「インド太平洋」からの理念

ユーラシアの人々が、西欧でも東アジアでもない独自のユーラシア内陸世界を構想することは素晴らしいことだ。どこかの国家、民族が支配するのでなく、互いに対等の立場で、この草原、森林、乾燥地帯に覆われた美しい風土に、それぞれの文化が共生する世界は、実現すればうらやましい。

それに対して私たちの生きる世界はどこなのか。別に張り合う必要はないし、そのような中間項的地域世界を求めなくともいいかも知れないが、グローバルな連携に貢献していく自分たちの情熱的な拠点を確認できればこれまた素晴らしい。そういう連携枠組みとして最近聞く「自由で開かれたインド太平洋」という観念はなかなかいいと思う。「東アジア共同体」でもなく「アジア太平洋」でも「環太平洋」でもなく「インド太平洋」だ。しかも、「自由で開かれた」という価値観も付く。

この概念は一般には、2016年頃から、当時の内閣総理大臣・安倍晋三が提唱しはじめた日本の外交方針だとされる。自由と民主主義、人権、法の支配、市場経済などの価値観を基礎に、海洋の自由な航行、自由貿易により繁栄と平和をもたらす、といった理念だ。私の周りには故・安倍氏がきらいな人が多く、彼が提唱したと聞いただけで拒否反応を呈されるかも知れないが、いい面は評価したい。むろん実際には、私の考える理念とは異なる可能性もあり、誤解なきよう別の言葉を使うべきかも知れないが、少なくともこの概念から刺激を受けたことは認めよう。

こうした概念が出てくる背景には、日本が置かれている戦略的な位置、経済的・外交上の必要性があるだろう。概念の起源は、正確にたどると外務省の実務家たちから出てきたものらしい。その経過をNHKが取材している(「自由で開かれたインド太平洋誕生秘話」2021年6月30日)。それによると、「自由で開かれたインド太平洋」の発案者は、2015年10月に外務省総合外交政策局の総務課長に就任した市川恵一だった(後に北米局長)。市川は、総務課長に就任してから3か月の間に、当時の安倍首相の外国訪問に6回も同行することになり、その経験から新しい外交構想の必要を感じたという。次のように語っている。

「日本経済は相対的に低下傾向にあり、ODA=政府開発援助も非常に限られた予算しかない。日本のプレゼンスを高めていくためには、一貫したメッセージが非常に大事なのではないかと思いました。国として目指すべきものをことばで表して具体的行動で示していく。そうすることで国際社会からより大きな信頼を得ることができるのではないかと。」

上司に相談し、正式な立案への命を受け、部局を越えていろいろ専門家のアドバイスを受け基本的概念を練り上げた。それを示すいくつかのネーミング案の中から、上司の秋葉剛男(当時の総合外交政策局長)が「自由で開かれたインド太平洋戦略」を選んだ(後に「戦略」は削除)。2016年8月、政府専用機でケニアの国際会議に向かう安部首相に、二人でその概念を説明した。安倍は、開口一番「非常にいいじゃないか。これを進めよう」と言ったという。安倍はいろいろ批判もされるが、こうした概念にすぐ反応できる優れた国際感覚をもっていたと私は評価する。

以下、外務省が主張する「自由で開かれたインド太平洋」概念の説明ではなく、それに関し私が感じる魅力だ。

海の世界を基礎にした連携である

ロシア国民をとらえ始めているらしい「ユーラシア主義」は陸の世界の統合だ。ユーラシアという世界は、日本人にとってもシルクロードのイメージと結びつき、喜多郎の音楽まで加わって、かなりのロマンある世界に思える。こういう広大な大陸世界で諸民族間の連携をつくっていこうというのは、帝国支配の意図さえ除去すれば、すばらしいことだ。日本に居る私たちがそれに似たロマンを提供するといったら、太平洋からインド洋に至る広大な海洋だろう。ここを自由に航行し、諸民族が交わる、人権と民主主義が卓越する世界をこの地域からつくっていく。加山雄三「海、その愛」を出すまでもなく、それもユーラシアニズムに匹敵するくらいロマンのある理念だ。

地政学的に言えば、ユーラシア中心部を基本にする「ハートランド」でなく、そのまわりを囲む海洋に依拠するということだろう。ユーラシア大陸の中軸を支配した者が世界を支配するというマッキンダーの「ハートランド」理論は、いささか古い。ナポレオンもヒットラーも、この中軸を抑えようとロシアに侵攻したのかも知れないが、近代は海の時代だ。マッキンダーの時代には鉄道の発達でランドパワーが重要になると思ったかも知れないが、現在に至るまで、抵抗のない水面を行く船の圧倒的な輸送力に鉄道はかなわない。例えばアジアー欧州間の物流(コンテナ輸送)をみると、ウクライナ戦争以前の数字でも、海路輸送は鉄道輸送の25倍に達し、しかも輸送コストは鉄道の6分の1だ。陸上輸送は頻発する諸国間紛争でしばしば途絶されるのに対し、海上輸送は海洋に面している限り公海を伝ってどこにでも自由に到達できる。「どこでもドア」、もしくは物流上のインターネットだ。(航空機輸送も同様。)

海洋地域には、世界中からいろんなヒト、モノが来るという事情からだろう、開放的で多様性・異質性に寛容なリベラリズムが育つ。ロシアの極右ユーラシア主義者が米国・西欧などを「リベラリズム大西洋世界」(Atlanticism)として主要な対立軸とみることからもそれはわかる。アメリカでも、内陸は保守派だが、東海岸・西海岸はリベラル派の牙城だ。中国でも、香港や台湾など民主主義の息吹は海洋に面した地域で顕著だ。それに対して内陸の天安門では何が起こったか。ウィグル、チベット、内モンゴルで何が行われているか、ロシアの内部では何が起こっているのか。ウクライナの民主勢力としての台頭も、近代以降のスエズ運河開通、アジア貿易増大などによる東地中海・黒海地域の海洋経済活性化という世界史的変動が関連している。

同じ海洋世界でも、「環太平洋」でなく、「インド太平洋」を選ぶのはこの辺の事情とも関連するだろう。環太平洋は単に地理的に囲われた独自地域を表すが、インド太平洋は、ユーラシア内陸部に巣くう専制主義と人権抑圧を囲むように二つの海洋を結んだ弧を意識している。大陸の専制国家が台頭する中で、インド洋の有力な民主主義国家インドとの連携を重視する意図もはたらいているだろう。チベット、ウイグル、南モンゴル、台湾、インドなどの人権活動を連携する団体が、「自由インド太平洋連盟」(本部・東京)として結成されているのも象徴的だ。

「インド太平洋」だ。「環」インド太平洋でさえない。インド洋にも太平洋にも洋上に大規模国家はなく、そもそも国家というのは陸上にあるものだ。これは私の勝手な解釈になるが、海洋を拠点にする限り、国の枠組みに縛られない方向が目指せる。EUはヨーロッパ大陸という陸上にある諸国の連合体だ。「東アジア共同体」を構想する際も、それは陸にある国家の地域統合を考えるだろう。しかし、「自由で開かれたインド太平洋」は国家間の連合体よりも、海を通じて自由につながる人々の連携が理念的・抽象的に表現されている。連携の実務上の作業は国レベルになるかも知れないが、「自由で開かれたインド太平洋」は、理念的な「想像の共同体」的なものになる。後述するようにその規模、広がりから言っても、EU的な地域統合にもっていくのは難しく、その必要もない。国際連携の理念的枠組みとしての位置づけが第一だろう。

パワーバランスがとれている

EUの成功モデルの影響で、地域統合という国際的制度の試みが注目されるようになった。日本周辺なら、さしずめ「東アジア共同体」的なものが構想される。しかし、これはいかにもうまくいかなそうだ。この地域はヨーロッパのように多数の中小国が集合しているわけではない。台湾、フィリピン、ベトナムなどを含めても頭数は少数で、しかも、中国、日本という不釣り合いに強大な国が存在する(日本も落ち目とはいえ、経済的にはまだ大きい存在だ)。こんな不釣り合いなところでEU的な対等の連携は難しい。北米のNAFTAも同じで、米国の存在が大きすぎる。

しかし、インド太平洋と範囲を広げた場合、日中以外に、インド、オーストラリアもあり、米国も太平洋岸やハワイが含まれくることになる。圧倒的に強大な国が他を圧するという状況はある程度防げる。しかも、結節点として中小諸国が密集する東南アジが重要になる。

米中は、やはり特別に大きな存在になるが、その海洋に面した部分のみに参画して頂くような関わり方が望ましい。前述のように、この地域連携は、国家単位の統合にする必然性は弱い。実務上は国単位になるとしても、理念的連携モデルとして、そうした地域単位の連携視点に重きを置きたい。中国は、香港や上海など沿岸部の自由と民主主義の風土が強い地域に積極参加して頂く。アメリカは強大すぎるという点からも、西海岸やハワイ・太平洋地域を中心にして自制した協力をして頂くのがいいだろう。

日本、オーストラリア、インドなどは丸々入る他ないが、やはり大きな顔をすることは自制したい。例えばインドは、周辺地域に行くと「インド帝国主義」という言葉もあるそうで、インド洋地域では大きな力を発揮する可能性があり、やはり自制が必要だ。

また、ロシアも太平洋に面している。「自由で開かれたインド太平洋」であるなら、これを排除してはいけない。日本に返還されて活力ある自由貿易特区になる北方領土などを含めて、新しいロシア沿岸部の積極的参加を期待したい。

超大国の提案ではない

「自由で開かれたインド太平洋」は、珍しく、政治力がないと言われる日本から出た連携理念だ。したがって可能性がある。これがアメリカのような超大国の提案理念だと、うまくいかない。何か帝国主義的な野望があるに違いない、と勘繰られる。同じように中国の提唱する「一帯一路」やロシアの「ユーラシア主義」も警戒の目で見られている。

EUは、独仏の連携が中心にあるにしても、実務上はベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)という小国家群が何くれとなく中心に座ることでうまくいっている。EU本部(欧州理事会、欧州連合理事会、欧州委員会)はベルギーのブリュッセルにあり、欧州議会の本会議はフランスのストラスブールで行われるが、事務局本部はルクセンブルクにある。欧州連合司法裁判所はルクセンブルグにある。

インド太平洋を結ぶ位置にある政治的弱者の日本からこの提案が出たということで可能性を秘めるが、やはり日本は少なくとも経済的には大きな存在だから、実務上は、東南アジア諸国のように小さくて多くの国が密集する地域に中心になってもらった方が全体の連携はうまくいくだろう。

巨大な地理的世界である

インド太平洋という世界がどれくらいの大きさになるのか、地球儀を見てほしい。極めて大きい。平面地図で見るよりもさらに大きい。地球全体の3分の2はあるのではないか、と思うくらいの巨大地域だ。よくまあこんな大風呂敷を広げたものだ、と感心する。

「ユーラシア世界」も広大かつ雄大でうらやましかったが、「インド太平洋」はそれにも増して広大かつ雄大だ。それに見合った雄大な構想力が求められよう。

その巨大さからも、これは前述の通り、EU的な地域統合の共同体にはならないだろう。インド太平洋が地域統合されるのは、すでに世界全体が統合されておかしくない段階にまで来ているときで、したがってこれはEUとは異なる地域連携のあり方として存在することになるだろう。人権や民主主義といった理念の先行、専制主義の支配を取り囲む自由の空間として人々の観念の中に住まう地域モデルになる。そしてその上での具体的な連携のあり方が創造的に模索されていくべきだ。