952年、邦訳1964年)の論説だった。彼は、20世紀社会主義の源流を18世紀末フランス革命で起こった革命暴力の中に見て、その「救世主主義的な全体主義的民主主義」の問題を提起した。この70年前に出た書に最も共鳴できるものがあり、かつそこから多くを学ばせて頂いた(第14章)。

フランス革命で「恐怖政治」を敷いたロベスピエールのジャコバン派もそうだったが、20世紀社会主義やマルクス主義は「これが真理だ」とする信条を内部に強く持つ。これが真の自由であって、それはこのように達成されなければならず、それが理解できない人は惑わされているのであって、正しく指導さればならず、時には…、という形で強制や専制、さらには暴力の可能性を内部にはらむ。大切なのは自由で多様な人が多様な実践を行うことであって、その後に何らかの社会的合意、政策の形成を考える、というような思想ではなかった。残念ながら絶対的真理への信仰は、自由と原理的にかみ合わないところがある。

タルモンはこれを「全体主義的民主主義」と表現したが、今日的な視点からは「カルト」と読み替えて理解することも可能だ。20世紀はあらゆる形のカルトが跋扈し、莫大な犠牲を出しながらその検証が行われた時代だった。

タルモンの70年前の著書が、今でも、最も本質的な所から社会主義を把握した書と思われる。当時冷戦はまだ始まったばかり、日本はまだ社会主義全盛の時代で、この物静かな書はほぼ無視されたようだ。現在では入手困難とも思われるが、幸いオンラインで読めるので参照されたい(国会図書館デジタルコレクション)。

本書では、批判だけでなく、社会主義とはまた別の発展があるのではないか、というオルタナティブの方向も当然探っている。私的所有を基礎にした小農・小経営の可能性、市民団体の役割、法人制度の課題、ロシアの抱える課題、東アジア変革の方向、などなど。私的所有の再評価、市場の復権、民主主義の初期形態としての封建制、など正統的マルクス主義にたてつくジャブもあちこちで出した。

20世紀は戦争と革命の世紀だった(21世紀もそうかも知れないが)。社会主義だけが猛威を振るったのではない。他の多くの熱狂的な勢力が、残虐な行為に走った。その多くにタルモンが言うところの「全体主義的民主主義」の思考回路、発想方法がある。この激動を越えて次の時代に向け新しい原理を提供していくのが古い世代の課題だろう。その一旦を本書が担えれば幸いだ。

本書は、次の2既著の一部を再録している。

・本書1章、3章
『ウクライナ周辺・探索の旅 2022‐23年 』(KDP電子版、同ペーパーバック版、2023年)から。
・本書2章、4~7章
『東アジア帝国システムを探る -中華、征服王朝、周辺民族』(KDP電子版、2016年、MyISBN印刷版、2018年)から。

今まで書いてきたものを別の形に組み入れる過程で、別の観点が明瞭になってくる。自分の中にあった問題関心や主張を新しい形で気づく契機となった。自由の効く自主出版路線ならではの効用を活用させて頂いた。

<目次>

はじめに
第1章 東欧: 社会主義の遺構
第2章 ソ連の共産主義
第3章 ユーラシア主義とロシアのウクライナ侵攻
第4章 中国の農民反乱と共産党
第5章 東アジアの帝国システム
第6章 社会主義はモンゴルの遺産か
第7章 東アジアの経済発展をどう位置づけるか
第8章 社会主義革命は絶対主義革命だったか
第9章 私的所有の復権
第10章 市場の復権
第11章 利他性の進化と生物市場論
第12章 宗教とカルトを区別するもの
第13章 結社の自由と法人の歴史
第14章 フランス革命からの全体主義
終章