モルドバを南下、ドナウ下流ガラチへ。そしてブカレストからロンドン、サンフランシスコへ。

モルドバ首都キシナウを発ち、ガラチ、ブカレストへ

8月13日、2カ月居たモルドバ首都キシナウに別れを告げる。西回りでの日本への帰路、サンフランシスコに寄る。まず、安便があるブカレストまで約400キロをバス。そこからロンドン経由の格安航空会社(LCC)便でサンフランシスコに向かう。

ブカレストまでの中間地点に、ウクライナ国境と近いドナウ川河畔の街ガラチがあり、ここに1泊した。ロシアを除くヨーロッパ最長の川ドナウ。今回の旅でその中流をずっと見てきたが、下流部もぜひ見たかった。

ガラチ行きのマイクロバスは、キシナウの南バスターミナルから1日1本、午前11時発だ(2023年8月現在)。料金は控えておかなかったが、あまり気にならない数千円のレベルだった。
キシナウ発。ネット予約を入れておいたマイクロバスはちょうど満席だった。ガラチまで約200キロ、6時間の旅。
南バスターミナルはキシナウ市街の南西端で、出発するとすぐ田園・草原地帯になる。
ここでも、ひまわり畑を多く見ることになった。少し枯れ始めている。
モルドバ領内を南下。カフールの街を過ぎてからは、ルーマニアとの国境線沿いを走る。国境線になっているプルート川が望める。川方向に緩やかな低地になる。
モルドバほぼ南端ジュルジュルシュティの街でルーマニア側に入る。写真は国境検問所。このあたりは、ドナウ川にも近く、モルドバ、ルーマニア、ウクライナ3国が国境を接する。この7月24日にロシアによるミサイル攻撃があったウクライナのレニも、ここから4~5キロ東だ。しかし、バスからはドナウ川もレニ方向も見わたせなかった。
バスは国境検問所を通ると、西のルーマニア方向に進む。ウクライナとモルドバを結ぶ鉄道線路を渡る。次いでプルート川の橋を渡る。これがモルドバ・ルーマニアの国境だ。上流方向を望む。左がルーマニア側。プルート川はこのすぐ下流でドナウ川に注ぐ。
ルーマニア側に、ウクライナに向かうと思われるトラック、トレーラーの長い車列があった。ウクライナ側にも同じような車列ができているのだろう。
ルーマニアに入るとガラチの街はすぐだ。ドナウ川沿いが工業地帯になっており、そこへの貨物鉄道引き込み線に、多くの貨物・タンク列車が停車している。

ドナウ下流の河岸港都市、ガラチ

ガラチ(人口22万人)の街の中心部。歩行者天国になり、子どもたちが遊んでいた。ウクライナのすぐ近くなのに、平和な光景だ。
何はともあれ、ドナウ川に向かわなければ。東欧の旅の各所で見てきたドナウ川。ガラチはその最下流地域にある。ドナウはルーマニア南部でブルガリアとの国境地帯を流れ、やがて北上してウクライナとの国境地域で広大なデルタを形成しながら黒海に注ぐ。ガラチはそのルーマニア側に位置する重要河岸港都市(下記地図参照)。
赤線がドナウ川の流路。ドイツ南西部に発し、 オーストリア、スロバキア、ハンガリーセルビア、ブルガリア、ルーマニアなどを通り、ウクライナとの国境地帯で黒海に。全長2,850 kmで、ロシアを除くヨーロッパで最長の川だ。物流ルートとしても重要。黄色線はキシナウからブカレストまで、本稿の私の移動ルート。
ガラチの河岸部は様々な船の波止場になっている。
河岸に沿って遊歩道。多くの市民が繰り出している。
河岸沿いのプロペラ・モニュメント公園。造船の街であることを示す共産主義時代のスクリューのオブジェがある。後の銅像は、19世紀の政治家イオン・C・ブラティーアヌ。ルーマニア独立に功績があった。東欧でよくあるパターンだが、共産主義時代に撤去され、民主化後の1992年に復活。
その横の高台に立つルーマニア正教のプレシスタ要塞教会。1647年築のガラチ最古の建物。修道院だったが要塞の役割も果たした。多くの戦乱で破壊されていたが、共産主義時代に中世博物館として再建。民主化後、再び教会に。
ドナウにはかなり大きな船も停泊している。
この辺のドナウ対岸(右岸)は農地や湿地帯で、都市域はない。対岸もルーマニア領だ。少し下流(左方向)に行くとこちら側(左岸)がモルドバ領からウクライナ領になっていく。
河岸に沿って立つ港湾局の建物。
ガラチの街の北端、ドナウのさらなる下流方向を望む。工場地帯になっている。
ガラチ駅。私は、キシナウを出た13日中にガラチの街とドナウ川をほぼ見終わったので、その日の(接続のよくない)夜行列車でブカレストに向かおうと思っていた。しかし、駅近くに思ったより安い30ユーロの宿があったので、そこに泊まる。私の通常の基準としては高めだが、バス長旅の後、重い荷物をかついで街を歩き、かなり疲れていた。正解だった。

ガラチからブカレストへ

翌8月14日、ガラチからまたバスでブカレストに向かう。鉄道に乗りたかったが、バスの方が連絡がよく、速い。ドナウに沿って南下するとすぐブライーラ橋が見えてきた。今年7月6日に開通したばかり。ドナウ最下流にして最長の橋だ。片側2車線のつり橋、全長2,194メートル、主スパン1,120メートル。
ブライーラ駅。ブライーラの街(Braila、ブライラとも。人口15万)は、ガラチのすぐ南10キロにある。規模も、ドナウ河岸港都市としての性格も似ており、何かと比べられることが多い。つまりライバル関係だ。
ルーマニアの大平原を行く。やはりひまわり畑が目に付く。
何度か踏み切りを渡った。
やがて遠方にカルパチア山脈の盛り上がりが見えてくる。手前は広大な牧場。
ガラチ・ブザウ間を結ぶ国道2B線。ブザウのすぐ手前で休憩。
ブカレスト北駅。列車発車時刻表掲示板の前に集まる人々。バスはブカレストの主要駅・北駅のすぐ近くに着いた。勝手知ったるブカレスト。今回の10カ月の旅でブカレストには計4回寄ることになった。交通の起点なので何かとそうなる。この北駅を利用したり、あるいはその周辺に宿泊するなど。(ちなみに、他に何かと寄ることの多かった街はイスタンブール、ベオグラードなど。)
ブカレスト北駅からブカレスト空港(アンリ・コアンダ国際空港)まではルーマニア国鉄(CFR)のスマートな電車Henri Coanda Expressが走っている。所要約20分。約40分おきに24時間運行。運賃5レウ(約150円)。切符は券売機で買ってもよし、車内で車掌さんから買ってもよし。

 空路ブカレストからロンドン経由サンフランシスコへ

サンフランシスコへはブカレストからロンドン経由の格安航空会社(LCC)便が最安だった。モルドバのキシナウなどマイナーな都市から発つと高くなる。それでわざわざバスでブカレストまで出たわけだ。

Trip.comサイトで予約したが、運賃は合計で7万2000円。しかし、実際にはロンドンまでがWizz Air(ハンガリー系LCC)、サンフランシスコまでがNorse Atlantic Airways(ノルウェイ系LCC)と別会社フライトに分かれている。しかも、ロンドンではルートン空港に着いてガットウィック空港から出る、という風に約80キロ離れた別空港に自己責任で移動しなければならない。乗り換え時間は10時間程度あるが、遅れたら接続がなくなる(保証されない)。8月14日 21:15にブカレスト空港を発ち、同日 22:50にロンドン・ ルートン空港着、翌15日 10:00にガトウィック空港を発ち、同日 13:25 サンフランシスコ空港着というスケジュール。

ご用心:LCC追加料金

LCC利用はいろんなところに落とし穴があるので常に目を光らせてなければならない。運賃が安くなるのは素晴らしいが、例えば、荷物が重量オーバーしただけで超過料金を取られる。キャンセルや予定変更もできないか、それがいやなら追加料金でそれなりの切符を買う。席を選んだり、機内食をとっても料金がかかる。安閑としているとたちまち通常運賃とあまり変わらない出費になる。

以前より荷物の重量制限が厳しくなった気がする。前は、小さいトランク程度の荷物(55 x 40 x 23 cm、重量10キロ)を無料で機内に持ち込めたと記憶するが、今はバックパック程度の小さい荷物(40 x 30 x 20 cm、重量10キロ)しか許されない。モルドバで徹底的に荷物を捨てた。東欧ガイドブックも集めた地図類も、缶切り、歯磨き粉その他小物も。衣類も半減。帰路だけに使う軽いおんぼろ中古バックパックを仕入れ、重いトランク型バックパックは捨てた。私の持ち物など新たにそろえても計数千円で収まるものばかり。手荷物サイズオーバー料金30ユーロ(4700円)を回避するためには思い切り捨てられる。機内など冷房の強いところで必要な厚目の上着は捨てられない。「荷物」にしないでできるだけ着て搭乗する。スマホその他小さいものはポケットに詰め込む。身に着けて行けば「手荷物」の重量にはならない。

事前オンライン・チェックインせず追加料金7000円

こうして細心の注意を払って手荷物サイズ・重量はクリアしたが、思わぬ伏兵。搭乗時間の3時間前までにオンライン・チェックインをしなかったということで、ブカレスト空港で45ユーロ(約7000円)を取られた。「え、高いだろう!」とカウンターで大声を上げた。ベテランらしい係員が寄ってきて説明しはじめた。確かに、予約時の説明に事前オンライン・チェックインが必要とのことが書いてあった。それに十分留意しなかった私が悪い。しかし、こんな決まりはこれまで、そして今回使った他のLCCでもなかった。どこも空港に行って普通にチェックインできた。ロンドンまでのWizz Air便だけだ、こんなのは。

しぶしぶ、別の専用カウンターでお金を払い、チェックインカウンターに戻る。係員たちがナーバスそうに私を見ている。確かにこれは怒り出す乗客が多く、トラブルが絶えないのだろう。無理筋の要求をしなければならないLCC係員たちもストレスが大きいと思われる。特に私は大声を出したので、彼ら・彼女らも構えたようだ。大丈夫だよ、私はあばれたりしないから。

なお、このLCCは、事前オンライン・チェックインして得た搭乗券を印刷して持参しなければならないと書いてある。出発地ならまだしも、貧乏旅行者が旅先でプリンタにアクセスするのは至難の業だ。昔はネットカフェに行けば安い料金でプリンタ印刷できたが、今はネットカフェがほとんどつぶれている(皆スマホを使うから必要なくなっている)。貧乏旅行者が入るような安宿にはプリンタがないし、そもそもレセプションがないアパートホテルであることが多い(ドア鍵パスワードをメールで教えてもらい自分で勝手に部屋に入る)。空港にはプリンタが使えるキオスクがあるというが、ブカレスト空港にはなかった。

また、このロンドン行き便は、出発が2時間程度遅れた。前もってメールでの連絡が来たのはよいが、チェックインの時間帯はそのままだった。出発の3時間程度前にチェックイン終了になったのに驚いた。これが通常の仕組みなのか。出発が遅れるならチェックイン手続きも遅くまでやっているのではないか。ゆっくりチェックインカウンターに行ったら、終了時間ぎりぎり。あやうく搭乗できずサンフランシスコまでの切符をフイにするところだった。辛うじて乗れただけでめっけものと思わなければならない。

現地時間午前1時頃、ロンドンのルートン空港に着いた。 このLCC便飛行機、機内が区切りもなく、安い座席が先頭から末尾までずらっと並んでいるのが壮観だった。写真は撮らなかったが。
深夜だというのに、空港内は煌々と電気がつき、利用客がひしめいている。
ロンドンのメジャーな空港はヒースロー空港だが、着いたのは市内から北に50キロ離れたルートン空港。これからロンドン南40キロのガットウィック空港まで移動しなければならない。ルートン空港はLCC便利用が多いようで、空港で夜を明かす若者たちがたくさん居た。
ルートンからガットウィック空港には深夜でも電車・バスが走っている。バスの方が安い(約4000円)のでそれに。通常、一旦市内に入っての乗り換えになるが、ちょうどヒースロー空港経由の直行バスが来た。鉄道なら1時間半だが、バスは2時間半かかる。写真は、ルートン空港のバスターミナル(空港出てすぐ)。
着いたガットウィック空港(写真)で夜を明かし、15日午前10時のサンフランシスコ行きNorse Atlantic Airways便に乗る。”North”でなく”Norse”。ノルウェイ系のLCCで、事前オンラインチェックインしなくとも、空港で普通にチェックインできた。また、これはどこのLCCでも同じだったが、荷物は小さいバックパックである限り、細かいことは言われない。重量オーバーを心配したが、重さをはかるようなこともなかった。
飛行便はロンドン上空を通った。下にテムズ川が見える。白いドーム型建物は、世界最大級チケット売上額を誇るO2アリーナだろう。
ロンドンから11時間の長旅の後、米西海岸に到達。北カリフォルニア上空から、かなたにサンフランシスコが見えてくる。右が太平洋、左がサンフランシスコ湾。中央、雲(霧)がかかるあたりが金門橋のあるゴールデンゲート海峡だ。
ゴールデンゲート海峡上空付近から見るサンフランシスコの街(中央右の半島突端)。住みたいが高くてなかなか住めない第二の故郷に帰ってきた。ここで、若い頃の日系人運動の同窓会に参加する。